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捨てられたチワワがオペラ歌手を目指す物語

7 ずっと待っていたチワワの言葉

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 忙しさで気が紛れた。

 この忙しさは発売日初日だけだ。実力があるのは勿論のこと、学内でも人気の演奏者ばかりだから、だいたいあっという間に売り切れる。あとはもうパラパラとしか問い合わせは来ない。その頃にはチケットもなくなっているし、落ち着いて他の業務を進めることができる。


 ランチは少し後ろにずらして休憩に入る。時間ぴったりに休憩に入ってもいいのだけれど、そんなタイミングで教員専用レストランに行くと、ちょっと混む。お忙しい先生方が席についた頃、私は空いた席でランチできれば充分。


 本来は教員専用のレストランだけど、入れないのは学生だけで、大学事務職員も利用することができる。


 私と同じ学年で大学事務に就職した人はいない。毎年一人いるかいないかで、二つ上の音楽教育学科の先輩が「音教事務」にいた。「音教事務」は、音楽大学附属音楽教室事務の略称で、附属高校や大学生や大学院生の事務とは別の部門だ。特に知り合いでもなかったけれど、それより一つ年上の代の先輩は事務にいないらしい。先輩は私を見つける度に話しかけてくる。先輩だけど、事務職員同士なので名前にさん付けで呼び合うことになっている。


「篠原さん、コレ、そろそろいいかなあ?って話題にするんだけどさ~」

 何か妙に勿体つけて話し始める。どうして私の周りは台詞の如くドラマチックにしゃべる人ばかりなのだろう。家庭内でももう充分お腹いっぱいなんだけど、それは他人には言わない。世の中の普通の家庭は皆が歌うわけではないことは理解している。

「なんですか?」
「守秘義務に反するかもだけど」

「大塚さん、でしたら結構です」
「いやいや!ここはいいでしょ~、事務同士ってことで」

「では、どのような」

 私は努めて冷静に返した。だって先輩だし。毎日会うけどお友達じゃないから一応距離を置いている。

「春にさ、あなたの彼氏、『松本氏』が音教事務に問い合わせに来たんだよ。知ってた?気にならない?」
「いえ別に。特に」

「気にならないの?用件は『伴奏依頼』って言ってたけど。それでも気にならないの?」
「はい。気になりません」


 先輩は驚いていたけれど本当だ。私は伴奏なんてできない。歌が上手い人の伴奏はピアノが上手い人にしかできないし、特別上手い人の伴奏は特別上手い人にしかできない。私が依頼するようなこともないから知り合いが被らない。こちらは上手くて有名な人のことを知っていても、あちらはこちらのことは知らない。気になるはずがない。アイドルみたいなものだし、気にしても仕方がない。


「そうなんだ?まぁ、伴奏依頼でも個人情報は教えちゃいけない決まりだから、『指導者経由でアポ取ってね』って、槇先生の連絡先教えたんだ。松本氏もいいけど、槇先生もカッコイイよね!結婚しててもカッコイイのは変わらない!」
「マキ先生?」

「え。もしかして槇先生を知らないの?松本氏と同期のピ演科の特待生だった人だよ?」
「ピアノ演奏科の大先輩でしたか。存じ上げませんでした」

「そっか。槇先生も松本氏も、篠原さんの……」
「五つ先輩です」

「五つかぁ。大学で被ってないんだ?でも松本氏とはもう、つきあい長いんでしょ?結婚しないの?」


 結婚したい。


 でも、留学から帰ってきても、そんな話は出なかった。
 そんな話どころか、いきなり出て行ったあの日から、私達はぎくしゃくしたままだった。


 わかってる。私がかわいくないからだ。多分、帰国した時に私が可愛く出迎えればよかったんだ。大人の徹くんから抱きついたりとか、してこないだろう。ますます大人っぽく、男らしくなってたし。なんか、『徹くん』という呼び方すら既に不自然だったように思えて。ずっと音沙汰なしだった徹くん…………。素直に「待ってた」なんて言えない。悔しすぎる。そこまで先輩には話していない。


 黙ってしまった私に、先輩は言った。

「余計な話しちゃってごめんね。応援してるから、プロポーズされたら教えてね?」
「はい」

 先輩の優しさに、私は笑顔で短く返事をした。




 そんなランチだったのに、私はその日の業務終了後、予定外に音教事務の先輩を訪ねることになった。

「あれ、篠原さん。どうしたの?」

「大塚さん、プロポーズされました」




















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