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4・悪魔少将は考える
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おかしい、とネビロスは思った。
なぜだ。おかしい。こんなはずではなかったのに、どうしてなのか、あの天使とまったく噛み合わない。
廊下をずんずん歩きながら、ネビロスは考える。
アルを部屋へ残して、報告書を作るために監察官室へ向かっているところだが、ネビロスの頭の中は、これから作らねばならない書類のことよりも、あの天使のことで占められていた。
どうしてなのか、と自問してはいるが、噛み合わない理由は、わかっている。
まったくもって腹立たしいことに、あの天使が、こちらの予想をはるかに上回っていたからだ。
「ネビロス少将、なんだかイライラしていますね」
無言のまま大股で歩くネビロスの横から、めずらしそうに部下のアイペロスが話かけてくる。
今しがた部屋までネビロスを呼びに来たアイペロスは、監察官補佐という役職の優秀な部下である。その優秀さで、ネビロスがいつになく苛立っているのを、敏感に感じとったらしい。
イライラしているのがわかっているのなら、わざわざ指摘してくることはないだろうに、それをあえて言ってくるのが、このアイペロスだ。
「あの『暗黒の天使』と、なにかありました?」
銀色のメガネの下から、率直にアイペロスが尋ねてくる。
ネビロスは苦い顔をした。
この茶色い目と髪に、灰色の翼を持った、一見地味で真面目な印象をした男は、遠慮というものを知らない。
ネビロスに負けず劣らず仕事至上主義なところを買ってはいるのだが、少しは上司の機嫌というものも考慮していいのではないかと思う。
「別に、なにもない」
「そうですか。それならいいのですが」
「たとえなにかあったとして、だからなんだと言うのだ」
「いえ、ネビロス少将がいいのなら、いいんです。仕事さえちゃんと滞りなくしてもらえれば」
アイペロスにすました声で言われて、部下に心配されるほど自分の苛立ちは表に出ていたのかと、ネビロスは少し反省する。
「心配しなくても、仕事に支障はない」
ネビロスがイライラしているのは、あの天使にイライラしている自分にイライラしているのだ。
なぜ自分がこんなにイライラしなければならないのか。それを思うと、ますます苛立ちがつのる。
しかし、天界からの使者としてアルを預かった以上、アルがどんな天使だろうときっちり面倒をみるのがネビロスの仕事だ。
そんなことは、アイペロスに言われるまでもなくわかっている。
仕事に私情は挟まない。
それは監察官であるネビロスに課せられた、絶対にして絶対の、暗黙のルールだ。
「それにしても、あれが『暗黒の天使』ですか。呼び名だけ聞いたら、どんなに凶悪な天使が来るのかと思っていましたが、まさかあんなだとは」
先ほど垣間見たアルを思い出したのか、感心したようにアイペロスが言った。
ネビロスは渋面になる。
「いや。あれは予想以上に凶悪な天使だぞ」
「あんな、まるで生きた人形みたいな天使が?」
アイペロスが信じられないといった顔で聞き返してくる。
生きた人形か。なるほど、上手いことを言う。
アルのことを見た悪魔たちが、みんな一様に驚いた顔をするのは、なにもアルが黒い色をしているからというわけではない。
真っ白なシーツをふんわりとかぶり、透明な空気を纏った小柄な天使が、あまりにもかわいらし過ぎるからだ。
シーツの上からでもわかる華奢な体も、小さな頭も細い手足も、その可憐さを彩る要素はいくらでもあるが、やはり一番は、かわいいとしか形容できないあの顔立ちだろう。
白い陶器のようにすべらかな肌に、薔薇色の唇。
鼻も口もすべてが小さな顔の中で、けぶるような長いまつ毛に縁取られた瞳だけがぱっちりと大きく、濡れたように潤んでいる。まるで黒曜石のようにキラキラと輝くそれは、見る者の心を瞬時に捕らえて放さない。
天界では忌み嫌われているという黒髪や黒い目、黒い翼などは、この魔界ではめずらしくもなんともない。アルに限って言えば、むしろその黒い色は、なめらかな白い肌を引き立てる要素にしかなっていないだろう。
奇跡的なバランスで配置されたとしか思えない、この上もなく可憐な容姿の天使。
もしもアルが動かずにじっとしていたら、名のある人形技師が生涯をかけて作った最高傑作だと言われても、信じるところだろう。
あのあどけなさで十八才とは、とても信じられないほどだ。よくて十五、六才、下手したら十二才ぐらいに見えるかもしれない。
しかし、あと数年経ったとしても、きっと今と変わらない外見をしているのではないかと思う。あの天使がしっかりとした大人の姿に成長するとは、今の時点では思えないからだ。
天使の成人は十八才。寿命は百年から二百年と言われている。しかし天使が年老いて、老人の姿になることはない。
天使の肉体は、精神に伴って成長する。精神が肉体に与える影響は多大で、精神の成長と共に肉体の成長がある。
そして精神がある程度成熟した年齢になると、自然と体の成長が止まり、その姿のまま生涯を終えるのだ。
一説には、その姿のときが一番力が強いためだと言われている。
だから天使のだいたいは二十代から三十代前半くらいの姿をしており、百才近いであろう大天使ミカエルも二十代半ばくらいの容姿をしている。
ミカエルの兄であり、堕天使である魔王ルシファーは三十代前半くらいの外見をしているが、それは天使のと言うよりも、悪魔の性質がそうさせているのだろう。
天使とちがって、悪魔には堕天使も含め多種多様な種族がいる。その中でも力の強い、魔王ルシファーや、ネビロスの一族のような種族は、自分の意思で体の成長をコントロールできる性質をもっている。天使のように勝手に成長が止まるわけではなく、魔力で成長を極限まで緩めているのだ。
今現在、外見は二十歳過ぎに見えるネビロスも、実年齢を言えば、今年で三十八才になる。
力の強い多くの悪魔は、二十歳くらいから成長を緩めて、一生の大半を二十代から三十代くらいの姿のまま過ごすのだ。
その理由は天使と変わらない。一番力の強い姿でいるためだ。
だから天使も悪魔も、外見から実年齢を推察するのは難しいのだが、それゆえあの天使のあどけない幼さは驚異だと言える。
年齢より幼く見えるのは、その精神もそうだから。外見のかわいさだけでないということだ。
びくびくとこちらの機嫌をうかがいながらも、言葉を選んで、いちいち一生懸命に答えようとする様子は、文句なくいじらしかった。
自分の感情をかくすことなく、こちらの態度や言葉一つに一喜一憂し、なんでも素直に従おうとするさまも、本当にかわいらしく……。
そこまで思って、ネビロスは自分の思考にハッとする。
いや、ちがう。かわいいなんて思っていない。断じてない。
容姿の可憐さは認めるが、自分は決して、あの天使をかわいいなんて思っていない。
ただ、そう、不可解だと思っただけだ。
あれだけの容姿をしておいて、本人は自分の姿が醜いと言う。
天界で、黒いというだけで迫害されていたことは知っているが、それにしても不可解だ。
あんな、外身も中身も、誰が見てもかわいらしい天使が……いや、だからちがう。かわいいなんて思っていない。決してない。
あれは、そう思ってはいけない、危険な存在だ。
「アイペロスも、あれが『暗黒の天使』と呼ばれる由縁を知っているだろう」
「はい。わずか九才で六人もの天使を誘惑し、堕天させた『暗黒の天使』ですよね」
そうだ。あれは天使を誘惑し、堕天させるような、凶悪な天使なのだ。
それも第七層に住まう、妙齢の貴族の男子ばかり六人もだ。
どれほどかわいい容姿をしていようと、素直で好感がもてそうな性格をしていようと、惑わされてはいけない。
大丈夫。心配ない。天使の誘惑に負ける悪魔なんて笑い話にもならないことを、この自分がするはずがない。
そう自分に言い聞かせるネビロスに、しかしアイペロスが、余計なことを言ってくる。
「でも、今であのかわいらしさなら、九才のときも、きっとすごくかわいかったんでしょうから、誘惑された天使がいても不思議はありませんね」
アイペロスの言葉に、ネビロスは、ぐっとのどが詰まる思いがする。
九年前のアルのかわいさ。そんなもの、考えたくもない。
先ほど、アルといた短い時間の中で、ネビロスは身をもって思い知っていた。
あらかじめ予想はしていたものの、実際は予想のはるか上だった。
普通に考えて、六人もの天使を堕天させた天使が、堕天しないはずがないのだ。
天使は精神性の高い生き物だ。大きな罪を犯せば、罰するまでもなく、自責の念で堕天する。
そうならなかったというのなら、それは本人にまったくの悪意がない場合、つまり無自覚な場合だ。
あの天使は、自分でそうとは気づかずに周りを誘惑しているのだ。
先ほどもそうだった。平気で生足をさらしたり、上目づかいで小首をかしげたり、まるで恋焦がれるかのような熱い眼差しで、じっとこちらを見つめ続けたり。
本人に自覚はないらしいが、あんなの誘惑以外のなにものでもないだろう。
素直な表情も。
つたない言葉も。
あの天使にはすべてが同じこと。
誰に対してでも向けられるものでしかないのだ。
「ネビロス少将?」
黙りこんだネビロスに、アイペロスが視線を投げてくる。
ネビロスは、なにかを振り払うように首を横に振った。
「余計なことはいい。あの天使を預かったのは仕事だ。受けた仕事はきちんとこなす」
自分はただ、あの天使の面倒を見るだけ。
それだけだ。
「そうですね。天使を預かるなんて大役を任されたのですから、これで出世まちがいなしですしね」
「ああ、そうだな」
そうだ。これは仕事だ。魔王ルシファーと大天使ミカエルから直々に任された仕事。自分の株を上げるための、大きな仕事だ。
ふと、ネビロスの頭にあの天使の顔が浮かぶ。
透明な空気をその身につけた、小柄な天使。
後ろに倒れそうになったとき、咄嗟に手を伸ばした。あの瞬間、確かにぱちんと小さく弾けた。
──あれは、なんだったのだろうか。
あの天使については色々と調べた。そのほかにも、天使の生態を知るために、堕天使たちに協力してもらったりもした。
けれど、ぱちんと弾けたあれは、ネビロスの知らないものだった。
一度、魔王ルシファーに相談してみようか。そうだ、大天使ミカエルがいる今なら、ミカエルに聞いてみるのもいい。
大天使ミカエルは、いつも必ず自分の妻ののろけ話をするので有名だ。魔界に来たときには、どんなに短くても小一時間はのろけて帰る。
きっと今も、魔王ルシファーに嫌な顔をされながら、のろけ話を聞かせている最中だろうから、あの天使のことを詳しく聞くなら今かもしれない。
そうネビロスが思案していたとき、窓の外が騒がしいような気がして、ネビロスは窓に目を向けた。
「……は?」
ネビロスは驚き、足を止める。
廊下の大きな窓の外に、今まさに天界へ帰る白い馬車と、天使の一団が見えたのだった。
~つづく~
なぜだ。おかしい。こんなはずではなかったのに、どうしてなのか、あの天使とまったく噛み合わない。
廊下をずんずん歩きながら、ネビロスは考える。
アルを部屋へ残して、報告書を作るために監察官室へ向かっているところだが、ネビロスの頭の中は、これから作らねばならない書類のことよりも、あの天使のことで占められていた。
どうしてなのか、と自問してはいるが、噛み合わない理由は、わかっている。
まったくもって腹立たしいことに、あの天使が、こちらの予想をはるかに上回っていたからだ。
「ネビロス少将、なんだかイライラしていますね」
無言のまま大股で歩くネビロスの横から、めずらしそうに部下のアイペロスが話かけてくる。
今しがた部屋までネビロスを呼びに来たアイペロスは、監察官補佐という役職の優秀な部下である。その優秀さで、ネビロスがいつになく苛立っているのを、敏感に感じとったらしい。
イライラしているのがわかっているのなら、わざわざ指摘してくることはないだろうに、それをあえて言ってくるのが、このアイペロスだ。
「あの『暗黒の天使』と、なにかありました?」
銀色のメガネの下から、率直にアイペロスが尋ねてくる。
ネビロスは苦い顔をした。
この茶色い目と髪に、灰色の翼を持った、一見地味で真面目な印象をした男は、遠慮というものを知らない。
ネビロスに負けず劣らず仕事至上主義なところを買ってはいるのだが、少しは上司の機嫌というものも考慮していいのではないかと思う。
「別に、なにもない」
「そうですか。それならいいのですが」
「たとえなにかあったとして、だからなんだと言うのだ」
「いえ、ネビロス少将がいいのなら、いいんです。仕事さえちゃんと滞りなくしてもらえれば」
アイペロスにすました声で言われて、部下に心配されるほど自分の苛立ちは表に出ていたのかと、ネビロスは少し反省する。
「心配しなくても、仕事に支障はない」
ネビロスがイライラしているのは、あの天使にイライラしている自分にイライラしているのだ。
なぜ自分がこんなにイライラしなければならないのか。それを思うと、ますます苛立ちがつのる。
しかし、天界からの使者としてアルを預かった以上、アルがどんな天使だろうときっちり面倒をみるのがネビロスの仕事だ。
そんなことは、アイペロスに言われるまでもなくわかっている。
仕事に私情は挟まない。
それは監察官であるネビロスに課せられた、絶対にして絶対の、暗黙のルールだ。
「それにしても、あれが『暗黒の天使』ですか。呼び名だけ聞いたら、どんなに凶悪な天使が来るのかと思っていましたが、まさかあんなだとは」
先ほど垣間見たアルを思い出したのか、感心したようにアイペロスが言った。
ネビロスは渋面になる。
「いや。あれは予想以上に凶悪な天使だぞ」
「あんな、まるで生きた人形みたいな天使が?」
アイペロスが信じられないといった顔で聞き返してくる。
生きた人形か。なるほど、上手いことを言う。
アルのことを見た悪魔たちが、みんな一様に驚いた顔をするのは、なにもアルが黒い色をしているからというわけではない。
真っ白なシーツをふんわりとかぶり、透明な空気を纏った小柄な天使が、あまりにもかわいらし過ぎるからだ。
シーツの上からでもわかる華奢な体も、小さな頭も細い手足も、その可憐さを彩る要素はいくらでもあるが、やはり一番は、かわいいとしか形容できないあの顔立ちだろう。
白い陶器のようにすべらかな肌に、薔薇色の唇。
鼻も口もすべてが小さな顔の中で、けぶるような長いまつ毛に縁取られた瞳だけがぱっちりと大きく、濡れたように潤んでいる。まるで黒曜石のようにキラキラと輝くそれは、見る者の心を瞬時に捕らえて放さない。
天界では忌み嫌われているという黒髪や黒い目、黒い翼などは、この魔界ではめずらしくもなんともない。アルに限って言えば、むしろその黒い色は、なめらかな白い肌を引き立てる要素にしかなっていないだろう。
奇跡的なバランスで配置されたとしか思えない、この上もなく可憐な容姿の天使。
もしもアルが動かずにじっとしていたら、名のある人形技師が生涯をかけて作った最高傑作だと言われても、信じるところだろう。
あのあどけなさで十八才とは、とても信じられないほどだ。よくて十五、六才、下手したら十二才ぐらいに見えるかもしれない。
しかし、あと数年経ったとしても、きっと今と変わらない外見をしているのではないかと思う。あの天使がしっかりとした大人の姿に成長するとは、今の時点では思えないからだ。
天使の成人は十八才。寿命は百年から二百年と言われている。しかし天使が年老いて、老人の姿になることはない。
天使の肉体は、精神に伴って成長する。精神が肉体に与える影響は多大で、精神の成長と共に肉体の成長がある。
そして精神がある程度成熟した年齢になると、自然と体の成長が止まり、その姿のまま生涯を終えるのだ。
一説には、その姿のときが一番力が強いためだと言われている。
だから天使のだいたいは二十代から三十代前半くらいの姿をしており、百才近いであろう大天使ミカエルも二十代半ばくらいの容姿をしている。
ミカエルの兄であり、堕天使である魔王ルシファーは三十代前半くらいの外見をしているが、それは天使のと言うよりも、悪魔の性質がそうさせているのだろう。
天使とちがって、悪魔には堕天使も含め多種多様な種族がいる。その中でも力の強い、魔王ルシファーや、ネビロスの一族のような種族は、自分の意思で体の成長をコントロールできる性質をもっている。天使のように勝手に成長が止まるわけではなく、魔力で成長を極限まで緩めているのだ。
今現在、外見は二十歳過ぎに見えるネビロスも、実年齢を言えば、今年で三十八才になる。
力の強い多くの悪魔は、二十歳くらいから成長を緩めて、一生の大半を二十代から三十代くらいの姿のまま過ごすのだ。
その理由は天使と変わらない。一番力の強い姿でいるためだ。
だから天使も悪魔も、外見から実年齢を推察するのは難しいのだが、それゆえあの天使のあどけない幼さは驚異だと言える。
年齢より幼く見えるのは、その精神もそうだから。外見のかわいさだけでないということだ。
びくびくとこちらの機嫌をうかがいながらも、言葉を選んで、いちいち一生懸命に答えようとする様子は、文句なくいじらしかった。
自分の感情をかくすことなく、こちらの態度や言葉一つに一喜一憂し、なんでも素直に従おうとするさまも、本当にかわいらしく……。
そこまで思って、ネビロスは自分の思考にハッとする。
いや、ちがう。かわいいなんて思っていない。断じてない。
容姿の可憐さは認めるが、自分は決して、あの天使をかわいいなんて思っていない。
ただ、そう、不可解だと思っただけだ。
あれだけの容姿をしておいて、本人は自分の姿が醜いと言う。
天界で、黒いというだけで迫害されていたことは知っているが、それにしても不可解だ。
あんな、外身も中身も、誰が見てもかわいらしい天使が……いや、だからちがう。かわいいなんて思っていない。決してない。
あれは、そう思ってはいけない、危険な存在だ。
「アイペロスも、あれが『暗黒の天使』と呼ばれる由縁を知っているだろう」
「はい。わずか九才で六人もの天使を誘惑し、堕天させた『暗黒の天使』ですよね」
そうだ。あれは天使を誘惑し、堕天させるような、凶悪な天使なのだ。
それも第七層に住まう、妙齢の貴族の男子ばかり六人もだ。
どれほどかわいい容姿をしていようと、素直で好感がもてそうな性格をしていようと、惑わされてはいけない。
大丈夫。心配ない。天使の誘惑に負ける悪魔なんて笑い話にもならないことを、この自分がするはずがない。
そう自分に言い聞かせるネビロスに、しかしアイペロスが、余計なことを言ってくる。
「でも、今であのかわいらしさなら、九才のときも、きっとすごくかわいかったんでしょうから、誘惑された天使がいても不思議はありませんね」
アイペロスの言葉に、ネビロスは、ぐっとのどが詰まる思いがする。
九年前のアルのかわいさ。そんなもの、考えたくもない。
先ほど、アルといた短い時間の中で、ネビロスは身をもって思い知っていた。
あらかじめ予想はしていたものの、実際は予想のはるか上だった。
普通に考えて、六人もの天使を堕天させた天使が、堕天しないはずがないのだ。
天使は精神性の高い生き物だ。大きな罪を犯せば、罰するまでもなく、自責の念で堕天する。
そうならなかったというのなら、それは本人にまったくの悪意がない場合、つまり無自覚な場合だ。
あの天使は、自分でそうとは気づかずに周りを誘惑しているのだ。
先ほどもそうだった。平気で生足をさらしたり、上目づかいで小首をかしげたり、まるで恋焦がれるかのような熱い眼差しで、じっとこちらを見つめ続けたり。
本人に自覚はないらしいが、あんなの誘惑以外のなにものでもないだろう。
素直な表情も。
つたない言葉も。
あの天使にはすべてが同じこと。
誰に対してでも向けられるものでしかないのだ。
「ネビロス少将?」
黙りこんだネビロスに、アイペロスが視線を投げてくる。
ネビロスは、なにかを振り払うように首を横に振った。
「余計なことはいい。あの天使を預かったのは仕事だ。受けた仕事はきちんとこなす」
自分はただ、あの天使の面倒を見るだけ。
それだけだ。
「そうですね。天使を預かるなんて大役を任されたのですから、これで出世まちがいなしですしね」
「ああ、そうだな」
そうだ。これは仕事だ。魔王ルシファーと大天使ミカエルから直々に任された仕事。自分の株を上げるための、大きな仕事だ。
ふと、ネビロスの頭にあの天使の顔が浮かぶ。
透明な空気をその身につけた、小柄な天使。
後ろに倒れそうになったとき、咄嗟に手を伸ばした。あの瞬間、確かにぱちんと小さく弾けた。
──あれは、なんだったのだろうか。
あの天使については色々と調べた。そのほかにも、天使の生態を知るために、堕天使たちに協力してもらったりもした。
けれど、ぱちんと弾けたあれは、ネビロスの知らないものだった。
一度、魔王ルシファーに相談してみようか。そうだ、大天使ミカエルがいる今なら、ミカエルに聞いてみるのもいい。
大天使ミカエルは、いつも必ず自分の妻ののろけ話をするので有名だ。魔界に来たときには、どんなに短くても小一時間はのろけて帰る。
きっと今も、魔王ルシファーに嫌な顔をされながら、のろけ話を聞かせている最中だろうから、あの天使のことを詳しく聞くなら今かもしれない。
そうネビロスが思案していたとき、窓の外が騒がしいような気がして、ネビロスは窓に目を向けた。
「……は?」
ネビロスは驚き、足を止める。
廊下の大きな窓の外に、今まさに天界へ帰る白い馬車と、天使の一団が見えたのだった。
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