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1.友情を繋ぐ柚子香るタルト
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「簡単ではないでしょう。だけど、それはどんな仕事に就いても同じではないですか?」
「そうですけど……」
「ここならあなたのその特性を活かして、誰かを助けることができるかもしれない、とは思いませんか? これは霊が見える私たちにしかできない仕事です。もちろん、未練を解消するのは難しいですから、一筋縄ではいきませんが」
私にしか、できない仕事。
正確な時期は覚えていないが、物心ついた頃には、他の人に見えないものが見えていた。“見える”と知られたときの周りの反応を知ったときから、私はこの体質が煩わしくて仕方なかった。
好奇の目を向けられるだけならまだいい。必要以上に気味悪がられたり、まるで頭のおかしな人を見るような目を向けられたりするのだ。
そういう経験から、幽霊を見ることに慣れて取り乱さなくなったのではなくて、幽霊が見える自分を知られるのが怖くて取り乱せなくなった、という方が正しい。
平和に過ごすためには見えないフリをするのが一番だと悟ったのだ。
だから、まさか幽霊が見えるからという理由で仕事を持ちかけられる日が来るなんて思わなかった。この能力を必要とされるだなんて思わなかった。
本当にこの能力で、誰かを助けることができるのだろうか。
「難しく考える必要はありませんよ。霊が見える人間というだけでも少数派だというのに、さっきまで霊の気持ちに寄り添って、ともに行動していたあなたは、すでに一人でそれを成し遂げていたではないですか」
最後に見たおばあさんの安らかな、満たされたような笑みを思い返す。
「チャチャだって、きっとあなたに感謝しています」
飯塚さんの膝の上で丸くなっていたチャチャは、いつの間にか幸せそうな寝息を立てて眠っている。
こんな私にも、できることがあるのだろうか。
ずっと親にさえ隠し続けてきたこの能力を、認めてもらえるのだろうか。
「住む場所も心配要りません」
飯塚さんは、いつの間に持ってきていたのか、彼のすぐそばに置いてあった黒いビジネスバッグから一枚の紙を取り出す。
「宿舎はこの民宿の裏側のはなれになるため、実質住み込みのような形になってしまいますが、部屋は余っていますから。民宿営業時はまかない食もあるので、食事もほとんど気にしなくていいですよ」
給料は、数ヶ月前まで働いていたのよりも良い。
悪くない、むしろ好条件だ。
デメリットがあるとしたら、勤務地が松山になるため、この地へ越して来ないといけないことくらいだ。
といっても、特別東京に思い入れがあったわけではない。
両親も東京に住んでいるが、持ってうまれた幽霊が見える能力を知られないように過ごすうちに、自然と距離を置くようになってしまっていた。
本当のことを話せるような恋人も友達もいない──と言えば寂しい人間のように聞こえてしまうが、誰とも深い関係を築けなかった私には、わざわざ東京に固執する理由がなかった。
気持ちは揺らいでいる。
ありのままの私を受け入れてくれる環境、そしてそれを活かして生きていく方法が、すぐ目の前にあるように思ったから。
だけど、すぐに飛びつくには大きな疑問がまだ解決されていない。
「……どうして私なんですか?」
「どうして、というのは?」
「私が霊が見える体質だから、こうやって声をかけていただいていることはわかります。でも、私がどんな人間かもわからないのに……」
実際、最初は嘘をついて誤魔化すつもりで話していた自分は、とてもじゃないけれどいい人でも誠実な人でもないだろう。
「先ほどの霊との交流の仕方を見れば、あなたがどんな人間かくらい想像がつきますから」
「……え?」
「いくら霊が見えるといっても、なかなかあそこまで親身にはなれないものですよ」
「それは、断り切れなかったからで……」
言い訳みたいに私がそう言うと、飯塚さんはフッと小さく笑った。
「まぁ、遠方の方なのですぐには決め切れないのもわかります。またご自宅に戻られてじっくり考えてみて、ここで働く気になったときに荷物とともにお越しください」
「……それはいつでもいいのですか?」
今、この瞬間に心を決めてしまっていいのだろうか。
そんな思いから、即座に決断を下してしまうことをためらっていたけれど、このときにはすでに私の中で答えは決まっていたのかもしれない。
「いつでも構いませんよ。一日でも早く一緒に働ける日が来るのを楽しみにしています」
そしてきっと、飯塚さんには私がこの求人を断らないことも、お見通しだったのだろう。
「最後にお名前を教えていただけますか?」
飯塚さんの言葉に、私はまだ自分の名前を明かしていなかったことに気づく。
「江口 恵です」
そして、契約書を手に民宿むすび屋をあとにした私は、わずか一週間後には、再びこの地に足を踏み入れていた。
迷いない字で書いたサインを記した契約書と履歴書とともに。
「そうですけど……」
「ここならあなたのその特性を活かして、誰かを助けることができるかもしれない、とは思いませんか? これは霊が見える私たちにしかできない仕事です。もちろん、未練を解消するのは難しいですから、一筋縄ではいきませんが」
私にしか、できない仕事。
正確な時期は覚えていないが、物心ついた頃には、他の人に見えないものが見えていた。“見える”と知られたときの周りの反応を知ったときから、私はこの体質が煩わしくて仕方なかった。
好奇の目を向けられるだけならまだいい。必要以上に気味悪がられたり、まるで頭のおかしな人を見るような目を向けられたりするのだ。
そういう経験から、幽霊を見ることに慣れて取り乱さなくなったのではなくて、幽霊が見える自分を知られるのが怖くて取り乱せなくなった、という方が正しい。
平和に過ごすためには見えないフリをするのが一番だと悟ったのだ。
だから、まさか幽霊が見えるからという理由で仕事を持ちかけられる日が来るなんて思わなかった。この能力を必要とされるだなんて思わなかった。
本当にこの能力で、誰かを助けることができるのだろうか。
「難しく考える必要はありませんよ。霊が見える人間というだけでも少数派だというのに、さっきまで霊の気持ちに寄り添って、ともに行動していたあなたは、すでに一人でそれを成し遂げていたではないですか」
最後に見たおばあさんの安らかな、満たされたような笑みを思い返す。
「チャチャだって、きっとあなたに感謝しています」
飯塚さんの膝の上で丸くなっていたチャチャは、いつの間にか幸せそうな寝息を立てて眠っている。
こんな私にも、できることがあるのだろうか。
ずっと親にさえ隠し続けてきたこの能力を、認めてもらえるのだろうか。
「住む場所も心配要りません」
飯塚さんは、いつの間に持ってきていたのか、彼のすぐそばに置いてあった黒いビジネスバッグから一枚の紙を取り出す。
「宿舎はこの民宿の裏側のはなれになるため、実質住み込みのような形になってしまいますが、部屋は余っていますから。民宿営業時はまかない食もあるので、食事もほとんど気にしなくていいですよ」
給料は、数ヶ月前まで働いていたのよりも良い。
悪くない、むしろ好条件だ。
デメリットがあるとしたら、勤務地が松山になるため、この地へ越して来ないといけないことくらいだ。
といっても、特別東京に思い入れがあったわけではない。
両親も東京に住んでいるが、持ってうまれた幽霊が見える能力を知られないように過ごすうちに、自然と距離を置くようになってしまっていた。
本当のことを話せるような恋人も友達もいない──と言えば寂しい人間のように聞こえてしまうが、誰とも深い関係を築けなかった私には、わざわざ東京に固執する理由がなかった。
気持ちは揺らいでいる。
ありのままの私を受け入れてくれる環境、そしてそれを活かして生きていく方法が、すぐ目の前にあるように思ったから。
だけど、すぐに飛びつくには大きな疑問がまだ解決されていない。
「……どうして私なんですか?」
「どうして、というのは?」
「私が霊が見える体質だから、こうやって声をかけていただいていることはわかります。でも、私がどんな人間かもわからないのに……」
実際、最初は嘘をついて誤魔化すつもりで話していた自分は、とてもじゃないけれどいい人でも誠実な人でもないだろう。
「先ほどの霊との交流の仕方を見れば、あなたがどんな人間かくらい想像がつきますから」
「……え?」
「いくら霊が見えるといっても、なかなかあそこまで親身にはなれないものですよ」
「それは、断り切れなかったからで……」
言い訳みたいに私がそう言うと、飯塚さんはフッと小さく笑った。
「まぁ、遠方の方なのですぐには決め切れないのもわかります。またご自宅に戻られてじっくり考えてみて、ここで働く気になったときに荷物とともにお越しください」
「……それはいつでもいいのですか?」
今、この瞬間に心を決めてしまっていいのだろうか。
そんな思いから、即座に決断を下してしまうことをためらっていたけれど、このときにはすでに私の中で答えは決まっていたのかもしれない。
「いつでも構いませんよ。一日でも早く一緒に働ける日が来るのを楽しみにしています」
そしてきっと、飯塚さんには私がこの求人を断らないことも、お見通しだったのだろう。
「最後にお名前を教えていただけますか?」
飯塚さんの言葉に、私はまだ自分の名前を明かしていなかったことに気づく。
「江口 恵です」
そして、契約書を手に民宿むすび屋をあとにした私は、わずか一週間後には、再びこの地に足を踏み入れていた。
迷いない字で書いたサインを記した契約書と履歴書とともに。
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