11 / 69
1.友情を繋ぐ柚子香るタルト
1ー11
しおりを挟む
「上司は次の就職先も斡旋してくれると言ったんですけど、そんな会社のやり方に腹が立って、次の当てはあるからと断ってしまったんです。……だけど、自分で次の就職先を探すってこんなに難しいんですね」
入社してたった一年で辞めた人間を採用してくれる会社にはまだ出会えていない。理由すら聞いてもらえず、書類で落とされるのがほとんどなのだから。想像以上に厳しい現実を前に、弱音を吐きたくなるのは自然なことなのだろう。本当は、ずっと誰かに心の内を聞いてほしかったのかもしれない。
「なので、今夜、夜行バスで東京に戻ったらまた就活です」
自分で情けなく思うけれど、正直に話せて少しだけすっきりしていた。とはいえ、飯塚さんにとっては関係ないことで、重苦しい話を聞かせてしまった罪悪感から軽く笑ってみせた。
「すみません。何だか暗い話をしてしまって。私、そろそろ……」
朝、おばあさんと会ったときに東の空にあった太陽は、すでに西に沈みかけている。
帰りの夜行バスまで時間的には余裕はありそうだけど、バスの本数が少ないから余裕を持って出発したい。
「転職先ですが、……ここで働くというのはどうでしょう?」
椅子の隣に置いていたキャリーケースの取っ手にかけようとしていた手が、宙に止まる。私の言葉に被さるように聞こえた言葉が、信じられなかったからだ。
私が、むすび屋で働く……?
「……え?」
「転職先、東京にこだわらないのなら、ですが」
こちらをまっすぐに見据える飯塚さんは、決して無職の私をからかっている風には見えない。
だけど、どうしてさっき出会ったばかりの私をスカウトするようなことをするのだろう。
同情だろうか。それとも、そんなにここの民宿は人手が足りていないのだろうか。
飯塚さんの表情はほぼ無表情で、その真意は読み取れない。
「ここは、民宿むすび屋。経営コンセプトは、来る者拒まず去る者追わず。来る人に最大級の癒しを提供し、迷える者には手助けを」
唐突な飯塚さんの言葉に思わずきょとんとする。しかし先ほどと同様に、飯塚さんの感情は読み取れない。
「まず、来る者拒まず。通常の宿なら生きた人間しか泊まることができませんが、ここはそうではありません。先ほどのおばあさんのような方々も受け入れるということです。あなたなら、その意味がわかりますよね?」
「……生きた人間以外の者──つまり、幽霊が泊まりにくるってことですか?」
「簡単に言えばそうですね」
むすび屋には幽霊が泊まりに来るだなんて、普通なら信じられないことを妙に納得させられたのは、先ほどのおばあさんに対する受け入れ体制を見ていたからだろう。
ここの民宿の人たちはおばあさんの姿が見えていたし、何より幽霊だとわかっていても全く驚くような様子はなかった。むしろ招き入れて歓迎していた。
「去るもの追わず、はさっきみたいに成仏する霊を引き留めるなということです。万が一引き留めたことで成仏するタイミングを見失ったら大変ですからね」
そして、飯塚さんは次々とこの民宿の営業コンセプトを説明していく。
「来る人に最大級の癒しを、は言葉の通りです。特に生きた人間である一般のお客様に対してはそれでいいです」
「……生きた人間」
「先ほどお話ししたように、むすび屋には幽霊の方々も泊まりに来ます。その大半は、成仏できずにこの世をさまよい続けている霊になります」
「そうなんですか……?」
ここへ来るのは皆、おばあさんみたいに何かしら心残りがあるのだろうか。私はチャチャを探していたときのおばあさんを思い出して、胸がきゅっと締め付けられた。
「あの世にいけるなら、死んでまでこの世に留まっていないでしょう。この世にいるというのは、何かしら理由があります。ごく稀に、観光感覚でこっちに遊びに来たっていう者もいますが……」
飯塚さんは、さも当たり前のように話す。
それだけ、ここでは幽霊と接することは日常茶飯事なのだろうか。
「つまり、むすび屋には何かしら理由があって来る者が多い。私たちは、しがらみにとらわれてこの世をさまよっている霊の方々に、何とかあの世へ渡るための手助けをしたいと思っているのです」
「そんなこと、できるのですか……?」
「“見える”んでしょう、幽霊が。不可能ではありませんよ」
「でも、成仏させるって簡単なことじゃないですよね?」
この世に留まる幽霊をあの世に導くなんて、意図してできるものだろうか。
おばあさんが成仏できたのだって、運に大きく左右されていたし、毎回都合良く上手くいくとは限らないだろう。
入社してたった一年で辞めた人間を採用してくれる会社にはまだ出会えていない。理由すら聞いてもらえず、書類で落とされるのがほとんどなのだから。想像以上に厳しい現実を前に、弱音を吐きたくなるのは自然なことなのだろう。本当は、ずっと誰かに心の内を聞いてほしかったのかもしれない。
「なので、今夜、夜行バスで東京に戻ったらまた就活です」
自分で情けなく思うけれど、正直に話せて少しだけすっきりしていた。とはいえ、飯塚さんにとっては関係ないことで、重苦しい話を聞かせてしまった罪悪感から軽く笑ってみせた。
「すみません。何だか暗い話をしてしまって。私、そろそろ……」
朝、おばあさんと会ったときに東の空にあった太陽は、すでに西に沈みかけている。
帰りの夜行バスまで時間的には余裕はありそうだけど、バスの本数が少ないから余裕を持って出発したい。
「転職先ですが、……ここで働くというのはどうでしょう?」
椅子の隣に置いていたキャリーケースの取っ手にかけようとしていた手が、宙に止まる。私の言葉に被さるように聞こえた言葉が、信じられなかったからだ。
私が、むすび屋で働く……?
「……え?」
「転職先、東京にこだわらないのなら、ですが」
こちらをまっすぐに見据える飯塚さんは、決して無職の私をからかっている風には見えない。
だけど、どうしてさっき出会ったばかりの私をスカウトするようなことをするのだろう。
同情だろうか。それとも、そんなにここの民宿は人手が足りていないのだろうか。
飯塚さんの表情はほぼ無表情で、その真意は読み取れない。
「ここは、民宿むすび屋。経営コンセプトは、来る者拒まず去る者追わず。来る人に最大級の癒しを提供し、迷える者には手助けを」
唐突な飯塚さんの言葉に思わずきょとんとする。しかし先ほどと同様に、飯塚さんの感情は読み取れない。
「まず、来る者拒まず。通常の宿なら生きた人間しか泊まることができませんが、ここはそうではありません。先ほどのおばあさんのような方々も受け入れるということです。あなたなら、その意味がわかりますよね?」
「……生きた人間以外の者──つまり、幽霊が泊まりにくるってことですか?」
「簡単に言えばそうですね」
むすび屋には幽霊が泊まりに来るだなんて、普通なら信じられないことを妙に納得させられたのは、先ほどのおばあさんに対する受け入れ体制を見ていたからだろう。
ここの民宿の人たちはおばあさんの姿が見えていたし、何より幽霊だとわかっていても全く驚くような様子はなかった。むしろ招き入れて歓迎していた。
「去るもの追わず、はさっきみたいに成仏する霊を引き留めるなということです。万が一引き留めたことで成仏するタイミングを見失ったら大変ですからね」
そして、飯塚さんは次々とこの民宿の営業コンセプトを説明していく。
「来る人に最大級の癒しを、は言葉の通りです。特に生きた人間である一般のお客様に対してはそれでいいです」
「……生きた人間」
「先ほどお話ししたように、むすび屋には幽霊の方々も泊まりに来ます。その大半は、成仏できずにこの世をさまよい続けている霊になります」
「そうなんですか……?」
ここへ来るのは皆、おばあさんみたいに何かしら心残りがあるのだろうか。私はチャチャを探していたときのおばあさんを思い出して、胸がきゅっと締め付けられた。
「あの世にいけるなら、死んでまでこの世に留まっていないでしょう。この世にいるというのは、何かしら理由があります。ごく稀に、観光感覚でこっちに遊びに来たっていう者もいますが……」
飯塚さんは、さも当たり前のように話す。
それだけ、ここでは幽霊と接することは日常茶飯事なのだろうか。
「つまり、むすび屋には何かしら理由があって来る者が多い。私たちは、しがらみにとらわれてこの世をさまよっている霊の方々に、何とかあの世へ渡るための手助けをしたいと思っているのです」
「そんなこと、できるのですか……?」
「“見える”んでしょう、幽霊が。不可能ではありませんよ」
「でも、成仏させるって簡単なことじゃないですよね?」
この世に留まる幽霊をあの世に導くなんて、意図してできるものだろうか。
おばあさんが成仏できたのだって、運に大きく左右されていたし、毎回都合良く上手くいくとは限らないだろう。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと - 〇
設楽理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡
やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡
――――― まただ、胸が締め付けられるような・・
そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ―――――
ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。
絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、
遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、
わたしにだけ意地悪で・・なのに、
気がつけば、一番近くにいたYO。
幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい
◇ ◇ ◇ ◇
💛画像はAI生成画像 自作
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる