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2.仲直りの醤油めし
2ー16
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「江口さん……?」
同時に私は、低い声に呼ばれる。
昨日聞いたばかりの声に、慌てて振り返った。
そこには、和樹くんのお兄さんの姿があった。昨日と同じ学生服姿だ。
弘樹さんは、自転車から降りてこちらに押して歩いてくる。
「まさかこんなところで会うとは思わんかった」
「こちらこそ驚きました」
「ここ、小学校に歩いて通ってた頃からよく使っとるんよ」
和樹くんの話からも、何となくそれは想像がついた。
「昨日はごめんな。最後、俺、感じ悪かったよな」
「いえ。私の方こそ生意気言ってすみません」
「生意気やなんてそんなことないけん。俺の方がずっと、和樹のこと、何もわかってなかったんやし……」
昨日の最後に見た強ばった感じはなく、弘樹さんは穏やかな表情を浮かべている。
そして、弘樹さんは何となく辺りに視線をさまよわせた。
その様子を私が見ていることに気づくと、和樹くんとも良く似たおどけたような笑みを浮かべる。
「いや、何となくなんやけどな、もしかして近くに和樹がおるんかなぁ、って気がして」
弘樹さんの視線は、偶然なのか何なのかちょうど今、私の隣──和樹くんのいる場所に注がれていた。
和樹くんはそんな弘樹さんに向かって、「おるで、おるで!」と両手をふってみせている。
だけど、二人の視線が交わることはない。
それがわかっているから、和樹くんもそのことについて何かを言うような素振りはなかったけれど、見ていてもどかしい気持ちにさせられる。
そんな二人を前に、どうにかしたいという衝動に駆られた私は思わず口にしていた。
「居ますよ」
「……え?」
弘樹さんは私の言葉が意外だと言わんばかりに、少し驚いた様子でこちらを見た。
“見えてる”と言ってしまうと途端に胡散臭く聞こえてしまうような気がして、はっきりとそこは口にはしないけれど、それでも今ここに居るんだということを伝えたいと思った。
「ちょうどここに」
視線を弘樹さんから外して、和樹くんのいる位置を見る。そこには目を丸くした和樹くんがこちらを見ていた。
私が笑ってうなずくと、和樹くんは少し期待するような目でお兄さんの方を向いた。
弘樹さんには誰も見えていないはずなのに、和樹くんのいる場所に向かってふわりと優しい笑みを浮かべる。
交じり合うことのない二人の視線が、このときだけは何となく重なっているように見えた。
弘樹さんは見えない和樹くんに向かって話しかける。
「和樹、ごめんな。ごめんで済む話じゃないけど、俺、和樹に元気出してほしかっただけやったんよ」
「……兄ちゃん、俺こそごめんな。兄ちゃんは悪くないけん」
恐らく弘樹さんに声は聞こえていないけれど、和樹くんは素直な気持ちを返す。
「ずっと和樹に恨まれとんやないかとか、俺だけバスケ続けたらいかんのんやないかとか、いろいろ考えた。でも……」
弘樹さんは私をちらりと見る。
「……良い彼女持ったんやな。江口さんの話聞いて、目が覚めたわ」
そんな弘樹さんを見て、和樹くんは「俺の見込んだ通り、ケイちゃんは俺の彼女で通ったな」だなんて表情を緩ませる。
「俺、和樹の気持ちを勝手に決めつけとった。結局のところは、和樹の気持ちは和樹にしかわからんのに……。和樹は俺のことをいつも考えてくれてたのに、俺はずっと応援してくれてたバスケまで辞めて。正直、和樹を理由に逃げとったんやと思う」
まるで一字一句聞き漏らさないとでもいうように和樹くんは真剣に耳を傾けているようだった。
「でも、それは違うって気づいたけん。俺、今日バスケ部の退部届、返してもらおうと思うんよ。今更やけん、無理やって言われたらまた入部届け出す。今まで逃げてた分と和樹ができんかった分も、バスケ、頑張るよ」
「兄ちゃん……! バスケ、また続けてくれるん!?」
真夏の太陽のように明るい表情を浮かべた和樹くんは、お兄さんの方へ身を乗り出す。
「でもその前に。ほら、見てみ? これ持って学校始まる前に和樹の墓参りに行こうと思っとる」
それで弘樹さんは、朝早くから家を出ていたんだ。
弘樹さんは自転車の前篭に入ったカバンから何かを取り出す。
お弁当、かな……?
いかにもお弁当を包んでると思われる紺色のハンカチを開くと、その中からは予想通りお弁当箱が顔を出す。
弘樹さんはお弁当の蓋を取ると、本当に和樹くんのことが見えてないことを疑ってしまうくらいに自然にその中身を和樹くんのいる方へ見せた。
「すっげ、美味そう!」
中身を見た和樹くんが、キラキラと目を輝かせる。
「和樹の好きやった母さんの醤油めしやで。ちょうど昨日の夜ご飯、醤油めしと唐揚げやったけん、和樹にもと思ったんよ」
そこには、片側半分が醤油めしで詰められて、おかず部分には唐揚げとサラダが詰められているようだった。
和樹くんたちはこのお母さんお手製の醤油めしを食べて育ってきたんだと思うと、胸が熱くなる。
むすび屋で拓也さんが作った醤油めし定食を食べてお母さんのと同じ味がすると喜んでいた和樹くんだけど、本物に勝るものはないだろう。
同時に私は、低い声に呼ばれる。
昨日聞いたばかりの声に、慌てて振り返った。
そこには、和樹くんのお兄さんの姿があった。昨日と同じ学生服姿だ。
弘樹さんは、自転車から降りてこちらに押して歩いてくる。
「まさかこんなところで会うとは思わんかった」
「こちらこそ驚きました」
「ここ、小学校に歩いて通ってた頃からよく使っとるんよ」
和樹くんの話からも、何となくそれは想像がついた。
「昨日はごめんな。最後、俺、感じ悪かったよな」
「いえ。私の方こそ生意気言ってすみません」
「生意気やなんてそんなことないけん。俺の方がずっと、和樹のこと、何もわかってなかったんやし……」
昨日の最後に見た強ばった感じはなく、弘樹さんは穏やかな表情を浮かべている。
そして、弘樹さんは何となく辺りに視線をさまよわせた。
その様子を私が見ていることに気づくと、和樹くんとも良く似たおどけたような笑みを浮かべる。
「いや、何となくなんやけどな、もしかして近くに和樹がおるんかなぁ、って気がして」
弘樹さんの視線は、偶然なのか何なのかちょうど今、私の隣──和樹くんのいる場所に注がれていた。
和樹くんはそんな弘樹さんに向かって、「おるで、おるで!」と両手をふってみせている。
だけど、二人の視線が交わることはない。
それがわかっているから、和樹くんもそのことについて何かを言うような素振りはなかったけれど、見ていてもどかしい気持ちにさせられる。
そんな二人を前に、どうにかしたいという衝動に駆られた私は思わず口にしていた。
「居ますよ」
「……え?」
弘樹さんは私の言葉が意外だと言わんばかりに、少し驚いた様子でこちらを見た。
“見えてる”と言ってしまうと途端に胡散臭く聞こえてしまうような気がして、はっきりとそこは口にはしないけれど、それでも今ここに居るんだということを伝えたいと思った。
「ちょうどここに」
視線を弘樹さんから外して、和樹くんのいる位置を見る。そこには目を丸くした和樹くんがこちらを見ていた。
私が笑ってうなずくと、和樹くんは少し期待するような目でお兄さんの方を向いた。
弘樹さんには誰も見えていないはずなのに、和樹くんのいる場所に向かってふわりと優しい笑みを浮かべる。
交じり合うことのない二人の視線が、このときだけは何となく重なっているように見えた。
弘樹さんは見えない和樹くんに向かって話しかける。
「和樹、ごめんな。ごめんで済む話じゃないけど、俺、和樹に元気出してほしかっただけやったんよ」
「……兄ちゃん、俺こそごめんな。兄ちゃんは悪くないけん」
恐らく弘樹さんに声は聞こえていないけれど、和樹くんは素直な気持ちを返す。
「ずっと和樹に恨まれとんやないかとか、俺だけバスケ続けたらいかんのんやないかとか、いろいろ考えた。でも……」
弘樹さんは私をちらりと見る。
「……良い彼女持ったんやな。江口さんの話聞いて、目が覚めたわ」
そんな弘樹さんを見て、和樹くんは「俺の見込んだ通り、ケイちゃんは俺の彼女で通ったな」だなんて表情を緩ませる。
「俺、和樹の気持ちを勝手に決めつけとった。結局のところは、和樹の気持ちは和樹にしかわからんのに……。和樹は俺のことをいつも考えてくれてたのに、俺はずっと応援してくれてたバスケまで辞めて。正直、和樹を理由に逃げとったんやと思う」
まるで一字一句聞き漏らさないとでもいうように和樹くんは真剣に耳を傾けているようだった。
「でも、それは違うって気づいたけん。俺、今日バスケ部の退部届、返してもらおうと思うんよ。今更やけん、無理やって言われたらまた入部届け出す。今まで逃げてた分と和樹ができんかった分も、バスケ、頑張るよ」
「兄ちゃん……! バスケ、また続けてくれるん!?」
真夏の太陽のように明るい表情を浮かべた和樹くんは、お兄さんの方へ身を乗り出す。
「でもその前に。ほら、見てみ? これ持って学校始まる前に和樹の墓参りに行こうと思っとる」
それで弘樹さんは、朝早くから家を出ていたんだ。
弘樹さんは自転車の前篭に入ったカバンから何かを取り出す。
お弁当、かな……?
いかにもお弁当を包んでると思われる紺色のハンカチを開くと、その中からは予想通りお弁当箱が顔を出す。
弘樹さんはお弁当の蓋を取ると、本当に和樹くんのことが見えてないことを疑ってしまうくらいに自然にその中身を和樹くんのいる方へ見せた。
「すっげ、美味そう!」
中身を見た和樹くんが、キラキラと目を輝かせる。
「和樹の好きやった母さんの醤油めしやで。ちょうど昨日の夜ご飯、醤油めしと唐揚げやったけん、和樹にもと思ったんよ」
そこには、片側半分が醤油めしで詰められて、おかず部分には唐揚げとサラダが詰められているようだった。
和樹くんたちはこのお母さんお手製の醤油めしを食べて育ってきたんだと思うと、胸が熱くなる。
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