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3話 立花家の危機
四 晴れた霧(三)
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数日の間、新一郎は寝込んでいた。
傷を縫い直してもらったが、痛みがひどく、熱が出た。
相州伝も脇差もなく、今襲われたらひとたまりもないが、洋三郎が付き添ってくれているので、安心して寝られた。
時々夢の中に、さちが現れて、世話を焼いてくれていた。
願望が見せていたのか、洋三郎をさちと勘違いしたのかもしれない。
「さようなら」
と去っていった後ろ姿が目に焼きついている。
あり得ないと思っていた。
「新兄、起きた?」
洋三郎が覗き込んでくる。
「起き上がれる?」
右肘をついて、半身を起こした。
洋三郎が手首の脈をみ、首を触り、腕を持ち上げる。
「痛い?指は動かせる?」
左手を動かしてみる。
力は入りにくいが、動かせる。
「動くね。よかったあ。でも、刀を持てるまでに回復させるには刻がかかるよ」
「変わったことはなかったか?」
「うん。何もなかったよ。・・・ただ、仙次親分が十手を返上したって」
「親分が?」
「さちさんが言ってた」
「さち?」
「うん。覚えてない?さちさん毎日来て、いろいろしてくれてたよ」
「そうなのか?」
「覚えてないんだ」
「いや、・・・夢かと思ってた」
「夢じゃないよ」
そう言ってニヤニヤした。
「早く往診に行けって追い出されてさ。その間、何してたか知らないけど・・・しっしっし」
変な笑い声を立てた。
「・・・」
「ご飯食べに行こうか。お腹すいたでしょ」
「ああ」
「ちゃんと食べないと。右は無事だから箸が持てるね。反対だったらあーんしてもらえるところだけど。ふふふ・・・残念だったね」
と口元を片手で隠して肩を揺らした。
朝にしては遅く、昼には早いいつもの時刻だ。
親分の店の暖簾をくぐった。
ずいぶん久しぶりのような気がする。
「いらっしゃい・・・」
さちが飯台を拭きながら声をかけた。
目が合わない。
「新さん!」
呼んだのは親分だった。
調理場から飛んできた。
「もう大丈夫ですかい? 新さんのおかげで、こいつも無事に戻りました。ありがとうございました。・・・おめえも礼を言ったらどうなんだ」
と、あさっての方を向いているさちに言った。
「さあ、座って座って」
調理場に近い、いつもの席に座った。
「心配をかけたな。親分、十手を返上したというのは、本当なのか」
「お耳に入りやしたか。話は聞きました。・・・聞いたからには、もうお上の仕事はできません」
「親分・・・」
「板挟みで、いずれは辛くなる。そう思ったんで、返しやした。もう親分じゃありませんや。仙次と呼んで下せえ」
と笑顔を見せた。
「未練はありませんよ。これからは飯屋の親父でやっていきまさあ。手伝えることがあったら、なんでも言ってください。使いっ走りでもなんでもしますよ」
「いいのか、本当に」
「ええ、すっきりしました」
痩せ我慢ではなくて、本当にすっきりしているように見えた。
新一郎と、洋三郎の前に、ご飯に汁物、卵焼き、漬物、煮物を入れた小鉢を次々に置いていった。
「うまそうだな」
洋三郎のお腹が鳴った。
「今日は特別みたいだね。豪華だな」
「たくさん食べて、精をつけなきゃ」
よねも言った。
さちは、わざと新一郎を見ないようにしているようだった。
左手を右手で持ち上げるよにして手を合わせた。
「・・・」
不意に込み上げるものがあった。
何気ない日常がここにある。
戻ったように見えて、まだ戻れない。
平四郎を死なせ、さちを巻き込み、仙次まで岡っ引きを続けられなくした。
何人も斬った。
平四郎が言ったように、人殺しに成り下がった。
守りたいだけなのに、何がどうなっているのか。
このまま堕ちて、死んでいくのか。
先が見えない。
まだ何も終わっていないのだ。
また、大切な人を失うかもしれない。
もう二度と、笑って過ごせる日が来ないかもしれないのだ。
「新兄・・・?」
「新さん」
項垂れた新一郎に、さちが駆け寄った。
「やっぱり、あたし、新さんをほっとけない」
後ろから抱きしめる。
「傷ついてもいいから、・・・この先、どんなことがあっても、あたしは、新さんのそばにいたい!」
「さち・・・」
「お家、再興するまででいいから。・・・しおらしい女なんてやってらんないわ」
「よっ、それでこそ、さちさんだ」
洋三郎が手を叩いた。
「うるさいわよ」
さちが背中を叩く。
「これから何があるかわからないぞ」
「わかってる。新さんが、どんな世界に生きているか、この目で見たから」
「命を落とすかもしれないんだぞ」
「覚悟してる。これでも、岡っ引きの娘よ。新さんが嫌って言っても、ついていくから」
目を合わせた。
さちの思いの強さが、新一郎の胸を熱くした。
傷を縫い直してもらったが、痛みがひどく、熱が出た。
相州伝も脇差もなく、今襲われたらひとたまりもないが、洋三郎が付き添ってくれているので、安心して寝られた。
時々夢の中に、さちが現れて、世話を焼いてくれていた。
願望が見せていたのか、洋三郎をさちと勘違いしたのかもしれない。
「さようなら」
と去っていった後ろ姿が目に焼きついている。
あり得ないと思っていた。
「新兄、起きた?」
洋三郎が覗き込んでくる。
「起き上がれる?」
右肘をついて、半身を起こした。
洋三郎が手首の脈をみ、首を触り、腕を持ち上げる。
「痛い?指は動かせる?」
左手を動かしてみる。
力は入りにくいが、動かせる。
「動くね。よかったあ。でも、刀を持てるまでに回復させるには刻がかかるよ」
「変わったことはなかったか?」
「うん。何もなかったよ。・・・ただ、仙次親分が十手を返上したって」
「親分が?」
「さちさんが言ってた」
「さち?」
「うん。覚えてない?さちさん毎日来て、いろいろしてくれてたよ」
「そうなのか?」
「覚えてないんだ」
「いや、・・・夢かと思ってた」
「夢じゃないよ」
そう言ってニヤニヤした。
「早く往診に行けって追い出されてさ。その間、何してたか知らないけど・・・しっしっし」
変な笑い声を立てた。
「・・・」
「ご飯食べに行こうか。お腹すいたでしょ」
「ああ」
「ちゃんと食べないと。右は無事だから箸が持てるね。反対だったらあーんしてもらえるところだけど。ふふふ・・・残念だったね」
と口元を片手で隠して肩を揺らした。
朝にしては遅く、昼には早いいつもの時刻だ。
親分の店の暖簾をくぐった。
ずいぶん久しぶりのような気がする。
「いらっしゃい・・・」
さちが飯台を拭きながら声をかけた。
目が合わない。
「新さん!」
呼んだのは親分だった。
調理場から飛んできた。
「もう大丈夫ですかい? 新さんのおかげで、こいつも無事に戻りました。ありがとうございました。・・・おめえも礼を言ったらどうなんだ」
と、あさっての方を向いているさちに言った。
「さあ、座って座って」
調理場に近い、いつもの席に座った。
「心配をかけたな。親分、十手を返上したというのは、本当なのか」
「お耳に入りやしたか。話は聞きました。・・・聞いたからには、もうお上の仕事はできません」
「親分・・・」
「板挟みで、いずれは辛くなる。そう思ったんで、返しやした。もう親分じゃありませんや。仙次と呼んで下せえ」
と笑顔を見せた。
「未練はありませんよ。これからは飯屋の親父でやっていきまさあ。手伝えることがあったら、なんでも言ってください。使いっ走りでもなんでもしますよ」
「いいのか、本当に」
「ええ、すっきりしました」
痩せ我慢ではなくて、本当にすっきりしているように見えた。
新一郎と、洋三郎の前に、ご飯に汁物、卵焼き、漬物、煮物を入れた小鉢を次々に置いていった。
「うまそうだな」
洋三郎のお腹が鳴った。
「今日は特別みたいだね。豪華だな」
「たくさん食べて、精をつけなきゃ」
よねも言った。
さちは、わざと新一郎を見ないようにしているようだった。
左手を右手で持ち上げるよにして手を合わせた。
「・・・」
不意に込み上げるものがあった。
何気ない日常がここにある。
戻ったように見えて、まだ戻れない。
平四郎を死なせ、さちを巻き込み、仙次まで岡っ引きを続けられなくした。
何人も斬った。
平四郎が言ったように、人殺しに成り下がった。
守りたいだけなのに、何がどうなっているのか。
このまま堕ちて、死んでいくのか。
先が見えない。
まだ何も終わっていないのだ。
また、大切な人を失うかもしれない。
もう二度と、笑って過ごせる日が来ないかもしれないのだ。
「新兄・・・?」
「新さん」
項垂れた新一郎に、さちが駆け寄った。
「やっぱり、あたし、新さんをほっとけない」
後ろから抱きしめる。
「傷ついてもいいから、・・・この先、どんなことがあっても、あたしは、新さんのそばにいたい!」
「さち・・・」
「お家、再興するまででいいから。・・・しおらしい女なんてやってらんないわ」
「よっ、それでこそ、さちさんだ」
洋三郎が手を叩いた。
「うるさいわよ」
さちが背中を叩く。
「これから何があるかわからないぞ」
「わかってる。新さんが、どんな世界に生きているか、この目で見たから」
「命を落とすかもしれないんだぞ」
「覚悟してる。これでも、岡っ引きの娘よ。新さんが嫌って言っても、ついていくから」
目を合わせた。
さちの思いの強さが、新一郎の胸を熱くした。
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