【完結】隠れ刀 花ふぶき

かじや みの

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4話 天女の行方

一 奪われた相州伝(四)  

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 十年前まで暮らしていた屋敷に、寝泊まりするのは、やはり落ち着かなかった。

「奥で寝るか」
 と主計は言っていたが、さすがにそれは憚られた。

 主計には奥方がいない。
 以前は親が決めた奥方がいたらしいのだが、若くして亡くしてからは、もらうことなく今にいたる。

 だから、奥は寂しいほど静かだ。
 部屋はいくらでも空いている。

 四人の子と、奥方、側室(藤子)までいた表立花家の賑やかだった奥が懐かしい。
 やはりそんなところにはいられない。

「ならば、どこで寝る?長屋か?」
 家臣と同じだ。
 それもいいのかもしれない。

 町の裏長屋に暮らしているのに、ここでは、後継として過ごしていた記憶があるせいで、変なこだわりが己の中にあることに気づく。

「長屋の部屋は空いていますか?」
「本当に良いのだな?それなら案内させよう」
 と、主計が人を呼んだ。

 以前からの家臣が大半を占めているということは、新一郎の顔を見知っている者も多いということだ。
 でも、やはり十年は長い。
 顔ぶれはだいぶ変わっているだろう。
 若い侍は、もう新一郎のことは知らないだろう。
 この前の、沖津とやり合ったときでも、知った顔はなかった。

「お主、名はなんという」
 長屋に案内してくれる侍もまた知らない顔だった。
 新一郎よりは年上に見えた。
 浪人の風体なので、仕官してきたと思ったのだろう。
「・・・」
 名前か・・・。
 さすがに立花ではまずいだろう。
 考えていなかった。
 慌てた。
 咄嗟に出てこない。
「それは、その・・・」
 侍が振り返って、怪訝な顔をしている。

「そこで何をしておるのじゃ」
 初老の侍が声をかけてきた。
「殿の命で、この者を長屋に案内するところです」
「仕官か?そのようなことは聞いておらぬが」
 新一郎に鋭い視線を向けてきた。
「・・・」
 思わず渋い顔になってしまった。
 見知った顔だ。
「ん?」
 顔を背けて後ろを向いたが、初老の侍も回り込んで、見てくる。
 気まずい。
「久しいな、堀田。息災であったか」
 たまらず先に声をかけた。
「あ!若!やはり若さまじゃ!ああ・・・」
 その場に崩れるように座り込んだ。
 堀田は、当時、奥と表を行き来して必要なものを揃えたりする、納戸方だった。
「まいったな・・・」
「まいったな、じゃありませぬ!よくぞご無事で・・・ご立派になられた」
 うううっ、と声をあげで泣き出した。
「ええ?!」
 案内してくれる侍が驚いて後ずさっている。
 これでは、人が集まってきてしまう。

「これ、若さまを長屋へとは、どういう了見なのじゃ」
 堀田が侍に怒っている。
「わしが殿に申し上げるゆえ、若を奥へ案内しろ」
「待て、堀田。長屋で良いとおれが言ったのだ」
「なりませぬ!」
 堀田が大声を出すので、家臣たちが何事かと集まってきて、騒ぎになった。
「ご先代さまに顔むけができませぬ!」
「大声を出すな」
 額を押さえる。
 もう後の祭りだった。


 新一郎は、仕方なく、奥で寝泊まりすることになってしまった。

 非常に落ち着かない。
 どうしても思い出してしまう。
 楽しい思い出しかないと言ってもいいくらいに、十年前の思い出は特別なものだった。
 切なくて、最初の夜は、泣きながら寝た。

 荘次郎と洋三郎の言うことを聞いておけばよかったと、今更ながら後悔した。

(まだ終わっていないのだ)
 責められているような気がする。
 逃げるのは許されない。
 しっかり向き合え、と。

「用心棒のつもりだったのに。長屋へやろうとしたのが間違いであった」
 主計が不機嫌に言う。
 家臣たちの住まいへ、前の主人が行っては騒ぎになる恐れがあることに、二人ともまったく気がついていなかったのだ。
 翌朝、朝食を二人で取ることになっていようとは思いもよらず、居心地が悪かった。
 寝不足もあって、いつになく、新一郎も不機嫌になっている。
 すでに家中に知られてしまったため、新一郎の扱いが殿様並みだ。
 主計と同じ食事が出されている。
 なんでこうなるのか、訳がわからない。
 家臣たちも、それは同じかもしれないが。
「どっちが主人かわからぬな」
 主計が思わず漏らすほど、新一郎の佇まいは様になっていた。


「新一郎さま!大変です!すぐに!」
 血相を変えた侍が、呼びにきたとき、新一郎は、屋敷内にある道場にいた。
 木刀を捨てるようにして、侍の後に続く。

「杉本先生を呼べ!すぐにだ」
 主計が言い、戸板を運ぶ者に行き先を指示している。
「新一郎!洋三郎がやられた!」
「洋三郎?!・・・まさか」
 運ばれているのは洋三郎だ。
 胸を抉られたような痛みが走る。

 戸板に乗せられた洋三郎の着物は血に染まり、まだ流れ出しているのか、板からこぼれそうになっている。

 洋三郎を見つけた者の話では、戸を叩く者があり、応対に出たところ、立花家の人が近くで倒れていると言った。
 見に行ってみたところ、血を流して倒れている洋三郎を見つけたという。

「しっかりしろ!死ぬな!」
 反応がない。
 気を失っている。
 ここに来る途中で襲われたのか。
(なぜ・・・)
 何かを知らせに来たのか?
 だとしたら・・・。
 胸が騒ぐ。

「主計どの。洋三郎を頼みます」
「どこへ行く!」

 駆け出した。
(もしかして、荘次郎の身にも何かが・・・)
 そう頭をよぎり、じっとしていられなかった。

 淡路屋に駆け込むと、帳場には大旦那がいた。
 やはり何かあったのだ。
「立花さま!・・・ささ、奥へ」
「かたじけない」

 障子を開けると、布団に寝かされている荘次郎が見えた。
 頭や顔にまで布が巻かれていて、一瞬誰だかわからない程だが、荘次郎だということはすぐにわかった。
 洋三郎が手当てをしたのだろう。
「荘次郎!」
 体が震えた。震える手で荘次郎の顔に触れる。
「新さん!」
 さちが声をかけてきた。
「意識はあるのか?」
 状況がわからず、さちに問う。
「洋三郎さんから聞いてないの?」
「いや・・・」
「一緒じゃないの? てっきり、洋三郎さんから聞いてきたのかと思ったわ」
「洋三郎は、刺された。今、立花家で手当てを受けている」
「そんな! 洋三郎さんまで!」
 さちが手で顔を覆った。
「意識がなくて・・・」
 何も聞いていない、と言おうとして嗚咽になった。
 堪えていたものが溢れ出す。
「荘次郎さんは、新さんの刀を武蔵屋さんに受け取りに行った帰りに襲われたの。刀は奪われた。それを、洋三郎さんが新さんに知らせに行ったのよ」
「・・・」
 握りしめた拳で、己の膝を叩く。
 手足をもがれたような痛みだ。
 二人を失う恐怖に襲われ、叫び出しそうになる。
 己の膝でも叩いていなければ、保っていられない。
「許せない!・・・おれが間違ってた・・・ばかだ・・・今頃気づくなんて・・・くっそ・・・」
「新さん?・・・やめて、己を責めるのはやめて。悪いのは新さんじゃない」
「いや・・・見誤っていたのは、おれだ。・・・大事なのは、刀じゃない!」
 涙を拳で拭って立ち上がった。
「荘次郎を頼んだ。・・・それから、おれに関わるな。仙次にもそう言っておいてくれ」
「新さん!・・・待ってるから・・・必ず無事に帰ってきて。新さんが帰ってくるの、待ってるから」
「・・・」
 背中で頷いた。


 店を出て歩き出すと、路地から出てきた浪人が行く手を塞いだ。
 無遠慮に間合いに入り、耳元で囁くように言った。
「どうだ。出す気になったか」
「貴様か?二人に手をかけたのは」
「いや、おれは見ていただけだ。直接手をかけてはいない。そのまま死なすのもなんだから、屋敷にはちゃんと知らせてやったんだぜ。感謝してもらいたいものだ」
 洋三郎が倒れていることを、知らせてきた者がいると聞いている。
「仲間がいるのか」
「仲間?」
 浪人が笑った。
「みんな褒美が欲しいのよ。うまくやれば、罪を軽くしてくれる。・・・こいつも」
 と、新一郎の目の前に刀をかざした。
「使わせてくれるしな。浪人が一生かかっても持てねえ代物だろ」
 相州伝だ。
「そいつを使うのは、おれだけにしてもらおう。他の者に手を出せば、あの刀は、即刻叩き折る。・・・そう雇い主に言っとけ」
 浪人を睨みつける。
「ほう、なるほど。・・・脅すのか」
 新一郎の殺気を平然と受け止めている。
 この浪人もただものではない。
 生半可な腕なら、即刻取り戻せるが、この浪人の腕が相当なものだとわかるため、動けない。
「わかった、そうしよう。まあ、おれはあんたにしか興味ねえからな。相州伝を持つのに相応しいかどうか、こいつが決めるだろうよ。取り戻したければ、おれを倒すことだな」
 雇い主は、この浪人の腕をよほど信用しているのだろう。
 そうでなければ、相州伝を使わせたりしないはずだ。
「貴様の雇い主は、土岐だな?」
「さあな。誰だっていいじゃねえか」
 相州伝を落とし差しにして、余裕の笑みを浮かべた。

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