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終話 新たな伝説
船出
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新しい立花家は、旗本として出発することになった。
そのお披露目と、新一郎とさちの祝言をかねて祝宴が開かれる。
高崎が尽力し、断絶した佐野家の株をそのまま譲り受けたのだ。
家臣は、表立花家の旧臣から希望する者を選んで、連れてきている。
その中に、御納戸方の堀田も入っていた。
希望する者が思いのほか多く、新たに仕える者を入れる必要がなかった。
「ここに、立花家の復活を宣言する」
二人の仲人も務める若年寄の高崎勘解由が音頭をとって、祝杯が上がった。
高崎は、さちを養女にし、新一郎の義父にもなっている。
立花家との縁がさらに深くなった。
立花主計の姿もある。
酒宴が苦手らしく、あまりいい顔をしていない。
家臣を手放す羽目になったこともあり、表立花が復活したことを、心から喜んではいないのかもしれない。
だが、立花家から禄を減らされたわけではないので、文句を言われる筋合いはないはずだった。
荘次郎と、洋三郎の顔もある。
兄弟といえども、士分ではないので、末席だ。
その隣には、仙次とよね夫婦の姿もあった。
仙次は借りてきた猫のように、縮こまっている。
ひときわ大きな歓声が上がり、花嫁が登場した。
白無垢に身をつつんださちが、波蕗に手をひかれて静々と、裃姿の新一郎に向かって進む。
「よっ、日本一!」
洋三郎が声を張り上げた。
「さちさん、似合ってるよ」
荘次郎も手を叩く。
「綺麗だよ、でしょ」
「もちろん、綺麗だよ!」
お気楽な二人の言葉にも、さちは澄ました顔をうつむかせている。
緊張しているのだ。
この席には、高崎や主計のような大名もいる。
高崎には、佐野家で会っているし、養女になるために改めて対面はしているが、こんなかしこまった席は慣れないし、町方の出だと蔑まれないように気を張っている。
それに、武家風の髷に、着物も窮屈この上ない。
新一郎と一緒になりたいと願ったのは自分なのに、この先が思いやられてしまう。
この新しい拝領屋敷での暮らしはすでに始まっていて、不安にかられたさちは、新一郎に何度も訴えた。
本当に私で大丈夫なのかと何度も訊いた。
「さちなら大丈夫だ。普段のままでいればいい」
と言ってくれるのだが、欲しいのは、そんな言葉ではない。
「慣れるまでは大変だと思うが、波蕗も様子を見にきてくれるし、すぐに慣れるさ」
なんでもないことのように言う。
さちにもわかっている。
大変なのは、さちばかりではない。
浪人として十年、気ままに生きてきた新一郎が、旗本として武家社会で生きていくのは、相当に骨の折れることだろう。
十分に能力があっても、いや、あればあるほど、求められるものは多くなる。
それに、そうするように言ったのも、自分だった。
そんな新一郎に、期待するのもどうかと思うので、さちは黙っている。
どんなに強く見える女でも、やっぱり言われたい。
「おれが守ってやる」
と言ってほしい。
江ノ島で、誓った言葉に嘘はないし、今でも、その覚悟は揺らいでいない。
新一郎を一生支えて生きていくつもりだ。
三々九度の盃を交わす。
左に座る新一郎を見た。
優しい瞳が、さちの視線を受け止め、うなずく。
「・・・」
やっと口元が綻んで、笑みになった。
「さちは、良い女子だ。町方の女子に、武家の妻女が務まるかと思っておったのだが、なかなか」
高崎がそばに寄って、新一郎の盃に酒をついだ。
ここからは無礼講だ。
みんな思い思いに酒を酌み交わし、料理を楽しむ。
「気風の良さに、わしも惚れ込んでの。武家に勝るとも劣らぬ度胸がある。・・・さすが新一郎、目が高い」
「ありがとうございます。今後も、ご指導賜りとう存じます」
「嬉しいぞ。息子が一人増えた。石見も草葉の陰で喜んでいよう。・・・どうじゃ。少しは慣れたかな?」
高崎が、さちに声をかける。
「はい。と言いたいところですが・・・」
首を横に振った。
口元を隠すように小声で囁いた。
「お武家は堅苦しくて、調子が狂います」
「普段通りでいいと言ってるのに」
新一郎が口を挟む。
「だって、笑われないようにしなきゃ」
「誰が笑うもんか。笑いたい奴には笑わせておけばいい」
「新さんももう浪人じゃないんですから、しっかりしてくださいな」
「おう、さっそくやってるね、お二人さん」
「荘次郎さん」
「姉上、おれも混ぜてよお」
高崎の後ろから、荘次郎と洋三郎が顔を出した。
「ちょっとぉ、姉上って、やめてくれない?」
「姉上は姉上でしょう」
高崎が遠慮して立つと、主計の方へ移動していった。
それを見て、よねが仙次を引っ張って、上座の方へ連れてくる。
「新さん、ああ、いや、なんて呼べばいいのか、その、お殿様・・・」
「もう、おとっつぁんったら」
「仙次、今まで通りでいいよ」
「いやあ、いくらなんでも・・・」
「さち、本当に良かったわね。なんて言ったて、好きな人に嫁ぐのが一番いいのだから」
よねが涙ぐんだ。
「おっかさん・・・」
「おい、さち、新さんをしりに敷くんじゃねえぞ。言っただろう、新さんは、うちみたいな飯屋で飯食ってていいお人じゃねえんだって」
「仙次・・・」
「本当に良かった、新さん。あっしは、立花家がなくなっちまった頃から新さんをずっと見てきたんだ。誰よりも・・・」
「世話になったな」
「お家が再興できたことが何よりも嬉しいんでさあ。さち、もうこれからはお前が新さんを支えていくんだぞ。わかってるだろうな」
「わかってますって」
「今までみたいに、しょっちゅう顔も合わせられねえんだからな。頼りはお前だけだ」
「何よ。おとっつぁんまで。あたしは、そんな・・・」
どうしたことか、涙が頬を伝っていく。
本当は、不安で怖くてたまらないのに・・・。
みんなが目を丸くしている。
新一郎までが、驚いて、さちを見た。
「みんな、私を、鉄の女のように言わないで・・・」
その場が、しんと静まりかえった。
「仙次」
新一郎が言う。
「何も心配しなくていい。さちは、どんなことがあっても、おれが守る。さち、大船に乗ったつもりで頼りにして欲しい」
白無垢を着ていようが、はしたないと思われようがどうでもよかった。
涙でお化粧が取れてしまっても、誰に見られようが構わずに、さちは新一郎に抱きついた。
そのお披露目と、新一郎とさちの祝言をかねて祝宴が開かれる。
高崎が尽力し、断絶した佐野家の株をそのまま譲り受けたのだ。
家臣は、表立花家の旧臣から希望する者を選んで、連れてきている。
その中に、御納戸方の堀田も入っていた。
希望する者が思いのほか多く、新たに仕える者を入れる必要がなかった。
「ここに、立花家の復活を宣言する」
二人の仲人も務める若年寄の高崎勘解由が音頭をとって、祝杯が上がった。
高崎は、さちを養女にし、新一郎の義父にもなっている。
立花家との縁がさらに深くなった。
立花主計の姿もある。
酒宴が苦手らしく、あまりいい顔をしていない。
家臣を手放す羽目になったこともあり、表立花が復活したことを、心から喜んではいないのかもしれない。
だが、立花家から禄を減らされたわけではないので、文句を言われる筋合いはないはずだった。
荘次郎と、洋三郎の顔もある。
兄弟といえども、士分ではないので、末席だ。
その隣には、仙次とよね夫婦の姿もあった。
仙次は借りてきた猫のように、縮こまっている。
ひときわ大きな歓声が上がり、花嫁が登場した。
白無垢に身をつつんださちが、波蕗に手をひかれて静々と、裃姿の新一郎に向かって進む。
「よっ、日本一!」
洋三郎が声を張り上げた。
「さちさん、似合ってるよ」
荘次郎も手を叩く。
「綺麗だよ、でしょ」
「もちろん、綺麗だよ!」
お気楽な二人の言葉にも、さちは澄ました顔をうつむかせている。
緊張しているのだ。
この席には、高崎や主計のような大名もいる。
高崎には、佐野家で会っているし、養女になるために改めて対面はしているが、こんなかしこまった席は慣れないし、町方の出だと蔑まれないように気を張っている。
それに、武家風の髷に、着物も窮屈この上ない。
新一郎と一緒になりたいと願ったのは自分なのに、この先が思いやられてしまう。
この新しい拝領屋敷での暮らしはすでに始まっていて、不安にかられたさちは、新一郎に何度も訴えた。
本当に私で大丈夫なのかと何度も訊いた。
「さちなら大丈夫だ。普段のままでいればいい」
と言ってくれるのだが、欲しいのは、そんな言葉ではない。
「慣れるまでは大変だと思うが、波蕗も様子を見にきてくれるし、すぐに慣れるさ」
なんでもないことのように言う。
さちにもわかっている。
大変なのは、さちばかりではない。
浪人として十年、気ままに生きてきた新一郎が、旗本として武家社会で生きていくのは、相当に骨の折れることだろう。
十分に能力があっても、いや、あればあるほど、求められるものは多くなる。
それに、そうするように言ったのも、自分だった。
そんな新一郎に、期待するのもどうかと思うので、さちは黙っている。
どんなに強く見える女でも、やっぱり言われたい。
「おれが守ってやる」
と言ってほしい。
江ノ島で、誓った言葉に嘘はないし、今でも、その覚悟は揺らいでいない。
新一郎を一生支えて生きていくつもりだ。
三々九度の盃を交わす。
左に座る新一郎を見た。
優しい瞳が、さちの視線を受け止め、うなずく。
「・・・」
やっと口元が綻んで、笑みになった。
「さちは、良い女子だ。町方の女子に、武家の妻女が務まるかと思っておったのだが、なかなか」
高崎がそばに寄って、新一郎の盃に酒をついだ。
ここからは無礼講だ。
みんな思い思いに酒を酌み交わし、料理を楽しむ。
「気風の良さに、わしも惚れ込んでの。武家に勝るとも劣らぬ度胸がある。・・・さすが新一郎、目が高い」
「ありがとうございます。今後も、ご指導賜りとう存じます」
「嬉しいぞ。息子が一人増えた。石見も草葉の陰で喜んでいよう。・・・どうじゃ。少しは慣れたかな?」
高崎が、さちに声をかける。
「はい。と言いたいところですが・・・」
首を横に振った。
口元を隠すように小声で囁いた。
「お武家は堅苦しくて、調子が狂います」
「普段通りでいいと言ってるのに」
新一郎が口を挟む。
「だって、笑われないようにしなきゃ」
「誰が笑うもんか。笑いたい奴には笑わせておけばいい」
「新さんももう浪人じゃないんですから、しっかりしてくださいな」
「おう、さっそくやってるね、お二人さん」
「荘次郎さん」
「姉上、おれも混ぜてよお」
高崎の後ろから、荘次郎と洋三郎が顔を出した。
「ちょっとぉ、姉上って、やめてくれない?」
「姉上は姉上でしょう」
高崎が遠慮して立つと、主計の方へ移動していった。
それを見て、よねが仙次を引っ張って、上座の方へ連れてくる。
「新さん、ああ、いや、なんて呼べばいいのか、その、お殿様・・・」
「もう、おとっつぁんったら」
「仙次、今まで通りでいいよ」
「いやあ、いくらなんでも・・・」
「さち、本当に良かったわね。なんて言ったて、好きな人に嫁ぐのが一番いいのだから」
よねが涙ぐんだ。
「おっかさん・・・」
「おい、さち、新さんをしりに敷くんじゃねえぞ。言っただろう、新さんは、うちみたいな飯屋で飯食ってていいお人じゃねえんだって」
「仙次・・・」
「本当に良かった、新さん。あっしは、立花家がなくなっちまった頃から新さんをずっと見てきたんだ。誰よりも・・・」
「世話になったな」
「お家が再興できたことが何よりも嬉しいんでさあ。さち、もうこれからはお前が新さんを支えていくんだぞ。わかってるだろうな」
「わかってますって」
「今までみたいに、しょっちゅう顔も合わせられねえんだからな。頼りはお前だけだ」
「何よ。おとっつぁんまで。あたしは、そんな・・・」
どうしたことか、涙が頬を伝っていく。
本当は、不安で怖くてたまらないのに・・・。
みんなが目を丸くしている。
新一郎までが、驚いて、さちを見た。
「みんな、私を、鉄の女のように言わないで・・・」
その場が、しんと静まりかえった。
「仙次」
新一郎が言う。
「何も心配しなくていい。さちは、どんなことがあっても、おれが守る。さち、大船に乗ったつもりで頼りにして欲しい」
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