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一話 この子誰の子
二
行き先は、与力の駒井さまのお屋敷だ。
駒井さまの奥方は、雪江さまと言って、姉とは昵懇の間柄だった。
それゆえに、この子は姉が置いていったのだと確証が持てる。
しかし、と文四郎は走りながら思った。
駒井家の子供は確か、もう十歳くらいにはなるだろう。
近頃また生まれたのだろうか。
赤ん坊は、文四郎が走っているために激しく揺れて、その振動がおかしいらしく、キャッキャと笑っている。
「腹が減ったんじゃねえのかよ」
誰のために走ってると思ってんだ。
内心文句を言って、駒井家の門をくぐった。
「文四郎さん、お待ちしていましたよ。ささ、上がってくださいな」
訪を入れると、雪江さまが、走り出てきた。
「こっちこっち」
案内された部屋に、女がいた。
「さあさあ、お腹が空きましたねえ」
と、雪江が文四郎から赤子を取り上げた。
若い女だった。
武家ではない。
町娘、いや女房だろうが、娘にしか見えなかった。
「文四郎さん」
「はい」
女を見ている文四郎に、雪江が声をかける。
腹が減ったことを思い出したのか、赤子が雪江の腕の中で泣き出した。
「はいはい、もうすぐですからねえ」
女が、胸をはだけようとしていた。
その時になって、雪江が何を言いたかったのか理解した。
「すいません」
後ろを向いた。
女に赤子を渡した雪江に背中を押されて、隣の部屋に入った。
「ご苦労様でした。昨夜、凛さまがあの子を連れていらしたのです」
「姉上が、こちらに?」
「ええ」
「本人がですか」
「信じられませんか?」
「うちには来ませんでした。赤子を置いていっただけで」
雪江に怒っても仕方がないが、ムッとした言い方になってしまった。
「あの女子を連れてきたのも凛さまです」
「あの人が、母親なのではありませんか?」
「いいえ、それは違うようです。後で、話を聞きますか?」
「ええ、是非。・・・では、いったい誰の子なのでしょう。姉はなんと言っていましたか」
雪江が笑い出した。
「ごめんなさい。凛さまのお子だとは思わないのですか」
「はあ・・・。まあ、手紙には私の子だとありましたが。想像できなくて・・・。雪江さまもご存知だと思いますが、姉は、嫁ぐことを嫌って、奉公に行くことを選んだ人です」
文四郎にとって、姉の凛は、男よりも男らしく、正義感が強くて、誰よりも同心に向いている。
気の強さは天下一品。子供の頃から、姉には泣かされっぱなしだった。
喧嘩して、一度も勝てたことはない。
そんな姉だから、男気を出して、訳ありの赤子を預かったのではないかと想像した。
「それでも、女子ですよ。好いた殿御に、一生出会わないということは、断定できません。この世に、絶対ということはないのです」
「それは、わかりますが・・・。雪江さまは、どう思われたのですか。姉に、会われたのでしょう?」
「ええ」
と言ったきり、黙ってしまった。
言っても良いのかどうか、迷っているようだった。
「本当は、私にも、よくわからないのです。憶測で言いたくはありません。凛さまに聞くのが一番だと思うのですが・・・」
「姉の居場所は、ご奉公先でいいのですね」
「それが、田安さまはやめられたそうです」
姉が奉公に行ったのは、御三卿の田安家だったのだ。
「奉公先を変えた? で、どちらに」
「それが、教えてはくれませんでした」
「はあ? なんですか、それは。何も聞けないじゃないですか」
姉に対して怒りが沸いてきていた。
勝手すぎる。
「何かあったときは、こちらから出向くと。凛さまが来られるのを待つしかありません」
赤子を抱いた女が、終わりましたと廊下に座った。
「おきみさん、こちらに」
雪江が手招きする。
「この方は、朝倉文四郎さんと言って、凛さまの弟です。安心してお話しなさい」
赤子は大人しく女に抱かれていた。
女の顔をじっと見ている。
「この子の母親は、あんたではないんだな?」
「はい。違います。乳をやってほしいと、凛さまに頼まれました」
「姉とは、どこで知り合ったのだ」
「・・・」
文四郎は、詰問口調がきつかったかと思った。
女が怯えたような表情になったからだ。
そして、泣き出してしまった。
「あの、お願いがございます。私の子を・・・私の生んだ子を、取り返してくださいませ。お願いでございます」
赤子を抱く手に力を込め、頭を下げた。
姉は、赤子だけではなく、厄介ごとも置いていったようだった。
駒井さまの奥方は、雪江さまと言って、姉とは昵懇の間柄だった。
それゆえに、この子は姉が置いていったのだと確証が持てる。
しかし、と文四郎は走りながら思った。
駒井家の子供は確か、もう十歳くらいにはなるだろう。
近頃また生まれたのだろうか。
赤ん坊は、文四郎が走っているために激しく揺れて、その振動がおかしいらしく、キャッキャと笑っている。
「腹が減ったんじゃねえのかよ」
誰のために走ってると思ってんだ。
内心文句を言って、駒井家の門をくぐった。
「文四郎さん、お待ちしていましたよ。ささ、上がってくださいな」
訪を入れると、雪江さまが、走り出てきた。
「こっちこっち」
案内された部屋に、女がいた。
「さあさあ、お腹が空きましたねえ」
と、雪江が文四郎から赤子を取り上げた。
若い女だった。
武家ではない。
町娘、いや女房だろうが、娘にしか見えなかった。
「文四郎さん」
「はい」
女を見ている文四郎に、雪江が声をかける。
腹が減ったことを思い出したのか、赤子が雪江の腕の中で泣き出した。
「はいはい、もうすぐですからねえ」
女が、胸をはだけようとしていた。
その時になって、雪江が何を言いたかったのか理解した。
「すいません」
後ろを向いた。
女に赤子を渡した雪江に背中を押されて、隣の部屋に入った。
「ご苦労様でした。昨夜、凛さまがあの子を連れていらしたのです」
「姉上が、こちらに?」
「ええ」
「本人がですか」
「信じられませんか?」
「うちには来ませんでした。赤子を置いていっただけで」
雪江に怒っても仕方がないが、ムッとした言い方になってしまった。
「あの女子を連れてきたのも凛さまです」
「あの人が、母親なのではありませんか?」
「いいえ、それは違うようです。後で、話を聞きますか?」
「ええ、是非。・・・では、いったい誰の子なのでしょう。姉はなんと言っていましたか」
雪江が笑い出した。
「ごめんなさい。凛さまのお子だとは思わないのですか」
「はあ・・・。まあ、手紙には私の子だとありましたが。想像できなくて・・・。雪江さまもご存知だと思いますが、姉は、嫁ぐことを嫌って、奉公に行くことを選んだ人です」
文四郎にとって、姉の凛は、男よりも男らしく、正義感が強くて、誰よりも同心に向いている。
気の強さは天下一品。子供の頃から、姉には泣かされっぱなしだった。
喧嘩して、一度も勝てたことはない。
そんな姉だから、男気を出して、訳ありの赤子を預かったのではないかと想像した。
「それでも、女子ですよ。好いた殿御に、一生出会わないということは、断定できません。この世に、絶対ということはないのです」
「それは、わかりますが・・・。雪江さまは、どう思われたのですか。姉に、会われたのでしょう?」
「ええ」
と言ったきり、黙ってしまった。
言っても良いのかどうか、迷っているようだった。
「本当は、私にも、よくわからないのです。憶測で言いたくはありません。凛さまに聞くのが一番だと思うのですが・・・」
「姉の居場所は、ご奉公先でいいのですね」
「それが、田安さまはやめられたそうです」
姉が奉公に行ったのは、御三卿の田安家だったのだ。
「奉公先を変えた? で、どちらに」
「それが、教えてはくれませんでした」
「はあ? なんですか、それは。何も聞けないじゃないですか」
姉に対して怒りが沸いてきていた。
勝手すぎる。
「何かあったときは、こちらから出向くと。凛さまが来られるのを待つしかありません」
赤子を抱いた女が、終わりましたと廊下に座った。
「おきみさん、こちらに」
雪江が手招きする。
「この方は、朝倉文四郎さんと言って、凛さまの弟です。安心してお話しなさい」
赤子は大人しく女に抱かれていた。
女の顔をじっと見ている。
「この子の母親は、あんたではないんだな?」
「はい。違います。乳をやってほしいと、凛さまに頼まれました」
「姉とは、どこで知り合ったのだ」
「・・・」
文四郎は、詰問口調がきつかったかと思った。
女が怯えたような表情になったからだ。
そして、泣き出してしまった。
「あの、お願いがございます。私の子を・・・私の生んだ子を、取り返してくださいませ。お願いでございます」
赤子を抱く手に力を込め、頭を下げた。
姉は、赤子だけではなく、厄介ごとも置いていったようだった。
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