3 / 15
そこそこの女
しおりを挟む
「こちらへ」
と、現れた恰幅のいい女が、おようについてくるようにうながした。
出入りの商人たちが、品物を納めに来ていた。
その様子を眺めながら、奥へと足を踏み入れる。
お千代はいないかと、周りを見回しながらついていく。
だが、見つける間もなくその部屋についてしまった。
「今日からこの部屋で寝泊まりしてください」
女中頭だろうか。
同じ着物を着ているから、それほど上の方の人ではないと思われた。
それでも、顎をあげて、おように厳しい目を向けている。
下っ端の女中たちを取りまとめる上役的な人に違いない。
おようはだだっ広い部屋を見回した。
今は出払っていて誰もいない。
仕事中なのだから、当然だ。
「あなたは特に、掃除が得意だと聞いています。間違いありませんね」
「はい」
「掃除の仕方に決まりはありませんから、お任せします」
「はい」
「でも、どこでも入っていいということではありません。指示がありますから従うように」
「はい」
「まあ、いずれはお方さまのお部屋にも呼ばれるかもしれませんが、勝手入ってはなりませんよ。あなたは、この奥では一番の新参者。立場をわきまえてください」
「はい」
「仕事のできる女中が、立て続けにお暇をとってしまったので、あなたにも早く覚えてもらいます」
「はい」
人手不足なのだろうか。
どこからともなく、女たちの笑い声が聞こえてきた。
くぐもった話し声も聞こえてくる。
近くで、女中たちが無駄話に花を咲かせているらしい。
休憩中なのだろうが、女中頭の顔が、不快そうに歪んだ。
「では、荷物を置いて。さっそく取り掛かってもらいましょう」
「はい」
さっきから、はい、しか言っていない。
何か言ったら、小言を言われそうな感じがしていたし、言うことも思いつかなかった。
「聞きたいことがあるときは、遠慮なく言ってください」
「はい。よろしくお願いいたします」
また笑い声が聞こえた。
恰幅のいい女中頭は、みちと言った。
みちについて部屋を出る。
隣の広い部屋で、女中が数人、丸くなって話し込んでいる。
真ん中に丸い菓子入れが置いてあり、つまみながら額を寄せ合って笑っている。
笑い声の主たちだろう。
みちは何も言わずに通り過ぎ、おようは軽く会釈して通り過ぎた。
女たちも会釈を返したが、すぐに自分たちの話に戻っていった。
通り過ぎてから、みちが振り返って歩く速度を緩めた。
「行儀見習いのつもりで奥勤めを軽く見ている人も多いのです。あなたは違いますよね」
さっきの人たちのことを言っているのだろうか。
それとも、おようの返事に誠意がこもっていないと受け取られたのかもしれない。
「もちろんです。お家のために精一杯努めさせていただきます」
はっきりとそう言うと、みちは満足そうにうなずいた。
みちに、千代のことを聞こうかと思ったが、そもそも仕事が違うのでやめた。
千代はおそらく、お方さまに近いところにいるに違いない。
慌てなくても、その時がくれば会えるだろう。
掃除道具の場所を教えてもらい、外の水場へと案内された。
井戸の周りに、女中たちがたくさんいた。
もう一仕事終えて、雑巾を洗ったり、道具の片付けをしているようだった。
「こちらは、今日から勤められるおようどのです。よろしく頼みましたよ」
みちの言葉で、一斉に視線が集まった。
全員が手を止めて、おようをじっと見つめている。
圧がすごくて狼狽えたが、よろしくお願いします、と頭を下げた。
「朝の掃除は一通り終わっています。ですが、気になるところがあれば、綺麗にしていただいて構いません。中にいると気づかないことも、外から来た人には見えることがありますからね」
「はい」
「では」
みちとは、ここでお別れのようだった。
去っていく後ろ姿を見送って、見えなくなると、
「まあ、そこそこね」
と、誰かが言った。
おようは振り返って、女中たちの顔を見ながら、はい? と首をかしげた。
何を言われているのかわからない。
返事はなく、興味なさそうに各々の仕事に戻っている。
「あの・・・」
おようが言いかけると、すすっと近寄ってきた女中が、顔を近づけてきた。
「おめでとうございます」
とニコニコして囁いた。
「え? どういうこと?」
ますます訳がわからない。
「ここには、お殿さまのお目にとまりたいだけで来る人もいるのです。信じられないでしょ? そういう人はすぐにわかります。美人で気取っちゃってるのよ。あなたはそうじゃないみたい。そこそこってことは、そういうことなのです」
「こらぁ、おさきさん、喋ってないで仕事仕事」
おさきと呼ばれた女中は、待ってえ、と仲間たちに声をかける。
「だって、説明してあげないと」
くるくるとよく動く目でおようを見た。
そして、グッと声をひそめ、また顔を近づける。
「いじめられないってことですよ」
そう言って、急いで仕事に戻っていく。
もう水場からあっという間に女中たちがいなくなっていた。
そこそこの女は、いじめられないってことなのね。
おようは呆然と立ち尽くし、今の話を腑に落とす。
(いいこと、よね)
美人じゃなくてよかったと思えたのは、初めてのことだった。
と、現れた恰幅のいい女が、おようについてくるようにうながした。
出入りの商人たちが、品物を納めに来ていた。
その様子を眺めながら、奥へと足を踏み入れる。
お千代はいないかと、周りを見回しながらついていく。
だが、見つける間もなくその部屋についてしまった。
「今日からこの部屋で寝泊まりしてください」
女中頭だろうか。
同じ着物を着ているから、それほど上の方の人ではないと思われた。
それでも、顎をあげて、おように厳しい目を向けている。
下っ端の女中たちを取りまとめる上役的な人に違いない。
おようはだだっ広い部屋を見回した。
今は出払っていて誰もいない。
仕事中なのだから、当然だ。
「あなたは特に、掃除が得意だと聞いています。間違いありませんね」
「はい」
「掃除の仕方に決まりはありませんから、お任せします」
「はい」
「でも、どこでも入っていいということではありません。指示がありますから従うように」
「はい」
「まあ、いずれはお方さまのお部屋にも呼ばれるかもしれませんが、勝手入ってはなりませんよ。あなたは、この奥では一番の新参者。立場をわきまえてください」
「はい」
「仕事のできる女中が、立て続けにお暇をとってしまったので、あなたにも早く覚えてもらいます」
「はい」
人手不足なのだろうか。
どこからともなく、女たちの笑い声が聞こえてきた。
くぐもった話し声も聞こえてくる。
近くで、女中たちが無駄話に花を咲かせているらしい。
休憩中なのだろうが、女中頭の顔が、不快そうに歪んだ。
「では、荷物を置いて。さっそく取り掛かってもらいましょう」
「はい」
さっきから、はい、しか言っていない。
何か言ったら、小言を言われそうな感じがしていたし、言うことも思いつかなかった。
「聞きたいことがあるときは、遠慮なく言ってください」
「はい。よろしくお願いいたします」
また笑い声が聞こえた。
恰幅のいい女中頭は、みちと言った。
みちについて部屋を出る。
隣の広い部屋で、女中が数人、丸くなって話し込んでいる。
真ん中に丸い菓子入れが置いてあり、つまみながら額を寄せ合って笑っている。
笑い声の主たちだろう。
みちは何も言わずに通り過ぎ、おようは軽く会釈して通り過ぎた。
女たちも会釈を返したが、すぐに自分たちの話に戻っていった。
通り過ぎてから、みちが振り返って歩く速度を緩めた。
「行儀見習いのつもりで奥勤めを軽く見ている人も多いのです。あなたは違いますよね」
さっきの人たちのことを言っているのだろうか。
それとも、おようの返事に誠意がこもっていないと受け取られたのかもしれない。
「もちろんです。お家のために精一杯努めさせていただきます」
はっきりとそう言うと、みちは満足そうにうなずいた。
みちに、千代のことを聞こうかと思ったが、そもそも仕事が違うのでやめた。
千代はおそらく、お方さまに近いところにいるに違いない。
慌てなくても、その時がくれば会えるだろう。
掃除道具の場所を教えてもらい、外の水場へと案内された。
井戸の周りに、女中たちがたくさんいた。
もう一仕事終えて、雑巾を洗ったり、道具の片付けをしているようだった。
「こちらは、今日から勤められるおようどのです。よろしく頼みましたよ」
みちの言葉で、一斉に視線が集まった。
全員が手を止めて、おようをじっと見つめている。
圧がすごくて狼狽えたが、よろしくお願いします、と頭を下げた。
「朝の掃除は一通り終わっています。ですが、気になるところがあれば、綺麗にしていただいて構いません。中にいると気づかないことも、外から来た人には見えることがありますからね」
「はい」
「では」
みちとは、ここでお別れのようだった。
去っていく後ろ姿を見送って、見えなくなると、
「まあ、そこそこね」
と、誰かが言った。
おようは振り返って、女中たちの顔を見ながら、はい? と首をかしげた。
何を言われているのかわからない。
返事はなく、興味なさそうに各々の仕事に戻っている。
「あの・・・」
おようが言いかけると、すすっと近寄ってきた女中が、顔を近づけてきた。
「おめでとうございます」
とニコニコして囁いた。
「え? どういうこと?」
ますます訳がわからない。
「ここには、お殿さまのお目にとまりたいだけで来る人もいるのです。信じられないでしょ? そういう人はすぐにわかります。美人で気取っちゃってるのよ。あなたはそうじゃないみたい。そこそこってことは、そういうことなのです」
「こらぁ、おさきさん、喋ってないで仕事仕事」
おさきと呼ばれた女中は、待ってえ、と仲間たちに声をかける。
「だって、説明してあげないと」
くるくるとよく動く目でおようを見た。
そして、グッと声をひそめ、また顔を近づける。
「いじめられないってことですよ」
そう言って、急いで仕事に戻っていく。
もう水場からあっという間に女中たちがいなくなっていた。
そこそこの女は、いじめられないってことなのね。
おようは呆然と立ち尽くし、今の話を腑に落とす。
(いいこと、よね)
美人じゃなくてよかったと思えたのは、初めてのことだった。
0
あなたにおすすめの小説
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる