織姫道場騒動記

かじや みの

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 鍬が土を噛む音が、いつまでも続く。

 庭の一角に作られた畑で、姉の織絵おりえが鍬を振るっていた。

 庭といっても、ほとんどが畑で、もうしわけ程度に巡らされた低い生垣の向こうにも、畑が広がっている。

 そして、そのずっと向こうには、連なる山々が聳えていた。
 まだ冬山のように、緑がないが、麓に咲く桜が散る頃には、新芽が芽吹いてくるだろう。

 もうどれほどのときが経ったのか。
 音が止む気配がない。

 縁側に座って、足をぶらぶらさせている里絵さとえも、もうそろそろ飽きてきた。

「お里、いつまでここにいるつもり? 手伝わないんだったらお稽古でもしたらどうなの?」

 里絵の方を見もせずに、織絵が言った。

「月のものだから無理」

 と、ぶっきらぼうに答える。

 月のものが終わるまで、道場には入れない。

 血はけがれだからだ。

 道場は、神聖な場所なのである。

 十五の里絵は、昨年から始まった月のものが鬱陶しくてならない。
 道場に入れないというだけではなくて、体が重く感じるからだ。

 月のものでなくても、近頃の里絵は、稽古をサボり気味だった。
 今日はもうほとんど終わりかかっていて、道場に入っても構わないのだが、とてもそんな気分になれないのだ。

 門弟たちの気合の声や、床を踏み鳴らす音が、母屋の方にまで聞こえてくる。

 子供の頃は、その音を聞くだけで興奮し、道場に入り浸っていたのに。

(あいつが来てから、何もいい事なんてない)

 あいつとは、結城才介という名の、元道場破りだ。
 元というのは、今は織絵に代わって、道場の師範代になっているから。

 才介が来てから、あきらかに門弟が減った。

 理由は、織絵が道場に立たなくなったからだ。

 織姫が剣を捨てたと、城下で噂になるほど、それは衝撃的なことだった。

 織絵に稽古をつけてもらうのを楽しみにしていた門弟たちにとってはもちろん、里絵にとっても、青天の霹靂だった。

 城下の外れにあって、下級の侍や、町人、農民が通うこの小さな町道場は、織姫道場と呼ばれるほど、織絵でもっていたといってもいい。

 男装はせず、稽古着も着ない。
 島田に結った髪に、帯を胸だかに締め、小袖を襷掛けにした娘姿で木刀や竹刀を持つ。

 普段着で剣を振えなくては意味がない、というのが自論で、普段の着物のままで道場に立つのが織絵の姿勢だ。
 動くたびに裾から覗くふくらはぎや、二の腕を隠そうともしない。

 家中からは、卑しいだの、人気取りだなどと揶揄され、色仕掛けで勝つのだと陰口を叩かれる。
 けれど、そんなことは構いもせずに、己の姿勢を貫く姉を誇りに思ってきた。

 陰口を叩かれるほどには、織絵の着物は乱れない。
 無駄な動きがなく、足捌きも滑るようだ。
 だから、色仕掛けなどと言われる筋合いはない。

 家中の侍たちは、そう陰口を叩きながら、織絵と立ち合うことすらしない。
 負けるのが怖いのだ。
 だから、蔑みの言葉を投げつけてくる。

 そんな侍たちに、一泡吹かせてやりたい、と里絵は密かに闘志を燃やす。

 ここに通ってくる門弟たちのほとんども、そう思っている。
 織絵は、日頃から侍たちの横暴に鬱憤を溜めている者たちの、希望でもあったのだ。

 もちろん、織絵の姿が見たいだけの者もいたし、織絵の竹刀に叩かれて喜んでいる変な輩もいたが・・・。

 結城が指導するようになって、寂しくなった道場に、今も通ってくるのは、本当に剣術が好きで、強くなりたい者たちだけだ。

「本来の姿に戻っただけよ」
 と、織絵は意に介さない。
 それはそれでいいと、里絵も思う。

 でも。
「嫌だ!」
 最後まで抵抗したのは、里絵だった。
 どうして、姉が剣を捨てる必要があったのか。
 いまだに納得できない。

 里絵は、姉の姿勢を見習って、普段から男装にしている。
 小袖に袴を履き、髪は一つに束ねているだけだ。

 常に落ち着いている織絵と、性格もまるで違う。

 体型も違う。
 豊満な織絵と違って、里絵は細く華奢だ。

 剣の質も違っていた。
 織絵の剣は、重く、静かなのに対し、里絵のは、身軽さを活かした、飛ぶように捉え所のない剣だ。

「じゃあ、花見に行ってくる」

 縁側から、ポンと飛び降りると、刀を腰にさしてもう駆け出した。

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