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三 うつけの若殿
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能舞台と、こちらの見物席はつながってはいない。
いったん階を降りて地面になり、こちらの階を上らなければならない。
鬼の動きが速くて、誰もその場から動けなかった。
飛ぶように階を降りて、こちらに上ってくる。
鬼の面が瞬く間に迫ってきた。
私は怖くなって咄嗟に扇で顔を隠す。
「無礼者!」
姫さまが叫んだ。
私を庇うように手を広げた。
若殿じゃなくて、鬼と対面なの!?
鬼は私たちの目の前で立ち止まり、動きを止めた。
荒い息遣いが、鬼の面から漏れてくる。
「ご無礼仕る」
と、座った。
慌てず、ゆったりと、慣れた手つきで面を外す。
精悍な若者の顔が現れた。
物怖じしない強い眼差しが刺さるようだ。
「姫、松平大和にござる」
滴る汗を拭もせずに、若者、いや、若殿が手をついている。
「それがしの舞は、如何でござったか」
不敵な笑みを浮かべている。
「・・・・」
さすがの姫さまも、固まって言葉が出ないようだった。
私も、扇の下で口をぱくぱくさせるのが精一杯で、声も出ない。
完全に呑まれていた。
「若!舞われるなら舞われるとおっしゃって頂かねば困ります!」
沈黙を破ったのは修理さまだ。
声に棘が混ざっている。
「悪いな。驚かせてやろうと思ったんだ。その方が面白いだろ?」
修理さまが忌々しげに舌打ちした。
やっぱり、険悪なのかしら、このお二人。
ええっと・・・、何か言った方がいいかしら?
若殿だとわかって、姫さまは、警戒を解いて控えにまわられている。
そりゃあ、ここは私が言わなければね。
って、普通のことしか言えないけど。でもこの場合、普通のことってどんなこと?
若殿の流れる汗は本物だ。舞の良し悪しなんてわからないけど、ままよ。
「結構な舞いでございました。楽しゅうございました」
扇を置き、手をきちんとついた。三つ指というやつだ。
その手に、若殿の手が重ねられた。
いや、重ねられたという生やさしいものではなかった。
両手を掴まれて、引っ張られた。
扇で顔を隠すこともできない。
思わず手を引いたが、力で敵うはずがない。
煌々と燃えている篝火の元へ引き出された。
勝ち誇ったような悪戯っ子の目に、私の顔が晒される。
「なんだ、普通だな」
若殿の手から逃れようと、思いっきり引くと、すっぽ抜け、勢い余ってどっと倒れた。
「姫さま!」
腰元の姫さまが慌てて駆け寄り、助け起こした。
「悪い意味じゃない。上様のご養女という肩書きをつけねばならんような姫というのは、よっぽど見れん顔なのかと思っただけだ。阿波の姫ならばそれほど悪くないだろうとは思っていたが」
とすまして言う。
私の顔の表情がなくなっていくのがわかる。
煮えたぎるを通り越して、冴え冴えと冷えていく。
「不愉快だわ」
自分でもゾッとするほど低い声になった。
人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ。
「帰ります」
「どこへ?江戸に逃げ込むか」
これも冷たい若殿の声が追い打ちをかける。
「逃げる?宿に帰るだけです。それからじっくりと考えます。伊那代藩がわらわに相応しいのかどうか。・・・ごきげんよう」
一時もこの場にいたくなくて、さっさと帰ってきた。
お寺の一室に戻るまで、私はムカムカしっぱなしだった。
何よ!あれは本当にうつけだわ。
縁談が壊れるのも当然よ。
人を何だと思ってるのよ。
さっさと江戸へ行ってこんなやつ野放しにしないでって言ってやりたい。
実際に言うのは姫さまだけど。
「茜、すまなかった。こんなことになろうとはな」
私があまりにも怖い顔をしているからだろうか。
姫さまが抱きしめてくれる。
「わらわもどうしていいかわからなかったぞ。でもさすが茜じゃ。わらわが見込んだだけのことはある。上出来じゃ」
いつも冷静な姫さまが、珍しく興奮している。
褒められるのは悪くない。
いつも叱られてばかりいる私が、えっへん、と気持ちが大きくなる。
しかし、うつけの洗礼は、まだ序ノ口だったのだ。
いったん階を降りて地面になり、こちらの階を上らなければならない。
鬼の動きが速くて、誰もその場から動けなかった。
飛ぶように階を降りて、こちらに上ってくる。
鬼の面が瞬く間に迫ってきた。
私は怖くなって咄嗟に扇で顔を隠す。
「無礼者!」
姫さまが叫んだ。
私を庇うように手を広げた。
若殿じゃなくて、鬼と対面なの!?
鬼は私たちの目の前で立ち止まり、動きを止めた。
荒い息遣いが、鬼の面から漏れてくる。
「ご無礼仕る」
と、座った。
慌てず、ゆったりと、慣れた手つきで面を外す。
精悍な若者の顔が現れた。
物怖じしない強い眼差しが刺さるようだ。
「姫、松平大和にござる」
滴る汗を拭もせずに、若者、いや、若殿が手をついている。
「それがしの舞は、如何でござったか」
不敵な笑みを浮かべている。
「・・・・」
さすがの姫さまも、固まって言葉が出ないようだった。
私も、扇の下で口をぱくぱくさせるのが精一杯で、声も出ない。
完全に呑まれていた。
「若!舞われるなら舞われるとおっしゃって頂かねば困ります!」
沈黙を破ったのは修理さまだ。
声に棘が混ざっている。
「悪いな。驚かせてやろうと思ったんだ。その方が面白いだろ?」
修理さまが忌々しげに舌打ちした。
やっぱり、険悪なのかしら、このお二人。
ええっと・・・、何か言った方がいいかしら?
若殿だとわかって、姫さまは、警戒を解いて控えにまわられている。
そりゃあ、ここは私が言わなければね。
って、普通のことしか言えないけど。でもこの場合、普通のことってどんなこと?
若殿の流れる汗は本物だ。舞の良し悪しなんてわからないけど、ままよ。
「結構な舞いでございました。楽しゅうございました」
扇を置き、手をきちんとついた。三つ指というやつだ。
その手に、若殿の手が重ねられた。
いや、重ねられたという生やさしいものではなかった。
両手を掴まれて、引っ張られた。
扇で顔を隠すこともできない。
思わず手を引いたが、力で敵うはずがない。
煌々と燃えている篝火の元へ引き出された。
勝ち誇ったような悪戯っ子の目に、私の顔が晒される。
「なんだ、普通だな」
若殿の手から逃れようと、思いっきり引くと、すっぽ抜け、勢い余ってどっと倒れた。
「姫さま!」
腰元の姫さまが慌てて駆け寄り、助け起こした。
「悪い意味じゃない。上様のご養女という肩書きをつけねばならんような姫というのは、よっぽど見れん顔なのかと思っただけだ。阿波の姫ならばそれほど悪くないだろうとは思っていたが」
とすまして言う。
私の顔の表情がなくなっていくのがわかる。
煮えたぎるを通り越して、冴え冴えと冷えていく。
「不愉快だわ」
自分でもゾッとするほど低い声になった。
人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ。
「帰ります」
「どこへ?江戸に逃げ込むか」
これも冷たい若殿の声が追い打ちをかける。
「逃げる?宿に帰るだけです。それからじっくりと考えます。伊那代藩がわらわに相応しいのかどうか。・・・ごきげんよう」
一時もこの場にいたくなくて、さっさと帰ってきた。
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私があまりにも怖い顔をしているからだろうか。
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「わらわもどうしていいかわからなかったぞ。でもさすが茜じゃ。わらわが見込んだだけのことはある。上出来じゃ」
いつも冷静な姫さまが、珍しく興奮している。
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しかし、うつけの洗礼は、まだ序ノ口だったのだ。
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