触れられたいと思うまで〜トラウマを克服したら溺愛が始まるようです〜

かじや みの

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「ねえ」

 後ろに誰かが立った。

「れん君って、あの北畠家の末裔なのかなあ」

 成宮と同じことを訊いてきたのは、新島だ。

 走り終えた成宮は、女子に囲まれている。
 だが、そんなことなど気にする風もなく、差し出されたタオルで汗を拭きながら、グラウンドの隅に移動していく。

 もう見てなくていいのに、後ろに立たれると、身動きができず、そのまま顔を窓の外に向けている。

「たぶん、違うと思います。そんな話、聞いたことも・・・」

「北畠と言えば、有名なのは、北畠顕家あきいえなんだけど。知ってる?」
「いえ、まったく・・・」
「南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に寵愛されて十五歳で陸奥守になり、二十歳で亡くなっているのだけど、文武に優れていて、容姿端麗で、中性的な魅力のある人だった」

「すごい、ですね。そんな人がいたんだ」
「れん君も似たところがあるんじゃない? ちょっと連想しちゃったから」
 何を言い出すんだろう。
 新島の意図がわからず、居心地が悪くなる。
「俺は、武の方はからっきしダメだし、文の方も、容姿だって、それほどでも・・・」
「モテるでしょ」
「いや、俺なんて、恋愛対象じゃないってよく言われます」
「女子にとってはそうかもね。どちらかというと、可愛い感じだから・・・」
「・・・」
 可愛いって、男子が言われても、それほど嬉しくない言葉だ。

 陸上部の部員と何か話していた成宮が、ふと顔を上げてこっちを見た。

 それに気づいた二年生たちが手を振っている。

 応えるかのように、成宮も手をあげた。

 れんは手を振らない。

「さあ、始めて。一年生は見学してていいから」

 甘利が手を叩き、部員たちが窓から離れて戻っていく。

 背後の新島の気配が遠ざかってから、れんも窓際から離れた。

 輪に置かれていた机を移動させてバラバラにし、グループを作るのだが、三年生と、二年生で分かれているようだ。

 一年生は、三年生の机のそばに集まった。

 新島は、浮世絵を研究しているからか、画集や専門書を机の上に出した。

 みんなそれぞれに、研究するテーマの専門書の類を出して広げる。

 甘利の机に積まれた本の中に、”男色”の文字が見えた。

「・・・」

 甘利が研究するのは、確か、なんしょくとか言ってなかったっけ。
 思い出したれんの表情が固まる。

 なんしょくは男色のことだった。
 男同士の恋愛だ。

「見ていいですか?」

 歌舞伎が好きな湯浅桃が、新島の画集に手を伸ばした。

「どうぞ。歌舞伎役者もたくさん描かれているよね」

 新島は、別の画集を開いた。
「これは鈴木春信の絵なんだけど、この人は男でしょか、女でしょうか」

 窓辺でうちわを仰ぎながら外を見ている人物は、綺麗な着物を着ていて女にしか見えない。

 男なんて、ありえない、と思ったら、
「はい、男です。こっちも、男。はいこれも」

 画集をめくって、指をさしていく。

「美人でしょ」

「きゃっ」

 湯浅が顔を真っ赤にして本を閉じた。

「あ、ごめん、言い忘れた。春画も混ざってるから気をつけて」
「ちょっと、奈緒子。最初からキツすぎるでしょ」
「ごめーん。でも、絵から入るのが、一番早いのよね」

 新島は悪びれもせずに、また違う画集を取り出してめくった。

「これ」
 と、れんに見せたのは、男女が抱き合っている絵。
 裸ではなく、二人とも着物を着ているが、口づけしている。

「男同士だから。浮世絵をやってると、どうしても出てきてしまうのよ」

「え?・・・」
 抱き合っているのは男?

 思わず後退り、机にぶつかった。

 顔がひきつる。
 いけない。
 発作が出てしまう。

 耳元で、息を吐かれる感覚が、よみがえる。

 慌てて、カバンを掴むと、教室を出ていく。

「れん君!」

 廊下を走り、階段のそばまで来たとき、誰かが階段を上がってこちらに来るところだった。

「誠! れん君を止めて!」

 すれ違いざまに、それが成宮だと気がついた。

 腕を掴まれる。
「北畠?」

 れんは、振り解こうと、上半身を回すようにして腕を動かした。

「危ない!」

 成宮の手が外れ、その反動でバランスを崩し、上体が後ろに倒れる。
 そのまま倒れれば、階段から落ちてしまう。

 もう一度掴もうと伸ばした手を、れんは拒否して弾いた。

「何!?」

 手を拒絶された成宮は、もう一歩踏み込み、れんの腰に腕を回すと、まるでペアのフィギュアスケートのように、片手抱きにして踊り場に引き戻した。

「まったく世話がやける」

 手に摑まっていれば、これほど密着しないのに、まだ腕は腰に回されたままで、胸に顔を埋めるような格好で、荒い息を吐いている。

 ドキドキしているのは、階段から落ちそうになったからだ。

「ああ、よかったー」

 女子部員たちも駆けつけてきて、ため息をついている。

「何があったんだ」
「ごめんね。刺激が強すぎたみたい」
「もう、お前ら・・・」

「俺に、触るな!」

 顔を真っ赤にして、れんが叫び、成宮の胸を力一杯押した。

 腕が外れたところで、階段を駆け降りる。

 もう、誰も追っては来なかった。
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