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それぞれの戦さ場
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「ご家老!」
応答を待たずに誰かがずかずか上がり込んでくる。
半蔵は下城してきたばかりだった。
「またうるさいのが来たか」
と顔を顰める。
着替えの最中である。
騒々しい気配がためらいもなく襖を開ける。
「なんなのだ、毅八郎。ちと待てんのか」
「すぐに終わります」
服部毅八郎というこの男は、服部一族の一人だが、血のつながりはない。
家中から婿養子に入ってきた侍で、忍びの術は体得していない。
血気だけは盛んで扱いにくい。
今時はそれでいいと思っていたのだが。
「一体何が起こっているんだ」
「なんのことだ」
「とぼけくさったオヤジだ。何人も殺しやがって、よくも茶など飲んでいられるな」
口が悪い。
「何も起こっておらぬ」
毅八郎は大仰に舌打ちし、ぐっと身を半蔵に近づけた。
「俺にも一枚噛ませろ。仲間が殺されて黙っちゃおれん。いいな。止めても無駄だぞ。仲間はずれは許さん」
伊賀者が動いたことは公にできることではない。闇から闇へ、暗黙の了解がすでになされている。
だが、この鉄砲玉のような若者にはそれが通じないのだ。
裏の仕事には向かない男である。
「聞いたところによると、ガキ一人を生かしておくために犠牲が増えたというじゃないか。まどろっこしいことしやがる。なぜひと思いにやっちまわんのだ」
頭が痛くなってきた。
誰がこいつに軽々しくしゃべったのだ。
近頃頭の痛いことばかりだ。
「何も話すことはない。下がれ下がれ」
半蔵は扇子を振って追い払う仕草をした。
「そのガキが何者か知らんが」
言いながら、毅八郎は素直に腰を浮かした。長居するつもりはないらしい。
「ガキに振り回されるようじゃ、ご家老も大したことないな」
そのご家老が吉村又右衛門をも指していることは明らかだが、そのくらいのことで怒るような半蔵ではない。
(わしとてやりとうはなかったがな)
吉村さまが意外にも強気に出ることを決め、それが最善とのったのだが、犠牲を払うことになった。
だが、成功したとも思っている。
おそらくもう、何も起こるまい。
出て行こうとする毅八郎を呼び止めた。
「あまり人を侮らぬ方がよいぞ。怪我をするのはお前だ」
「ご忠告、ありがたく」
ニヤリと不適な笑みを残して去っていく。
まったく誰があのような男を婿にしたのだ。
しばし考えていた半蔵だが、手を叩いて、おりょうを呼んだ。
「あの馬鹿を見張れ。忍ぶ必要はない。見張っていることをわからせるのだ」
「え~?いやですわ。あんなガサツな男」
「おいおい、たのむでぇ」
思わずこめかみを押さえる。
「あやつが片瀬に何かするかもしれんと思ったまでだが、嫌なら他の者に頼むが・・・」
「あの坊やを?・・・お頭ったら、早くそれを言ってくださいましな」
何かに思い至ったのか、急にそわそわして出ていった。
頼むからもう、何もしてくれるな。
それに頭が痛いのはそれだけではない。
明日はあの男が登城してくるだろう。
何事もなければ良いがと、天井を仰いだ。
静かだった久松邸が、俄かに騒がしくなった。
(何事かしら)
床に臥せっていた雪江は、半身を起こした。
「奥様、お喜びを・・・」
侍女が急いできたと思ったら、そう言って泣き出した。
「どうしたと言うの?」
「お殿さまが・・・お戻りになられました」
「うそ・・・嘘は言わないで」
「まことでございます」
「信じられぬか、雪江」
と式部が姿を現した。
「これは夢かしら・・・」
大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「只今戻った。病は大事ないか」
「はい。・・・もうこのまま死んでも後悔はありませぬ」
「馬鹿を申せ」
両手で顔を覆って泣き崩れる雪江の肩を抱いてやる。
「すまなかった」
「いいえ、私が至らぬゆえ・・・」
「そのようなことはない。当分はここにおるゆえ、早く病を癒すことだ。寝ては居れんほど忙しくなるぞ」
「そうですわね。しなければならないことがたくさんありますわ」
式部の胸にすがって顔を赤らめる。
俄かに生気が戻ったような雪江にほっとしながら、しばらくは罪滅ぼしをしなくてはならないと思う。
(伊織め)
屋敷に戻ったら、まずは奥方に挨拶に行けと言う。
こうなることがわかっていたから躊躇していたのだが、押し出された。
この屋敷は雪江のものだからとうるさいほどこだわった。
嫌な予感がしているが、雪江を寝かせて、自室に戻ると、伊織が話があると言う。
「奥方さまのご様子はいかがでございましたか」
「うむ、まあな」
何を言っていいかわからない。
「明日は登城ですね」
「だいぶ顔ぶれも変わったであろうな。話とはなんだ」
「はい」
姿勢を正して見つめてくる。
「お暇をいただきとうございまする」
そう言って手をついた。
「ならぬ」
反射的に口をついて出た。
「このお屋敷に、それがしの居場所はありませぬ」
「それでもならぬ」
伊織が微笑した。
「殿」
「噂など気にする必要はない」
式部が雪江を蔑ろにするのは伊織のせいだという噂だ。
「それだけではございませぬ。景三郎さまのもとに参りとうございます」
「なに?」
伊織の笑みが大きくなる。
「なるほど、そういうことか。確かにそなたが必要であろうな」
「何が起こりましょうとも、当家とは関わりなきことにできまする」
「要らぬ気を回すな。・・・そなたがそうしたいのであれば、許す。好きにするがよい」
「ありがとうございます」
「考えてみれば、そなたらしい。そっちの方が余程面白そうだ。こちらはうるさいジジイどもの相手をせねばならんからな。羨ましい限りだ」
「はい。そうでしょうね」
「寂しくなる」
寂しいというより、身を切られるような切なさに襲われる。
伊織がいなくなるなど、考えたこともなかった。
(背負っているものを捨てられないのはわたしの方だな)
自嘲気味に笑った。
「お世話になりました」
「別れだとは思わぬ。たまには顔を見せよ」
翌朝、伊織の姿はなかった。
久しぶりに裃に袖を通し、扇子を挟む。
己の戦さ場は城だ。
伊織は伊織で己の戦さ場に身を置くのだろう。
応答を待たずに誰かがずかずか上がり込んでくる。
半蔵は下城してきたばかりだった。
「またうるさいのが来たか」
と顔を顰める。
着替えの最中である。
騒々しい気配がためらいもなく襖を開ける。
「なんなのだ、毅八郎。ちと待てんのか」
「すぐに終わります」
服部毅八郎というこの男は、服部一族の一人だが、血のつながりはない。
家中から婿養子に入ってきた侍で、忍びの術は体得していない。
血気だけは盛んで扱いにくい。
今時はそれでいいと思っていたのだが。
「一体何が起こっているんだ」
「なんのことだ」
「とぼけくさったオヤジだ。何人も殺しやがって、よくも茶など飲んでいられるな」
口が悪い。
「何も起こっておらぬ」
毅八郎は大仰に舌打ちし、ぐっと身を半蔵に近づけた。
「俺にも一枚噛ませろ。仲間が殺されて黙っちゃおれん。いいな。止めても無駄だぞ。仲間はずれは許さん」
伊賀者が動いたことは公にできることではない。闇から闇へ、暗黙の了解がすでになされている。
だが、この鉄砲玉のような若者にはそれが通じないのだ。
裏の仕事には向かない男である。
「聞いたところによると、ガキ一人を生かしておくために犠牲が増えたというじゃないか。まどろっこしいことしやがる。なぜひと思いにやっちまわんのだ」
頭が痛くなってきた。
誰がこいつに軽々しくしゃべったのだ。
近頃頭の痛いことばかりだ。
「何も話すことはない。下がれ下がれ」
半蔵は扇子を振って追い払う仕草をした。
「そのガキが何者か知らんが」
言いながら、毅八郎は素直に腰を浮かした。長居するつもりはないらしい。
「ガキに振り回されるようじゃ、ご家老も大したことないな」
そのご家老が吉村又右衛門をも指していることは明らかだが、そのくらいのことで怒るような半蔵ではない。
(わしとてやりとうはなかったがな)
吉村さまが意外にも強気に出ることを決め、それが最善とのったのだが、犠牲を払うことになった。
だが、成功したとも思っている。
おそらくもう、何も起こるまい。
出て行こうとする毅八郎を呼び止めた。
「あまり人を侮らぬ方がよいぞ。怪我をするのはお前だ」
「ご忠告、ありがたく」
ニヤリと不適な笑みを残して去っていく。
まったく誰があのような男を婿にしたのだ。
しばし考えていた半蔵だが、手を叩いて、おりょうを呼んだ。
「あの馬鹿を見張れ。忍ぶ必要はない。見張っていることをわからせるのだ」
「え~?いやですわ。あんなガサツな男」
「おいおい、たのむでぇ」
思わずこめかみを押さえる。
「あやつが片瀬に何かするかもしれんと思ったまでだが、嫌なら他の者に頼むが・・・」
「あの坊やを?・・・お頭ったら、早くそれを言ってくださいましな」
何かに思い至ったのか、急にそわそわして出ていった。
頼むからもう、何もしてくれるな。
それに頭が痛いのはそれだけではない。
明日はあの男が登城してくるだろう。
何事もなければ良いがと、天井を仰いだ。
静かだった久松邸が、俄かに騒がしくなった。
(何事かしら)
床に臥せっていた雪江は、半身を起こした。
「奥様、お喜びを・・・」
侍女が急いできたと思ったら、そう言って泣き出した。
「どうしたと言うの?」
「お殿さまが・・・お戻りになられました」
「うそ・・・嘘は言わないで」
「まことでございます」
「信じられぬか、雪江」
と式部が姿を現した。
「これは夢かしら・・・」
大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「只今戻った。病は大事ないか」
「はい。・・・もうこのまま死んでも後悔はありませぬ」
「馬鹿を申せ」
両手で顔を覆って泣き崩れる雪江の肩を抱いてやる。
「すまなかった」
「いいえ、私が至らぬゆえ・・・」
「そのようなことはない。当分はここにおるゆえ、早く病を癒すことだ。寝ては居れんほど忙しくなるぞ」
「そうですわね。しなければならないことがたくさんありますわ」
式部の胸にすがって顔を赤らめる。
俄かに生気が戻ったような雪江にほっとしながら、しばらくは罪滅ぼしをしなくてはならないと思う。
(伊織め)
屋敷に戻ったら、まずは奥方に挨拶に行けと言う。
こうなることがわかっていたから躊躇していたのだが、押し出された。
この屋敷は雪江のものだからとうるさいほどこだわった。
嫌な予感がしているが、雪江を寝かせて、自室に戻ると、伊織が話があると言う。
「奥方さまのご様子はいかがでございましたか」
「うむ、まあな」
何を言っていいかわからない。
「明日は登城ですね」
「だいぶ顔ぶれも変わったであろうな。話とはなんだ」
「はい」
姿勢を正して見つめてくる。
「お暇をいただきとうございまする」
そう言って手をついた。
「ならぬ」
反射的に口をついて出た。
「このお屋敷に、それがしの居場所はありませぬ」
「それでもならぬ」
伊織が微笑した。
「殿」
「噂など気にする必要はない」
式部が雪江を蔑ろにするのは伊織のせいだという噂だ。
「それだけではございませぬ。景三郎さまのもとに参りとうございます」
「なに?」
伊織の笑みが大きくなる。
「なるほど、そういうことか。確かにそなたが必要であろうな」
「何が起こりましょうとも、当家とは関わりなきことにできまする」
「要らぬ気を回すな。・・・そなたがそうしたいのであれば、許す。好きにするがよい」
「ありがとうございます」
「考えてみれば、そなたらしい。そっちの方が余程面白そうだ。こちらはうるさいジジイどもの相手をせねばならんからな。羨ましい限りだ」
「はい。そうでしょうね」
「寂しくなる」
寂しいというより、身を切られるような切なさに襲われる。
伊織がいなくなるなど、考えたこともなかった。
(背負っているものを捨てられないのはわたしの方だな)
自嘲気味に笑った。
「お世話になりました」
「別れだとは思わぬ。たまには顔を見せよ」
翌朝、伊織の姿はなかった。
久しぶりに裃に袖を通し、扇子を挟む。
己の戦さ場は城だ。
伊織は伊織で己の戦さ場に身を置くのだろう。
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