蟠龍に抱かれて眠れ

鍛冶谷みの

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危険な取引

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 目を覚ますと、枕元でおあきが居眠りをしていた。
 手には縫いかけの着物と針を持ち、舟をこぐたびにその針が布ではなくて、手に刺さりそうになっている。
 気になって寝ていられない。
 右手をそっと伸ばして、針を取ろうとした。
 とたんに、おあきの目がぱちっと開いて景三郎を見た。
 目的が果たせずに、針の刺さった着物ごと、おあきが抱きついてくる。
「ああー、よかったー!目が覚めたのね」
 しかし、顔を真っ赤にしてすぐ離れ、急いで部屋を出ていった。
 腕を伸ばしたせいで、布団から裸の肩が出ていた。
 着物を着ていなかった。
 あの日、旅籠の中まで運んでもらい、医者を呼んで手当までしてもらっていた。
 血に汚れた体まで綺麗に拭いてもらったことを、熱に浮かされて朦朧とする意識でも感じていた。
 正直、甘えすぎだ。
(俺は何を期待しているんだ。人を殺めておいて、安らげる場所が欲しいのか・・・)
 これ以上、迷惑をかけてはいけないのに。
 おあきがお粥をのせた盆を持って入ってくる。
「食べられそう?起きられる?」
「・・・」
「具合悪い?」
 黙っている景三郎を覗き込むように見てくる。
「おあきちゃん、ありがとう。本当に助かったよ」
「いいの。助けてもらったのはうちの方やから」
「すぐにでも出て行くよ。ここにいたらいけない」
 おあきが首を振る。
「どうして?いや、いてほしい」
 駄々っ子のように言う。
「お腹空いてるでしょ。三日も寝ていたんですもの」
 半身を起こそうとする景三郎を手伝って、その背中に綿入れを着せ掛ける。
「今ね、お着物仕立ててるからもう少し待っててね。あ、お粥さん冷めちゃうね」
 照れ隠しなのか、早口になっている。
「おあきちゃんは、俺が怖くないの?」
 血まみれで帰ってきて、何もなかったと否定することはできない。
 斬り合いがあって、殺してきたと誰もが思うだろう。
 普通なら、関わりたくないと思うものだ。
 それなのに、こんな手厚い介抱を受けている。
 信じられないくらいに。
「片瀬さまは、悪くない。悪い人だと思ってない。だって、あの時、命懸けでうちを助けてくれたんだもの。命の恩人なんだから・・・」
 背中から腕を回して景三郎を抱きしめる。
「今度は、うちが片瀬さまを助けるの」
 綿入れ越しにも、おあきの温もりが伝わってくる。
 あったかい。
「・・・」
 言葉にならず、もう枯れたと思った涙が溢れた。
 あと少し、ほんの少しでいいからこのまま温もりの中に浸っていたかった。



 式部にとって、かつての城は悪の巣窟と言っても過言ではなかったのだが、年月が経ち、大人になったということなのだろうか。
 すれ違う藩士たちの驚きの表情や、あれは久松さまだと囁き合う声などを聞くうちに、この場所でまだやれるのではという気がしてくる。
 呼ばれているのは、表、藩主と家老たちが政務を行う部屋だ。
 藩主定重公は江戸に出府中で不在だった。
 部屋に入り、平伏する。
「これは久松どの、よう参られた。何年ぶりかの」
「は。お二方には、ご機嫌麗しく・・・」
 中には二人。上座に吉村又右衛門、次席に服部半蔵。
 又右衛門は五十半ば、半蔵は四十過ぎのはずだ。若輩者として、頭を低くしておかなければならない。
「城中が騒がしいの。これも久松どのを待ち侘びておった証拠でござるな」
 服部半蔵が皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。
「まずは重畳ちょうじょう。お上もお喜びになる」
 城中が式部に寛大なのは、ありがたいことに、定重公自ら登城してくるのを待っているからだった。
 勝手なことをしていても、久松を無下にできない理由になっている。
 二人とも顔は穏やかだが、目は鋭く式部を射ている。
「もそっと近くへ参られよ」
 又右衛門が言い、扇子が指し示す場所へ座り直した。
 密談、という言葉がぴたりと当てはまるほどの近さで対峙する。
 実際、人に聞かれてはまずい。
「委細は承知しておるだろうから、単刀直入に問う」
 前置きもなしにいきなり始まった。
「江戸の旗本奴どもと、結託していたということはあるまいな」
「服部どのにはご足労をおかけいたしましたが、江戸を立って以来会ったことはありません」
「なれば、あれで異存はござるまいな」
「はい」
「あの者たちを匿ったりすれば、謀反と取られてもやむを得ぬところ」
「謀反などと大袈裟な」
「よもや我らとて疑ってはおらぬが、穿った見方をする者もおるでな」
 時に、と半蔵が話題を変えた。
「片瀬の倅に何を話した。別邸から出てくる所を手の者が見ている」
「兵衛介どのが切腹したわけを。それがしの憶測を示したまで」
「その憶測とは?」
「尋問でござるか。まことのところは、確かめたかったからにござる。この目で見てみないことには始まらないと」
「して、どう見た」
 刺さるような視線を浴びて、間を開ける。
「焦らすな」
 半蔵が苛立たしげに舌打ちする。
「兵衛介どのはあくまでも否定していたが、もしそうなら、いかがなさるおつもりで?」
 逆に睨み返す。
 ここは慎重に言葉を選ばなければならない。
「はっきり言うておく。片瀬とは、今後いっさい関わることあいならぬ。これ以上は反逆としてそなた諸共に始末せねばならなくなる」
「関わらなければ、不問に伏してくださると?」
「無論そのつもりで釘を刺したのだ」
 又右衛門の言葉は歯切れがよかった。
「害がなければ、始末することもあるまい。無駄な殺生はしたくない」
 半蔵も同調する。
「わかり申した。では、それがしもはっきり言わせていただく。それがしの見立てでも間違いござらぬ。片瀬景三郎は、光徳院さまの血を引いている」
「やはりそうか・・・」
 二人とも苦虫を噛み潰したような表情になる。
「その上で、そっとしておいていただきたい。お二方の言う通り、久松はいっさい関わりを持ちませぬ」
 両手をついて平伏した。
 息を吐き出す気配が頭上でしている。
「命乞いかな?」
「こちらも脅させていただく。もしものことがあれば、久松も黙ってはおりませぬ」
 頭を下げたまま言った。
「取引というわけか」
 又右衛門の扇子が肩を打った。
「何故そこまでこだわる?わしにはわからぬ」
「そうしたいからそうするまで。江戸仕込みの臍曲がりにて、治りませぬ」
「水野十郎左衛門か。ふん」
 半蔵が鼻で笑った。
「まあ、よかろう。そのかわり、そなたは家老としての務めを果たせ」
「何事もなければ、それでことは収まる」
 久松と片瀬を切り離せば終わると思っているらしい。
 これで終わったとほっとしたようだった。
「念書は交わさぬぞ。それで良いな」
「はい」
 なんともあやふやで、効力のない取引だと思った。
 故になんとでもなりそうな危うさがある。あとでどうとでも取り繕える。
 だが、もう式部の手を離れてしまっている。なんの手助けもできず、指を咥えて見ていなければならい。
 共に戦うよりも難儀なことだ。
 顔を上げてまっすぐ又右衛門を見た。
「一つお聞きしてよろしいか」
「なんだ」
「片瀬の家はどうなりました?」
「無論、取り潰しになっておる。後継もおらぬゆえ、やむを得ぬ」
「家中に戻そうというのか。それはない。それこそ混乱の元だ。行方知れずになっておるのは好都合というもの」
「して、兵衛介どのの後は」
「用人か。それなれば左門が引き継いでおる」
「左門どのが」
 吉村左門は又右衛門の長子だ。
「わしもそろそろ引退せねばならぬと思うておる」
「何を言われる。まだまだいてくださらねば困りますぞ」
 と、半蔵が慌てて言った。
「左門とそなたは年も近い。協力してお家を守っていってもらいたいものだ」
「は。それでは失礼仕る」
 密談は和やかなうちにお開きとなった。
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