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亡霊

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 何の手がかりもなく、刻だけが過ぎていく。
 城にも上らず、たまに道場に行って汗を流すほかは、町に出てぶらぶらするくらいしか、することがなかった。
 左門に啖呵を切ってみたものの、景三郎が堕ちたであろう場所まで行ってみる勇気さえないのだ。
 そんなことでは、出会えるはずもない。
 救いたいなぞと生ぬるいことを言っている己が恥ずかしくなる。
 左門の言う通り、俺にできることは何もないのか。
 ただ祈ることしかできない。

 ーーやっぱりお坊ちゃんだよな。
 よく言われた。
 親や、腹違いの兄に反抗したって、家柄の良さを蓑のように纏っているのだ。

 道場に行くと、景三郎との思い出がよみがってくる。
 決して帰ってくることのない日々は、眩しいくらいに輝いて見え、右京を苦しめた。

 子供のころから物怖じしなかった。
 家老の息子だろうが、理不尽なことに対しては許さない強さがあった。
 景三郎がいなかったら、身分を嵩にきたただの悪ガキに成り下がっていただろう。
 剣の腕を競い合うことで、お互いを認め合い、高め合ってきた。
 本気でぶつかり合って、腕を磨いてきたのだ。
 生い立ちが似ていたことも、距離を縮める要因になった。
 産みの母に育てられていない、という共通点があり、話が合う。
 なんでも話せる関係だと思ってきた。
 兵衛介どののことがなければ。

(どうして話してくれなかったんだ)
 ずっと悔しさを抱えている。
 相談してくれたら、できることがあったかもしれないのに。
 黙っていなくなるなんて。
(やはり俺が、吉村の倅だから・・・)
 どうしても、そこへ行き着いてしまう。
 そして、俺は、何をするべきなんだろう。
 景三郎は何を望んでいるのだろう。


 ある朝、父に呼ばれた。
 部屋に行くと、左門がすでに来て座っていた。
 二人とも険しい顔になっている。
 何かあったのだ。
 嫌な予感に喉が詰まるようだった。
 又右衛門は、一枚の紙を出した。
「これは、今朝早く、高札場に貼られていたものだ。役人が二人、裸で縛られていたそうだ」
「この寒空に・・・」
 左門が気の毒そうに呟いた。
 筆跡に見覚えがあった。
 文末に描かれた髑髏が妙に目立っている。
 左門が読み上げた。
「この者ども、すけべえ役人につき、懲らしめ候。・・・この髑髏は?」
「髑髏組の印だ」
「何ですか?それは」
「光徳院さまの頃のかぶき者が、動き出したようだ」
「残党がいたのですか」
「奉行所からも報告が来ている。店が荒らされる事件が起こっている」


 ある大店での話である。
 奇妙な二人連れが店に入り、主人に話があるという。
 一人は力士のような大男で、もう一人はかぶき者の格好をした若者だった。
「ここの店では、職人を強請ゆするのかい?あそこが悪い、ここが悪いと難癖をつけて払いを渋るそうじゃないか。蔵には金が唸ってんだろ?職人の言い値で払ってやってもバチは当たらんと思うが」
 喧嘩腰ではなく、やわらかく、世間話でもするような口調で言った。
 歳が若く、扱いやすいと見たのか、店の主人はこの若者に商いの道を説いた。
 商いは出費をいかに抑えるかで儲けが違ってくる。
 儲けを大きくすることが何よりも大事だと。
 店の周りには、人だかりがし始めている。
 話し合いは、店先でなされており、人々の注目の的だった。
「なるほど。商いというのは厳しいものだな。その職人は、どこも悪いところはないというぞ。俺はどう考えても強請にしか思えんがな。どうしても払ってやる気にはなれんか」
「もう終わった話や。何と言われても出せませんな。職人も承知しとることや」
「そうか。商いの道は情けがないんだな」
 と、若者が肩を落とす素振りを見せた。
 主人が油断して居丈高になった。
「商人は金が大事。金を増やすためなら、どんなことでもするものや」
「ふうん。たとえば、傷もないのに、傷があると難癖をつけてもいいってことか?」
 主人が、はて、と首を捻った。
 若者が、にいっと悪戯っぽく笑う。
 勢いよく立ち上がって、客に向かって声を張り上げた。
「みんな、聞いてくれ!この店の物は傷物だぞ!今日は特別にたった一文で大売り出しだ!買った買ったあ!」
 わっと人々が殺到した。
 店の中がめちゃくちゃになり、品物が無くなった時点で潮が引くように人がいなくなった。
 後には銭が散らばるのみ。二人の姿も消えていた。


「先ほどの役人も、スリの娘の詮議中に無体な振る舞いに及んだそうだ」
「なるほど。民衆を味方につけている。・・・厄介ですね」
 左門が唸った。
「もうすでに、あれは光徳院さまの亡霊だと言う者も出てきている」
「光徳院さまの・・・」
 二人の視線が右京に向けられる。
「これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかぬ」
「大きくならぬうちに潰さねばならない」
 左門が厳しい目を向けてくる。
「・・・・」
 この筆跡は、景三郎のものだ。
 もう疑いようもなかった。
「どうするつもりだ」
 黙っている右京に痺れを切らした左門が促す。

(どうしても黙っていることができないのか)
 大人しくしていれば良かったのに、やはり踏み付けにされて黙っていられないか。
 怒りなのか、胸の痛みとともに、震えるような感情が渦巻いてくる。
 俺はここにいるぞ、と言っているように右京には思えた。
(これは挑発・・・)
 拳で畳を叩いた。
(ならば、乗ってやる!)
「俺が潰します。場合によっては斬らせてください。景三郎はおそらく死ぬ気でしょうから」
 脅しに屈せずに立つことを選んだのだ。
(お前がそのつもりならば、こっちもそのつもりでいく。俺が止めてやる)
「お許しをいただけますか」
 父の目をまっすぐに見て言った。
「まずは捕えよ。亡霊がいなくなれば、ことはおさまるものだ」
 そして低く付け加えた。
「斬りたいならば止めはせぬ。好きにすれば良い。責任はわしが取ってやろう」
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