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滅びゆく者の救い
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右京は、久松邸を訪れていた。
「夜分に恐れ入ります」
「なんの」
式部は酒を飲んでいた。
「右京どのも飲まれよ」
小姓が酒肴を乗せた膳を運んできて置いた。
美しい小姓たちが式部に酌をしたり世話をしている。
右京にも、酌をしようと酒器を取り上げて構えている。
「いえ、お構いなく」
右京は居心地が悪かった。
「何か火急のことでもあったのか」
「久松さまとおりいってお話ししたいと思っておりました。兄が一緒では話しにくいので」
「飲みながらではまずい話か」
「いえ、そういうわけでは・・・」
下がっておれと式部が言い、小姓たちを下がらせたが、式部と二人きりなのもまた、居心地のいいものではなかった。
式部が手酌で盃をあけた。
見入ってしまうほど、いちいちさまになっている。
「亡霊騒ぎのことは、お聞きおよびでしょうか」
右京は気を引き締めた。
「亡霊?町の噂など、それがしの耳に入ってくると思うか」
酒が入っているせいか、絡むような言い方になっている。
が、怒ってはいない。
こちらを試すような、からかうような視線が右京を捉えている。
「何があったのか、お聞かせ願えるかな」
「本当に何も存ぜぬと言われるのですね。景三郎のことです」
「ほう」
知っているのかいないのか、掴めない。
「光徳院さまの亡霊だと、町の噂になっております」
「なるほど。それで、久松が何かしていないか、探りに参ったということでござるかな」
目を細めて、すかすように見る。
「はい」
右京も負けじと見返した。
「これは面白い。それがしも加わりたいが、何もせぬ取り決めは守っておる。お疑いか?」
「早乙女伊織は、久松家の者では?」
「そうであったが、今はおらぬ。この屋敷に住むようになってから、己から出ていった。ここには奥がおるゆえ、居づらいのであろう」
「どこへ行ったかはご存知ないと」
「ああ、わからぬ。何も知らせては来ぬし、つなぎのしようもないでな」
嘘なのか、嘘ではないのか。
もう一杯手酌で酒を飲み、式部は笑い出した。
「亡霊か・・・その亡霊が何をしたと?」
右京はそのあらましを話して聞かせた。
式部はその話を、面白がって聞いていた。
「それで、右京どのはどうなさる」
その笑顔のままで問うてくる。
「止めます。場合によっては、・・・斬ります」
「ほう」
式部の目が一瞬鋭くなった。
「取り決めは、景三郎が、このまま何もしなければ、命は取らぬというもの。もはや、その約定は意味をなさない」
「さよう。もはや反故同然だ」
式部の笑みが不気味なものに変わった。
「右京どのの好きになさればよかろう」
「あなたは誰の味方なのですか?」
湧いてくる違和感の正体が掴めない。
式部はいったい何がしたいのか?
「景三郎の味方ではないのですか?以前、お城で話した時も、好きなようにせよと言われました。その時は、景三郎を救いたいと思っていたのです。今、私は景三郎を斬ると言いました」
「右京どのの好きになされば良い」
また言った。
「止めてみられよ。それが景三郎を救うことになると思うなら。・・・滅びゆく者にとって、救いとは、闇に葬られることではなく、正々堂々と勝負すること。その相手が強ければ強いほど良い」
「・・・」
式部に見据えられて言葉を失う。
殺気にも似た気迫が押し寄せてくる。
堪えるのに必死だった。
「右京どのが、その相手になるのなら、喜ばしいことだ。申し分なし」
背中を冷たいものが伝い落ちる。
式部の狙いはこれなのか。
「よく決心してくれた。景三郎は、町中に燻っていた火種にも火をつけたようだ。どこまで燃えるか、楽しみなことだ」
祝杯をあげるように、酒を注いだ盃を高く掲げた。
目覚めた時、毅八郎は屋敷に寝かされていた。
傷は深く、身動きできず、こんなにもどかしいことはなかった。
命があるだけでもありがたいと思うが、もう二度と刀が握れないのではないかとそれだけが怖かった。
誰かが部屋に向かって来る気配がして、毅八郎は半身を起こした。
夜具の上に起き上がるだけで、相当に気合が必要だった。
「そのままで良い」
服部半蔵が、気の毒そうな顔をして入ってきた。
「ご家老、恐れ入ります」
「なんだ。しおらしいではないか。さすがのお前も堪えたか」
苦笑している。
「ご家老こそ、こんなところへ、くたばりぞこないの俺を笑いに来られたのか」
「見舞いに来てやったのに、その言い草はなんだ。そんな口がきけるのなら心配いらんな。おりょうに感謝することだ。あのままでは確実にあの世だったぞ」
「はあ・・・まことに」
それはありがたいと思っている。
おりょうが来なかったら、とどめを刺されていただろう。
「亡霊のことは知っておるか」
不意に半蔵が言った。
「亡霊?」
「光徳院さまの亡霊騒ぎだ。まあ、寝ておっては知らぬのも当然だろうが・・・」
「光徳院さま!?・・・つっ!」
大声を出した途端に強烈な痛みに襲われた。
「あのガキ・・・」
半蔵の話に、海岸で見た景三郎の姿を思い出していた。
「ここから先、伊賀者は出さぬことにした」
唐突に半蔵が言った。
「え?・・・それはどういう」
「お前もそのつもりで。その様子では動きたくても動けんだろうがな」
「なぜだ」
わけがわからない。
半蔵が笑いを消して、声を低めた。
「もはや事は裏では扱えぬということだ。表に出てしまった。表で解決するしかない。・・・吉村どのの管轄だ」
ほっと胸を撫で下ろすような響きがあった。
「おりょうはどうするのだ」
伊織を殺すことに命を燃やしているような女だ。
「あやつ一人ぐらいならどうということもあるまい。手を引けと言ったら、嫌だと突っぱねられた。骨は拾わんと言ってある」
「表なら」
ふと思いついて言った。
「俺は、伊賀組の表の顔だ。動けるようになったら動いてもいいということだな」
半蔵が嫌な顔になっている。
だが、やがて、苦笑が滲んできた。
「そう言うと思ったわ。だが、それまでに終わっていなければの話だ」
「すぐ終わりそうなのか?あの色小姓に勝てなければ終わらぬと思うが」
「吉村の小倅が出てきた」
「ほう、面白くなってきたな」
藩校の道場でも指折りだという評判は聞いている。
「お前の出る幕は当分ない。養生することだな」
無情にも言い置いて帰って行った。
「夜分に恐れ入ります」
「なんの」
式部は酒を飲んでいた。
「右京どのも飲まれよ」
小姓が酒肴を乗せた膳を運んできて置いた。
美しい小姓たちが式部に酌をしたり世話をしている。
右京にも、酌をしようと酒器を取り上げて構えている。
「いえ、お構いなく」
右京は居心地が悪かった。
「何か火急のことでもあったのか」
「久松さまとおりいってお話ししたいと思っておりました。兄が一緒では話しにくいので」
「飲みながらではまずい話か」
「いえ、そういうわけでは・・・」
下がっておれと式部が言い、小姓たちを下がらせたが、式部と二人きりなのもまた、居心地のいいものではなかった。
式部が手酌で盃をあけた。
見入ってしまうほど、いちいちさまになっている。
「亡霊騒ぎのことは、お聞きおよびでしょうか」
右京は気を引き締めた。
「亡霊?町の噂など、それがしの耳に入ってくると思うか」
酒が入っているせいか、絡むような言い方になっている。
が、怒ってはいない。
こちらを試すような、からかうような視線が右京を捉えている。
「何があったのか、お聞かせ願えるかな」
「本当に何も存ぜぬと言われるのですね。景三郎のことです」
「ほう」
知っているのかいないのか、掴めない。
「光徳院さまの亡霊だと、町の噂になっております」
「なるほど。それで、久松が何かしていないか、探りに参ったということでござるかな」
目を細めて、すかすように見る。
「はい」
右京も負けじと見返した。
「これは面白い。それがしも加わりたいが、何もせぬ取り決めは守っておる。お疑いか?」
「早乙女伊織は、久松家の者では?」
「そうであったが、今はおらぬ。この屋敷に住むようになってから、己から出ていった。ここには奥がおるゆえ、居づらいのであろう」
「どこへ行ったかはご存知ないと」
「ああ、わからぬ。何も知らせては来ぬし、つなぎのしようもないでな」
嘘なのか、嘘ではないのか。
もう一杯手酌で酒を飲み、式部は笑い出した。
「亡霊か・・・その亡霊が何をしたと?」
右京はそのあらましを話して聞かせた。
式部はその話を、面白がって聞いていた。
「それで、右京どのはどうなさる」
その笑顔のままで問うてくる。
「止めます。場合によっては、・・・斬ります」
「ほう」
式部の目が一瞬鋭くなった。
「取り決めは、景三郎が、このまま何もしなければ、命は取らぬというもの。もはや、その約定は意味をなさない」
「さよう。もはや反故同然だ」
式部の笑みが不気味なものに変わった。
「右京どのの好きになさればよかろう」
「あなたは誰の味方なのですか?」
湧いてくる違和感の正体が掴めない。
式部はいったい何がしたいのか?
「景三郎の味方ではないのですか?以前、お城で話した時も、好きなようにせよと言われました。その時は、景三郎を救いたいと思っていたのです。今、私は景三郎を斬ると言いました」
「右京どのの好きになされば良い」
また言った。
「止めてみられよ。それが景三郎を救うことになると思うなら。・・・滅びゆく者にとって、救いとは、闇に葬られることではなく、正々堂々と勝負すること。その相手が強ければ強いほど良い」
「・・・」
式部に見据えられて言葉を失う。
殺気にも似た気迫が押し寄せてくる。
堪えるのに必死だった。
「右京どのが、その相手になるのなら、喜ばしいことだ。申し分なし」
背中を冷たいものが伝い落ちる。
式部の狙いはこれなのか。
「よく決心してくれた。景三郎は、町中に燻っていた火種にも火をつけたようだ。どこまで燃えるか、楽しみなことだ」
祝杯をあげるように、酒を注いだ盃を高く掲げた。
目覚めた時、毅八郎は屋敷に寝かされていた。
傷は深く、身動きできず、こんなにもどかしいことはなかった。
命があるだけでもありがたいと思うが、もう二度と刀が握れないのではないかとそれだけが怖かった。
誰かが部屋に向かって来る気配がして、毅八郎は半身を起こした。
夜具の上に起き上がるだけで、相当に気合が必要だった。
「そのままで良い」
服部半蔵が、気の毒そうな顔をして入ってきた。
「ご家老、恐れ入ります」
「なんだ。しおらしいではないか。さすがのお前も堪えたか」
苦笑している。
「ご家老こそ、こんなところへ、くたばりぞこないの俺を笑いに来られたのか」
「見舞いに来てやったのに、その言い草はなんだ。そんな口がきけるのなら心配いらんな。おりょうに感謝することだ。あのままでは確実にあの世だったぞ」
「はあ・・・まことに」
それはありがたいと思っている。
おりょうが来なかったら、とどめを刺されていただろう。
「亡霊のことは知っておるか」
不意に半蔵が言った。
「亡霊?」
「光徳院さまの亡霊騒ぎだ。まあ、寝ておっては知らぬのも当然だろうが・・・」
「光徳院さま!?・・・つっ!」
大声を出した途端に強烈な痛みに襲われた。
「あのガキ・・・」
半蔵の話に、海岸で見た景三郎の姿を思い出していた。
「ここから先、伊賀者は出さぬことにした」
唐突に半蔵が言った。
「え?・・・それはどういう」
「お前もそのつもりで。その様子では動きたくても動けんだろうがな」
「なぜだ」
わけがわからない。
半蔵が笑いを消して、声を低めた。
「もはや事は裏では扱えぬということだ。表に出てしまった。表で解決するしかない。・・・吉村どのの管轄だ」
ほっと胸を撫で下ろすような響きがあった。
「おりょうはどうするのだ」
伊織を殺すことに命を燃やしているような女だ。
「あやつ一人ぐらいならどうということもあるまい。手を引けと言ったら、嫌だと突っぱねられた。骨は拾わんと言ってある」
「表なら」
ふと思いついて言った。
「俺は、伊賀組の表の顔だ。動けるようになったら動いてもいいということだな」
半蔵が嫌な顔になっている。
だが、やがて、苦笑が滲んできた。
「そう言うと思ったわ。だが、それまでに終わっていなければの話だ」
「すぐ終わりそうなのか?あの色小姓に勝てなければ終わらぬと思うが」
「吉村の小倅が出てきた」
「ほう、面白くなってきたな」
藩校の道場でも指折りだという評判は聞いている。
「お前の出る幕は当分ない。養生することだな」
無情にも言い置いて帰って行った。
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