あんずの花

東崎 惟子@ 日曜西C24a

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五章

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 七月二十五日。
 『新着メッセージがあります』
 今日は動画が送られてきていた。
 動画の内容は想像がつく。悔しい気持ちはあるけれど、私の心はもう燃え尽きてしまっていた。私は、見せつけられるだけだ。鬼が桔梗を食べてしまうのを、見守るしかできない。
 私が弱ってしまうと、その分、奥底の欲望が強さを増す。力強く胎動して、私を押し退けようとする。欲望は、桔梗からのメッセージを楽しみにしていた。今日はどんな艶姿を見せてくれるのかと、下卑た忍び笑いをしている。
 機械的な所作で、指が再生ボタンに触れた。
 動画のサムネイルが拡大される。再生が始まる。  
 映し出される桔梗の死体。カメラの位置は固定されているようだ。
 桔梗は椅子に座らされていた。顔を残して上半身の肉は無くなっていた。肋骨と脊髄の向こうに、椅子の背もたれが見えた。
 半分食われてしまった。半分も。
 体の芯が震えた。奥底に封印されていた真っ赤な感情が息を吹き返す。それを抑え込む気力がない。
 桔梗の表情はやはり眠っているように穏やかだ。
 着物の女が画面に入ってくる。鬼は、座る桔梗の前に膝をついた。
 鉤爪のように歪な指が、桔梗の白い太ももに触れ、肉に食い込む。桔梗の太ももを押し上げる。片足が持ち上がってはしたない格好になる。白い肉の上を短いスカートがずり落ちて、下着が顔をのぞかせた。
 鬼の顔が桔梗の足の付け根に近づく。真っ赤な舌を出し、蛇のように鼠蹊部を這う。透明な粘液がてらてらと肌を光らせる。
 心音が高鳴る。熱い血液が頭にどばどば送り込まれる。私の奥で蠢く者が喜んでいるのがわかる。
 これは、まずい。
 昨日までとは比較にならないほどに、これは蠱惑的に映る。
 そうわかっていながら、私は目が離せない。
 鬼の舌が動く。
 桔梗のショーツと肉の間に滑り込む。真っ赤な唇がショーツを押しのける。続けて、大きく開かれた口が桔梗の秘裂に押し当てられた。
 私の喉の奥から唾液が溢れてくる。口いっぱいで桔梗の味を想像してしまう。
 水音が聞こえる。画面から卑猥で下劣な音が、繰り返し聞こえる。食べやすくなるよう、入念に、丹念に、魔女は桔梗をほぐす。べちょべちょにして、びちゃびちゃにして。ふやけて柔らかくなるまで。
「は……はぁ──はあ……」
 胸が苦しい。頭が痛い。心臓が破裂しそうだ。
 今までになく、潜む者が興奮している。頭の中がどす黒い赤でぐしゅぐじゅになる。乱れ、暴れ、溢れる貪欲の深紅色。頭蓋骨が割れてしまいそう。脳が潰れてしまいそう。私の理性は隅っこでちいさくなっている。
 深呼吸で心を落ち着かせる余裕などありはしない。加速度的に血流が強くなる。心臓はどす黒い血液を大量に全身へと供給し続ける。特に下腹への血流の流れは強かった。
 ぶちり。
 肉に歯が突き立てられる音が携帯から聞こえた。ひとつの肉が二つの分離する小さな音。私の脳に残響する。
鬼の頭は桔梗の足の間に埋められている。
 くっちゃくっちゃ。
 水音と似ていながら、致命的に違う音。柔らかな肉を奥歯で繰り返しすり潰す音。
 想像する。
 鬼が今何を食べているか。
 ワクワクする。
 早く見せてほしいと訴える。
 鬼が振り向く。
 カメラを見て、嗤う。
 真っ赤な口を逆さの三日月のようにして。
 喉が蠕動する。
 桔梗が嚥下される。
 口の端から垂れる赤。
 桔梗の下腹。
 滴り続ける赤の蜜液。
 溢れ続ける紅の愛液。
 大きく開かれた傷口。
 私の指が勝手に動く。
 右の指は下着の中に。
 左の指は口の中に。
 携帯は岩の上に置かれている。
 動画を見ながら指を動かす。
 私は、打ち上げられた海老のように体を丸め、自分を慰める。 
 指を噛み、肉の触感と血の味わいを愉しむ。
 昔、何かの本で読んだ。
 食欲と性欲は近い位置にあるのだと。
 だから、現状では逆立ちしても埋められない食欲を満たすために、欲望は代替案を選んだのだ。弄れば弄るほどに、一応、満たされてはいった。
 もはや、悔しさも悲しさもない。
 快楽に身を悶えさせる自分を浅ましく思う気持ちもない。
 自分の桔梗への思いはこの程度だったんだなと、考えるだけだ。
 たくさんの視線が私を見ていることに気付いた。昨晩見かけた幽霊たち、坊主頭の少年もいた。
 今晩の彼らの目には同情の念はなかった。あるのは怯えるような敵意。
 知ったものか。
 ぷちゅり。
 画面の中で一際大きな飛沫が跳ねた時、喉奥は打ち付けられる桔梗の体液を連想した。指を思い切り噛む。肉を断裂させる歯ごたえを感じる。後からじわじわと追いかけてくる鉄の味。口の端から、血がこぼれた。戦慄めいた快楽が背筋を走る。
 身体は絶頂に達した。
 目が熱い。涙が出てきてる。だって、
 どうしようもないほど気持ちがいい……。
 ほんの一瞬、ほんの一瞬だが、
 私は確かに思ってしまった。
 ――この女さえ食えれば、他に何もいらないと。
 ……しばらくは動けなかった。力尽き、石の上に横たわる私の体はときどきぶるりと震えて喘いだ。快楽の余韻が時間差で襲ってきて、立ち上がることができなかった。
 身体を休ませて、自由が戻ってから、私は幽鬼のように立ち上がり捜索を再開した。
 それまでのようながむしゃらなものではない。ただ、気ままな散歩のように足に任せて歩くだけだ。けれど、もうそれで十分だった。
 私を囲っていた目玉たちは、とっくに散っていて、二度と現れることはなかった。


 空が鮮やかな薄紫に染まり、木々の間から幾重にも斜光が交差するようになった頃。
 私はその道を見つけた。
 混じり気のない自然の中で、そこだけ明らかに何者かの手が加わっていた。でなければ、何本もの木々が緩やかに曲がり、枝を絡ませ、アーチを組むなどありえないだろう。異界への門と呼ぶにふさわしい威容だった。
 覗き込む。長い薄闇が続いている。絡み合った枝々をくぐり抜けた日光が、ところどころに斜めの柱を作っていた。
 ずっと探し続けていた入り口を見つけたというのに、私の中には何の感慨もなかった。あるのは、せいぜい、「ああ、着いたな」という程度の無色の感想だけだ。
 門をくぐる。
 歩を進める。歩いて歩いて、歩いて歩く。道は果てしなく続いた。歩けど歩けど、果てが見えない。振り返れば、入り口の光もとっくに後ろに行ってしまって見えない。
 先に進む。けれど、同じ景色が繰り返されるばかり。このまま山を抜けてしまうのではないか。否、それならまだマシか。このまま無限に木々のアーチを歩かされ続けるのではないか。
 時間の感覚がめちゃくちゃになった時、ふっと視界が開けた。左右にあった深緑が消え、草原のような場所に出た。木々に囲まれた円形の広場。その中央にそれは鎮座していた。
 古めかしい異人館。
 薄汚れた石造りの壁を、おびただしいほどの蔦が覆っている。
 館はあの夏と同じように夕日を受けて赤く染まっていた。そんなに長時間、アーチの道を歩いていたのだろうか。あるいはここは、いつだって逢魔が時なのか。
 木製の扉の前に立つ。手で押すと微かに動いた。鍵の類はかかっていないようだ。力を込める。軋むような音を立てて観音開きの扉が開いた。
 中は薄暗いが、歩けないほどではない。真夏の密室だったろうに、いやに涼しい。
 懐かしい空気だ。
 この懐かしさは、九年ぶりに来た故か。
 うん、そうだ。
 でも、そうじゃない。
 だって、なぜだろう、この懐かしい感覚を一言で表すと。
 『ただいま』だったから。
 桔梗が屋敷のどこにいるか。私には手に取るように分かった。
 九年前、私が潜んだ部屋だ。
 広間の大階段を登り、細長い廊下を歩き、無数の扉のうちの一つの前で立ち止まる。
 ここにいる。
 彼女が、桔梗が。
 汚れひとつない銀色のノブを握り、扉を開けた。
 あの夏に見たのと、寸分たがわぬ光景が広がっている。漫画の中でしか見たことないような大きなベッドには天蓋がついていて、見事なレースで飾られている。
 豪奢な寝具の上に、女。
 ほっそりとした腕、白い指。豊かな胸に、くびれた腰。足首は細いくせに、太ももから尻にかけては肉付きが良くてそのギャップが眩しい。
 榊場桔梗。
 五体満足で、ちゃんと肉がついていて、生きている桔梗がそこにいた。
 けれど、私の目は。
 桔梗よりも、別のものに奪われていた。
 退屈そうに揺れている桔梗の足。
 その爪先が指す物体。

 ――ゴミのように転がるシャレコウベ。

 頭に大穴を開けた、小さな頭蓋骨。
 東雲あんずの奥底から、私が思い起こされた。

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