いつか遠くへ

こいちろう

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 社内で暑気払いの飲み会をしようという話が出たのが一昨日の夕方だった。アフターファイブを呑み仲間と楽しんだ時代もあったが、齢を取るにつれ、退社後はなるべく早く家に帰りたいと思うようになってきた。しかし、この茹だるような連日の暑さだ。その中、節電のため気持ち程度の冷気しか感じさせない位の温度設定、そんな職場環境に耐えながら愚痴も零さず頑張ってくれている同僚たちを慰労したい。そういう気持ちで、今日は付き合うことに決めた。
 駅前の商店街は、夕時の買い物客と帰宅を急ぐ乗降客とでごった返していた。アーケードの入口に立派な提げものの七夕飾りが一本。特別に目を引く派手な提げものだ。そのすぐ下でわが社の武田くんがそれを見上げている。この春、庶務課に配属された新人だ。目立つ存在ではないが、礼儀正しい好青年だ。立ち止まって、微風にそよいだ吹き流しを、うれしそうな表情で見上げていた。こんな嬉しそうな顔の武田くんを見たことがなかった。
 やあ、と通りすがりに声を掛けた。
「此れから飲み会だな」
すると、驚いた表情で会釈を返し、そそくさ駅の雑踏に消えていった。突然声を掛けられて気まずかったのだろうか。

 永田庶務課長がなにやらニヤニヤしながら出迎える。
「本部長、今日は赤いチャンチャンコも用意しておりますので、あとで着けていただきますよ」
「おいおい、そういう会じゃないだろう。人の還暦を山車にして、暑気払いの飲み会をしようなんていうのはあまり良い了見じゃないぞ。人をそんなに年寄り扱いしないでくれよ。俺の人生まだこれからだと思っているんだから」
「そうです、そうです。本部長はまだまだお若い。これから先もずっとお元気でいて頂かなくては」
 庶務課長の用意した宴会場は、会社とは駅をはさんで反対側にあたる南口商店街の一角にあった。
「今日は何人かの有志が集まっての暑気払いじゃなかったのか?ビアホール辺りでゆっくりと外呑みを楽しもうと思っていたんだが、これはまたえらく畏まった料亭じゃないか」
 幾つかの円卓を囲んだ立食形式だが、庶務課長の促すまま宴席の前に拵えられた座席に座らされる。念の入ったことに、座布団まで赤拵えだ。ざっと見たところで五十人以上いるだろうか。おまけに、つい先ほどまで会議で隣席だった社長までが顔を見せていた。
「おいおい、これは一体何事だ」
「実は、社内の有志で本部長の還暦を祝う会を開こうと声をかけたところ、流石本部長、予想を超えた多数の出席がありましてね。日頃のご人徳によるものと、幹事の私としましても準備のやり甲斐がございました。営業の方々は少し遅れてくるようですから、まだまだ増えますよ」
 そうだったのか。今の今までちょっとした暑気払いの会としか思っていなかったのだが、
「そうか、そんな絡繰りになっていたんだ」
とうとう私も定年が間近くなったということか。
「何も還暦などを改まって祝ってくれなくても」
そう思いながらも、同僚の心遣いにふと熱いものが胸にこみあげてくる。  
 それにしても赤い座布団はどうも収まりが悪い。こんな席から立食の皆さんをじっと眺めていたのでは申し訳ない。
 両サイドに料理ポートとバーがある。直ぐに立ち上がって、自分の飲み物を受け取り、近くの円卓を囲んだ仲間に加わった。
「しかし、ここいら辺の七夕飾りは随分賑やかだね。アーケードの中いっぱいに提げ物が垂れ下がっている」
「丁度夕刻でしたから、買い物をする人と帰宅中の人とで、商店街はごった返していましたね。年々七夕飾りも派手になってきて、中にはちょっとこれは行き過ぎじゃないかというようなボンボリも吊るされておりましたが…。つい先月開業したスカイツリーに因んだような飾り物も早速お出ましだ」
隣合わせた杉原次長が相槌を打つ。
 三十年ほど前、この地に本部社屋を移転した頃は郊外の新興住宅地に過ぎなかったが、今ではもう立派な都会である。この商店街の七夕祭りもまだ歴史は浅いが年々賑やかになってきた。
「客寄せで始まったこととはいえ、随分派手になってきたなあ。最近では、彼方こちらの駅前で、同じような七夕飾りを見かけるようになってきた。賑わっているのは結構なことなんだが、私なんかは昔ながらの竹飾りが一本軒下に垂れてる方が余程風情を感じるんだがね」
「本部長、うちの社もアーケードの入口に一本、特別に派手なボンボリを提供しておりますので、あまり否定的なことはおっしゃらないでください」
テーブル周りの気配りに余念が無い永田課長が口をはさむ。先ほど武田くんが見上げていたあれだ。どうやら庶務課が拵えたボンボリらしい。
「でも、あちこちの町で七夕祭りを見かけますが、確かに何れも派手さばかり競い合っているようだ。昔のような笹飾りは少なくなりましたなあ」
近くに居た宮本部長も話に加わる。
「提げ物の七夕が全国を席巻しちまったんだろうな。まあ、これはこれで結構な見ものだけれどね」
「田舎は寧ろ旧暦でやるところが多いですよね」
酌をしにきた経理課長が間に入ってお国自慢を始めた。
「私の里では提灯七夕といって、丸提灯を竹竿にたわわにぶら下げて、通り一帯に飾り付けます。夜になるとその提灯の蝋燭に火が灯りましてね。それが竹の枝先でゆらゆらと揺らめいて、行き交う人の陰と相まって実に幻想的なんですよ。ボンボリ飾りとはまた違った風情がある」
「うちの里には七夕神社というのがあって、昔から賑やかな七夕祭りをやってたんですが、最近では恋人の聖地とか言われて全く違う祭りになったみたいですよ。全国から若いカップルが大勢やって来るらしくてね」
宮本部長も負けじとふるさとの七夕を自慢する。少しの間七夕祭りで話題が広がった。

 やがて年配の集まりらしい話題に移っていく。
「ところで、宮本さんのお嬢さんは近々ご結婚だそうじゃないか」
「ええ、とうとうこの度その運びとなりましてね」
「そりゃ目出度い話だ。うちにも娘がいるが、これが三十を過ぎても未だに嫁に行かないんだ。行かないというより行く気もないのじゃないかと思う。父親としては、いずれ行くものなら早く行って欲しいと思うんだがね。まあ、嫁に行けっていうのは、近頃じゃ禁句になってるらしいが…。でも、縁付くというのは何にしてもお目出度いことだ。もう度々聞かれたことだろうとは思うが、花嫁の父というのは一体どんな気持ちなんだね?」
「それがですね、今はさばさばした気持ちというか…。実は相手というのが娘より十二歳年上でして、七歳の連れ子がいる再婚者なんですよ。最初聞いたときなんか、もう家内と二人して気持ちの整理が着かないで、家に連れてきても絶対会うものか、と思っていました。ところが、娘の手前顔を合わせてみると、これが意外と理屈の通った真面目な男なんで、反対する理由が自分の頭の中で薄れてきましてね」
日頃は飄々とした宮本部長の表情が少し寂しげにみえる。
「でもね…、親なりに矢張り随分と自問自答を繰り返してきたんですよ。簡単に前の奥さんと別れるような男が、果たして娘を幸せにしてくれるのか。ましてや子供までいるのに、親としても無責任だろう、とね」
ちょっと話が深刻な方へ向かいそうだ。
「どんな理由があれ、女房子供を守っていくのが男ってものでしょう。私の考えが古めかしいのかも分かりません。でもね、一度所帯を持ったら、例えどんなことがあっても一生添い遂げる。子どもだっているんだ。何事もじっと我慢して堪える。それが夫婦であり、親というものでしょうが。それが今の若い連中ときたら、夫婦としての、親としての責任なんて頭にない。男も女も自分の生活が第一だ。苦楽を共になんて気持ちなんかこれっぽっちもない。楽な方に逃げてしまうんですよ。そんなやつが多すぎるんだ」
 横から杉原次長が割って入る。
「そうそう、最近はまるでゲーム感覚で結婚をするんだから。確かに、夫婦なり親子なり、一緒にいれば大変な所は沢山ある。でも、それを堪えて家庭が成り立つんだ。まあ、あんまり若い人たちには聞かせられないが、結婚てのは互いの辛抱だよ。辛抱が肝心だ。昔は嫁に行く娘に短刀を渡して、三行半を突きつけられたら、胸を刺してその場で果てよ、と教えたもんだ」
社内では若手に人気の次長だが、何とまあ古風なことを仰る。
「おいおい、杉原くん。そりゃああんまり飛躍しすぎだろう。でもな、俺だって自分の娘に置き換えて考えたら、同じようなことを思ったかも知れないなあ。しかしねえ、今の人に我慢をしろと言うのは土台無理な話じゃないかな。人それぞれだが、別れるにはそれなりの理由もある。要はこれから二人がどんな生活を送っていくかだ。親としてはただそれを見守ってやるしかないんじゃないのかな」
少し酒も回ったようで、気持ちが高ぶってきた同輩たちを宥めて、私はそういった。
「そうなんですよね、きっと。杉原さんが言われたように、私も二人を前にして、ゲーム感覚の軽い気持ちで一緒になるのなら許せないと思った。ただね、会って婿殿の話を聞いていると、これが憎めない、潔くていい男なんですよ。離婚した理由を聞いてみたが、元の奥さんの悪口など一切言わない。男として自分が未熟で到らなかったということだけ言うんだ。家庭を顧みる余裕がなくて申し訳なかった、とね。そういう健気なことを言う婿殿を見ていると、悔しいけれど、わが娘の男を見る目を信じるしかないと思った訳ですよ」
「そうか、結局はそういうことなんだろうな。親としては娘の選んだ伴侶を信じて、応援してやらなければいけない。信じてやるしかないか」
私はわが娘を思いつつ、やや切ない気持ちになりながら、宮本部長に酒を勧めた。
 既に、円卓ごとにそれぞれが盛り上がっている。
 そうそうこれでいいのだ。今日一日、みんなサウナの中にいたような梅雨のさなかの一日だったのだ。暑気払いの会なのだから、下手に気を遣われたんじゃ居辛くなる。じめっとした空気など吹き飛ばして、それぞれで気軽に楽しめばいいのだ。


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