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忙しく彼方此方の円卓を回っていた幹事の庶務課長が、料理ポートの端っこで、一人の女性社員を相手に頻りに文句を言っている。
「武田君は結局帰っちゃったのか。こういうときこそ庶務課の出番なんだぞ」
「だって彼を止めることは出来ませんわ。典型的な五時まで人間ですもん」
「困ったもんだ。いくら五時から自由のご時世とは言っても、周りに少しは気を遣うことが出来ないものかね」
「あら、彼ほど周りに気を遣ってる社員はいませんわよ」
西岡という女性社員は頻りに武田君をかばうように言う。
武田君は確かに少し変わっている。いや、仕事は良く出来るらしい。でも、社内ではちょっと変わった新人だという噂を耳にする。
「武田君ならさっき此方に来る途中見かけたが、どうかしたのかね」
私が口をはさむと、待ってましたというように、庶務課長が日頃の不満をぶちまける。
「全く困ったもんなんですよ。一日中、パソコンに向かったきりなんです。それはいいにしても、周りと何一つ話すこともない。時間になったら直ぐ帰る。今日だって、
『今夜はうちの課が接待役の大事な会だから、ちゃんと手伝えよ』
そう言ったんですよ。こっくり頷いたんだ。分かったのかなと思ってたら、どうもさっさと帰ったらしい。そりゃ、時間外だから無理強いする心算はないですけどね。でも、その辺のところは社会人ならちゃんとわきまえて、周りに合わせてくれなくちゃ」
「永田課長、お言葉ですが、今の時代そのお考え自体がパワハラですよ。武田君は彼なりに周りに気を遣ってるんですから」
「おいおい、パワハラなんてそりゃちょっと酷いよ、西岡主任。俺はそんな心算で言ってる訳じゃないんだぜ」
「庶務課長さんの気持ちもよく分かるが、今のはやっぱりパワハラになるのかな。暑気払いの一寸した会だろう。勤務外のこうした会を手伝えなんて、上司の君が言っちゃあいけないご時世だ。なんてことを課長さんに言ったら、今度は私がパワハラだと言われそうだがね。参加できる者だって出来ない者だっている。それでいいんだよ。せっかく庶務課の皆さんで考えて準備してくれた宴席だ。運良く参加することができた事に感謝して、此処にいる者で気楽に楽しませて貰おうじゃないか」
「そうなんですよ本部長。それくらいの気持ちで付き合うのが、武田君には丁度いいんです。私なんかいつも武田君と課長の間に挟まって、本当に窮屈な想いをしてるんですよ。武田君よりも私に対しての方がよっぽど酷いパワハラ」
今度は西岡女史が愚痴を言う。
「えっ、ぼくが一体いつ君にパワハラをしたんだよ。いつだって、君のことは仕事の出来る女性だと尊敬しているんだ。四月に武田君のことを宜しく頼むと君にお願いしたのはだな、君のことが一番面倒見の良い女性だと思ったからなんだぜ。頼むよ、西岡女史」
「ほらほら、今度はセクハラですか。こんなことで、女性も男性も関係ないじゃありませんの」
「えっ、今度はセクハラかい。そりゃあ、あんまりだ。ぼくばかりが損な役回りかよ」
「おいおい、そんなに揉めることもないだろう。発端は、武田君がこの場に来なかったことだ。来なかったのか来れなかったのか知らないが、でもどっちでもいいことじゃないかな。武田君だって都合があるんだ。全員参加の会である必要もないし、ここに居る皆さんが気持ちよく過ごせれば、それでいいんじゃないのかね」
「申し訳ありません。主賓の本部長に逆に気を遣わせてしまいまして。そうですそうです。今日は有志の皆さんに楽しんでいただく会でした」
「本当に申し訳ありません、本部長さん。別に私だって、何時も永田課長に不満を感じてる訳ではないんですよ。むしろ、パワハラもセクハラもない、物わかりのいい素敵な課長さんだと思っているんですから。ねっ、課長」
何とか二人の言い合いは収まった。
「しかし、武田君はそんなに職場で浮いてるのかね」
そう問いかけると、西岡主任が応えた。彼女も永田課長以上に武田君のことをハラハラしながら見てきたようだ。
「浮いてるってわけでもないんですが。周りの者がちょっとばかし気を遣わなきゃいけない存在ではあります」
「周りが気を遣うか…。どんなことで?」
「彼は几帳面な性格なんです。朝八時半丁度に出勤して、直ぐに机の上を綺麗に拭き掃除。机の脚も椅子の脚も綺麗に拭いて、自分の周りの床も力を込めて磨き上げる。それからパソコン。開いたら直ぐ自分の仕事に取りかかる。会議の資料だって書類の作成だって、何だって早いんです。能率良く、テキパキと処理していく。一切脇目も振らず、中座もせずに集中してやるんです」
「いいじゃないか。何が問題なんだ?」
「十二時になったら途端に止めて、黙って何処かに行っちゃう」
「だって昼休みだもの、いいんじゃないのかね。時間内にそれだけ集中できてるってのは感心な新入社員じゃないか」
「そうなんですけどね。昼休みが終わるでしょ、一時きっかりに席に戻ってきて、また黙ったまま仕事です。三時になって十五分の休憩もとらない。ちょっとのコーヒータイムもない」
「おいおい、それは周りで注意してやらないと。若い人は休みの取り方に慣れていないんだ。周りで注意して、休めるときにしっかり休ませないとオーバーヒートしちゃうぜ」
「そこなんですよ。私も何度も言いました。ちょっと肩の力を抜こうって。でも、笑って頷くだけでパソコンから目を離そうとしない。そして夕方終業のチャイムと同時に、バッグをつかんでまっすぐ階段に向かう。彼は絶対階段派なんです。六階なのに絶対エレベーターを使わない。上がるときも降りるときも絶対階段なんです。一目散に誰もいない階段を駆け下りていっちゃう」
「聞いてると、普通に真面目な社員じゃないのかね。疲れが溜まらないか心配だが、ちょっと変わってると言ってもそんなに問題にもならない」
「そう思うでしょう」
庶務課長が割って入ってくる。
「最初は私もシャイな若者だが、やることはきちんとやれる人間だ。そう思っていました。ところが、全く声を聞いたことがないんです。三か月を過ぎて未だにですよ。パソコンから離れて、急ぎの作業を手伝って欲しいと頼むと、頷きはするんだけど一向に手を付ける気配がない。会議用の資料を纏めるだけの作業なんですよ。
『此れを此れ此れこうして、ホッチキスで止めてくれればいいんだよ』
繰り返して何度も頼むと、そのうち私がそばに行っただけで、頭を抱えこんでうずくまってしまう。単純な作業が余程嫌なのだろうと思って他の人に割り振ると、すぐに頭を起こして平然と自分の仕事を続けている。つまり、仕事をしているのは最初に教えたパソコンに打ち込むことだけ。同僚とも話したことがないみたいだし、気持ちが全然分からない。あるとき、入社試験の面接の様子を知っている者に聞いてみたんだけれど、
『ふつうにしゃべってましたよ』
そう逆に怪訝な顔をされて、彼のことが全く理解不能になった。まあ、時間通り出社して、時間いっぱい自分の仕事をしている訳だから、それでいいかとは思うのですが」
「課長さん、報告し忘れていましたが、以前昼休みのこと武田君のお母さんが部屋を覗かれて、
『ちょっと変わった息子ですので、皆様に心配をおかけしているのではないかと思います。どうぞ今暫くは様子を見てやってください。慣れるまでに人一倍時間のかかる性格なのです。気に障ることもおありでしょうが、決して、手のかかるようなことは致しません』
そうおしゃったんですよ。今思えば、その通りだなという気がします。お母さんが気になさるくらい、子ども時分から人間関係が難しかったんだろうなとね。彼は彼なりに目一杯、職場の中で気を遣っているんです。昼休み、何処に行って何をしているかご存じですか?跨線橋の歩道から下を見下ろしているんです。快速や特急が走るとき、ゴーッとうるさい音が出るでしょ。それに合わせて、『わーっ』って、大きな声で叫んでいるんです。何度も何度も、電車が通るたびに大声を張り上げて叫んでるんですよ」
「えっ!そんな奇行があったのかい。そりゃあ知らなかったな」
「奇行だなんて簡単に片付けないでください。彼は昼休みまでずっと我慢してるんですわ。休み時間になったらすぐに会社から離れた所に行って、そうやって大声を出して、心に溜まったものを吐き出しているんだと思います。社内では随分我慢してるんですよ。だから、私はあんまり彼を責める気にはなれないんです」
「成る程、新入社員が自分の気持ちを先輩に言うのってなかなか難しいものな。彼の場合、周りに伝えることができず、心の内に閉じこもってそうやって外に行って吐き出してたんだ」
私は、ふと自分の若い頃のことを思い出したりした。
「武田君には時間が必要なんだよ。社内の空気に馴染めるのはまだまだ先になるのかな。でも、必ず彼も大切なうちの一員になってくれる。それまで、周りで温かく見守っていこうじゃないか。若い人を育てて行かなくちゃ会社の将来はないよ。西岡さんはよく気づいたね。これからも武田君のこと、宜しく頼むよ」
そうか、そういうことだったんだ。私は少しほっとした。
後ろの円卓には若手ばかりの集まりがある。おや、杉原次長が中にいる。それも若い女性の真ん中だ。私とそんなに変わらない年配だが、彼は日頃から若い社員によく囲まれている。特に話がうまいという方ではないし、風采も私同様の老け顔だ。普段の古臭い話し方だって、左程違うとも思わないのだが。
「そりゃあ沢山の若い子が集まってステージいっぱい踊り回るってのは、華やかで見栄えはいいと思うよ。でもさ、じっくり歌を聴かせるって雰囲気じゃあないんだよな。心に響く歌ってのは矢っ張り昔ながらの演歌だね」
おやおや、先ほどの古風な話と全く中身が違うじゃないか。
「あら、次長さん。じっとマイクの前で立ったまま歌を歌うんじゃ、スマホで聞いてるのと変わりないじゃないですか」
「あんなちっちゃいスマホとは全く違うだろう。まあ、君たちはテレビで歌番組を観る世代じゃないのだろうけど」
「テレビだってなんだって、映像で見せようと思ったら、やっぱり激しい動きが必要だわよねぇ」
「激しい動きねえ。でもあれだけの人数でステージ中を走って踊り回るんじゃ、まるで運動会のマスゲームを観てるようなものじゃないか」
杉原次長はそう言って、ビールビンを片手で持ち上げ、ぐるっと一回りしてみせる。さっきは、嫁に行く娘に短刀を持たせるなどと時代錯誤なことを言っていたのにだ。
若い世代の中に入れば、こんな風に戯けてみせる気持ちの切り替えが、彼の人気の秘密なのだろう。
「確かに見た目には今の人たちみたいに派手に踊り回って歌を歌って、観客も一緒になって真似をして、みんながいっぱい汗をかいてる姿はいいのだろうよ。でもな、アーケードいっぱいのたなばた飾りの提げ物も賑やかで華やかだけど、我が家の軒先に立てかけた、孫がばあさんと二人で拵えた笹の葉飾りもいいもんだぜ」
「お孫さんと一緒に七夕飾りを拵えられるなんて、次長さんのご家族って素敵ですね。私たちだって、昔からある七夕の飾り付けを決して否定する訳じゃないんですよ」
「それはそれで私たちも大好きですわ。心に染みるようなまるで絵本の中みたいな世界だもの。でも、みんなが集まってときは盛り上がりたいじゃないですか。みんなで街中を飾り付けて、集まった人みんなで楽しむ。歌だって、みんなで歌って踊って、一緒になって思いっきり盛り上がる。それが楽しいんですよ」
「みんなで一つの歌を歌って、みんなが同じように踊ってるようですけどね、でも、ちゃんと一人ひとり違ってるんですよ。みんなそれぞれがいろんなパフォーマンスを見せてくれているんですよ。あのグループには、ちゃんと一人ずつの個性があるんです」
「沢山で騒いでるだけだなんて、うちの親なんかも言いますけど、よく見るとみんな違った踊り方をしてるんですから。一人ずつの声がちゃんと自分を主張しながら伝わってくるんです。みんな違ってそれぞれ個性があって、一生懸命声を出して、汗いっぱいに身体を動かして、でもみんなでステージいっぱいに盛り上げる。だから見ているとじーんと伝わってくるものがあるんです」
「そうか、個性か。そうだよなあ、個性ねえ。それは素敵だな。やっぱり一人ひとりの個性が大事なんだよな。そうやって君たちが嬉しそうに話題にしているのを見ていると、うらやましい気にもなるんだ。今の人たちはみんな個性が強いものな。年を取ると、そういう熱いところが段々と冷えて無くなってくるんだよ。寂しいぜ」
個性、そう強調しておいて、最後は若い社員たちに花を持たせる。この掛け合いの間の良さが、若い人と上手くやるコツだ。杉原次長だから出来るのだ。
「今日は本部長さんの還暦祝いだけど、俺もあと少しで還暦なんだ。最近は段々気持ちが冷めていくのが分かるんだ。一緒に自分の個性も冷めていくような淋しい気持ちになってね。この間、家で留守番してるとさ、買い取り専門の店から電話がかかってきたんだ。何でも買い取りますっていうから、
『それじゃあ俺の年を買い取ってくれよ。半分の三十年を大負けで三万円でどうだ』
そう冗談で言ったんだ。そうしたら、流石商売人、
『それでは旦那さんの産まれてからの三十年分を頂きます。若い頃の思い出が全部消えたらそれは寂しいもんですよ』
だってさ。これは一つ取られたなって、大笑いさ」
「それって、最近よく聞く買取詐欺ってやつ。あんまり相手にならないほうがいい奴ですよ」
「でも、次長さんって、家でも楽しい方なんですね。全然冷めてなんてないですよ。お気持ちがまるで若い者に負けてないじゃないですか」
こういう古臭いジョークも結構受けている。
個性か。今の若い社員は、我々の世代よりずっとしっかりした個性があるじゃないか。次長はそれと気付いて何気なく若い連中を鼓舞しているのだ。だから次長は、何時までも若くて熱い気持ちで居られるのに違いない。
この春、広島の営業所から転勤してきた佐々木がビールを注ぎに来る。以前から声をかけてみたいと思っていたのだが、なかなかその機会がなかった。
「佐々木君は瀬戸内の出身だったかな」
「そうです」
「そうか、いい所だね。瀬戸内のどの辺りだい?竹野とは近いのかね」
「はい、竹野町は隣町でしたからよく知っています。私は三年間竹野の高校に自転車で通っていました。本部長は竹野のことをご存じなのですか?」
「ああ、そうそう。知っているって程ではないがね…。随分前だったな、偶々あの辺りに行ったとき、竹野の駅前で一寸した七夕まつりをやっててね」
「ああ、駅前の七夕ですね。地域の人たちだけの小さな七夕なのに、またよくご存じですね。今は竹灯籠まつりというイベントの方が少しは知られているのかな。駅から少し離れたところにある古い街並みの保存地区で、毎年五月にやっている独特な竹まつりですが」
「そうそう、そういえば歴史を感じさせる街並みだったなあ。いやなに、昔立ち寄ったことがあってね、七月の初めだったかな。その時が丁度七夕祭りで、駅前の七夕飾りがきれいだった。もう三十年程前か。今の君くらいの年頃だった。その一度行ったきりだけれど。そうそう、駅前にみわ屋という喫茶店があってね、そこでお好み焼きをご馳走になったんだ。知らないかな?」
「みわ屋ですか。あの辺に喫茶店なんて気の利いたものがあったかなあ。駅前から少し離れた所に、同じみわ屋という名前で郷土料理の居酒屋がありますけれど」
「そうか、喫茶店というか、大きい鉄板があって、お好み焼き屋といった方が良いのかな、ちょっと変わった店でね。ひょっとするとその居酒屋に変わったのかもしれないな」
懐かしそうに話している私を見て、すっかり赤ら顔になった宮本部長が口を挟んできた。
「そういえば、本部長さんは昔からよく瀬戸内のことを話題にされますよね。何か瀬戸内に特別な想いでもおありですか?」
宮本部長は、一年だけ遅れて入社した昔からの仲だ。私の想いをほぼ察しているのだろう。
「そういう訳でもないんだが…。でも、リタイヤしたら、車でゆっくりあの辺りを旅してみたいという気持ちはあるな」
そうだ、私はずっとあの静かな瀬戸内の光景を心に秘めていたのだ。
佐々木君と話すうちに、一度きりしか行ったことのない彼の地を想い、堪らない郷愁に襲われた。
「武田君は結局帰っちゃったのか。こういうときこそ庶務課の出番なんだぞ」
「だって彼を止めることは出来ませんわ。典型的な五時まで人間ですもん」
「困ったもんだ。いくら五時から自由のご時世とは言っても、周りに少しは気を遣うことが出来ないものかね」
「あら、彼ほど周りに気を遣ってる社員はいませんわよ」
西岡という女性社員は頻りに武田君をかばうように言う。
武田君は確かに少し変わっている。いや、仕事は良く出来るらしい。でも、社内ではちょっと変わった新人だという噂を耳にする。
「武田君ならさっき此方に来る途中見かけたが、どうかしたのかね」
私が口をはさむと、待ってましたというように、庶務課長が日頃の不満をぶちまける。
「全く困ったもんなんですよ。一日中、パソコンに向かったきりなんです。それはいいにしても、周りと何一つ話すこともない。時間になったら直ぐ帰る。今日だって、
『今夜はうちの課が接待役の大事な会だから、ちゃんと手伝えよ』
そう言ったんですよ。こっくり頷いたんだ。分かったのかなと思ってたら、どうもさっさと帰ったらしい。そりゃ、時間外だから無理強いする心算はないですけどね。でも、その辺のところは社会人ならちゃんとわきまえて、周りに合わせてくれなくちゃ」
「永田課長、お言葉ですが、今の時代そのお考え自体がパワハラですよ。武田君は彼なりに周りに気を遣ってるんですから」
「おいおい、パワハラなんてそりゃちょっと酷いよ、西岡主任。俺はそんな心算で言ってる訳じゃないんだぜ」
「庶務課長さんの気持ちもよく分かるが、今のはやっぱりパワハラになるのかな。暑気払いの一寸した会だろう。勤務外のこうした会を手伝えなんて、上司の君が言っちゃあいけないご時世だ。なんてことを課長さんに言ったら、今度は私がパワハラだと言われそうだがね。参加できる者だって出来ない者だっている。それでいいんだよ。せっかく庶務課の皆さんで考えて準備してくれた宴席だ。運良く参加することができた事に感謝して、此処にいる者で気楽に楽しませて貰おうじゃないか」
「そうなんですよ本部長。それくらいの気持ちで付き合うのが、武田君には丁度いいんです。私なんかいつも武田君と課長の間に挟まって、本当に窮屈な想いをしてるんですよ。武田君よりも私に対しての方がよっぽど酷いパワハラ」
今度は西岡女史が愚痴を言う。
「えっ、ぼくが一体いつ君にパワハラをしたんだよ。いつだって、君のことは仕事の出来る女性だと尊敬しているんだ。四月に武田君のことを宜しく頼むと君にお願いしたのはだな、君のことが一番面倒見の良い女性だと思ったからなんだぜ。頼むよ、西岡女史」
「ほらほら、今度はセクハラですか。こんなことで、女性も男性も関係ないじゃありませんの」
「えっ、今度はセクハラかい。そりゃあ、あんまりだ。ぼくばかりが損な役回りかよ」
「おいおい、そんなに揉めることもないだろう。発端は、武田君がこの場に来なかったことだ。来なかったのか来れなかったのか知らないが、でもどっちでもいいことじゃないかな。武田君だって都合があるんだ。全員参加の会である必要もないし、ここに居る皆さんが気持ちよく過ごせれば、それでいいんじゃないのかね」
「申し訳ありません。主賓の本部長に逆に気を遣わせてしまいまして。そうですそうです。今日は有志の皆さんに楽しんでいただく会でした」
「本当に申し訳ありません、本部長さん。別に私だって、何時も永田課長に不満を感じてる訳ではないんですよ。むしろ、パワハラもセクハラもない、物わかりのいい素敵な課長さんだと思っているんですから。ねっ、課長」
何とか二人の言い合いは収まった。
「しかし、武田君はそんなに職場で浮いてるのかね」
そう問いかけると、西岡主任が応えた。彼女も永田課長以上に武田君のことをハラハラしながら見てきたようだ。
「浮いてるってわけでもないんですが。周りの者がちょっとばかし気を遣わなきゃいけない存在ではあります」
「周りが気を遣うか…。どんなことで?」
「彼は几帳面な性格なんです。朝八時半丁度に出勤して、直ぐに机の上を綺麗に拭き掃除。机の脚も椅子の脚も綺麗に拭いて、自分の周りの床も力を込めて磨き上げる。それからパソコン。開いたら直ぐ自分の仕事に取りかかる。会議の資料だって書類の作成だって、何だって早いんです。能率良く、テキパキと処理していく。一切脇目も振らず、中座もせずに集中してやるんです」
「いいじゃないか。何が問題なんだ?」
「十二時になったら途端に止めて、黙って何処かに行っちゃう」
「だって昼休みだもの、いいんじゃないのかね。時間内にそれだけ集中できてるってのは感心な新入社員じゃないか」
「そうなんですけどね。昼休みが終わるでしょ、一時きっかりに席に戻ってきて、また黙ったまま仕事です。三時になって十五分の休憩もとらない。ちょっとのコーヒータイムもない」
「おいおい、それは周りで注意してやらないと。若い人は休みの取り方に慣れていないんだ。周りで注意して、休めるときにしっかり休ませないとオーバーヒートしちゃうぜ」
「そこなんですよ。私も何度も言いました。ちょっと肩の力を抜こうって。でも、笑って頷くだけでパソコンから目を離そうとしない。そして夕方終業のチャイムと同時に、バッグをつかんでまっすぐ階段に向かう。彼は絶対階段派なんです。六階なのに絶対エレベーターを使わない。上がるときも降りるときも絶対階段なんです。一目散に誰もいない階段を駆け下りていっちゃう」
「聞いてると、普通に真面目な社員じゃないのかね。疲れが溜まらないか心配だが、ちょっと変わってると言ってもそんなに問題にもならない」
「そう思うでしょう」
庶務課長が割って入ってくる。
「最初は私もシャイな若者だが、やることはきちんとやれる人間だ。そう思っていました。ところが、全く声を聞いたことがないんです。三か月を過ぎて未だにですよ。パソコンから離れて、急ぎの作業を手伝って欲しいと頼むと、頷きはするんだけど一向に手を付ける気配がない。会議用の資料を纏めるだけの作業なんですよ。
『此れを此れ此れこうして、ホッチキスで止めてくれればいいんだよ』
繰り返して何度も頼むと、そのうち私がそばに行っただけで、頭を抱えこんでうずくまってしまう。単純な作業が余程嫌なのだろうと思って他の人に割り振ると、すぐに頭を起こして平然と自分の仕事を続けている。つまり、仕事をしているのは最初に教えたパソコンに打ち込むことだけ。同僚とも話したことがないみたいだし、気持ちが全然分からない。あるとき、入社試験の面接の様子を知っている者に聞いてみたんだけれど、
『ふつうにしゃべってましたよ』
そう逆に怪訝な顔をされて、彼のことが全く理解不能になった。まあ、時間通り出社して、時間いっぱい自分の仕事をしている訳だから、それでいいかとは思うのですが」
「課長さん、報告し忘れていましたが、以前昼休みのこと武田君のお母さんが部屋を覗かれて、
『ちょっと変わった息子ですので、皆様に心配をおかけしているのではないかと思います。どうぞ今暫くは様子を見てやってください。慣れるまでに人一倍時間のかかる性格なのです。気に障ることもおありでしょうが、決して、手のかかるようなことは致しません』
そうおしゃったんですよ。今思えば、その通りだなという気がします。お母さんが気になさるくらい、子ども時分から人間関係が難しかったんだろうなとね。彼は彼なりに目一杯、職場の中で気を遣っているんです。昼休み、何処に行って何をしているかご存じですか?跨線橋の歩道から下を見下ろしているんです。快速や特急が走るとき、ゴーッとうるさい音が出るでしょ。それに合わせて、『わーっ』って、大きな声で叫んでいるんです。何度も何度も、電車が通るたびに大声を張り上げて叫んでるんですよ」
「えっ!そんな奇行があったのかい。そりゃあ知らなかったな」
「奇行だなんて簡単に片付けないでください。彼は昼休みまでずっと我慢してるんですわ。休み時間になったらすぐに会社から離れた所に行って、そうやって大声を出して、心に溜まったものを吐き出しているんだと思います。社内では随分我慢してるんですよ。だから、私はあんまり彼を責める気にはなれないんです」
「成る程、新入社員が自分の気持ちを先輩に言うのってなかなか難しいものな。彼の場合、周りに伝えることができず、心の内に閉じこもってそうやって外に行って吐き出してたんだ」
私は、ふと自分の若い頃のことを思い出したりした。
「武田君には時間が必要なんだよ。社内の空気に馴染めるのはまだまだ先になるのかな。でも、必ず彼も大切なうちの一員になってくれる。それまで、周りで温かく見守っていこうじゃないか。若い人を育てて行かなくちゃ会社の将来はないよ。西岡さんはよく気づいたね。これからも武田君のこと、宜しく頼むよ」
そうか、そういうことだったんだ。私は少しほっとした。
後ろの円卓には若手ばかりの集まりがある。おや、杉原次長が中にいる。それも若い女性の真ん中だ。私とそんなに変わらない年配だが、彼は日頃から若い社員によく囲まれている。特に話がうまいという方ではないし、風采も私同様の老け顔だ。普段の古臭い話し方だって、左程違うとも思わないのだが。
「そりゃあ沢山の若い子が集まってステージいっぱい踊り回るってのは、華やかで見栄えはいいと思うよ。でもさ、じっくり歌を聴かせるって雰囲気じゃあないんだよな。心に響く歌ってのは矢っ張り昔ながらの演歌だね」
おやおや、先ほどの古風な話と全く中身が違うじゃないか。
「あら、次長さん。じっとマイクの前で立ったまま歌を歌うんじゃ、スマホで聞いてるのと変わりないじゃないですか」
「あんなちっちゃいスマホとは全く違うだろう。まあ、君たちはテレビで歌番組を観る世代じゃないのだろうけど」
「テレビだってなんだって、映像で見せようと思ったら、やっぱり激しい動きが必要だわよねぇ」
「激しい動きねえ。でもあれだけの人数でステージ中を走って踊り回るんじゃ、まるで運動会のマスゲームを観てるようなものじゃないか」
杉原次長はそう言って、ビールビンを片手で持ち上げ、ぐるっと一回りしてみせる。さっきは、嫁に行く娘に短刀を持たせるなどと時代錯誤なことを言っていたのにだ。
若い世代の中に入れば、こんな風に戯けてみせる気持ちの切り替えが、彼の人気の秘密なのだろう。
「確かに見た目には今の人たちみたいに派手に踊り回って歌を歌って、観客も一緒になって真似をして、みんながいっぱい汗をかいてる姿はいいのだろうよ。でもな、アーケードいっぱいのたなばた飾りの提げ物も賑やかで華やかだけど、我が家の軒先に立てかけた、孫がばあさんと二人で拵えた笹の葉飾りもいいもんだぜ」
「お孫さんと一緒に七夕飾りを拵えられるなんて、次長さんのご家族って素敵ですね。私たちだって、昔からある七夕の飾り付けを決して否定する訳じゃないんですよ」
「それはそれで私たちも大好きですわ。心に染みるようなまるで絵本の中みたいな世界だもの。でも、みんなが集まってときは盛り上がりたいじゃないですか。みんなで街中を飾り付けて、集まった人みんなで楽しむ。歌だって、みんなで歌って踊って、一緒になって思いっきり盛り上がる。それが楽しいんですよ」
「みんなで一つの歌を歌って、みんなが同じように踊ってるようですけどね、でも、ちゃんと一人ひとり違ってるんですよ。みんなそれぞれがいろんなパフォーマンスを見せてくれているんですよ。あのグループには、ちゃんと一人ずつの個性があるんです」
「沢山で騒いでるだけだなんて、うちの親なんかも言いますけど、よく見るとみんな違った踊り方をしてるんですから。一人ずつの声がちゃんと自分を主張しながら伝わってくるんです。みんな違ってそれぞれ個性があって、一生懸命声を出して、汗いっぱいに身体を動かして、でもみんなでステージいっぱいに盛り上げる。だから見ているとじーんと伝わってくるものがあるんです」
「そうか、個性か。そうだよなあ、個性ねえ。それは素敵だな。やっぱり一人ひとりの個性が大事なんだよな。そうやって君たちが嬉しそうに話題にしているのを見ていると、うらやましい気にもなるんだ。今の人たちはみんな個性が強いものな。年を取ると、そういう熱いところが段々と冷えて無くなってくるんだよ。寂しいぜ」
個性、そう強調しておいて、最後は若い社員たちに花を持たせる。この掛け合いの間の良さが、若い人と上手くやるコツだ。杉原次長だから出来るのだ。
「今日は本部長さんの還暦祝いだけど、俺もあと少しで還暦なんだ。最近は段々気持ちが冷めていくのが分かるんだ。一緒に自分の個性も冷めていくような淋しい気持ちになってね。この間、家で留守番してるとさ、買い取り専門の店から電話がかかってきたんだ。何でも買い取りますっていうから、
『それじゃあ俺の年を買い取ってくれよ。半分の三十年を大負けで三万円でどうだ』
そう冗談で言ったんだ。そうしたら、流石商売人、
『それでは旦那さんの産まれてからの三十年分を頂きます。若い頃の思い出が全部消えたらそれは寂しいもんですよ』
だってさ。これは一つ取られたなって、大笑いさ」
「それって、最近よく聞く買取詐欺ってやつ。あんまり相手にならないほうがいい奴ですよ」
「でも、次長さんって、家でも楽しい方なんですね。全然冷めてなんてないですよ。お気持ちがまるで若い者に負けてないじゃないですか」
こういう古臭いジョークも結構受けている。
個性か。今の若い社員は、我々の世代よりずっとしっかりした個性があるじゃないか。次長はそれと気付いて何気なく若い連中を鼓舞しているのだ。だから次長は、何時までも若くて熱い気持ちで居られるのに違いない。
この春、広島の営業所から転勤してきた佐々木がビールを注ぎに来る。以前から声をかけてみたいと思っていたのだが、なかなかその機会がなかった。
「佐々木君は瀬戸内の出身だったかな」
「そうです」
「そうか、いい所だね。瀬戸内のどの辺りだい?竹野とは近いのかね」
「はい、竹野町は隣町でしたからよく知っています。私は三年間竹野の高校に自転車で通っていました。本部長は竹野のことをご存じなのですか?」
「ああ、そうそう。知っているって程ではないがね…。随分前だったな、偶々あの辺りに行ったとき、竹野の駅前で一寸した七夕まつりをやっててね」
「ああ、駅前の七夕ですね。地域の人たちだけの小さな七夕なのに、またよくご存じですね。今は竹灯籠まつりというイベントの方が少しは知られているのかな。駅から少し離れたところにある古い街並みの保存地区で、毎年五月にやっている独特な竹まつりですが」
「そうそう、そういえば歴史を感じさせる街並みだったなあ。いやなに、昔立ち寄ったことがあってね、七月の初めだったかな。その時が丁度七夕祭りで、駅前の七夕飾りがきれいだった。もう三十年程前か。今の君くらいの年頃だった。その一度行ったきりだけれど。そうそう、駅前にみわ屋という喫茶店があってね、そこでお好み焼きをご馳走になったんだ。知らないかな?」
「みわ屋ですか。あの辺に喫茶店なんて気の利いたものがあったかなあ。駅前から少し離れた所に、同じみわ屋という名前で郷土料理の居酒屋がありますけれど」
「そうか、喫茶店というか、大きい鉄板があって、お好み焼き屋といった方が良いのかな、ちょっと変わった店でね。ひょっとするとその居酒屋に変わったのかもしれないな」
懐かしそうに話している私を見て、すっかり赤ら顔になった宮本部長が口を挟んできた。
「そういえば、本部長さんは昔からよく瀬戸内のことを話題にされますよね。何か瀬戸内に特別な想いでもおありですか?」
宮本部長は、一年だけ遅れて入社した昔からの仲だ。私の想いをほぼ察しているのだろう。
「そういう訳でもないんだが…。でも、リタイヤしたら、車でゆっくりあの辺りを旅してみたいという気持ちはあるな」
そうだ、私はずっとあの静かな瀬戸内の光景を心に秘めていたのだ。
佐々木君と話すうちに、一度きりしか行ったことのない彼の地を想い、堪らない郷愁に襲われた。
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