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第三幕
合戦
しおりを挟む折り重なる骸を蹴散らし、澱みなく駆けた馬の脚が止まる。対峙する茶の毛並みを威嚇するように嘶くが、背に乗せた主人は静かな声を漏らすばかりだ。
「……退け、恭也」
「警告致す、これ以上の進軍を止め、本陣へ戻られよ」
「聞かねばどうする」
「……退かぬなら、討てとのご命令です」
槍を握り直し、土を蹴る馬を落ち着かせながら、洸清は乾いた笑みを零した。
「宵殿か」
「否。上様のご命令です」
しかしその表情は、恭也の言葉を聞くと瞬く間に色を失い、やがて眉間に皺を寄せ、虚言は許さぬぞ、と呟く。ただ重く頷いた恭也に、洸清は虎牙に視線を送った。
「恭也、兄上にお伝えせよ」
馬の尾が揺れる。潔く向けられた洸清の背は昏く篝火に照らされ、怒りからか微かに震えていた。
「この命の散る時があるとするならば、それは貴方をお護りしてか、或いは貴方の手討ちによってのみです。最早我らは敵同士、なれば貴方に討たれようと、貴方を討とうと、私はその覚悟で参ったのだと」
――ゆえに斯様な仕打ちを、私は決して、決して許しません、兄上。
僅かな火種を残し、黒い闇に包まれた足元へ目を伏せ、洸清は去った。馬の身体に縋る雑兵を、苛立たしげに十文字の刃が貫く。やがて、打ち捨てられた幾多の屍に冷めた雨が降り注いだ。
「今宵の合戦はこれまでだ。東軍の奇襲に備え、交代で休養せよ」
馬から降りるなり、洸清はきっぱりと言い捨て、家臣の差し出した手拭いすら払い除けた。敵陣へ向かった洸清が思いの外早く戻ったので、明頼は驚いたが、洸清が傷を負った様子はない。未だ微かな小競り合いのような人影が蠢くものの、野原は静まっていた。
『兄君、戦とは、斯くも呆気なく命の潰えるものなのですね』
初陣の日、同じような暗闇を見下ろしながら呟いた自身の声が降る。今は、丑の刻を回った頃だろうか、ただ黙って眺めているだけで、数多の人が死んでいった。自分も生まれた家によっては、あの屍の中に居たのだろうか。
天幕の中、雨露を手の甲で拭う洸清にずい、と手拭いを差し出した者が居た。繁國だ。
「お風邪を召されます。どうか衣と御髪の雫を拭って火の傍へ」
無表情に告げられ、思わず手拭いを受け取ってから洸清は苦笑する。胡床に腰掛け、肝の据わった御仁だ、と呟けば「平生から上様のお相手をしておりましたので、主上への進言には慣れています」と返された。
「繁國殿はまた、なにゆえその宵殿の傍に居られない。あちらに着きたかったのではないか」
洸清の問いに、繁國は肩を揺らす。この男も動揺することがあるのかと、洸清は首を傾げた。少し視線を彷徨わせ、繁國は明頼の顔を見る。明頼が静かに頷けば、繁國はひとつ小さな息を吐いた。
「上様のご命令で。明頼様をお護りせよと」
「……其方はそれで良いのか」
「上様のご意志なれば、従うのみです」
洸清にはそう答えておいたが、初めて宵君に口答えをした夜のことを繁國は思い起こす。燻る無念を振り払い、黄泉へ渡った後の絆を誓って下さったのだから、今生はこれで良いのだ、と目を伏せた。
「……実は、兄上に追い返されて参ったのだ。それも人づてに、私が退かねば討てと命じて。あの方は最早、宵殿の築く夜明けしか見ておられないのだな」
焚き火を見ていると数刻前の戦場の怒号が脳裏に響く。洸清は無意識のうちに、手拭いに爪を立てた。
「……それはどうでしょう」
繁國は自らの手のひらを眺め、指に絡む黒い河を思い浮かべる。金木犀の香が漂う、指通りの良い黒髪。もう触れることはないのだろう。尾根に輝く敵陣の焚き火を見つめ、繁國は唇を噛んだ。
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