魔女が魔法を忘れたとき~The perfect illusion~

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第三章 戸惑い

7 幻夢の森一掃作戦

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 幻夢の森。
 忌々しき魔女パッヘルの根城。
 暗い雨空のせいか、今日は一段と不気味な雰囲気を漂わせているようにも思える。
 そんな外観を目前にすると、否応なしに気持ちが昂ぶっていく。

 今日こそは――
 今度こそは――

 冷静な視線を送りながらも、胸の中ではそんな思いが激しく駆け巡っていた。
 ジブナール王国親衛隊隊長、ミハエル・マードック。
 隊長に就任してからはや十五年、今年で齢五十にもなる。就任当時に比べるとさすがに身体のキレは鈍くなってきたが、剣の腕だけは未だに誰にも負けないと自負している。
 ただ、剣の腕など今回の任務では飾りでしかないということも、彼は充分に理解していた。むしろ、他の誰よりもといっていいだろう。

 馬の駆ける音が近づいてくる。事前に派遣しておいた偵察兵がこちらに気がついたのだろう。

「隊長! 長旅お疲れ様です!」
「うむ」

 ミハエルは力強く頷いた。

「未だに動きはないか?」
「はい。特には……」
「ご苦労。下がっていいぞ」

 そう言ってからミハエルは、立派な髭を生やした口元に手を当てしばし逡巡した。
 つまりは、まだこちらの存在に気がついていないということなのか?

 前回――二年前の遠征時には、ずばり先手を打たれていた。そもそも、森がどこにも見当たらなかった。あるはずの場所に森がなく、代わりにアルマの町があったのだ。
 道を間違えたのかと引き返し今度は逆の道をいってみると、そこにもアルマの町が――幻夢の魔女にしてやられてしまった。
 慌てて再びもとの場所へ戻ろうとすると、いつの間にか王都へ帰り着いていた。何することなく、何も出来ずに遠征を終えたのだった。
 一千の兵を率いてピクニックにでもいってきたのか、と大臣には怒鳴られるし、向こう三ヶ月は給料なしとの通達は受けるし、はっきりいって散々な遠征だった。
 その時のことを思い出して、ミハエルはピクピクと怒りに打ち震えた。

 そうだ。あの魔女のことだから、今回も何か罠を仕掛けているに違いない。
 ミハエルは一度顔面に当たる雨を拭い、それから背後を振り向いた。そこに自らが率いてきた大勢の兵士たちが控えていた。

「皆の者、決して油断するでないぞ! 相手はあの幻夢の魔女パッヘルだ! すんなりと奇襲を許すはずなどない!」
「はっ!」

 実によく揃った部下たちの返事に満足し、また頷いてみせる。
 その時だった。

「はあー? なにそれ、暑苦しいー」

 ミハエルのすぐそばに控えた馬車の中から、不機嫌そうな声が聞こえてきた。 
 馬車から細い足が伸びて、彼女が中から降りてきた。
 ベージュ色のローブにはひらひらとドレスのようなフリルが施され、頭には大きなつばの羽つき帽子。おまけに日傘のような派手な傘まで差している。
 彼女はまだ十代半ばほどの少女であった。

「キ、キルリーさま?」
「あのさー、たいちょー」

 ずかずかとミハエルに近づき、キルリーは挑発的に彼の顔を覗き込んだ。

「そーゆーの、いらないから。今の大声で魔女に気づかれたらどーすんのよ」
「あ、す、すみません……」
「ったくさー、何年たいちょーやってるんだか」

 呆れたように深い溜め息をつきながら肩を竦める。長い金色の髪がふんわりと揺れた。

「足だけは引っ張らないでちょーだいね。本当はうちらだけでも、余裕でなんとかなるんだから」
「は、はっ!」

 ミハエルは姿勢を正し、右手を胸に当てる敬礼のポーズをとった。

「だから、暑苦しーんだってば」

 大きく欠伸をしながらそう言い捨てるキルリーを、ミハエルは密かに睨みつけてやった。

 くそ! なんだって俺がこんなガキにへこへこせねばならんのだ!

 キルリー・アイザック。
 これから戦を仕掛けるというのにまるで緊張感のないこの娘こそが、世界最強と名高いブラキリス魔法兵団の団長なのだという。
 ミハエルも先日初めて顔を合わせた時は大層驚いたものだった。しかし悔しいことにその実力は本物のようで、演習で見せた彼女の魔法は今まで見た他の誰のものよりも洗練されていた。

 あくまで、人間の使う魔法に限った話ではあるが……

「あー、あのさーあんた」

 キルリーが兵士の一人に声をかける。彼はたしか馬車の御者を務めていた若い男だが。

「は、はい。なんでしょう」
「ここに着くまで何回馬車が揺れたと思う?」
「は?」

 兵士はぽかんと口を開けた。

「だーかーらー」

 苛立たしげにキルリーは眉をひそめる。

「あんたが馬車を五十五回も揺らしたせーで、お尻が痛くて仕方がないって言ってんの。分かる?」
「は、はあ……」
「それ、ちょっと貸しなさいよ」
「え? あっ」

 兵士の持つ馬用の鞭をぶんどる。
 キルリーは感触を確かめるかのように、鞭を撫で回しながら言った。

「さあ、あたしのお尻を痛めた罰よ。今すぐ四つん這いになりなさい。鞭打ち五十五回の刑で勘弁してあげるわ」
「ええ!? そんな……」

 兵士は困惑した表情でミハエルに救いを求めた。
 仕方なしとばかりに、ミハエルは苦笑いを浮かべながらキルリーに近づいていった。

「キルリーさま。冗談はそれぐらいに……」

 ビシィ!

「ぬおっ」

 鞭が一発打ちつけられる。ただし、御者の兵士にではなくミハエルの手の甲にだった。

「な、なにを……?」

 くすくすとキルリーは笑う。

「部下の責任を負いたいってゆーんでしょ? いーよ。あたし、あんたみたいなおっさんを痛めつけるの、大好きなの。さあ、早く馬になりなさい」 
「何を馬鹿な!」

 その時だった。
 一瞬の閃光が走ると同時に、突如として自身の身体が硬直してしまったのだ。

「うっ……! これはまさか!」
「そう、あたしの魔法。あたしがいいってゆーまで、あんたは自分の意志で身体を動かすことはできないよ」
「隊長! 大丈夫ですか!」

 部下たちがざわめきだっている。しかしそちらを振り向くことも、口を開くことさえもできない。

 まさか、こんな小娘に鞭を打たれるだと!? そのような屈辱を受けるわけには……! いや、そんなことをしたらさすがに部下たちが黙っていないだろう。
 すると、キルリーの部下たちも魔法で応戦し始めて、魔女討伐前に停戦状態が解除されてしまうのではないか。

 いかん、なんとしてでもそれだけは避けなくては……!

「お前ら、待て! 待つんだ!」

 部下たちのほうを向いて大声で叫ぶ。そしてしばらくしてから、ミハエルははてと小首を傾げた。

 魔法が解けた……?

「よくよく考えたらこの魔法、どんだけ痛めつけてもノーリアクションだから、つまんないだよね」

 そんな勝手なことを言いながら、キルリーは一度ミハエルの尻をめがけて鞭を振り下ろした。
 鎧に遮られていたため痛みは感じなかったが、ただひたすらに怒りを覚える。

「キ、キルリーさま。そろそろ冗談はやめにしましょうよ」

 必死で愛想笑いを浮かべながら、ミハエルは言った。

「そーね。もう準備は整ったみたいだし」
「準備?」
「あたしの可愛い魔導師ちゃんたちから合図があったの」

 はっとしてミハエルは周囲を見渡した。先ほどまでは兵士に混じってローブ姿の魔導師――すなわちキルリーの部下たちも同伴していたが、今は姿が見えなくなっている。

「キルリーさま! 他の魔導師たちは!?」
「みんなでぐるっと森を取り囲んでるわ。作戦を遂行するためにね」
「そんな! 私は何も聞いていませんよ!」
「今回の作戦の指揮はあたしがとるって、そーゆー話だったでしょ? いちいちあんたに報告する義務なんてなくない?」
「うぐ……!」

 確かに今回の作戦の全権はブラキリス魔法兵団が握っているが、しかし……

「なーに? 文句あんの」
「いえ……」 

 ミハエルは反論の言葉をぐっと飲み込んで、びしっとまた敬礼をした。

「お任せします!」
「暑苦しーんだってば」

 そう言うとキルリーは傘をその場に投げ捨てた。同時に彼女の周りに薄いオーラのようなものがまとわりつく。
 注意深く見てみると、雨が彼女を避けている。そういった魔法なのだろうか。

「さあ、そろそろ始めよーか」
「は?」
「魔女の討伐よ」

 そして彼女は一瞬のうちに空高く舞い上がった。兵士たちから驚嘆の声が上がる。

「キ、キルリーさま!」

 慌てて空に向けて叫ぶ。

「夜を待って奇襲を仕掛けるのではないのですか!?」
「そんなさっぶいことしないわよ。てゆーか、夜は晩餐会にお呼ばれしてるから、それまでに終わらせたいの」
「しかし、まだ相手の罠が仕掛けられていないとは……!」
「さあ、みんなー」

 ミハエルを無視してキルリーは、森の周囲に配置しているという自分の部下たちに呼びかけた。その声は不思議な響きを持っていて、遠く離れているのにまるで耳もとで囁かれているようだった。

「予想通りこの森には魔力を高める障気が漂っているわ。まずはあたしたちの魔力を結集させて、そいつを無効化しちゃいましょー。これでパッヘルも魔物どもも、みーんな無力化するはずよ」

 それを聞いてミハエルは閉口する。

 なんという……

 これがブラキリス魔法兵団の協力を仰いだ理由というわけか。たしかに、そういうことなら今回の作戦は上手くいくかもしれない。

 ついに、ついに、あの魔女に打ち勝てる日がきたのか。

 キルリーの両手から光が溢れ出す。同時に、森の外周の至るところからも七色の光が。
 それらが一つに合わさり、やがて森の上空で巨大な閃光となった。

「さあ、幻夢の魔女パッヘル! あんたの長い長い歴史にピリオドを打ってあげる! アーハッハッハ!」

 雨空のもと、勝ち誇ったキルリーの笑い声が響き渡った。
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