魔女が魔法を忘れたとき~The perfect illusion~

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最終章 蛇足

4 夢の終わり

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「パッヘルが世代交代していて、あなたの次のパッヘルが私っていうことまでは分かったわ。だけど、パッヘルになる前はどうだったの? それまでは私だって、他の誰かだったんでしょ?」
「そうだね……」

 ニョルルンはどうも言い淀んでいる様子だった。
 黙って彼女の返事を待ったが、やがて発せられた答えは心のどこかで予想していたものだった。

「はっきり言っちゃうと、知らないんだ」
「あなたが私を選んだってわけじゃないの?」
「うん、それは違う。魔女の寿命が残り少なくなると、アスモスの魔力――あなたのいう呪いってやつね。それが勝手に次の魔女を選別するの。言うまでもないだろうけど、同時に世界は作り変えられる。魔女になる前のあなたはこの世に存在しなかったことになってるはずよ」
「この世に存在しない……」

 ざわざわと心がざわめいた。
 それじゃあ、家族や友人がいたとしても誰も自分のことなど覚えていないというわけか。

「ただ、魔女の選別には条件があってさ。それはすなわち、心の底から死を願っている少女ってこと」
「心の底から死を……?」
「そう。何があったのかは知らないけど、魔女になる前のあなたは死を願っていた。心の底からだから、上っ面だけの自殺願望じゃないよ。この世から消えてしまいたいと切実に願っていたの」

 パッヘルは目覚めた初日のことを思い出した。食堂で記憶を呼び覚まそうとした時の、とめどなく溢れる涙とあまりにも深い悲しみを。
 あれはつまり、パッヘルになる以前の感情が一時的に呼び戻された結果なのか。

「じゃあ、パッヘルになったのは、私にとって良かったってこと?」
「これから次第かな。少なくとも、先代のあたしはパッヘルになって良かったって思ってるよ」
「でも……」

 その時、不意に目眩を覚えた。。
 パッヘルはニョルルンの隣に腰かけ、そのまま倒れ込むようにベッドのシーツに横たわる。
 今になって無性に眠気を覚え始めたのだ

「ねえ、まだ寝たくないよ。知りたいことがたくさんある」
「どうせ忘れちゃうよ」

 ニョルルンはパッへルの頭をそっと撫でた。

「まだまだこの先、あなたはいっぱい悩むことになる。あたしもニョルルンとしてこっそり手助けするからさ。とりあえず今日は休みなさい」
「やだ。まだあなたのことだって、ちっとも知れてない」
「あたしのこと?」

 ひょっとすると、この眠気にはアスモスの魔力も作用しているのかもしれない。そのぐらい唐突で強力な睡魔だった。
 しかし、パッヘルは必死でそれに抗った。

「あなたがパッヘルになって良かったって思うのは、みんなと出会えたからじゃないの? グラントや、アザミやガナールやシープル。他にも、大事な仲間がたくさんいたんでしょ? それなのに……別れの一つも言わずに……そのままニョルルンとして死んでいこうとしてるの?」

 ニョルルンはしばらく黙ってから、やがてぽつりと漏らした。

「みんな、夢だったの」
「夢?」

 パッヘルはニョルルンの顔を見つめた。
 彼女は寂しそうに笑っていた。

「知ってる? 楽しかった夢ほど、目覚めた時は寂しくなるの。パッヘルとして生まれ変わって、数え切れないぐらいたくさんの素敵な夢を見させてもらった。みんなにお別れは言えないけど、夢の終わりはいつだって唐突でしょ?」
「ちっとも分かんない!」
「そう……」

 仰向けのまま、パッヘルは腕で目元を覆った。それは再び溢れ出した涙を隠す意味でもあった。
 きっと彼女が正しいんだと思う。抗えない運命に嘆くよりも、そのまま受け入れてしまったほうが、その夢は永遠に輝きを放つ。
 だけどやっぱり納得はできなかった。それなら彼女はどうして…… 

「プロポーズは?」
「え?」 
「グラントが聞かせてくれたよ。昔、あなたにプロポーズしたことがあるって。でも、未だに返事をしてあげてないんでしょ? 返事を待たせたまま、終わりにするつもりなの?」
「グラントが……プロポーズ……?」

 明らかにニョルルンの声の調子が変わった。
 涙を拭って彼女を見る。彼女の顔は青ざめているようだった。

「嘘よ……嘘でしょ!?」

 それは余裕に満ち溢れていた彼女が見せた、初めての狼狽だった。

「本当だよ」

 ニョルルンの様子に意外な印象を受けつつも、パッヘルは変わらぬ口調で続けた。

「魔女の墓に二人でいた時だって。明らかに聞こえていたはずなのに、あなたは返事をしなかった。覚えてないの?」
「覚えてない!」

 ニョルルンは荒々しくかぶりを振った。

「まさか、あの人がそんなことをするなんて……だって、あたしは悪魔アスモスと契りを交わした身なんだし……あの人だって、それを分かっているはず……」
「でも、先に好意を示したのはあなたなんでしょ?」
「そうよ。だけど、あの人は何も答えてくれなかったの」
「その答えがそれなんだよ! ……まあ、だいぶ時間が空いたって言ってたけど」

 ニョルルンはしばしのあいだ、無言でうつむいていた。

 激しい睡魔の中で、パッヘルはズキズキと胸の痛みを覚えていた。
 グラントのプロポーズを覚えていないというニョルルン。なぜ覚えていないのかについては、パッヘルにもなんとなくは想像することができた。

 ――世界が作り変えられる。

 彼女はきっと、きちんと返事をしているのだ。しかしその過程で何か、世界が作り変えられる事象が起きてしまった。
 グラントがパッへルの秘密に気がついたのか、もしくは何らかの理由でパッヘルが明かしたのかは、もはや定かではない。とにかく、その影響で二人の記憶にズレが生じているのだろう。

 呪いだ、とパッヘルは改めて思った。

「あの……さ……」

 意識が途切れそうになるのを必死でこらえながら口を開く。

「もう一度……ちゃんと返事をしたほうがいいよ。忘れちゃってもいいからさ……でも、このままじゃ悔しいじゃん……」

 ニョルルンはパッヘルを神妙な目つきで見つめていた。おそらく彼女も、記憶のズレのからくりにはすでに気がついているだろう。
 やがて、彼女はふっと軽く微笑んだ。

「あなたなら、最後まで抗いそうだね」
「……うん」

 そう答えるのが精一杯だった。
 世界が暗転し夢の中へ落ちていくような――むしろ、夢から現実へ突き落とされるような感覚。
 最後に意識の片隅でかすかに聞いた。

「おやすみなさい、パッヘル」
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