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第二部
2. もうひとりの王子
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カシュアは、マイヤーの言葉に小さくうなずいた。きつい口調だが、言ってる内容は納得がいく。
彼らはクーデターの後、国の建てなおしに取り組んでいるのだ。執務室まで物見遊山気分でこられても、邪魔なだけだろう。
「さっそくだけど、ヒースダイン王宮の見取り図を入手したんだ。王子様は後宮のどの辺で暮らしてたの?」
マイヤーは、会議テーブルの書類を押しのけるようにして、大判の図面を広げた。
それは王宮の全体を上空からとらえた見取り図で、本宮殿から後宮、その他敷地内の施設に至るまで網羅されている。
カシュアは、はじめて目にする王宮の全貌を記した図面に、思わず息を飲んだ。
(他国にここまで知られているなんて……ヒースダインの安全管理は、どうなってるんだ?)
カシュアは半分あきれつつ、図面にすばやく目を走らせた。
「……この辺りです」
「あ、真ん中なんだ。意外。王子様のような身分なら、もっと端に追いやられていたのかと思ったよ」
マイヤーの指摘は的を得ている。
カシュアの母親は身分が高くなく、有力な貴族の後ろ盾もなかった。後宮内の地位も、下から数えたほうが早い。
だが本宮殿へのアクセスが便利な中央エリアは、より優遇される立場の寵姫や側室の住むエリアだ。カシュアのような身分が低い者は、通常ならば端の部屋に住む。
「この部屋の中には、地下へ通じる入り口があるんです」
「あー、なるほどね……この下は大昔、排水路だったかな。でも表向きは閉鎖されてるよね?」
「地下部分は全体的に改装されて、今は……別の用途に使われてます」
不自然な間に、マイヤーはすぐピンときたようだ。
「そこが蠱毒の実験場なんだね!? そっかー、入り口がなかなかわからなかったけど、部屋の中にあったのか」
カシュアは、特に隠すつもりはなかった。しかし口に出して言うには、あの場所はあまりにも忌まわしく、悲しい場所だった。
マイヤーが察してくれて、よかったとすら思えた。
「ねえ、後宮の部屋割りって、ときどき変わるものなの?」
「はい、序列によって年に一度変わります。移動しない側室もいるのですが、どこかしらは変更されてます」
「年に一度は頻繁すぎるな。となると、この部屋に被験者を移動させる、カモフラージュかもな……どんな人が入ってたか、調べる価値がありそう」
マイヤーの言葉に、カシュアは胸を撫で下ろす。少しは役立つ情報だったようだ。
するとピアース執務補佐官が、テーブルをはさんで向かい側から、図面をのぞきこんだ。
「後宮の序列といえば、カシュア妃殿下の御母堂がご健勝だったころと比べて、かなり大きな変革があったようです」
ピアースは、本宮殿にもっとも近い一角を指して続ける。
「こちらに正妻、第一側室、第二側室の三名の居室がございますが、問題はこの第一側室エリーゼです」
カシュアの記憶では、たしか後宮では、正妃に次ぐ権力を持っている側室だ。
「エリーゼは、ヒースダインの有力貴族でも筆頭とも言われる、アバネシー家の出身です。しかし例の流行病に罹患して、容体も思わしくないそうです」
「すると第二側室が、次の第一側室に繰り上がるだろうね」
マイヤーの言葉に、ピアースは小さくうなずいて同意を示した。
「ただエリーゼには、ひとり王子がいます。名はエンシオ。近々ウェストリンへやってくる可能性がもっとも高い王子候補の一人です」
カシュアは驚いて、ピアースの顔を見つめた。
ピアースはカシュアに向けて、口もとだけで笑ってみせた。
「ヒースダインの要求は、事前に送られてきた公式書簡で確認しておりますが……」
ピアースの視線が、これまで傍観者に徹していたバージルへと向けられた。
カシュアは、なにが起ころうとしているのか、なんとなく分かってしまった。
短い会議のあと、カシュアだけ先に居室へ返された。
室内にはいつものように、兵士と侍女が一名ずつ、部屋の奥で静かに控えいた。交代制だが、空気のように気配を消しているため、気づくと別の人間に変わっていることが多い。
カシュアは、すでに担当する全員の顔と、交代のタイミングをおぼえていたので、違和感に気づくのは簡単だった。
「……いつもと担当が違いますね。あなたは今日は、早朝の当番では?」
侍女にたずねると、少し恐縮した様子で配置換えがあったと説明する。
(きっと、ヒースダインから来る王子を迎える準備だろう)
カシュアは窓辺の寝椅子に横になると、目をつぶった。昼食前には、休むことを義務付けられているからだ。
未だ体内に残っている蠱毒は、少しの疲労でも活発化する。あまり血の巡りが良くなると、寿命を縮める危険性があるらしい。
カシュアの場合、痛みや苦しみが感じられないので、どの程度体に負担がかかっているか自覚できない。
そのことを医師はもとより、バージルがとても心配していた。
(エンシオ王子か……会ったことはないけど、たしか俺より五、六歳は年上だったはずだ)
カシュアは今年で二十三になるから、件の王子は三十近くになる計算だ。
先ほどピアースから聞いた話では、当面の間はウェストリンに滞在する予定だという。
(俺の代わりに、その王子をバージル殿下の妃にあてがおうとするなんて……勝手な話だな)
自分に大した価値かあるとは思ってない。むしろ欠陥だらけだ。
しかし、仮にも一度側室として送りつけた王子を、今さら別の王子と交換しろだなんて……ウェストリン王家に対して、失礼もはなはだしい。
(それに、バージル殿下に対しても……失礼だろ)
カシュアはそこで、これ以上深く考えるのをやめた。
仮にバージルがエンシオ王子を気に入ったとしても、カシュアをヒースダインへ送り返すなんてことはしないはずだ。
それではヒースダインの意に従ったことになり、諸外国の手前あまりにも体裁が悪い。
ヒースダインより格下だと軽んじられては、相手に攻め入る隙を与えてしまう可能性だってあるだろう。
(でも、もしエンシオ王子が、俺より役に立つならば……)
情報は鮮度が命だ。
エンシオなら、ヒースダインの最新情報を提供できる。そうなればカシュアは用済みだ。
(用済みになったら、俺は……どうなる?)
「カシュア」
名前を呼ばれたカシュアは、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。
「……危なかった。もう少しで、椅子ごと床に倒れるところだった」
「し、失礼しました」
部屋には、いつの間にかバージルが戻ってきていた。
「あなたは、あんがいそそっかしいな」
バージルはカシュアを椅子から抱き上げると、奥のソファーへと移動する。
そのタイミングで、侍女が茶の用意をはじめた。
「もう下ろしてください」
「もう少しだけ、このままで」
人の目を気にするカシュアに、バージルは不思議そうにする。
バージルは、カシュアを抱いたままソファーに腰を下ろすと、片手で器用にポットを操って、二つのカップに紅茶をそそいだ。
「ほら、あなたの分だ」
「ありがとうございます……」
ソーサーごとカップを受け取ると、赤くゆらぐ水面を見つめた。
「あなたが心配するようなことは、一切起きない」
間近で響いた声に、カシュアはハッとして視線を上げた。
湖水のように澄んだ水色の瞳が、わずかに細められる。
「私は、あなた以外の男に興味はない。私の妃はただひとり、あなただけだ」
彼らはクーデターの後、国の建てなおしに取り組んでいるのだ。執務室まで物見遊山気分でこられても、邪魔なだけだろう。
「さっそくだけど、ヒースダイン王宮の見取り図を入手したんだ。王子様は後宮のどの辺で暮らしてたの?」
マイヤーは、会議テーブルの書類を押しのけるようにして、大判の図面を広げた。
それは王宮の全体を上空からとらえた見取り図で、本宮殿から後宮、その他敷地内の施設に至るまで網羅されている。
カシュアは、はじめて目にする王宮の全貌を記した図面に、思わず息を飲んだ。
(他国にここまで知られているなんて……ヒースダインの安全管理は、どうなってるんだ?)
カシュアは半分あきれつつ、図面にすばやく目を走らせた。
「……この辺りです」
「あ、真ん中なんだ。意外。王子様のような身分なら、もっと端に追いやられていたのかと思ったよ」
マイヤーの指摘は的を得ている。
カシュアの母親は身分が高くなく、有力な貴族の後ろ盾もなかった。後宮内の地位も、下から数えたほうが早い。
だが本宮殿へのアクセスが便利な中央エリアは、より優遇される立場の寵姫や側室の住むエリアだ。カシュアのような身分が低い者は、通常ならば端の部屋に住む。
「この部屋の中には、地下へ通じる入り口があるんです」
「あー、なるほどね……この下は大昔、排水路だったかな。でも表向きは閉鎖されてるよね?」
「地下部分は全体的に改装されて、今は……別の用途に使われてます」
不自然な間に、マイヤーはすぐピンときたようだ。
「そこが蠱毒の実験場なんだね!? そっかー、入り口がなかなかわからなかったけど、部屋の中にあったのか」
カシュアは、特に隠すつもりはなかった。しかし口に出して言うには、あの場所はあまりにも忌まわしく、悲しい場所だった。
マイヤーが察してくれて、よかったとすら思えた。
「ねえ、後宮の部屋割りって、ときどき変わるものなの?」
「はい、序列によって年に一度変わります。移動しない側室もいるのですが、どこかしらは変更されてます」
「年に一度は頻繁すぎるな。となると、この部屋に被験者を移動させる、カモフラージュかもな……どんな人が入ってたか、調べる価値がありそう」
マイヤーの言葉に、カシュアは胸を撫で下ろす。少しは役立つ情報だったようだ。
するとピアース執務補佐官が、テーブルをはさんで向かい側から、図面をのぞきこんだ。
「後宮の序列といえば、カシュア妃殿下の御母堂がご健勝だったころと比べて、かなり大きな変革があったようです」
ピアースは、本宮殿にもっとも近い一角を指して続ける。
「こちらに正妻、第一側室、第二側室の三名の居室がございますが、問題はこの第一側室エリーゼです」
カシュアの記憶では、たしか後宮では、正妃に次ぐ権力を持っている側室だ。
「エリーゼは、ヒースダインの有力貴族でも筆頭とも言われる、アバネシー家の出身です。しかし例の流行病に罹患して、容体も思わしくないそうです」
「すると第二側室が、次の第一側室に繰り上がるだろうね」
マイヤーの言葉に、ピアースは小さくうなずいて同意を示した。
「ただエリーゼには、ひとり王子がいます。名はエンシオ。近々ウェストリンへやってくる可能性がもっとも高い王子候補の一人です」
カシュアは驚いて、ピアースの顔を見つめた。
ピアースはカシュアに向けて、口もとだけで笑ってみせた。
「ヒースダインの要求は、事前に送られてきた公式書簡で確認しておりますが……」
ピアースの視線が、これまで傍観者に徹していたバージルへと向けられた。
カシュアは、なにが起ころうとしているのか、なんとなく分かってしまった。
短い会議のあと、カシュアだけ先に居室へ返された。
室内にはいつものように、兵士と侍女が一名ずつ、部屋の奥で静かに控えいた。交代制だが、空気のように気配を消しているため、気づくと別の人間に変わっていることが多い。
カシュアは、すでに担当する全員の顔と、交代のタイミングをおぼえていたので、違和感に気づくのは簡単だった。
「……いつもと担当が違いますね。あなたは今日は、早朝の当番では?」
侍女にたずねると、少し恐縮した様子で配置換えがあったと説明する。
(きっと、ヒースダインから来る王子を迎える準備だろう)
カシュアは窓辺の寝椅子に横になると、目をつぶった。昼食前には、休むことを義務付けられているからだ。
未だ体内に残っている蠱毒は、少しの疲労でも活発化する。あまり血の巡りが良くなると、寿命を縮める危険性があるらしい。
カシュアの場合、痛みや苦しみが感じられないので、どの程度体に負担がかかっているか自覚できない。
そのことを医師はもとより、バージルがとても心配していた。
(エンシオ王子か……会ったことはないけど、たしか俺より五、六歳は年上だったはずだ)
カシュアは今年で二十三になるから、件の王子は三十近くになる計算だ。
先ほどピアースから聞いた話では、当面の間はウェストリンに滞在する予定だという。
(俺の代わりに、その王子をバージル殿下の妃にあてがおうとするなんて……勝手な話だな)
自分に大した価値かあるとは思ってない。むしろ欠陥だらけだ。
しかし、仮にも一度側室として送りつけた王子を、今さら別の王子と交換しろだなんて……ウェストリン王家に対して、失礼もはなはだしい。
(それに、バージル殿下に対しても……失礼だろ)
カシュアはそこで、これ以上深く考えるのをやめた。
仮にバージルがエンシオ王子を気に入ったとしても、カシュアをヒースダインへ送り返すなんてことはしないはずだ。
それではヒースダインの意に従ったことになり、諸外国の手前あまりにも体裁が悪い。
ヒースダインより格下だと軽んじられては、相手に攻め入る隙を与えてしまう可能性だってあるだろう。
(でも、もしエンシオ王子が、俺より役に立つならば……)
情報は鮮度が命だ。
エンシオなら、ヒースダインの最新情報を提供できる。そうなればカシュアは用済みだ。
(用済みになったら、俺は……どうなる?)
「カシュア」
名前を呼ばれたカシュアは、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。
「……危なかった。もう少しで、椅子ごと床に倒れるところだった」
「し、失礼しました」
部屋には、いつの間にかバージルが戻ってきていた。
「あなたは、あんがいそそっかしいな」
バージルはカシュアを椅子から抱き上げると、奥のソファーへと移動する。
そのタイミングで、侍女が茶の用意をはじめた。
「もう下ろしてください」
「もう少しだけ、このままで」
人の目を気にするカシュアに、バージルは不思議そうにする。
バージルは、カシュアを抱いたままソファーに腰を下ろすと、片手で器用にポットを操って、二つのカップに紅茶をそそいだ。
「ほら、あなたの分だ」
「ありがとうございます……」
ソーサーごとカップを受け取ると、赤くゆらぐ水面を見つめた。
「あなたが心配するようなことは、一切起きない」
間近で響いた声に、カシュアはハッとして視線を上げた。
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