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第二部
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テオドア・マレット少尉が宮殿に到着した頃、空は薄紫に染まりつつあった。
いつもなら執務室で、書類仕事に追われてる時間帯だ。しかし今夜は上官命令により、宮殿で開催されるパーティーに参加することになっていた。
(面倒だな……)
最近は自他共に、ワーカホリック気味であることを否めない中、渋々業務を切り上げて指定された場所へ向かったものの、足取りは大分重かった。
元は下級士官の叩き上げだ。当然、上層部の社交場や集まり等には、全く縁の無い生活を送ってきた。ましてや宮殿に呼ばれるなんて、軍の入隊式以来だ。
せめてもの救いは、上官の付き添いに過ぎないという点だろうか。添え物のように黙って横に立っていればいいと言われ、それなら多少は気が楽かもしれないと胸を撫でおろしたが、いざ当日になって会場へ向かう段階になると、にわかに緊張し始めた。
(あの男の傍にいれば、誰も俺なんか気にも留めねーだろ……数時間だけ辛抱すりゃいい)
格好はいつもと同じ軍服を着てきた為、特段代わり映えしない。一応下ろして間もないから、襟も袖も擦り切れておらず、そう見苦しくはないはずだ。
しかしながら、正門の守衛室で待ち構えていたルイス・リンドグレーン大佐は、テオドアの姿を見るなり嫌味ったらしく眉を上げた。
「おや、僕の選んだ晴れ着は、お気に召さなかったようだね」
軍服だってれっきとした正装のひとつだ。しかも今夜のパーティーは軍部主催なので、軍服で参加する人間も少なくないはずだ。
「……まだ袖、通してないんで。明日お返しします」
「いや、次回のお楽しみに取っておこう……さ、行くぞ」
大佐は、テオドアの言葉をやんわりと受け流がすと、仕立ての良いイブニングコート姿で会場へと足を向けた。テオドアは大人しく、このやたら周囲の目を引く直属の上司の後を追う。
どうせ口では勝てないのだから、黙っている方が得策だ。それでなくても、慣れない場所で気疲れしそうだから、無駄な体力は一切使いたくない。
(あんなふざけた服……明日の朝一で、あいつの屋敷に送り返してやる)
大佐から一方的に送られてきた服は、執務室のクローゼットに入れたまま放置してある。
大佐は一昨日から、上層部の集まりで王宮に呼び出されていた。
大佐の不在中、一人執務室で仕事をしていたテオドアのもとに届けられたのは、今夜王宮で開催されるパーティーの招待状と、真新しいイブニングコート一揃えだった。
本当はこの二日間、テオドアにとって貴重な安息日となるはずだった。少尉へ昇進して以来、大佐とは四六時中一緒だった為、息が詰まりそうで少なからずストレスが溜まっていた。
もともと仕事とプライベートは、きっちり線を引く方だ。しかし大佐はお構いなしに、テオドアの時間を拘束する。それは仕事ばかりではなく、仮眠や食事、そして時には体を求められた。
ここ最近、気の置けない同僚たちと飲みに行く機会がめっきり減ったことも、ストレス発散できない原因のひとつだろう。だから大佐のいない二日間は、羽を伸ばすつもりでいた。そこに、あの招待状が届いたものだから、テオドアはやりきれない気持ちで一杯だ。
(わざわざ王宮から送りつけてくるなんて、何かの嫌がらせかよ……しかもあんな派手な服、着れるかっての)
目の前の、見るからに上質なコートの背中を睨みつけると、大佐は肩越しに振り返った。
「隣においで、テディ」
「……その呼び方、やめてください」
歯軋りしながら大佐の隣に並ぶと、華やかでうさんくさい笑みを向けられる。
「ふふ、なかなか懐かない仔猫もいいものだね」
「……!」
無駄に甘い囁き声に、テオドアは視線を逸らして唇を噛んだ。
会場内は、テオドアの想像を遥かに超える盛況振りだった。
煌めくシャンデリアの下に集う着飾った人々は、誰もがやたら楽しそうな空気を振りまいていた。大げさなほど笑い、気取った仕草でグラスを掲げ、わざとらしいリアクションを取っている。まるで巨大な演芸場の舞台の、真ん中に放り込まれた観客の気分だ。
隣の大佐が差し出した酒のグラスを受け取ったものの、テオドアは口をつける気にもなれず、こっそり近くのテーブルに置いた。
一方、大佐は会場に一歩踏み入れた途端、ひっきりなしに声を掛けられ、息をつく暇もなく挨拶に追われていた。後ろに一歩退いたテオドアだが、よもや彼の付き添いだと誰が信じるものか。
(隅の方に移動して、適当に時間つぶしてるか……)
大佐の傍を離れても、特に咎められる様子はなかった。それどころか、テオドアが離れたことに気づいたかも疑わしい。
(まあ、もてる男だよな。軍司令部の定例会議でも、しょっちゅう取り巻き連中に囲まれてたもんなあ)
大佐の補佐になってからというもの、以前のように定例会議の準備を手伝わされることはなくなった。なぜか大佐はテオドアが会議についてくるのをよしとせず、いつも執務室で待たされる。
(俺みたいな奴が補佐だと、いろいろ変なこと言われんのかもな……)
大佐の信奉者たちにとって、今のテオドアの立ち位置は許し難いに違いない。いずれは彼らと対峙するだろうが、もう少し時間を置いて落ち着いてからの方がありがたい。
(それにしても……あいつら、本当に大佐のこと分かってねえのな)
そもそも大佐からテオドアに近づいてきた。
昇進という餌をぶら下げて、体を差し出すよう『取引』を持ちかけてきたのが事の発端だ。しかも何が楽しいのか人を餌付けして、しまいにはこちらが密かに欲していた土地を先回りして入手した。
そして今度はその土地を餌に、テオドアを繋ぎ止めようとしている。
(一体、俺のどこが気に入ったんだか……)
大佐は稀に見る人たらしだが、同時に稀に見る変わり者だ。テオドアは、なぜ大佐が自分に固執するのか理由が分からない……だから不気味だった。もしかしたら、彼にはもっと別の思惑があって、テオドアは利用されているだけなのかもしれない。
(いや、俺もあいつを利用してるんだから、お互い様だろ)
自分たちの間に特別な感情など存在しない。ただの打算で繋がった、一時的な関係でしかないはずだ。
だからどんなに大佐がテオドアを情熱的に求めても、それは生理的な欲求を満たす為の即物的な行為でしかない。彼の気持ちが自分に少しでも向いてるなんて、そんなおこがましい勘違いなどしてはならないのだ。
いつもなら執務室で、書類仕事に追われてる時間帯だ。しかし今夜は上官命令により、宮殿で開催されるパーティーに参加することになっていた。
(面倒だな……)
最近は自他共に、ワーカホリック気味であることを否めない中、渋々業務を切り上げて指定された場所へ向かったものの、足取りは大分重かった。
元は下級士官の叩き上げだ。当然、上層部の社交場や集まり等には、全く縁の無い生活を送ってきた。ましてや宮殿に呼ばれるなんて、軍の入隊式以来だ。
せめてもの救いは、上官の付き添いに過ぎないという点だろうか。添え物のように黙って横に立っていればいいと言われ、それなら多少は気が楽かもしれないと胸を撫でおろしたが、いざ当日になって会場へ向かう段階になると、にわかに緊張し始めた。
(あの男の傍にいれば、誰も俺なんか気にも留めねーだろ……数時間だけ辛抱すりゃいい)
格好はいつもと同じ軍服を着てきた為、特段代わり映えしない。一応下ろして間もないから、襟も袖も擦り切れておらず、そう見苦しくはないはずだ。
しかしながら、正門の守衛室で待ち構えていたルイス・リンドグレーン大佐は、テオドアの姿を見るなり嫌味ったらしく眉を上げた。
「おや、僕の選んだ晴れ着は、お気に召さなかったようだね」
軍服だってれっきとした正装のひとつだ。しかも今夜のパーティーは軍部主催なので、軍服で参加する人間も少なくないはずだ。
「……まだ袖、通してないんで。明日お返しします」
「いや、次回のお楽しみに取っておこう……さ、行くぞ」
大佐は、テオドアの言葉をやんわりと受け流がすと、仕立ての良いイブニングコート姿で会場へと足を向けた。テオドアは大人しく、このやたら周囲の目を引く直属の上司の後を追う。
どうせ口では勝てないのだから、黙っている方が得策だ。それでなくても、慣れない場所で気疲れしそうだから、無駄な体力は一切使いたくない。
(あんなふざけた服……明日の朝一で、あいつの屋敷に送り返してやる)
大佐から一方的に送られてきた服は、執務室のクローゼットに入れたまま放置してある。
大佐は一昨日から、上層部の集まりで王宮に呼び出されていた。
大佐の不在中、一人執務室で仕事をしていたテオドアのもとに届けられたのは、今夜王宮で開催されるパーティーの招待状と、真新しいイブニングコート一揃えだった。
本当はこの二日間、テオドアにとって貴重な安息日となるはずだった。少尉へ昇進して以来、大佐とは四六時中一緒だった為、息が詰まりそうで少なからずストレスが溜まっていた。
もともと仕事とプライベートは、きっちり線を引く方だ。しかし大佐はお構いなしに、テオドアの時間を拘束する。それは仕事ばかりではなく、仮眠や食事、そして時には体を求められた。
ここ最近、気の置けない同僚たちと飲みに行く機会がめっきり減ったことも、ストレス発散できない原因のひとつだろう。だから大佐のいない二日間は、羽を伸ばすつもりでいた。そこに、あの招待状が届いたものだから、テオドアはやりきれない気持ちで一杯だ。
(わざわざ王宮から送りつけてくるなんて、何かの嫌がらせかよ……しかもあんな派手な服、着れるかっての)
目の前の、見るからに上質なコートの背中を睨みつけると、大佐は肩越しに振り返った。
「隣においで、テディ」
「……その呼び方、やめてください」
歯軋りしながら大佐の隣に並ぶと、華やかでうさんくさい笑みを向けられる。
「ふふ、なかなか懐かない仔猫もいいものだね」
「……!」
無駄に甘い囁き声に、テオドアは視線を逸らして唇を噛んだ。
会場内は、テオドアの想像を遥かに超える盛況振りだった。
煌めくシャンデリアの下に集う着飾った人々は、誰もがやたら楽しそうな空気を振りまいていた。大げさなほど笑い、気取った仕草でグラスを掲げ、わざとらしいリアクションを取っている。まるで巨大な演芸場の舞台の、真ん中に放り込まれた観客の気分だ。
隣の大佐が差し出した酒のグラスを受け取ったものの、テオドアは口をつける気にもなれず、こっそり近くのテーブルに置いた。
一方、大佐は会場に一歩踏み入れた途端、ひっきりなしに声を掛けられ、息をつく暇もなく挨拶に追われていた。後ろに一歩退いたテオドアだが、よもや彼の付き添いだと誰が信じるものか。
(隅の方に移動して、適当に時間つぶしてるか……)
大佐の傍を離れても、特に咎められる様子はなかった。それどころか、テオドアが離れたことに気づいたかも疑わしい。
(まあ、もてる男だよな。軍司令部の定例会議でも、しょっちゅう取り巻き連中に囲まれてたもんなあ)
大佐の補佐になってからというもの、以前のように定例会議の準備を手伝わされることはなくなった。なぜか大佐はテオドアが会議についてくるのをよしとせず、いつも執務室で待たされる。
(俺みたいな奴が補佐だと、いろいろ変なこと言われんのかもな……)
大佐の信奉者たちにとって、今のテオドアの立ち位置は許し難いに違いない。いずれは彼らと対峙するだろうが、もう少し時間を置いて落ち着いてからの方がありがたい。
(それにしても……あいつら、本当に大佐のこと分かってねえのな)
そもそも大佐からテオドアに近づいてきた。
昇進という餌をぶら下げて、体を差し出すよう『取引』を持ちかけてきたのが事の発端だ。しかも何が楽しいのか人を餌付けして、しまいにはこちらが密かに欲していた土地を先回りして入手した。
そして今度はその土地を餌に、テオドアを繋ぎ止めようとしている。
(一体、俺のどこが気に入ったんだか……)
大佐は稀に見る人たらしだが、同時に稀に見る変わり者だ。テオドアは、なぜ大佐が自分に固執するのか理由が分からない……だから不気味だった。もしかしたら、彼にはもっと別の思惑があって、テオドアは利用されているだけなのかもしれない。
(いや、俺もあいつを利用してるんだから、お互い様だろ)
自分たちの間に特別な感情など存在しない。ただの打算で繋がった、一時的な関係でしかないはずだ。
だからどんなに大佐がテオドアを情熱的に求めても、それは生理的な欲求を満たす為の即物的な行為でしかない。彼の気持ちが自分に少しでも向いてるなんて、そんなおこがましい勘違いなどしてはならないのだ。
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