リンドグレーン大佐の提案

高菜あやめ

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第三部

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 テオドアの声に、サウルはゆっくりと瞼を上げて反応した。

「夢を、みてました……あまり楽しくない夢で、僕は」
「そっか、もう大丈夫だ。夢から覚めたんだからな」

 テオドアは少しでも少年の気を楽にしてやりたくて、慣れない慰めの言葉を口にした。すると小さな肩が揺れて、大きく開いた双眸には、黒いシミのような瞳孔がポツポツと顔に穴を開けた。

「僕は、忘れられない……あの日のことも」
「あの日って、いつのことだ?」
「十年前の、戦いですよ……僕はまだ六歳で、その、あんな恐ろしいこと、はじめてで……」

 黒い瞳孔が、ますます広がっていく。まるで底なしの穴のようだと、うっかりすると自分ものみこまれそうだと、テオドアはにわかに緊張する。
 サウルは、圧倒されてるような表情を浮かべていた。あたかも受け止めきれない、なにか巨大なものを、無理やり押しつけられて、途方にくれてるようにもみえた。

「毎晩のように夢で見るんです。いろいろ、数えきれないくらいたくさんあって、でもどれもはっきりしてるんです。忘れたくても、忘れられない……もう十年も経ってるなんて、信じられないくらいで……」

 十年前といえば、まだこの国が激しい戦火の最中だった時代だ。幼い少年にとって酷な光景が広がっていて、頭の中に焼きついてしまったのだろう。
 若かったとはいえ、彼よりはずっと大人だったテオドアも、いまだに凄惨な光景というものを忘れられない。そして今でも、たまに夢に出てきて苦しめられる。

「聞いてやろうか」
「……え」
「俺は長いこと戦いに身を置いてたから、そういうの聞いても引かないしビビらない。あんま周りにいないだろ、そういう話を露骨にできんのは」
「……まあ、普通はそうですね」

 すると少年は、ポツポツと黒い記憶を暴き出した。それは取りつくろったりごまかしたりしない、吐き気をもよおすほど生々しい内容だったが、テオドアは黙って耳を傾けた。そして時折、自分の経験した記憶とリンクさせ、その瞬間に感じたことや、鼻につく臭いや、さまざまなことを思い出す。リアルになぞられた過去は、テオドアの過去の記憶も揺さぶり起こされた。

「お前の経験は、たしかにお前だけのものだ。でも俺もいち兵士として、それに近い経験をしてるから、お前の気持ちも多少は理解できる」
「それは、怖かったってことですか」
「ああ、怖かったな。今でも思い出すだけで、体がブルブル震えるほど怖かった経験したよ」
「……僕は、こんな経験を通して、いまだに感じるのは恐怖しかないんです」
「まあ、恐怖しか感じないってとき、あるよな」

 そこに悲しいとか、苦しいとか、憐れみとか、いろいろあるはずの感情が、どうしても恐怖という真っ黒なインクが混じると、すべてがそれ一色になってしまう。そうなると、ただおびえるだけで、まるで本能的に身の危険を感じるだけの生き物になり果ててしまうのだ。そこには理性もなければ、高尚な道徳理念もなく、ただひたすら恐怖から逃げることばかり考えるようになり、現実から目を背けたくなるばかりだ。

「それが、また怖くて。僕はもう、小さな子どもじゃないのに。まだあの時から、この感情を変えられない気がして……あの時に閉じこめられたまま、これからもずっと抜け出せない気がして……」

 サウルの瞳が、夜目でもはっきりと滲んでいるのがわかった。

「記憶が、なにもかも邪魔するんです……この鮮明な記憶が風化しない限り、僕はずっとこのまま……忘れられない」
「無理して忘れようとしても、無理なものは無理なんだろ」
「はい……だからいくら、もう過去のことだから大丈夫だとか、今の現実はこっちだから安心しろとか、そんなふうに言われても、僕にとって気休めにもならない。なんの助けにもならないんです」

 サウルの両目から、涙がひっきりなしに流れてる。シーツに冷たいしみが広がっていく中、テオドアは静かに少年の体を引きよせた。

「そうだな、じゃあ過去のまま……ここが、あの時のままだと想像しろ」
「え……」

 テオドアの腕が、少年の頭をすっぽりと胸の中に抱える。

「お前は今、あの時の子どものままだと思え。それで俺は味方の兵士で、お前を助けにきたってとこだ」
「あ……」
「俺は今、お前を安全な場所にかくまってる。ここは爆撃も聞こえない、地下のシェルターだ。万が一、敵がやってきても、俺が守るから安心しろ」

 実際、静かな夜だった。地下ではないが、ひとつしかない頑丈な出窓はしっかりと閉められていて、外気が入ることもなく、何も聞こえない。

「俺は、実戦経験が豊富な兵士だ。特に接近戦が得意で、かなり強い方だと思うぞ?」
「ホントに?」
「ああ、そこらの奴らは敵じゃねえ。特に、こんな市街地にまで手を出そうとする下衆な輩は、大抵捨て駒みてえな連中だ。戦い方なんてなっちゃいないからな」
「そう、なんだ……」

 つややかな金髪をサラリとなでると、腕の中の少年はふっと安心したようにため息を漏らした。

「眠れそうか?」
「うん……」

 するとまもなくスウスウと、おだやかな寝息が聞こえてきた。

(誰かにくっついてると、あったかいな……)

 よく大佐も、こんなふうにテオドアを抱きこんで寝るが、今ならその気持ちがわかる。こうしていると、なんとなく落ち着くし、なによりあたたかい。するとだんだんテオドアにも睡魔が襲ってきて、知らぬ間に深い眠りに落ちていった。





 翌朝。寒いが天気はよかった。
 朝食はアーミテイジの誘いを受けて、食堂ではなく執務室に運んで三人で食べた。食べはじめこそぎこちなかった空気は、アーミテイジのたくみな話術と、サウルの空元気とも見えるノリの良さに救われて、なごやかと呼べるレベルで過ぎていった。

「え! サウルの母親って、中佐の親戚なんですか」
「ああ、小さい頃はルイスも一緒に、三人でよく遊んだよ……とはいっても、年に一、二度程度だがな。それにルイスと私が十五歳で士官学校に入学するまでの話だ」

 大佐とアーミテイジが幼馴染と聞いてはいたが、まさかサウルの母親ともそうだとは、テオドアにも初耳だった。つまりサウル、ひいてはクリフトン大尉も、アーミテイジと親戚ということになる。

「そんなに驚くことか? ルイスは私の遠縁でもあるんだぞ?」
「え、そうだったんですか」
「テオドアさん、本当に何も知らないんですね。リンドグレーン大佐も秘密主義なとこあるからな」

 少年は眉をあげて、少し小馬鹿にしたような笑いを浮かべる。昨夜の夢にうなされておびえてる顔より、こちらのほうかよっぽどいい。テオドアは、ふくれっつらを装って、大皿に残っていたスクランブルエッグの残りをかきこんだ。

「二人とも、無事帰るまでが任務だ。特にお前たちになにかあったら、クリフトン大尉とルイスに申し訳がたたないからな」

 アーミテイジは軽い口調でそう言ったわりに、表情は真剣そのものだった。
 思えばあのとき、彼女はすでになにか起こると感じてたのかもしれないと、テオドアは後になって振り返るのだった。
 とてもよく晴れた日で、荷物を積んだ車も、行きとは違って悪路に悩まされずに、始終快適なドライブになった。運転席のイライアスも、気を利かせて食堂から軽食の包みを三人分用意してくれたので、道の途中で休憩がてら車を停め、木陰の下で三人輪になって食べた。風が冷たくて、コートの襟を立てながら、ポットの熱いお茶を飲んだ。
 おそらく少年も、またテオドアさえも、この束の間の、のどかでおだやかな時間を、純粋に楽しんでいた。
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