リンドグレーン大佐の提案

高菜あやめ

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第三部

9

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 このまま車でカッレラまで向かうことにしたのは、イライアスの提案だった。

「ネストリニーロから首都へ向かう列車は、一日数本しかありません。直行はめったに来ないので、どうしても乗り換えが必要ですが、それも面倒でしょうし時間もかなりかかるでしょうから、車でお送りしますよ」

 イライアスが話したとおり、ネストリニーロ駅から首都カッレラ行きの列車は、極端に本数が少ない。乗り換えも最低二回、乗り継ぎが悪い時間帯ならば三回必要になってくる。

「悪いな、そうしてもらえると助かる」
「お気になさらないでください。せっかくなので、私もカッレラでいろいろ所用をすませようと思ってたところですから」

 車のエンジンは調子良く、補正されてない道でも乗り心地は快適だ。サンドウィッチで腹ごなしもしたので空腹も満たされ、今ならよほどのことでない限り、どんなことにも対応できそうだ。
 だがサウルは青い顔で、押し黙ったまま窓の外ばかりながめていた。テオドアが何度か、具合が悪いのかとたずねても、ただ首を振るばかりだった。

「乗り物酔いかもしれませんね」
「どこか停められる場所はあるか?」

 車は、補正されてない畦道で停まった。テオドアは少年の体を支えて車の外へ出ると、木陰まで引きずっていく。

「……やっと、二人きりになれた」

 嫌がってるように見えた少年は、顔色を悪くしたままテオドアに顔を寄せた。

「時間がないので端的にお伝えします。イライアスに気をつけて、油断しないでください。あとカッレラに着いたら、このまま僕を一緒に帝都まで連れてってください」

 木陰で、少年の白い顔がまだらに光っている。額にはうっすらと汗がにじみ、触れた指先は具合と悪さからなのか、それとも緊張してるのか、すっかり冷たくなっていた。
 テオドアは、サウルの言葉に驚かなかった。もともと簡単に人を信用する性格ではなく、またアーミテイジの部下であること以外あの男についてなにも知らない。
 だが少なくともサウルは、あの男ともともと面識があるようだ。そしてテオドアは少年の聡明さを知ってる。

「……帝都へ向かう理由は、どうするつもりだ」
「僕が適当に理由をつけますから、合わせてください」

 短いやり取りだったが、テオドアはひとまず少年を信じることにした。警戒し過ぎても損することはないし、少年を帝都まで連れて帰っても大した問題ではない。学校がはじまるのは来週だそうだから、とんぼ返りさえすれば入学式には間に合うだろう。
 テオドアは、車を振り返らなかった。今のところ、イライアスが車を降りて近づいてくる気配はない。せいぜい運転席から、遠目でテオドアたちの様子をうかがってる程度だろう。

「わかった……車へ戻るぞ」
「はい」

 テオドアは、木陰に座り込んだ少年を引っぱりあげる。肩をかしたら、おとなしくもたれかかってきた。

(具合が悪いのは、演技じゃないみたいだな……)

 多少車酔いもあるのだろう、少年はたしかに具合が悪そうだった。カッレラまで、まだ二時間はたっぷりかかる。それまで耐えられるか心配だ。

「僕の荷物に、酔い止めの薬が入ってます。それを取ってもらえますか」
「わかった……イライアス大尉、ちょっとトランク開けてくれないか」

 イライアスはトランクを開けながら、後部座席のサウルを心配そうにうかがってる。こうしていると、先刻少年から聞いた話は、まるで現実味を帯びないが、裏切り者の顔はいつだって平静を装っている。

(急にカッレラまで送るって提案したのも、なにか思惑があるんだろうな)

 助手席に乗り込んだテオドアは、後部座席で横たわる少年の白い顔をじっと見つめた。目を閉じると、長くて濃いまつ毛が頬に落ち、なんだか落ち着かない気分だ。

(一応、アイツとも血縁関係あるんだっけか? 道理でなんとなく似てるわけだ)

 瞳が見えない分、大佐の面影が濃くなる。テオドアが発って以来、あの男はちゃんと寝てるのだろうか。放っておくと睡眠時間を削って精力的に仕事をするが、その反動で休みになるとベッドから起き上がらなくなる。そんなとき『添い寝をしろ』と言ってテオドアを巻き込むことも多く、とても迷惑だ。
 いろいろ考えていたら、胸の奥がしんみりしてきた。寂しいのとは断じて違うが、なんとなく男の顔を思い浮かべると、チリリと胸が焦がれて、無性に無事を確かめたくなる。そんな感情も、仕事中は集中力を欠きそうで、本当に迷惑に思う。

「もうすぐカッレラ駅に着きますよ」

 イライアスの何気ない言葉に、テオドアはそうか、と短く答えた。先ほどから賑やかな通りを走っていたので、そろそろかと踏んでいたが、いざ到着となるとにわかに緊張する。街角に打ちつけられた標識には、通りの名前とともに駅への方角と距離が示されている。今のところ目的の駅へ向かっているのは、間違いないようだ。

「……お腹が痛い」

 サウルがかすれ声でつぶやく。

「えっ、大丈夫かよ?」
「……家に帰りたい」

 テオドアは呆気に取られた。まさか、ホームシックを装うつもりだろうか。少年の性格を考えると、なんとなく無理があるように思えたが、隣のイライアスはいたく同情したようだ。

「もしかすると、単なる車酔いではないかもしれませんね」
「病院へ連れてった方がいいんじゃないか……どう思う?」

 テオドアが水を向けると、イライアスは少し考える素振りをして、それからサウルにやわらかい声でたずねた。

「病院へ行きますか」
「……やだ。お父さんに会いたい」

 イライアスは困った様子でテオドアを見やる。テオドアも悩む素振りを見せつつも、内心冷や汗をかき続けていた。たしかに十六歳はまだ子どもだろうが、こんなにも気弱な振りをしたら、ワザとらしく受け止められないだろうか。

(俺が十六のときって、どんなだったっけ?)

 テオドアも十六歳で親元を離れ、士官学校に入学した。たった一年のことだから遠い記憶にも思えたが、はじめて家を離れて寮生活をはじめた日のことはよく覚えてる。
 たぶんあれがホームシックだ、という明確な記憶はない。だがこれまで経験したことのない、よりどころのなさを感じた気がする。あれがもしかすると、寂しいという感覚だったのだろうか。

「……体調が悪くて、気が弱ってるのかもな。入学式は来週だって聞いてるし、もしかしたら一度帝都へ戻ってもいいかもしれないな。ちょうど俺も帝都へ戻るから、ついでにクリフトン大尉の家まで送ってやるよ」
「そうですね、助かります」

 イライアスはホッとした様子で、わずかに微笑んだ。少年の心配よりも、むしろ面倒ごとから解放されたので、安心したのだろう。

「では彼の分の切符を」
「ああ俺が買って、帝都に着いたらコイツの親父に請求するよ」
「わかりました、では彼を連れて先にホームへ向かってください。私は彼の分の切符を買ってから、荷物を持って追いかけます」
「……ああ、わかった。立て替えてもらった切符代はホームで手渡すから、領収書をくれ」

 この時点で、イライアスとは別行動となった。しかし彼の提案にも行動にも、今のところ不自然さは見受けられない。
 ホームへ向かう途中、サウルは駅に到着してからはじめて口を開いた。

「仲間を呼びに行ったかもしれませんね」
「……連中、帝都までついてくる気か」
「まあ、そうなりますよね。少なくともイライアスさんとは、ここでお別れになりそうです」

 その時、ふと少年の視線がある方向に固まった。なにを見つけたのかと、同じ方向へ目を向けて、テオドアは息を飲んだ。

「あんた……どうしてここにいるんです?」
「遅いから迎えにきた」

 二人の目の前に現れたのは、リンドグレーン大佐だった。軍服の詰襟の上にグレーのロングコートを纏った姿は、駅のホームでもかなり人目を引く。なぜなら軍帽からのぞくアッシュブロンドの髪といい、鼻筋の通った端正な顔といい、なにより深く美しい碧眼の双眸とそれを縁取る長いまつ毛が、稀に見る神々しさを演出してるからだ。
 つい見惚れてしまいそうな刹那……テオドアはハッとした。

 ――独特の金属音だから、雑踏の中でもまあ、俺なら聞き逃すってことはありませんね。

 あんなの、嘘に決まってる。雑踏の中では、トリガーの音さえかき消してしまうはずだ。火薬や硝煙の匂いだって、煙草の香りとなんら変わりがなく、区別だってつかない。
 ただテオドア自身の直感が、そのとき働くだけだ。だから次の瞬間、テオドアはサウルを押しやり、大佐に飛びついた。続いて背中に衝撃が走ったが、意識が飛ぶことはなかった。

「……馬鹿者、なにをしてる!」

 テオドアは喉の奥で笑った。背後から誰かの叫び声と、それから喧騒混じりの悲鳴が聞こえたが、その音もどこか他人事のようで、自分の乱れた呼吸のほうが耳障りだった。いや、自分の呼吸ではない……それは大佐のものだった。

「相手は」
「僕がしとめたにきまってる」

 その通りなのだろう。大佐のコートからは、彼の好む煙草の香りではない火薬の匂いがした。

「さすがですね、よかった」
「よくない、馬鹿者が……お前が着てる防弾チョッキだって万能じゃないんだぞ」

 言われたとおり、衝撃で脇腹がおかしなくらい痛い。だが大佐の腕でしっかりと腰が支えられていたため、テオドアはその場に崩れ落ちるのを、かろうじてまぬがれた。
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