Sealed

高菜あやめ

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 リゼットは、そっとテーブルの向かいをうかがう。地酒を頼むクリストフェルの横顔が、こうこうと灯る店内の照明に照らされて、長いまつ毛や高い鼻梁による濃い陰影を作っていた。絵になる。

(いやいやいや! 見とれてる場合じゃないってば)

 それにしても、今日の皇子は機嫌がよさそうだ。いつもの倍は、機嫌がよいかもしれない。思えばリゼットは、これまであまり皇子に対して、良い印象的を持ってなかった。その理由のひとつは、もしかしたら彼の機嫌がいつも微妙だったからかもしれない。

(こうして普通にしてると、好青年風だよなあ)

 でも普通ならば、こんな風に皇子の食卓に同席するなんて、到底考えられない事なのだ……リゼットはクリストフェルの顔をぼんやりとながめる。

「どうした? 冷めるぞ」
「あ、はい……そうですね」
「なんだ、嫌いなものでも入ってたか?」
「いえ、特には」

 リゼットは平然を装いながら、ずっと緊張でドキドキしていた。自分のような普通の娘と、普通の食べ物を、街の一角にある普通の料理屋で食べている状況がおかしい……。

(待って。皇子だからというより、男の人と二人で食事とか、はじめてだったわ……どうりで緊張するわけだ!)

 一方、クリストフェルは肩の力が抜けていて、表情まで柔らかく見える。きっと、お忍びデートの経験があるのだろう。

(そりゃあ、モテるだろうから、これまで恋人の一人や二人……いや、今だって付き合っている人がいそうだもの)

 リゼットに興味を持ったのは、今日この日のためだった。オーレリーが盗まれたりしなければ、こんなこのにはならなかった……ヘルガにこれただけ、ラッキーと思った方が前向きだ。

(やっ、別にガッカリしてないから! めずらしい料理だって食べれたし、普通なら入れないオークションに参加できるし!)

 こうなったら、この状況を楽しんだ方が勝ちだ。その前に腹ごなしだ。リゼットが目の前の皿を平らげると、それを待ってたかのように向かいから声がかかった。

「ところで、表通りの広場へ行ってみたか?」
「広場? いえ、何かあるんですか?」
「アートクラフトの露店がたくさん出てるぞ。せっかくだから、食後の散歩がてら行ってみるか?」
「行ってみたいです!」

 露店めぐりなんて、物凄く久しぶりだ。リゼットは、スヴェンになる前に一度だけ、シグリッド郊外の村祭りで露店を回ったことがあった。手作りの工芸品が並び、不思議な食べ物が売られてて、夢のように楽しかった記憶がある。草花や昆虫をかたどった飴や、ふわふわしたクリームを挟んだパン菓子、カラフルなシロップをかけた削り氷に、肉や野菜をたっぷり混ぜた焼き麺……ほんの三年ほど前なのに、なんだかずいぶんと昔の事のように思える。

(しかも今回は、皇子と一緒に露店めぐりとか!)

 まさか、こんな日か来るとは思わなかった。こういった楽しみは、スヴェンになる前に思い出の小箱に封印して、心の奥にしまいこんだつもりだった。
 スヴェンの仕事は嫌いじゃない。でももう、あの頃のように、一番好きなものを好きと言えなくなって、この先一生興味ないふりをし続けなければいけなかった気がしていた。





 食事を終わらせた二人は、店を出ると表通りの広場へ向かった。

(わわ……人も店もたくさん。迷子になりそう)

 リゼットは、クリストフェルの背を見失わないよう追っていたが、押し寄せる人の波によって、あっという間に押し流されてしまった。

(……さっそくはぐれちゃった……)

 しかし皇子は背も高く、なによりオーラがある。きっとすぐ合流できるだろう。もしどうしても会えなかったら、先に宿へ戻るしかない。

(私と同じ宿だって言ってたから、受付に伝言を残しておこう)

 こういう時は、落ち着いて行動するのが一番。そうと決めたら、せっかくの露店を少しくらい楽しんでも、バチは当たらないだろう。
 リゼットが、目の前の雑貨を見ようと腰をかがめたその時……視界の端に飛び込んできたものに、一瞬目を奪われた。

(ん……?)

 視線の先には、黒いマント姿の男が立っていた。異国の者らしい褐色の横顔に、金色の長い髪は遠目でも目立つ。しかし何よりリゼットの目を引いたのは、何かの紋章を象った、大ぶりのペンダントだった。

(あれって、南棟にあった贋作に描かれてた紋章と同じ?)

 昨日に続いて今日も、しかも遠く離れたこの街で見かけるとは、よほど流行っているのだろうか。ついまじまじと男の胸元を見ていたら、視線を感じたのか男がこちらを向いた。パチっと目が合うと、男は渋面を浮かべて何事かつぶやいたが、雑踏にまぎれてリゼットの耳には届かない。

(しまった、変な女と思われたかも)

 とりあえず、身振り手振りであやまると、今度は男が興味深そうに、まじまじとリゼットを見つめ返す。その時、どこかの旅行者らしき団体が、二人の視界をさえぎるように通った。そして、全員が通り過ぎてしまうと、もう男の姿はなかった。

(あれれ、いなくなっちやったか……)

 背を向ける直前に、男の手が例の紋章を掌で隠すように握り締めたのをリゼットは見逃さなかった。

「コラ」

 とつぜんコツンと頭を叩かれてふりむくと、そこには不機嫌オーラ全開のクリストフェルが立っていた。

「いきなりいなくなって、心配するだろ」
「す、すいませ……」

 言葉が途切れてしまったのは、手を握られたから。つい、クリストフェルを二度見すると、視線をそらされてしまう。

「……こうするしかないだろう」

 たしかに手を繋いで歩けば、人混みでもはぐれないだろう。恥ずかしいが、仕方ない。

「それで? コレが欲しいのか」

 クリストフェルは、リゼットの肩越しに露店の店頭を見やる。そこには、表面に色とりどりの小石をあしらった、大小さまざまな箱が並んでいた。いかにもアートクラフトらしい、手作り感満載の小物入れだ。

「きれいですねー」

 リゼットは、緑と黄色の石を散りばめた、両手におさまるほどの箱を取り上げてながめた。なだらかに磨かれた小石が街頭の灯りを受けて、淡い光をはなっている。

「買ってやろうか」
「えっ」

 クリストフェルはそう言うと、リゼットの返事も聞かずに、さっさと店主に支払いを済ませてしまった。

「あ、ありがとうございますっ……」
「……そんな顔するな……なんでも買ってやりたくなる」
「い、いえいえ、そんな! これでもう、じゅうぶんですから!」

 リゼットはあわてて両手を振って遠慮すると、背中に人がぶつかってよろけた。

「あぶない!」

 クリストフェルは、転びそうになったリゼットの腕を取って、自分の方へ引きよせる。そのまま、マントの中に、すっぽりとおさまった。

「は、はぐれるから、大人しくしてろ……」
「……は、は、はいっ……」

 肩に触れるクリストフェルの手が熱い。リゼットは、ドキドキしながらそっと視線を上げると、そこにはまっすぐ前を向いたまま顔を赤くする皇子の横顔があった。まるで緊張しているのに、それを見せまいと虚勢を張っているかのような、そんな固い表情の横顔で……リゼットはうろたえる。

(え、なにこのシチュエーション。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけどっ……)

 キャパオーバーでいっぱいいっぱいになっているリゼットは、気づかなかった……そんな二人の様子を、物陰からうかがってる影があったなんて。




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