【完結】龍王陛下の里帰り

笹乃笹世

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 私はお姫様だったのに……私は正妃様になるはずだったのに……
 ――どうしてこんなことに……

「いつまで、ちんたら支度してるんだい⁉︎ あんたの顔の良し悪しなんて誰も気にしちゃいないんだよ! 胸と足出して腰振って踊ってきなっ!」
「……はぃ」
「ったく……どのぞのおひぃさんだったか知らないが、今のあんたにゃ莫大な借金があるんだ! その身体で金稼げるなんざ少しの間だけなんだからチャキチャキ稼ぎなっ!」

 ――借金……違う。
 私は売られた……お祖父様やお兄様に……

 あの後お祖父様は大臣の座を追われーーそうなったら多くの者たちが私たちの敵になった……

 ーー竜王様を襲おうとしたなんて嘘。
 私はそんなことしてない……何度もそう言ったのに誰も信じてくれなくて……
 ーーあんなに優しかったお父様たちやお兄様も、誰も信じてくれなくて……
 それどころか、私のせいで地位を奪われた! と怒鳴り散らされて……打たれて……ーー恐ろしかった。

 お父様たちは地方に引っ越すことになった時、お祖父様とお兄様は王都で暮らすと聞いてーー少しだけホッとしたのを覚えてる……だって私は王都に残れと言われたから。
 田舎は嫌い。 美しい服も装飾品もうんと少なくて、素敵なお店も少ないから……ーー昔、龍脈に慣れる強い子に育つようにって田舎に送られたけれど……楽しいことなんかほとんど無かったわ……
 ーーだから、ほんの少し嬉しかったのに……

 お父様たちが旅立った次の日、私はお祖父様たちに連れられてにやってきていたーー
 そして二人はさっきの女将と私がいくらで売れるかを話し始めた。

 私がなにを言っても怒鳴られ睨まれて終わり。
 挙げ句の果てには“躾”だと言って女将に髪を掴まれ床に引きずり倒された。
 そしてそのまま椅子に座ることを許されなかった……
 結局私はここに売られ、お祖父様たちは「ここまで買い叩かれるとは……」とか「けれどこれでかろうじてお家は存続できます」とか言い合いながら帰っていった……ーー私を売ったお金を大切そうに持って……私のことは一度も見ないまま――



 私はお姫様だったのに……私は正妃様になるはずだったのに……
 ――どうしてこんなことに……

「高い金出しただけあって、金持ち連中に大人気じゃ無いかい? 今日もしっかり稼いでおくれよ⁇」
「……はい」

 それから何日経ったのか……私にはたくさんの依頼が舞い込むようになっていたーー
 それは、かつての歌い手だったの家だったり、お祖父様やお父様たちの知り合いの家だったり、見たのとも無い者たちが、かつての歌い手筆頭を面白半分にお座敷に読んでいるんだそうだ。

 こんな姿昔の知り合いに見られたく無い……!
 ……そう思っても、今の私には拒否することなんかできなくて……
 ーーちゃんとお金をもらわなきゃお水すらもらえない……
 ……お水なんていくらだってもらえたのに……ご飯だってお菓子だっていくらだって持ってきてもらえたのに……



「さぁさ! 今日もしっかり稼いどくれ! ーーおひねりは半々だがめるんじゃ無いよ!」

 そんな女将の言葉に今日のお座敷に呼ばれた者たちが返事をしてお屋敷の中に入っていく。
 ーー嫌だな。 この家知っている……
 こんな格好で出たく無い……
 そうは思っても、ひもじさや喉の渇きを思い出し、無理やり足を前に進める。



 ーーああ……本当に、なんでこんなことに……

 数曲歌い終わり、挨拶をしろと言われたので、前に出て深々と頭を下げた。
 ……頭を下げていたほうが相手の顔を見なくて済むし、顔も見られなくて楽だなんて思う日が来るなんて……
 そんなことを考えていると、私に挨拶をさせた男が末席の者に楽しそうに話しかけた。
「ーーどうです泰然殿、お孫様の歌声は?」
 その声にギクリと身体が硬直する。
 出席していた者たちはクスクスと忍び笑いを漏らしながら私と……お祖父様を見て楽しんでいた。
 ーーお祖父様……こんな姿の私を見てはしたないと怒っているだろうか……それとも、哀れすぎると悲しんでいてくれるだろうか……
 そう考えながら頭を下げたままチラリとお祖父様の方を盗み見るーー
 そこにいたお祖父様は……ーー
「ーー私の孫娘は死に申した。 かような芸人見たこともございませぬが?」
 ……なんでも無いことのようにそう言って、無表情にお酒を飲んでいた。
 その答えにドッとお座敷中が湧きたち、耳障りで下品な笑い声がそこかしこから上がった。

 ーー死んだ? 私が⁇
 こんなところに私を押し込めたのはあなたたちなのに⁉︎
 どうして……どうしてそんなことが……!

 ーー私はいつの間にかお祖父様を凝視していたのだろう。
 笑いすぎて出たであろう涙を拭いながら……かつての歌い手仲間だった少女がニンマリと楽しそうに笑いながら声をかけてきた。

「あらあら……かわいそうにねぇ? どうしたのお祖父様に捨てられて悲しいの⁇ ああ、そうだわ! そんな可哀想なあなたにこれをあげる」
 その少女は私に向かってお金が包まれているであろう、白い紙で出来たおひねりを投げつけた。
「私からもあげましょうねぇ?」
 その後の隣に座っていた女性も私に向かっておひねりを投げつける。
「ほらほらお拾いなさいな。 他のものに取られてしまうわよ」
 悲しみからなのか、怒りからなのか、私の身体はギシリと固まってその場から動くことが出来なかった。

「……あら、なぁに? あなた方の一座は、こんな小金なんか要らないってそういうこと⁇」

 かつての歌い手仲間だった少女は攻撃的に唇を歪めると、忌々しそうに私を睨みつける。
 ――親がそばにいるからって偉そうに……以前は私を恐れて目も合わせられなかったくせに……!
 腹が立って怒りのままに睨みつけようとした時だった、後ろから飛んできた女将が私の足を払った。
 なんの抵抗も出来ずに床に倒れ伏すと、その痛みが襲ってくる前に女将に頭を押さえつけられた。

「申し訳ございません! まだ入ったばかりの無作法者でっ! こんな簡単なお礼すらまともに出来ないなんて本当にお恥ずかしい……」

 媚を売るような優しい声だったが、私の頭を押さえつけるその力は、とても強く忘れていた恐怖を私に思い出させた……

「ーーあらそう? まぁ……無作法ものっていうことだけは納得だけど……」
「あらあら……新人らしいから、そこまで言っては可哀想よ⁇」

 そんな少女たちの会話に周りがドッと笑い、頭を押さえつけられ続けている私に向かって、ヤジのような言葉をかけながら再びおひねりを投げつけ始めた。

「まぁまぁ! こんなにたくさんありがとうございます! ありがたく、ありがたく」

 そう言いながら女将はいそいそとおひねりを拾い始める。
 私もそっと近くに落ちていたおひねりに手を伸ばすと、ケラケラと上機嫌に笑う少女の笑い声が聞こえ、その手がそこで止まってしまった。

「ーーさっさとおし! 鈍臭い子だねぇ!」

 女将が私のそばまでやってきて私のそばにあったおひねりを「ありがたく、ありがたく……」と呪文のように唱えながら拾い出す。
 それを見て私はゆっくりと手を握り締め、そっと胸元に引き寄せた。
 これで拾わなくて済む……
 そう思っていたのに……

「ーーあんたが拾うのを楽しみにしてるんだよ。 さっさしな」

と、女将に耳元で凄まれた。

「ぁ……」

 ぎこちない動きでそちらを振り向いた見つめる私に、冷たい表情を向け肘で脇腹あたりを小突かれる。
 それでも戸惑い少女たちにチラリと視線を送ると、不満だということを隠そうともせずこちらを見つめていた。
 ーーその顔は女将からも見えたのだろう、ヘラヘラとした愛想笑いを客に向けた後、私の耳元で冷たく言い放った。

「――飯抜きかい? 水責めかい? ……それとも男衆の相手をさせてやろうか?」

 その言葉に恐怖で顔が歪んだのが分かった。
 ……ひもじいのは辛い。
 井戸に何度も突き落とされるのは怖い……素直に謝らなかった者が殺されることもあると聞いた。
 ーー男たちの相手も嫌だ。
 あんな奴らに触られたくない……! せっかく今は稼ぎがいいからとやらなくていいと言われているのに……

「っ……ぁりがたく……ありがたく……」

 引っ込めた手を伸ばしながらお決まりの言葉を唱える。
 私がおひねりを掴んだ瞬間、今日一番の歓声が宴会場に響き渡り、ゲラゲラと下品な笑い声で埋め尽くされた。

「いい気味!」
「案外お似合いですわねぇ?」
「なんとも落ちたものよ……」
「ーーほれほれ泰然殿もいかがか?」
「……
「ーーああ、菫家は大変な時でしたなぁ? ーーよければこちらをお使いください」
「っ……ーーではお言葉に甘えて……」
「あらっ! 皆様、泰然殿が投げましてよ!」
「なんとなんと、それは見逃せぬ!」

 そんな会話の後、お祖父様はゴミでも捨てるかのように、冷たい視線で私の手元におひねりを投げ捨てる。

「……あり、がたく、ありがたく」

 震える手でそのおひねりを拾った瞬間、人生で一番かもしれないほどの喝采を浴びた……

「…………ありがたく、ありがたく」

 私はお姫様だったのに……
 私は正妃様になるはずだったのに……
 ――どうしてこんなことに……

 
 
 

 
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