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三
しおりを挟むふと時計を見る。
時刻はまもなく深夜0時。山蕗さんは宵っ張りの人らしく、いつも遅くまで本を読んでいるからまだ居てもかまわないと言ってくれた。それでも普通は遠慮して、人の部屋だからそろそろ切り上げるべきだが、まだもう少し進めておかなくては……あと少し。あと少し……
俺はこの暖かさと静けさ、そして知り合ったばかりなのになぜだか心が安らぐ山蕗さんの雰囲気に、すっかりなごんでいた。眠くなるのが厄介だが、この居心地のよさは実にすばらしい。実家なんかよりずっと心が落ち着く。
不思議な山蕗さんのもたらす、独特の空気感のおかげだろう。出会って日の浅い他人というより、昔飼ってたネコとか、実家の隣町に住んでるばあちゃんとかと一緒にいるみたいだ。けなしてるんじゃない。俺はネコとばあちゃんが好きなのだ。
「そういえば……」
いい感じに癒されてるところで、良からぬ話を思い出す。
例の丑三つ時まで、あと2時間。丑三つ時とはいうが、俺が1日の中で特に霊的な気配を感じやすいのは、午前0時をまたいでからだ。
「……あの、門の男って……」
振り向いてそう言いかけると、山蕗さんが本から目を離さぬまま、小さくかぶりを振った。
話すな、ということだろうか。俺はハッとして口をつぐみ、パソコンに向き直った。
「……ここには入ってこれないから、心配しないでください。」
「それなら別にいいんです。すみません。なんか気になっちゃって。」
「約束を守っていれば平気ですから。深夜2時前後に、決して門のあたりにいないこと。」
「もしも約束を破ったら?」
「………。」
もう一度、そっと山蕗さんを振り返る。すると彼は窓の方をじっと見つめ、険しい顔をしていた。山蕗さんがこの話に触れたがらない理由は、そのとたんに沸き起こった悪寒で察した。門に立つ男が、窓の向こうでこちらの様子をうかがっている。俺にはそれが感覚としてわかった。
覚えておいてほしいのは、霊ってのは、話をすると本当に寄ってくる。だから俺は怪談話もしないし、読んだりもしないし、心霊スポットも絶対に行かない。奴らは「気づかれたい」のだ。生きてる人間に対して、常にすさまじい興味関心を持っている。で、俺のように「見える」人間なんかは大好物。だって自分たちに気づいてくれるんだからな。
「……約束を破ったら、困るのはあなたです。」
「……そうみたいっすね。」
「このことにはもう触れないほうがいい。」
「………はい。」
すでに俺の視界は、あらゆる色彩が褪せ、室内が昔の白黒写真のように映っている。そして同時に、俺の脳裏にこの部屋の「かつての記憶」のようなものが、細切れの映像になってチラチラとよみがえってきた。
思念だろうか、強烈な憎悪、悲しみ、怒り、苦しみ……良くない感情のすべてが溢れかえっている。バタバタと逃げ回る足音、何やら男が揉みあっており、床にはどす黒い液体……この匂いは……これは血だまりだろうか。全部が断片的で、よくわからない。だがともかくこれは何かの事件現場だ。
俺がこの映像を見るようになったのは、なにも今が初めてではない。夢にも出てくる。こんな「記憶」が、このアパートに染み付いてるんだ。
古い建物……廃屋なんか特にそうだが、俺が観光地にあるような歴史的な建造物ですら嫌なのは、建物が「記憶」を持っているせいだ。特に殺人なんかが起こった場所は最悪だ。すぐに具合が悪くなって、吐いちまう。
家というのは、かつてそこに暮らしてたやつらのことを覚えている。
いつまでもいつまでもその記憶を持っていて、俺のような人間が入ると、過去のことを古い映画のように一方的に映し出してくるのだ。
みんなが、初めての場所に懐かしさや既視感を覚えるのは、その道や建物に封じ込められた「記憶」のせいと言ってもいい。デジャブというのもあるが、だいたいは建物の持つ記憶と同化し、飲まれかけてるせいだ。
だから俺は古い建物が好きではない。……こんな家を借りといて、今さらなに言ってやがんだって感じだけど。この場合は俺が取り込まれたせい。すなわち、この家の思念はあまりにも強すぎるってわけだ。
「山蕗さん……やばいかも。部屋の色が……」
「平気です。落ち着いて。」
山蕗さんも、白黒だ。本当に昔の写真のよう。
「生きてる人は強いんです。彼らは心音が嫌いだ。鼓動には勝てない。」
取り込まれるのは、自分が弱いと思い込まされるから。しっかり意思を持って、と彼の声が耳ではなく頭の中に入り込んでくる。その言葉を聞いたのを最後に、俺は気を失ったらしい。眠気のピークだったのもあるせいか?とにかくスーッと脱力していき、結局、山蕗さんの部屋で朝を迎えてしまった。
起きたら布団がかけられており、その脇で、山蕗さんが眠っていた。
火鉢は消され部屋はすっかり冷えているが、男の気配はとうに掻き消え、カーテンから差し込む光を見たときの安堵で、白黒の世界は開け、俺の身体にようやく熱がもたらされたように感じた。
しかしまたしてもあの夢を見た。見知らぬ男がこのアパートに侵入し、俺は奴と揉み合いながら逃げ回るが、結局捕まって刃物で刺される夢だ。馬乗りで滅多刺しにされるのを、なすすべなく仰いでいる。
その後……俺が死んだかどうかはわからない。血がだくだくと流れるのを感じているが、痛みや苦しみはさほどない。だがそれを見つめながら悔しいと思っているから、きっと殺されたのだろう。
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