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十(三)
しおりを挟む深夜2時。七人ミサキのようなゾンビどもが、ゆらゆらと揺れる渡し舟にぎゅうぎゅう詰めになって、沖からいくつもいくつもこちらに流されてきたのだ。あの砂浜に居たのはほんの一部だったわけだ。海の亡者は数え切れないほどあって、雨がザーザー降って辺りはけぶっているのに、何故か月だけが冴え冴えと光っている不思議な夜空の下で、次から次へと砂浜を目指して船でやって来た。
その後ろに続いてきたものが、魔物だった。毎晩やってくる海のオバケは、アラタいわく海藻まみれで目の飛び出た巨大な黒いかたまりだそうだが、俺の目にもはっきりと映し出されたその魔物は、タンカーなどの大型船の倍以上はあろうかという大きさの、肋骨から上だけの骸骨だった。
月光によって白くぬらぬらと浮かび上がる骨の中に、たくさんの小型船が引っかかってガラガラと音を立て、亡者をボロ切れの衣服のようにまとい、ぽっかりと空いた真っ暗闇の眼窩から滝のように海水を垂れ流していた。
俺はそのとき、あのキツネがついてきたときとは比べものにならないほどの圧倒的な、もう言葉にもならないほどの甚大な恐怖の渦に飲み込まれ、きっとここで、アラタといっしょに殺されるのだと感じていた。
そこから立ち去るどころか、逃げよう、と言葉を発することすらできなかったのだ。それはとなりで崩れ落ち苦しそうに息を荒げるアラタも同じことであった。俺はかろうじて腰も抜かさずに立っていたが、恐らくは金縛り状態だっただけだろう。圧倒的な恐怖の前には、もう「怖い」という概念すら根こそぎ持っていかれるものらしい。
たぶんあのままだったら、俺は発狂し、砂浜に向かって走り出し、あのゾンビのひとりに加わっていたに違いない。だって、そうなっちまう方がラクな気がしたんだ。生きてることがしんどくなるほどに怖いだなんて、そんな恐怖、味わったことがなかったから。
だがそんな狂人と化す一歩手前の俺を救ってくれたのは、あのオバケ……神様だった。氷山に迫るタイタニック号のごとく、じりじりと近づいてくる魔物が砂浜に上がる直前、神様はいつものごとく部屋の窓の外にやって来た。
だが、神様を目の前にしてもとうとう正確な姿を見られなかったのだから、やっぱりあれは恐らく人間ごときの脳では理解できない、あるいは理解を超越したものなのだろう。目に映るのはただの黒い陰のかたまりでしかなかった。だが、たしかにいつもの神様だというのがわかった。
彼は背後の魔物になど目もくれず、窓の下で皿に盛っておいたスナック菓子やチョコレートをバリバリとむさぼり、ペットボトルのジュースをこぼしながらも一気に飲み干し、ビーフジャーキーやチー鱈を日本酒といっしょに流し込み、備えていたものをあっという間に平らげてしまった。
そして食べるものがなくなると、じっと窓の中を見ながら……つまり俺と向かい合い、彼は窓の外で立ち尽くしていた。窓を開けた方がいいのかとも思ったが、カラダは依然動かせなかった。きっとダンプカーの前にうっかり飛び出してしまった瞬間と同じ感覚だろう。
ヨクナイモノ……オ前ノ中ノヨクナイモノ……
突如として頭の中に響いてきた、うめき声のごとく低い声。それはまるで、時折耳の中でこだまする、あのピアノの曲のようだった。
ミイラレテイル……ヨクナイモノ……オ前ハミイラレ……
魅入られてる?あのガイコツに?何で俺が、あんな巨大な化け物に目をつけられなきゃ……
そう思った瞬間、窓を開けていないのに、黒い触手のようなものがガラスをすり抜け俺の心臓に突き刺さった。アラタが海藻だと言っていたものは、これか?だが海藻なんかじゃない、それは目の前のガラスと俺の胸をあっさり貫通し、肋骨を押し広げ、心臓を握り、口からゴボゴボと吹き出すほど、海水のような生ぬるい何かをホースのように注入してくるのだ。
アラワネバナラヌ……ナガシテ、キヨメナケレバナラヌ……
何だ?何をされている?どうして俺がこんな目に……?それより早くどうにかしないと、あの魔物がここに来ちまう……
魅入ラレ、縛ラレテイル
イマスグニホドキ、トキハナタネバナラヌ
オ前ハモウニンゲンを失イカケテイル
オ前ノ中ノヨクナイモノ、洗ッテ、流シテ、清メナケレバナラヌ………
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