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十(四)
しおりを挟む「隠すな、本当はとっくに分かっておるのだろう?」
はっきりと声が聞こえ、神様が心臓から触手を引き抜いた瞬間、しょっぱくて生ぬるい大量の水が、口と鼻からドバドバ噴き出した。俺はそこでようやく溺れ死ぬかのような苦しさにあえぎ、海から救助された人のように盛大にむせて咳き込みながら、ゲェゲェと海水を吐き出した。吐き出した液体には、少し酒の匂いもまざっていた。大量の汗をかき、膝をついて四肢をガクガクと震えさせ、涙も鼻水もすべてを噴出させて、床は海水で水浸しになっていた。
「アラタ……アラタ………」
必死に名前を呼ぶが、声はまともに出ていない。苦しそうにうずくまるアラタに手を伸ばそうとしても、ままならない。
ガンガンと、あのガイコツの連れてきた亡者どもが窓を叩いた。この世のすべての悲痛を背負ったかのような、聞いただけで精神を狂わせるようなうめき声と共に、窓を叩く手は次から次へと増えていく。
門の男。あのアパートの門に立ち尽くす、得体の知れない男の悪霊。門の外にも出られず、屋敷の中にも入れない。消えることもできず、ただ永ごうあそこに立ち尽くすだけの男。なぜ奴のことを思い起こしたのか。……なぜ俺は、「無力な」あの男にいつも怯えていたのか。
「正しい目を持て。死者は生者を喰らうことなど出来ぬ。そら見ろ……よく見ろ。こんなに薄っぺらな壁を叩き割ることも出来ぬではないか。それでも、この腐った死人どもがそんなに恐ろしいか。あのしゃれこうべがそんなに恐ろしいか。無力でもろい骨の荒城に、肉体を持ったお前が飲み込まれるとでも思うのか。魂は、身体を離れぬ限りは誰にも操れない。だのに人間が自らやすやすと差し出すから、飲み込まれるのだ。」
アラタが、あの男に近づいてはいけないと言ったから。恐ろしいからではない。本当はずっと、アラタがあの男を憎んでいるから。分かりたくないから、分からないふりをしてきた。
あの夢の記憶も無理やり閉じ込めて、ただの悪夢として忘れたふりをしてきた。
畳に広がるドス黒い血液。仰向けに倒れ、ゆっくりと死んでいく見知らぬ男。血まみれの刃物を片手に、その男の返り血を浴びて茫然と立ちすくむアラタ。ただの悪い夢だ、そうに違いない。でももし、見知らぬ男が門の男だったなら。あれは本当に、俺の悪夢なのか?
「力を授けよう。大事に使え。」
窓の外に散らかった菓子の残骸を食い荒らすカラスの鳴き声で目が覚める。しかし巨大なトンビが飛来してくると、逃げるように羽をばたつかせて一目散に去っていった。となりで倒れたまんまのアラタを見て、俺は心から安堵した。水浸しの床の上。びしょ濡れになりながら、寝そべったままアラタのことを抱きしめた。
「よかった。俺たち生きてた。」
頬をつたう涙の熱さで、俺の身体もアラタと同じくらい冷えていたのを知った。
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