あなたのいない世界でバージンロードを歩く

駄文のヒロ

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第2章 止まった運命、始まる人生

3、バージンロード

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 結奈は、雅人の腕にそっと手を添えた。
 歩き出した一歩目が、思っていたよりも軽い。

 白い光に満ちたバージンロード。
 ゆっくりと一歩を踏み出すたび、雅人の胸に、遠い日の声が重なった。

 ——ねぇパパ。

 幼い結奈の声。
 あの日の夕暮れ、リビングの床に座って、無邪気に見上げてきた小さな顔。

「結奈が結婚する時は、一緒にバージンロード歩いてね」

 突然すぎて、思わず笑った自分。
 まだ無邪気で幼かった、8歳の娘の“未来の話”。

「もちろん。約束だ」

 そう言って、結奈の小さな手を握った。
 その手は驚くほど温かくて、あまりにも頼りなかった。

 ——あの手が。

 今、腕にかかる重みは、確かに同じ結奈なのに、もう違う。
 大人になった体温、少し緊張した指先、震えを隠すように力を込めてくる仕草。

 結奈もまた、歩きながら思い出していた。
 幼い日の自分と、笑っていた父の顔。

(パパ、覚えてる?)

 声には出せない問いを、そっと胸の中で呟く。
 隣にいる父は何も言わない。ただ前を見つめ、まっすぐ歩いている。

 ——でも、その肩が、ほんのわずかに揺れているのを、結奈は見逃さなかった。

 約束は、忘れられていなかった。
 時間に薄められることも、日常に埋もれることもなく、今日まで大切に抱えられていた。

「……パパ」

 小さく呼ぶと、雅人は一瞬だけ視線を落とし、微笑んだ。
 言葉はない。それでも十分だった。

 8歳の約束は、今ここで、静かに果たされている。

 父と娘、最後の“一緒の一歩”を、噛みしめるように。

 白い床に差し込む光が、二人の影を長く伸ばす。
 この道を、父と歩くのは――これが最初で、最後。

 雅人は何も言わない。ただ、いつもより少しだけ背筋を伸ばしている。
 結奈は、その横顔を一瞬だけ見上げて、すぐに前を向いた。

 扉の奥で、久世透が待っていた。
 真っ直ぐな視線で、結奈だけを見つめている。

 雅人は歩みを止め、結奈の手をそっと離す。
 その温もりが消える前に、結奈は一歩踏み出した。

 透と向き合い、誓いの言葉はないまま、ただ互いを確かめるように唇を重ねる。
 短く、静かなキスだった。

 その背後で、真里奈がふっと笑った。

「……老けちゃったわね、私」

 あの頃と変わらないままの容姿の雅人の隣で、年を重ねた彼女は少し照れたように言う。

 雅人は振り返り、穏やかな目で真里奈を見る。

「それは――ちゃんと生きた証拠だ」

 一瞬、真里奈は言葉を失い、
 次の瞬間、小さく息を吸って、涙をこぼした。

 結奈は振り返らない。
 でも、背中越しに分かっていた。

 このバージンロードは、
 娘を未来へ送り出すための、父の人生そのものだったのだと。

 そして雅人は、もう十分すぎるほど、役目を果たしたのだと。

 誓いのキスが終わり、祝福の光がゆっくりと薄れていく。
 チャペルの空気が、静かに、現実の層へと引き戻され始めていた。

 雅人は結奈の前に立ち、名残惜しそうにその顔を見つめる。
 もう、父として言うべき言葉は、ほとんど残っていない。

「……ここまで来たなら」

 少し照れたように、けれど誇らしげに、雅人は微笑む。

「もう、あとは一人で歩けるな」

 その声は、強がりでも励ましでもなく、
 娘を信じ切った父親の、静かな確信だった。

 美麗が一歩近づく。
 システムの管理者として、ではなく、一人の証人として。

「結奈。この人格ログは、起動を継続することもできるわ。

 形を変えてでも、彼を残すことは可能よ」

 結奈は一瞬だけ視線を揺らし、それからゆっくりと首を振った。

「……ううん」

 雅人を見つめ、はっきりと言葉にする。

「ありがとう」

 その声は震えていたが、迷いはなかった。

「パパが覚えていてくれたから。
 約束は、ちゃんと果たせた」

 雅人は、何も言わずに目を閉じる。
 胸いっぱいに満ちた想いを、もう言葉にする必要はなかった。

 彼の輪郭が、光の粒子にほどけていく。
 指先、肩、微笑み――順番に、世界へと溶けていく。

 最後に残ったのは、結奈を見つめる、優しい視線。

 そして、ほとんど音にもならないほどの小さな声で、

「……ありがとう」

 その瞬間、雅人は完全に消えた。

 結奈は、しばらくその場から動けなかった。
 けれど、やがて一歩、前へ踏み出す。

 今度は、誰の腕にもすがらずに。

 父が遺した世界の中を、
 父が信じた未来へ向かって――
 結奈は、自分の足で歩き出した。
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