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第一章
4月12日(金):深き夢の世界
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【京一】
夜。
真田先生に注意されたが、寝る前にケータイをいじるのはすでに習慣となっているのでやめられない。暗がりの部屋の中、画面が煌々と光る。
夜間モードでブルーライトが軽減されていようと、画面はしっかりと光るのだ。先生が言うようにこの習慣のせいで睡眠の質が低下するのは、光り輝く画面を間近で見ることで、夜なのに脳が昼間と勘違いしてしまってメラトニンの分泌が抑制されることが原因の一つであるそうだ。ならば勝手に勘違いする脳味噌が悪いのであって、僕は悪くない。
とはいえ今、ケータイ画面を見ている意味は特にない。
動画サイトやブログサイトなどを流し見ているが、その内容はまったく頭に入ってきていないのだ。目は画面を追いながら、頭では別のことを考えている。
夢について。
凛が魔法少女となって怪物と戦うというあの稚拙で意味不明な内容の夢だ。その前後では薄紅色のもやに囲まれた空間にいて、そこで夢の案内人を自称するチンケな小人と邂逅する。二日間、同じ夢を見ている。
今晩も、同じ夢を見るのだろうか。
ならば、ヤツに尋ねてみなければならない。
画面を落とし、ケータイをぽいと枕元に置く。そして瞼を閉じ、ふう、と息を落ち着けるのだ。眠りの中へと――夢の世界へと、向かう準備をする。
……
…………
「じゃっじゃーーん! またまた登場、『夢の案内人』キューピーでございマース!」
やはり、薄紅色のもやの中。
そして、もやの中から飛び出してくる小人。
そのド派手なテンションに一抹の苛立ちは覚えるも、小人が出てきたこと自体にはさすがにもう動揺はない。
「アララ。リアクションはナシですカ。頑張ってるのになァ。なんだか残念デス」
三日続けて、この奇妙な夢を見ている。
夢というのは、通常、寝ながら頭の中で思い浮かべている映像なのではないだろうか。したがって、このもやの世界も、マジカル☆リンちゃんだとかいうのも、目の前の小人も、すべては僕の妄想なのだと考えれば話は早い。実際、昨日時点でははっきりとそう結論付けていた。
しかし、引っかかる点がある。
凛は子供の頃のトラウマで、今でもカエルが大の苦手だ。僕は、彼女がカエルを苦手だということを今日まで忘れていたし、トラウマの件も晃に話しを聞いて初めて思い出した。
だが、凛はカエルが苦手である、という事実が昨晩の夢の内容に表れていたのだ。僕自身は覚えていなかったのに、それが夢に反映するというのは不可解である。忘れていることを、頭に思い描くことはできない。
…………。
僕は、眼前に浮揚する小人に尋ねる。
「なあキューピー、聞きたいことがあるんだよ」
「……フム、なんでしょうカ」
「昨日も、一昨日も、お前は『案内』だと言って僕を魔法少女モノの変な夢に連れていったけど、……言ってたよな、あれは凛の見ている夢だって」
「そうデスヨ? あれは京一サン自身が見ている夢ではないし、ワタシがあの映像をアナタに見せているわけでもないのデス。あの夢の主人公は、凛チャン。ならばその夢の主は凛チャンなのデス。ワタシは、彼女の見ている夢の世界へ京一サンをお連れしたのデス。いえまァ、それは京一サンから最も近しい夢が彼女の夢だっただけでワタシになんの作為もないのデスケド」
「あれが本当に、凛が見ている夢だってのか……?」
「しつこいデスネ。何度もそう言ってマス。しつこい男は嫌われちゃいマスヨ」
「……。でも、今日、本人から聞いたんだ。凛は昨日夢を見ていないし、そもそも普段からあまり夢を見ることはない、って」
もちろん本人の申告を信じるのみで、それが事実かどうか判断する根拠はないのだが。
でもそれは確かだと思える。
なにせ、凛があのような稚拙な内容の夢を見ているはずがないのだから。
「フム。やはりどうしてもワタシが言っていることが信じられないのデスカ」
むう、とわざとらしく頬を膨らませる小人。
「あれは紛れもなく凛チャンの夢世界デスヨ。しかし、彼女自身はあの夢の内容を覚えていませんでしょうネ。あれは、いわゆるノンレム睡眠のときに見ている夢であって、すなわち夢の深層部、――深層意識の世界だからデス」
「ノンレム……夢の深層部……」
なるほどやはり、そうなのか。
寝る前、考えていたことである。――それはちょうど今日、担任教師から聞いた話。
曰く、睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があって、前者は浅く、後者は深い睡眠。
目覚めた後も覚えている夢――一般的に僕らが夢として認識するのはレム睡眠の時に見る夢の方であり、深い睡眠時に見る夢(曰く夢の深層部)は、目覚めた後には覚えていないものだということ。
「眠りが浅いときは若干なれど表層意識が働いているわけデスから、そのときの夢というのは、要は『寝ながら想像している映像』なわけデス。これは人間のみなサンが一般的に言う、『夢』デスネ。しかし、夢とはそれだけではありまセン。いえむしろ、もう一つの方こそが、真なる夢と言えるのデス。
睡眠というのは、浅い眠りと深い眠りを行ったり来たりするモノ。眠りが深いときというのは、意識がその深層部へと沈下しますデス。
深層意識、つまり無意識デス。
――その際に見る夢というのはすなわち無意識の世界なのデス。無意識は意識の奥底にある源泉デスから、例えばその人の行動理念だったり、普段は見せない秘めた本心だったり、幼少期に感じた強い心象だったり、そういうものが詰まった『心の原風景』なのデスネ」
「……お、おう」
ファンシーな外見をした小人が、急に饒舌に難しい話を語り出したので少々戸惑いを覚える。
「まァ、昨日や一昨日に京一サンが見た凛チャンの夢について話すと分かりやすいデショウ。要するに、凛チャンは子供の頃に『魔法少女』に対して強い思い入れがあって、それは無意識の中に強く刻まれているので、眠りが深いときの夢の中ではそれがそのまま表れているのデスネ」
「凛が、『魔法少女』に対して強い思い入れ? ……あ、そういえば」
小人の言葉を受けて、僕はふと、あることを思い出した。
「……そうだ、子供の頃にそんな感じのアニメを凛と一緒に観てた気がする。えっと、確か、『マジカル☆マリーちゃん』とかいう……。あの頃、凛がすごいハマってたな」
小学校に上がるよりもさらに前のことだ。名前も似ている。――始めに『マジカルリンちゃん』の夢を見たときにそのことを思い出せていればよかったのだが。まあ、小学校低学年のカエル手潰し事件のことを忘れていたのだから、それ以前に凛が好きだったアニメのことをすぐに思い出せなかったのも当然か。
「フム。ズバリそれでしょうネ。その子供の頃の強い印象が、無意識の中で再生された末、『マジカル☆リンチャン』の世界が構築されたのデス」
「な、なるほど……」
依然、突拍子もない話ではあるが。
――しかし、夢の深層部やらなにやらという難しい話は、他ならぬ高校教師が言っていた話だし、それも元を辿れば大学教授が研究していたということなので、疑いようのない事実だろう。
そして、それを踏まえた上で今の小人の話を聞けば、確かに辻褄が合っている。
すなわちあれは本当に凛自身が見ている夢なのだ。
あれは彼女自身が見ている夢なれども、しかし彼女が目覚めた後、本人は自分の見ていた夢を覚えていない。それはあの夢が深層意識による夢だから。
キューピーは本当に『夢の案内人』であり、夢世界の中を自由に行き来できる。
そんな小人が僕の夢の中に登場して、そして僕を凛の夢世界へと連れていっている。……どうにも現実味のない話だが、まあ夢の中の話なので現実味がないのもむしろ自然なのか。
「……でもじゃあ、なんで僕は今こうして深い夢の中で意識があって、それを目が覚めた後も忘れないんだ?」
「それはホラ、ワタシが覚醒させてあげてるからデスヨ。ちょこっと明晰夢みたいな状態デスネ。完全に明晰夢の力を手に入れれば、それはもう夢の中でどんなことでもできちゃいマスヨ。思った物をなんでも出現させられるし、自分の姿かたちだって自由自在にできちゃうのデス」
「姿かたちが自由自在……」
確かに夢ならばそういうこともできるだろう。
「そうデス。良いモノデスヨ、自由に姿を変えられるなんてネ。京一サンもその気になればイケメンで高身長で適度に筋肉質な女子の理想男子になれるし、逆に性別を超えて美少女になることだってできちゃいマス。例えば、好きな人になり切ることだって簡単なのデス。
――京一サンにとっての、宮本サン、とかネ?」
にやり、と笑みを浮かべる小人。
「……な、なんで知って……」
「ふふん、なんで知ってるかって? ……そもそもデス! 『夢の案内人』たるワタシが、なぜ京一サンの前に現れたか――それは、アナタが実に不埒で身勝手な夢を見る、どーしょーもないおバカサンだからなのデスヨ!」
小人はそう言いながら、びしいっ、と、僕から見れば楊枝の先のような小さな指をまっすぐ突き出す。
「は? 何言って……」
「しらばっくれるな、デス。夢世界を自由に渡り歩くワタシはネ、まァ、なんというか、夢世界をパトロールしたりするわけデス。悪夢に襲われて心が壊されようとしている危うい人間はいないか、あるいは、不埒で不健全な夢など見る下郎などいやしないか、というのを見回っているわけなのデス。
――京一サン、アナタはひどい野郎デスヨ。好きな娘に告白して勝手にオーケイさせてあまつさえキスまで迫ろうとするなんてっ!」
「あ……」
三日前になる。
放課後に宮本と図書委員の仕事をした。狭いカウンターの中、二人並んで座るのはささやかな幸福を感じられた時間であった。そんなときでもうたた寝などしてしまう自分には呆れるが、……とにかくその日、委員の仕事を終えて図書室から出るときだ、
――僕は不意に見せられた彼女の笑顔に、完全に心を奪われた。惚れたのだ。
その日の晩に見た夢は、いま小人が指摘したように、確かに不埒で身勝手な夢であった。
僕は夢の中で、宮本に告白をし、その流れのままキスまで迫った。
いや、ちゃんと彼女は告白を受け入れてくれたし、そのあとキスを促してきたのも彼女の方だったが、それは僕が寝ながらそういう想像をしたから。
この小人に『案内』されて見た夢でもなく、目覚めた後も内容を覚えていたので、あれは間違いなくレム睡眠時の夢――わずかながらに働く意識のもと、僕が意図して彼女にそれを『させた』のだ。
その様を、よりにもよってこんなヤツに見られていたというのか。なんてことだ。
「不実な夢を見る、迷える子羊サンたる京一サンには、他の人の健全たる夢世界へとお連れして、その心をきれいさっぱりに洗ってさしあげないといけまセン。……それが、『夢の案内人』たるワタシ、キューピーのお仕事なのデスヨ」
小さな胸を誇示し、小人は言う。
「アナタから最も近かった夢が、凛チャンの夢デシタ。でもよかった、『マジカル☆リンちゃん』ワールドは、まさに純粋で無垢なる夢世界デスヨ」
「…………」
凛は今、自室で眠っているだろう。
家が隣同士で、さらに僕と彼女の部屋はちょうど並び合う位置なので、彼女の夢が僕にとって最も近いというのは分かる。
でも、僕はこの小人に連れられて、凛の夢を勝手に覗き見ていることになる。それはそれでどうなのか。
凛があの夢を見ているのは、あくまで幼い頃の心象が再生されているというだけで、今なお魔法少女に対して夢焦がれているということではないのだろうが、……しかし、昔の憧れとはいえそれを暴かれるのは決して心地よいものではない筈だ。ましてや相手が僕ともなれば。
「ああ、もう分かった。お前の存在も、夢の世界のことも全部信じたし、お前が僕の夢の中に現れた理由も理解した。だからもう、いいよ。もう好きな人を勝手に夢に登場させたりしないから」
二日間、魔法少女の活躍劇を見せられて、それで僕の卑しい心が是正されたと言えるのかは分からないが……そもそも別にあれを見て改心するものでもないだろう。
僕は、もうこれ以上夢の中に現れてくれるなと、小人に対して訴える。
しかし――キューピーはその細い首を大きく振り、言うのだ。
「イイエ! 一晩や二晩、無垢なる夢を見せられただけで、京一サンの穢れた心がさっぱりキレイになんてなるはずないのデス! まだまだワタシのお勤めは終わりまセン、これからも継続して、アナタのこと『案内』し、導いてあげるのデス」
「は? いや、もういいからほっといてくれって……」
「何を言うのデスカ、アナタに拒否権なんてありまセン。ていうかこの夢世界においてアナタのような子羊などより明晰夢の力を持つワタシの方が絶対優位なので、拒否のしようがありまセンからネ。――京一サン、アナタにはこれからも続いて、大人しくワタシに『案内』されてもらいマスからネ?」
いじらしい笑顔を向けながら、小人は堂々と宣言した。
「…………、まじかよ」
僕の憂いた呟きは、薄紅色のもやの中に虚しく溶けていった。
「ふふん、今、京一サンが考えていることを当ててあげまショウ。これからも毎晩夢の中でキューピーちゃんに会えるんだなあ、嬉しいなあ、って思ってるんデショ? いやァ、照れちゃいマスネ。でもムリもないデス、ワタシ、小っちゃくてカワイーデスもんネ、ふへへへ」
両手で頬を覆い、気恥ずかしそうにくねくねと身を捩じる小人。
僕はもう呆れて言葉もない。
これからも毎晩夢の中でコイツに会わなければならないのかと思うと、辟易する。
夜。
真田先生に注意されたが、寝る前にケータイをいじるのはすでに習慣となっているのでやめられない。暗がりの部屋の中、画面が煌々と光る。
夜間モードでブルーライトが軽減されていようと、画面はしっかりと光るのだ。先生が言うようにこの習慣のせいで睡眠の質が低下するのは、光り輝く画面を間近で見ることで、夜なのに脳が昼間と勘違いしてしまってメラトニンの分泌が抑制されることが原因の一つであるそうだ。ならば勝手に勘違いする脳味噌が悪いのであって、僕は悪くない。
とはいえ今、ケータイ画面を見ている意味は特にない。
動画サイトやブログサイトなどを流し見ているが、その内容はまったく頭に入ってきていないのだ。目は画面を追いながら、頭では別のことを考えている。
夢について。
凛が魔法少女となって怪物と戦うというあの稚拙で意味不明な内容の夢だ。その前後では薄紅色のもやに囲まれた空間にいて、そこで夢の案内人を自称するチンケな小人と邂逅する。二日間、同じ夢を見ている。
今晩も、同じ夢を見るのだろうか。
ならば、ヤツに尋ねてみなければならない。
画面を落とし、ケータイをぽいと枕元に置く。そして瞼を閉じ、ふう、と息を落ち着けるのだ。眠りの中へと――夢の世界へと、向かう準備をする。
……
…………
「じゃっじゃーーん! またまた登場、『夢の案内人』キューピーでございマース!」
やはり、薄紅色のもやの中。
そして、もやの中から飛び出してくる小人。
そのド派手なテンションに一抹の苛立ちは覚えるも、小人が出てきたこと自体にはさすがにもう動揺はない。
「アララ。リアクションはナシですカ。頑張ってるのになァ。なんだか残念デス」
三日続けて、この奇妙な夢を見ている。
夢というのは、通常、寝ながら頭の中で思い浮かべている映像なのではないだろうか。したがって、このもやの世界も、マジカル☆リンちゃんだとかいうのも、目の前の小人も、すべては僕の妄想なのだと考えれば話は早い。実際、昨日時点でははっきりとそう結論付けていた。
しかし、引っかかる点がある。
凛は子供の頃のトラウマで、今でもカエルが大の苦手だ。僕は、彼女がカエルを苦手だということを今日まで忘れていたし、トラウマの件も晃に話しを聞いて初めて思い出した。
だが、凛はカエルが苦手である、という事実が昨晩の夢の内容に表れていたのだ。僕自身は覚えていなかったのに、それが夢に反映するというのは不可解である。忘れていることを、頭に思い描くことはできない。
…………。
僕は、眼前に浮揚する小人に尋ねる。
「なあキューピー、聞きたいことがあるんだよ」
「……フム、なんでしょうカ」
「昨日も、一昨日も、お前は『案内』だと言って僕を魔法少女モノの変な夢に連れていったけど、……言ってたよな、あれは凛の見ている夢だって」
「そうデスヨ? あれは京一サン自身が見ている夢ではないし、ワタシがあの映像をアナタに見せているわけでもないのデス。あの夢の主人公は、凛チャン。ならばその夢の主は凛チャンなのデス。ワタシは、彼女の見ている夢の世界へ京一サンをお連れしたのデス。いえまァ、それは京一サンから最も近しい夢が彼女の夢だっただけでワタシになんの作為もないのデスケド」
「あれが本当に、凛が見ている夢だってのか……?」
「しつこいデスネ。何度もそう言ってマス。しつこい男は嫌われちゃいマスヨ」
「……。でも、今日、本人から聞いたんだ。凛は昨日夢を見ていないし、そもそも普段からあまり夢を見ることはない、って」
もちろん本人の申告を信じるのみで、それが事実かどうか判断する根拠はないのだが。
でもそれは確かだと思える。
なにせ、凛があのような稚拙な内容の夢を見ているはずがないのだから。
「フム。やはりどうしてもワタシが言っていることが信じられないのデスカ」
むう、とわざとらしく頬を膨らませる小人。
「あれは紛れもなく凛チャンの夢世界デスヨ。しかし、彼女自身はあの夢の内容を覚えていませんでしょうネ。あれは、いわゆるノンレム睡眠のときに見ている夢であって、すなわち夢の深層部、――深層意識の世界だからデス」
「ノンレム……夢の深層部……」
なるほどやはり、そうなのか。
寝る前、考えていたことである。――それはちょうど今日、担任教師から聞いた話。
曰く、睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があって、前者は浅く、後者は深い睡眠。
目覚めた後も覚えている夢――一般的に僕らが夢として認識するのはレム睡眠の時に見る夢の方であり、深い睡眠時に見る夢(曰く夢の深層部)は、目覚めた後には覚えていないものだということ。
「眠りが浅いときは若干なれど表層意識が働いているわけデスから、そのときの夢というのは、要は『寝ながら想像している映像』なわけデス。これは人間のみなサンが一般的に言う、『夢』デスネ。しかし、夢とはそれだけではありまセン。いえむしろ、もう一つの方こそが、真なる夢と言えるのデス。
睡眠というのは、浅い眠りと深い眠りを行ったり来たりするモノ。眠りが深いときというのは、意識がその深層部へと沈下しますデス。
深層意識、つまり無意識デス。
――その際に見る夢というのはすなわち無意識の世界なのデス。無意識は意識の奥底にある源泉デスから、例えばその人の行動理念だったり、普段は見せない秘めた本心だったり、幼少期に感じた強い心象だったり、そういうものが詰まった『心の原風景』なのデスネ」
「……お、おう」
ファンシーな外見をした小人が、急に饒舌に難しい話を語り出したので少々戸惑いを覚える。
「まァ、昨日や一昨日に京一サンが見た凛チャンの夢について話すと分かりやすいデショウ。要するに、凛チャンは子供の頃に『魔法少女』に対して強い思い入れがあって、それは無意識の中に強く刻まれているので、眠りが深いときの夢の中ではそれがそのまま表れているのデスネ」
「凛が、『魔法少女』に対して強い思い入れ? ……あ、そういえば」
小人の言葉を受けて、僕はふと、あることを思い出した。
「……そうだ、子供の頃にそんな感じのアニメを凛と一緒に観てた気がする。えっと、確か、『マジカル☆マリーちゃん』とかいう……。あの頃、凛がすごいハマってたな」
小学校に上がるよりもさらに前のことだ。名前も似ている。――始めに『マジカルリンちゃん』の夢を見たときにそのことを思い出せていればよかったのだが。まあ、小学校低学年のカエル手潰し事件のことを忘れていたのだから、それ以前に凛が好きだったアニメのことをすぐに思い出せなかったのも当然か。
「フム。ズバリそれでしょうネ。その子供の頃の強い印象が、無意識の中で再生された末、『マジカル☆リンチャン』の世界が構築されたのデス」
「な、なるほど……」
依然、突拍子もない話ではあるが。
――しかし、夢の深層部やらなにやらという難しい話は、他ならぬ高校教師が言っていた話だし、それも元を辿れば大学教授が研究していたということなので、疑いようのない事実だろう。
そして、それを踏まえた上で今の小人の話を聞けば、確かに辻褄が合っている。
すなわちあれは本当に凛自身が見ている夢なのだ。
あれは彼女自身が見ている夢なれども、しかし彼女が目覚めた後、本人は自分の見ていた夢を覚えていない。それはあの夢が深層意識による夢だから。
キューピーは本当に『夢の案内人』であり、夢世界の中を自由に行き来できる。
そんな小人が僕の夢の中に登場して、そして僕を凛の夢世界へと連れていっている。……どうにも現実味のない話だが、まあ夢の中の話なので現実味がないのもむしろ自然なのか。
「……でもじゃあ、なんで僕は今こうして深い夢の中で意識があって、それを目が覚めた後も忘れないんだ?」
「それはホラ、ワタシが覚醒させてあげてるからデスヨ。ちょこっと明晰夢みたいな状態デスネ。完全に明晰夢の力を手に入れれば、それはもう夢の中でどんなことでもできちゃいマスヨ。思った物をなんでも出現させられるし、自分の姿かたちだって自由自在にできちゃうのデス」
「姿かたちが自由自在……」
確かに夢ならばそういうこともできるだろう。
「そうデス。良いモノデスヨ、自由に姿を変えられるなんてネ。京一サンもその気になればイケメンで高身長で適度に筋肉質な女子の理想男子になれるし、逆に性別を超えて美少女になることだってできちゃいマス。例えば、好きな人になり切ることだって簡単なのデス。
――京一サンにとっての、宮本サン、とかネ?」
にやり、と笑みを浮かべる小人。
「……な、なんで知って……」
「ふふん、なんで知ってるかって? ……そもそもデス! 『夢の案内人』たるワタシが、なぜ京一サンの前に現れたか――それは、アナタが実に不埒で身勝手な夢を見る、どーしょーもないおバカサンだからなのデスヨ!」
小人はそう言いながら、びしいっ、と、僕から見れば楊枝の先のような小さな指をまっすぐ突き出す。
「は? 何言って……」
「しらばっくれるな、デス。夢世界を自由に渡り歩くワタシはネ、まァ、なんというか、夢世界をパトロールしたりするわけデス。悪夢に襲われて心が壊されようとしている危うい人間はいないか、あるいは、不埒で不健全な夢など見る下郎などいやしないか、というのを見回っているわけなのデス。
――京一サン、アナタはひどい野郎デスヨ。好きな娘に告白して勝手にオーケイさせてあまつさえキスまで迫ろうとするなんてっ!」
「あ……」
三日前になる。
放課後に宮本と図書委員の仕事をした。狭いカウンターの中、二人並んで座るのはささやかな幸福を感じられた時間であった。そんなときでもうたた寝などしてしまう自分には呆れるが、……とにかくその日、委員の仕事を終えて図書室から出るときだ、
――僕は不意に見せられた彼女の笑顔に、完全に心を奪われた。惚れたのだ。
その日の晩に見た夢は、いま小人が指摘したように、確かに不埒で身勝手な夢であった。
僕は夢の中で、宮本に告白をし、その流れのままキスまで迫った。
いや、ちゃんと彼女は告白を受け入れてくれたし、そのあとキスを促してきたのも彼女の方だったが、それは僕が寝ながらそういう想像をしたから。
この小人に『案内』されて見た夢でもなく、目覚めた後も内容を覚えていたので、あれは間違いなくレム睡眠時の夢――わずかながらに働く意識のもと、僕が意図して彼女にそれを『させた』のだ。
その様を、よりにもよってこんなヤツに見られていたというのか。なんてことだ。
「不実な夢を見る、迷える子羊サンたる京一サンには、他の人の健全たる夢世界へとお連れして、その心をきれいさっぱりに洗ってさしあげないといけまセン。……それが、『夢の案内人』たるワタシ、キューピーのお仕事なのデスヨ」
小さな胸を誇示し、小人は言う。
「アナタから最も近かった夢が、凛チャンの夢デシタ。でもよかった、『マジカル☆リンちゃん』ワールドは、まさに純粋で無垢なる夢世界デスヨ」
「…………」
凛は今、自室で眠っているだろう。
家が隣同士で、さらに僕と彼女の部屋はちょうど並び合う位置なので、彼女の夢が僕にとって最も近いというのは分かる。
でも、僕はこの小人に連れられて、凛の夢を勝手に覗き見ていることになる。それはそれでどうなのか。
凛があの夢を見ているのは、あくまで幼い頃の心象が再生されているというだけで、今なお魔法少女に対して夢焦がれているということではないのだろうが、……しかし、昔の憧れとはいえそれを暴かれるのは決して心地よいものではない筈だ。ましてや相手が僕ともなれば。
「ああ、もう分かった。お前の存在も、夢の世界のことも全部信じたし、お前が僕の夢の中に現れた理由も理解した。だからもう、いいよ。もう好きな人を勝手に夢に登場させたりしないから」
二日間、魔法少女の活躍劇を見せられて、それで僕の卑しい心が是正されたと言えるのかは分からないが……そもそも別にあれを見て改心するものでもないだろう。
僕は、もうこれ以上夢の中に現れてくれるなと、小人に対して訴える。
しかし――キューピーはその細い首を大きく振り、言うのだ。
「イイエ! 一晩や二晩、無垢なる夢を見せられただけで、京一サンの穢れた心がさっぱりキレイになんてなるはずないのデス! まだまだワタシのお勤めは終わりまセン、これからも継続して、アナタのこと『案内』し、導いてあげるのデス」
「は? いや、もういいからほっといてくれって……」
「何を言うのデスカ、アナタに拒否権なんてありまセン。ていうかこの夢世界においてアナタのような子羊などより明晰夢の力を持つワタシの方が絶対優位なので、拒否のしようがありまセンからネ。――京一サン、アナタにはこれからも続いて、大人しくワタシに『案内』されてもらいマスからネ?」
いじらしい笑顔を向けながら、小人は堂々と宣言した。
「…………、まじかよ」
僕の憂いた呟きは、薄紅色のもやの中に虚しく溶けていった。
「ふふん、今、京一サンが考えていることを当ててあげまショウ。これからも毎晩夢の中でキューピーちゃんに会えるんだなあ、嬉しいなあ、って思ってるんデショ? いやァ、照れちゃいマスネ。でもムリもないデス、ワタシ、小っちゃくてカワイーデスもんネ、ふへへへ」
両手で頬を覆い、気恥ずかしそうにくねくねと身を捩じる小人。
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これからも毎晩夢の中でコイツに会わなければならないのかと思うと、辟易する。
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