65 / 72
第四章
5月4日(土):かつての憧れ
しおりを挟む
【京一】
「せっかくの連休なんだから部屋の片づけしておきなさいね」
母にそう言われて、仕方なく自室の片づけをした。
当初、連休中は気兼ねなく惰眠をむさぼろうと思っていたのに。昨日も今日も、うまくいかない。
とはいえ、片付けというのは取り掛かるまでは非常に億劫ながら、一度軌道に乗ってしまえばなかなかどうして熱中するもので、存外、捗った。
片づけの最中、押入れの奥からあるビデオテープが出てきた。
今やすっかり見かけなくなったVHS。
ラベルには汚い文字で、『カミカゲマン』と書かれている。幼い頃の僕が書いたものだ。
我が家のビデオデッキはかなり前に引退してしまっているので、それを再生することはできない。中でテープが絡まっているようなので、どのみち再生は無理そうだが。
『忍者ヒーロー・カミカゲマン』。
凛の好きだった『マジカル☆マリーちゃん』と続けて放送されていて、その時間は二人で並んでテレビ画面に食い入るように観ていた。――確か、毎週土曜の17:00の放送だったと思う。
テープの再生はできずとも、脳裏には鮮明に蘇る。
陰ながら街の平和を守る影のヒーロー。
主人公は普段は冴えないコンビニアルバイトである。
渡すタバコを間違えて客に怒鳴られたり発注を間違えて店長に怒られたり、
恋人もおらずボロアパートで寂しい一人暮らし、
これといって没頭する趣味もなく起伏のない平凡な日々を過ごす、……とにかく惨めな男なのだ。
だが、ひとたび街に怪物が現れるとすぐさま『カミカゲマン』として参上し、影を操る能力で敵を倒して平和を守る。
しかし、戦いが終わるとたちまち陰へと潜んで帰ってしまう。その正体を明かすことはしないどころか、その場で称賛を受けようとさえしない。
彼はまさしく、影のヒーローなのだ。
僕はそのアニメが好きでたまらなかった。『カミカゲマン』に憧れていたのだ。
なぜそこまでそのアニメが好きだったのか、そのビデオデッキを眺めていると、ふとその理由を思い出した。
僕は当時、いつも兄の背中の陰に隠れるようにしていた。優秀で格好良い兄に憧れながら、自分は兄とは対極だと思っていた。そんな自分がひどく惨めだと思っていたのだ。
『おまえは和哉の背中に隠れてばっかりだな、まったく』
そんな僕のことを、父がそう詰った。とりたてて厳格な父ではないが、思わずそんなことを言いたくなるぐらい、確かに当時の僕は気弱で内気だった。
自分でも分かっていたことだが、しかし他人からそれを指摘されて何とも思わないわけはないのだ。
父に悪気もなかろうが、幼い心が持つ傷に丁寧に塩を塗り込まんとするそんな一言――父の言葉にショックを受けて泣きべそをかいていた僕だったが、そっと兄が歩み寄って来た。
そして彼は言ったのである。
『なーに泣いてんだよ京一。陰に隠れてたっていいじゃないか。いっそ陰からみんなのことを見守って、そして誰かが困ってたら陰から助けてやればいいんだ。ホラ、ちょうどこの間見てたろ、あのアニメ。――カミカゲマンみたいにさ』
その言葉は、当時の僕にとって鮮烈なものだった。
その言葉があって、僕は『カミカゲマン』に強いあこがれを抱くようになったのだ。
当然、今この歳になってそれを日ごろ意識するようなことはないが、しかしその憧れは心の奥底にしっかりと根付いていたわけである。
/
なんとか部屋が片付いた頃には、もう夕方だった。惰眠計画は見事に頓挫。しかしまあ、部屋がきれいになったので、これは明日により心地良い惰眠を味わうための投資ということで納得する。
「京一、もうすぐごはんだから、」
部屋の扉がノックされ、母が声をかけてきた。ごはんだから降りてこい、だと思ったが違った。
「凛ちゃんを呼んできてちょうだい」
昨日と同じく、凛を食卓に招こうとする母。
そこに異はないが、しかしなにゆえそれを息子に頼むのか、母よ。
隣家へ行き、チャイムを鳴らす。変な感じだ。
玄関から出てきた凛の顔を見て、途端に、――今朝の夢を思い出してしまった。
幼い頃に凛に告白したときの夢。いや、記憶の再現ではなく、明らかな改竄を含んでいた。
僕は夢の中で、凛に告白を受け入れさせた。例の小人の手もなく、目覚めたのちでも夢の内容が頭に残る……それはすなわち浅い睡眠下での夢、端的に言えば僕の『脳内妄想』なのだ。
凛は自然な顔で僕を見るが、僕は内心戸惑っている。なるべく自然体でいようと気を張った。逸る動悸を抑え、あくまで冷静を装うのだ。
同じ食卓に母と父と幼馴染がいる。
昨日と同じ状況だが、まだ慣れない。
むしろ昨日より緊張した。いやに緊張した。
比して隣に座る凛は、まるでかねてからずっとこうしてきたかのように自然体で、大人しくも爽やかな笑顔を携えて小智家の食卓に加わっている。
夕食後、凛が僕に言う。
「京一、数学の課題、どうせ終わってないよね?」
「……うん、まあ、終わってないけど……」
「じゃあ一緒にやろうよ。私もまだ残ってるから」
「お、おう」
「問題集持って、私の部屋来なよ」
「へっ?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。
「だって私が取りに戻って持ってくるよりも、その方が早いし。ちょうど今日、部屋の片づけしたからきれいだよ」
淡々と、凛はそう言う。
どういう風の吹き回しだ、凛が僕を部屋に招くなんて。
いや、僕の部屋に入りたいと言われるよりはまあ抵抗は薄いが、……なんてそんなことはどうでもよくて、そもそも彼女が僕と一緒に課題をやろうなんて言い出したのが不可解。
よく分からないが、しかし別に断る理由があるわけではなく……僕は自室から問題集を取ってきて、そのまま凛と共に彼女の部屋へと向かった。
「せっかくの連休なんだから部屋の片づけしておきなさいね」
母にそう言われて、仕方なく自室の片づけをした。
当初、連休中は気兼ねなく惰眠をむさぼろうと思っていたのに。昨日も今日も、うまくいかない。
とはいえ、片付けというのは取り掛かるまでは非常に億劫ながら、一度軌道に乗ってしまえばなかなかどうして熱中するもので、存外、捗った。
片づけの最中、押入れの奥からあるビデオテープが出てきた。
今やすっかり見かけなくなったVHS。
ラベルには汚い文字で、『カミカゲマン』と書かれている。幼い頃の僕が書いたものだ。
我が家のビデオデッキはかなり前に引退してしまっているので、それを再生することはできない。中でテープが絡まっているようなので、どのみち再生は無理そうだが。
『忍者ヒーロー・カミカゲマン』。
凛の好きだった『マジカル☆マリーちゃん』と続けて放送されていて、その時間は二人で並んでテレビ画面に食い入るように観ていた。――確か、毎週土曜の17:00の放送だったと思う。
テープの再生はできずとも、脳裏には鮮明に蘇る。
陰ながら街の平和を守る影のヒーロー。
主人公は普段は冴えないコンビニアルバイトである。
渡すタバコを間違えて客に怒鳴られたり発注を間違えて店長に怒られたり、
恋人もおらずボロアパートで寂しい一人暮らし、
これといって没頭する趣味もなく起伏のない平凡な日々を過ごす、……とにかく惨めな男なのだ。
だが、ひとたび街に怪物が現れるとすぐさま『カミカゲマン』として参上し、影を操る能力で敵を倒して平和を守る。
しかし、戦いが終わるとたちまち陰へと潜んで帰ってしまう。その正体を明かすことはしないどころか、その場で称賛を受けようとさえしない。
彼はまさしく、影のヒーローなのだ。
僕はそのアニメが好きでたまらなかった。『カミカゲマン』に憧れていたのだ。
なぜそこまでそのアニメが好きだったのか、そのビデオデッキを眺めていると、ふとその理由を思い出した。
僕は当時、いつも兄の背中の陰に隠れるようにしていた。優秀で格好良い兄に憧れながら、自分は兄とは対極だと思っていた。そんな自分がひどく惨めだと思っていたのだ。
『おまえは和哉の背中に隠れてばっかりだな、まったく』
そんな僕のことを、父がそう詰った。とりたてて厳格な父ではないが、思わずそんなことを言いたくなるぐらい、確かに当時の僕は気弱で内気だった。
自分でも分かっていたことだが、しかし他人からそれを指摘されて何とも思わないわけはないのだ。
父に悪気もなかろうが、幼い心が持つ傷に丁寧に塩を塗り込まんとするそんな一言――父の言葉にショックを受けて泣きべそをかいていた僕だったが、そっと兄が歩み寄って来た。
そして彼は言ったのである。
『なーに泣いてんだよ京一。陰に隠れてたっていいじゃないか。いっそ陰からみんなのことを見守って、そして誰かが困ってたら陰から助けてやればいいんだ。ホラ、ちょうどこの間見てたろ、あのアニメ。――カミカゲマンみたいにさ』
その言葉は、当時の僕にとって鮮烈なものだった。
その言葉があって、僕は『カミカゲマン』に強いあこがれを抱くようになったのだ。
当然、今この歳になってそれを日ごろ意識するようなことはないが、しかしその憧れは心の奥底にしっかりと根付いていたわけである。
/
なんとか部屋が片付いた頃には、もう夕方だった。惰眠計画は見事に頓挫。しかしまあ、部屋がきれいになったので、これは明日により心地良い惰眠を味わうための投資ということで納得する。
「京一、もうすぐごはんだから、」
部屋の扉がノックされ、母が声をかけてきた。ごはんだから降りてこい、だと思ったが違った。
「凛ちゃんを呼んできてちょうだい」
昨日と同じく、凛を食卓に招こうとする母。
そこに異はないが、しかしなにゆえそれを息子に頼むのか、母よ。
隣家へ行き、チャイムを鳴らす。変な感じだ。
玄関から出てきた凛の顔を見て、途端に、――今朝の夢を思い出してしまった。
幼い頃に凛に告白したときの夢。いや、記憶の再現ではなく、明らかな改竄を含んでいた。
僕は夢の中で、凛に告白を受け入れさせた。例の小人の手もなく、目覚めたのちでも夢の内容が頭に残る……それはすなわち浅い睡眠下での夢、端的に言えば僕の『脳内妄想』なのだ。
凛は自然な顔で僕を見るが、僕は内心戸惑っている。なるべく自然体でいようと気を張った。逸る動悸を抑え、あくまで冷静を装うのだ。
同じ食卓に母と父と幼馴染がいる。
昨日と同じ状況だが、まだ慣れない。
むしろ昨日より緊張した。いやに緊張した。
比して隣に座る凛は、まるでかねてからずっとこうしてきたかのように自然体で、大人しくも爽やかな笑顔を携えて小智家の食卓に加わっている。
夕食後、凛が僕に言う。
「京一、数学の課題、どうせ終わってないよね?」
「……うん、まあ、終わってないけど……」
「じゃあ一緒にやろうよ。私もまだ残ってるから」
「お、おう」
「問題集持って、私の部屋来なよ」
「へっ?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。
「だって私が取りに戻って持ってくるよりも、その方が早いし。ちょうど今日、部屋の片づけしたからきれいだよ」
淡々と、凛はそう言う。
どういう風の吹き回しだ、凛が僕を部屋に招くなんて。
いや、僕の部屋に入りたいと言われるよりはまあ抵抗は薄いが、……なんてそんなことはどうでもよくて、そもそも彼女が僕と一緒に課題をやろうなんて言い出したのが不可解。
よく分からないが、しかし別に断る理由があるわけではなく……僕は自室から問題集を取ってきて、そのまま凛と共に彼女の部屋へと向かった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…
senko
恋愛
「一緒に、しよ?」完璧ヒロインが俺にだけベタ甘えしてくる。
地味高校生の俺は裏ではS級ハッカー。炎上するクラスの完璧ヒロインを救ったら、秘密のイチャラブ共闘関係が始まってしまった!リアルではただのモブなのに…。
クラスの隅でPCを触るだけが生きがいの陰キャプログラマー、黒瀬和人。
彼にとってクラスの中心で太陽のように笑う完璧ヒロイン・天野光は決して交わることのない別世界の住人だった。
しかしある日、和人は光を襲う匿名の「裏アカウント」を発見してしまう。
悪意に満ちた誹謗中傷で完璧な彼女がひとり涙を流していることを知り彼は決意する。
――正体を隠したまま彼女を救い出す、と。
謎の天才ハッカー『null』として光に接触した和人。
ネットでは唯一頼れる相棒として彼女に甘えられる一方、現実では目も合わせられないただのクラスメイト。
この秘密の二重生活はもどかしくて、だけど最高に甘い。
陰キャ男子と完璧ヒロインの秘密の二重生活ラブコメ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる