【短編】後ろ向きの恋と後ろの恋

喜太郎

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 目鼻立ち・顔立ちというのは、人それぞれ生まれ持ったものである。

 努力如何どりょくいかんで綺麗に整っていくというよりは、基本的には遺伝子の持ち合わせによって予め決められているのだ。結局のところ美人の子は美人ということである。


 それを踏まえて見ると、おそらく彼女の先祖には美しい人が多かったのだろうと推測できる。

 東条とうじょうなつきは目鼻立ちの整った綺麗な顔をしている。美人である。


 凛としたたたずまいで大人びた雰囲気をまとっているが、しかしその笑顔は明るく無邪気で、そのギャップがまた魅力的なのだ。

 そんな彼女は、当然、男子からの人気が高い。
 わが高校の二年一組に所属する男子生徒の中で、彼女に魅せられていない者など僅かばかりだろう。

 この俺、寺野武はクラス男子のその多数の側に入っている。いや、いっそその筆頭であると自負している。


 さかのぼること一年前。高校の入学式。広い体育館の中にぴっちりと並べられたパイプ椅子。新入生は、まだお互いの顔も名前も知らない中、クラスごとに出席番号の順で座らされていた。

 高校生活への期待、あるいは不安は、様々あった。
 これからの三年間はどのようなものになるだろう。ぜひとも、爽やかな青春を送りたい。クラスには馴染めるだろうか。ちゃんと友人は作れるだろうか。勉強についていけるだろうか。部活はどうしようか。自分に合う良い部活はあるだろうか。

 など、期待も不安も織り交ざって、縦横無尽に俺の頭の中を駆け巡っていた。

 しかしそれらは、すぐに根こそぎ吹っ飛んだ。――隣に座っている少女の顔を見たときに。


 頭が、真っ白になった。数秒置いて色が灯ったとき、それはほんのり淡いピンク色。恋という字に着色するならきっとそんな色だ。
 ――すなわち俺は、たった一目見ただけで、その少女に恋をしたのである。

 それが、東条なつき。

 見事な一目惚れである。会心の一撃だ。一発ノックダウンでテンカウントでゴングが鳴った。


 あのとき、入学式の最中はもうずっと緊張しっぱなしだった。
 隣に座る少女の方に視線を向けてまじまじと見たかったが、ちゃんと前を向いていなければ怒られるだろうから、その欲求を抑え込むのに必死だったのを覚えている。


 二年に上がってからの登校初日。クラス分けの貼り出しを見たとき俺はつい声を上げてしまったものである。
 その内面とは裏腹に男らしくガタイの良い俺の叫びは、掲示板広場の中に轟々ごうごうと響いたものだった。

 一年に続いて、二年でも彼女と同じクラスになれたのだ。
 かくして一年かけて何の進歩も得られなかった俺の恋は、現在、二年目へと持ち越されている。




 四月下旬のある日。

 チョークの先が黒板を叩くたび、小気味良い音が鳴る。それはまるで指揮者がクリックを打つかのよう。奏者は俺たち。数学教師の指揮に従って、黒板に並べられる数式を書き写してゆくのだ。
 さらさらさらさら……と、三十本のシャーペンがそれぞれノートの上を滑る。

 ・・・ちなみにあの板を黒板と呼ぶのは昔の名残であって、実際は見ての通り黒色ではない。


 俺も必至に数式を書き写している最中、ちょん、ちょん、と背中を優しくつつかれた。

「寺野くん。消しゴム落しちゃったから取ってくれない? そこのとこ」

 後ろから、ささやき声でそう言われる。


 白く細い指が床を差している。見ると、その先、俺の右足の付近に青白黒のラインが入ったポピュラーな消しゴムが落ちている。

 ・・・ちなみにこれらプラスチック字消しを消しゴムと呼ぶのは昔の名残であって、現在製造される一般的な消しゴムはゴム製ではない。


 去年のクラスでもそうだったが、俺と彼女は出席番号が連番である。

 現在、二年に上がってまだ日が浅い。席替えというものはまだしておらず、席は出席番号順のままである。
したがって、俺となつきは前後の席なのだ。

 ・・・ちなみに俺が彼女のことを下の名前で呼ぶのは心の中に限ってであって、実際はそんな親しげな呼び方はしていない。


「はい、東条さん」

 消しゴムを拾い、彼女に手渡す。

「ありがと、寺野くん」

 俺と彼女の関係性は、せいぜいお互い苗字呼びの、何も取り立てて言うことのない普通のクラスメイトだ。
 すぐ後ろに座っているのに、しかし俺と彼女との距離感はまだ遠い。




 俺こと寺野武は、それなりにガタイの良い体をしている。
 身長は高めで、筋肉質というほどではないがそれなりに引き締まった肉体をしている。そんな体格であるうえ、名前の印象も手伝ってか、他人からはよく運動部に所属していると思われるのだ。

 しかし実際には文芸部員であり、正真正銘のインドア派である。


 去年、入学した当初は運動部の勧誘をいくつか受けたが、軒並み断り、文芸部に入部した。

 昔から本を読むのが好きで、互いに本をお勧めし合ったり感想を言い合ったりする部活動は魅力的に思えた。
 しかし実際は所属部員が非常に少数で、それも幽霊部員ばかり。まともな活動はせいぜい文化祭の展示だけ。
 去年、その実態を知ってひどく幻滅したものだが、とりあえず部費で本を買えるだけでありがたいので入部した。


「寺野くんって、文芸部に入っているんだよね?」

 それは、ある日の放課後だった。


 ショートホームルームが終わり、生徒たちが一斉に席を立ち始める。教師から連絡事項を静かに聞いていたところから一転、教室内が騒然とした空気になる中――不意に、後ろの席の女生徒が俺に話しかけてきたのだ。なつきである。

「あ、ああ。そうだけど。なんで東条さんが俺の部活を知ってんの……?」
「なんでって……。だって、去年から同じクラスだよ? それくらいは知ってるよ」

 それもそうか。クラスメイトとして二年目。それぐらいは把握していて当然か。
 俺が何の部活に所属していたか彼女が知ってくれていただけで、喜ぶものではないのだ。


 かく言う彼女は、特にどこの部活にも入部はしていない。お料理同好会には所属しているが、そもそもその同好会はあまり頻繁に活動していないようで、彼女の在籍もほぼ形だけのようなものである。
 それを俺が把握しているのは、クラスメイトとしての必然から来るものでなく、何より俺のリサーチの賜物であるが。


「あのね。私、最近、読書にはまっててね。……なにか、おすすめの小説とかあれば教えてほしいなと思って」

 なつきは、いささか遠慮がちにそう言う。


 俺は動揺した。

 まさか、彼女にこうして話しかけられるなんて夢にも思わなかった。かねてより読書をたしなんでいて、そして一年前に文芸部に入部していて本当に良かった。


 これまで読んできた本の数なら、それなりのものである。その中でも特に彼女が気に入ってくれそうな作品を、頭に思いついた順から片端に挙げていった。
 おおよそどのようなポイントがお薦めであるのか要点を添えて。

 俺の挙げるお薦め小説がいよいよ十作品目を数えようとしたところで、なつきが突如口を開いた。


「ちょ、ちょっと待って寺野くん」
「え?」

「えっと、とりあえずそこらへんでストップ。さすがにそこまで一気に色々は読めないからさ……」
「あ。そ、そっか。ごめん」

「ううん、こっちこそごめん。なんとかメモったから、この中から良さそうなの読んでみるよ。教えてくれて、ありがとう」

 感謝の言葉と共に爽やかな笑顔を見せると、彼女は教室を出て行った。


 ……やってしまった。

 彼女にお薦めの小説を聞かれ、つい舞い上がってしまった。舞い上がって浮上しすぎた僕は自制心を忘れ、頭に浮かぶまま口を衝くまま語りまくってしまった。いや、はっきり言ってあれはきもい。

 せっかく彼女が話しかけて来てくれたのに。

 もっと爽やかな返答をすべきだった。あれでは、きっと気持ち悪がられたに違いない。

 一応、笑顔でお礼を言ってくれたものの、内心ではどうか分からないのだ。
 性格の良い彼女のことだ、仮に心底気持ち悪がっていたとしても、それを表情には出さないだろうから。




 三日が経過したが、その間、なつきとの会話はなし。

 もともと彼女と話す機会なんてそうそうないから、数日の間に言葉を交わさないなんてとりたてて不自然なことではない。
 しかし、俺が小説本を薦めてから三日。彼女がその本を読んだのなら、感想なりなんなりあってもよいはずである。
 一般的な観念なら、読みたい本があればその日中にでも図書館や書店に行って探すはずだし、一冊の本を読了するのに二日もあれば十分なはずだから。
 そして、推薦された本を読み終えたうえで何も感想を言わない……ということはあるまい。彼女の性格なら尚更。

 したがって、なつきは本を読んでいない。

 やはりあのとき俺の過剰な熱意が裏目に出たのだ。彼女は俺に対してすっかり引いてしまい、薦められた本なんて読む気にはならなかった、と、そういうことだろう。
 ……激しく後悔する。

 今、俺のそばにあの青ダヌキがいればすぐに三日前に連れて行ってもらって、なつきを対して本の知識を饒舌に語っていた俺を殴り飛ばしてやりたい。そして現在の俺が過去の俺にとって代わって、落ち着いた心で話すのだ。


 授業中、どうしても後ろが気になった。

 なつきはすぐ後ろの席だ。彼女はどんな様子なのだろうか。もしかして、目の前に居座るでかい背中を、きもちわるそうな目で見ているのではないか。
 というか今気が付いたが、それ以前に俺のせいで黒板が見えづらくなってなどいやしないだろうか。
 ああくそ、なんてことだ。前後が逆ならよかったのに。そうなら彼女のお目汚しになることもなかったし、対して俺にとっては目の――……いや、なんでもない。




 そしてさらに翌日。

 日直の当番が回ってきた。日直は二人一組で、出席番号の順に当番が回される。


「日誌は私がつけておくね、寺野くん」

 数日ぶりに、なつきと会話する機会を得られた。日直の当番が回ってきて歓喜したのなんて初めてだ。

 彼女が日誌をつけてくれているので、俺は授業終了ごとに黒板を消していく。消し終えて席に戻る度に、律儀にお礼を言ってくれるなつき。いい子だ。

 たぶん、俺のことを嫌悪しているわけでは……なさそうだ。胃臓の底から安堵の息を吐く。


 一日の授業が終わり、ショートホームルーム。


「今日の授業で宿題を集め忘れてしまったから、日直が回収して持ってきてほしい、とのことだ。たのむぞ」
担任が、日直の僕らを名指して、言った。数学の担当教師からの言伝らしい。

 僕らは言われた通り、クラスメイトたちの数学の宿題を回収し、職員室にいる数学教師に手渡した。

 職員室を出る。廊下で、なつきと二人。


「寺野くんは、今から文芸部?」
 なつきがそう聞いてきた。

「いや、今日は部活はないよ。文芸部ってそんなに毎日活動するわけじゃないんだ」

「ふうん。てことは、今から帰り?」
「うん」

「じゃあ、駅まで一緒に行こうか」
「えっ」

 あまりに予想外の提言に、一瞬、思考が停止し、体が硬直してしまう。
 いきなり立ち止まった俺を、彼女がきょとんとした顔で見ている。――慌てて、歩みを再開する。


 歩み出すと共に働き始めた思考で返答する。

「う、うん。じゃあ、一緒に行こうか」


 口角が吊り上がらないよう、注意した。
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