【短編】後ろ向きの恋と後ろの恋

喜太郎

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 昇降口で上履きから外靴に履き替え、校門を出て、学校から駅まで歩く。

 一年前から繰り返してきた道のりだが、いつもと違うのは、隣に、一年前から想いを寄せ続けているクラスメイトがいるということ。


 駅まで徒歩で、せいぜい十分弱。
 内心、緊張でがちがちだった。

 
 心臓が、肋骨の保護を抜けださんとばかりに激しく脈打っている。
 なにせ、長らく片思いを続けている美少女と並んで歩いているのだ。落ち着いてなどいられるものか。心臓がここぞとばかりに甲斐甲斐しく働くのも当然のこと。


 しかしその動揺をありのまま態度に出すと、彼女に好意が悟られてしまいかねない。

 彼女が、俺と一緒に駅まで歩こうと誘ってくれたのは、きっとただの気まぐれ。さしたる意味はない。
 ――そう、彼女にとって俺が、ここでさしたる意味など生じ得ないような、何も意識することもないただのクラスメイトだからこそ。ゼロだから。
 でも、俺が好意を寄せていることがばれれば、マイナスへと下落しかねない。熱を持った視線を一方的に向けられるのは、あまり心地よいものではないだろう。


 だから、俺は緊張して歩きながらも、あくまで冷静を装う。

 道中、彼女と会話をしている筈だが、動揺のために内容が頭に入ってこない。自分の発している言葉も、分からない。完全に無意識で会話を行っている。
 彼女の表情が曇ったり、俺を変な目で見たてきたりしていないので、きっと当たり障りのない受け答えができているはずだ。その調子だ、がんばれ、俺の無意識!


 なつきと並んで歩いている。

 表層意識上では、ただそれを喜ぶだけで占められる。

 なつきと並んで歩いている。

 気が付けば、駅に到着していた。短く感じたのか、長く感じたのかさえ分からない。完全に感覚がマヒしている。


 路線によって、ホームが二つに別れる。

「寺野くんは、どっちのホーム?」

「ああ。あっちだよ」

 なつきが俺と違う方のホームで乗り降りしているのは知っているが、詳しく知っているのは気持ち悪がられるかもしれない。もう失敗するわけにはいかない。

 俺は知らない振りをして、君はどちらのホームなのか、ということをさりげなく尋ねようとした。


「なつきは――」

 言いかけて、はっとした。

 しまった。

 誤って、彼女のことを下の名前で呼んでしまった。


 普段から、心の中でそう呼んでいたものだから、無意識のうち、つい口を衝いて出てしまった。なにやってんだっ、肝心なところでしくじるなよ、俺の無意識!


 しん、と、瞬く間に二人の間に静寂が訪れる。

 なんてことだ。
 やってしまった。
 いきなり下の名前で呼ぶなんて、とんだ失態だ。


「ご、ご、ごめん! あの、間違って……」

 動揺のあまり、彼女の顔を見られなかった。

 しかし、確認するまでもない。嫌な顔をしているに違いないのだ。


 クラスメイトの男子に、急に下の名前でしかも呼び捨てで呼ばれるなんて、誰だって嫌だろう。
 ただ一緒に駅まで歩いただけで、急にそんな距離を詰めてくるなんて、引かれるに決まっているのだ。

 違う、わざとじゃない。……しかし、いつも頭の中で下の名前で呼んでいたものだから、それがつい言葉に出してしまっただけなんだ――なんて言い訳、できるはずもない。


「――あ、俺の方、もう電車来てるから、行くよ。ごめん! じゃあ」

 俺は逃げるように、というかまさしくその場からの逃走として、近くの階段へ向けて駆けていった。


 電車が来ているというのは嘘だ。
 向こう側のホームに到着したあと、そこで電車が来るのをしばらく待った。


 頭は真っ白だった。
 後悔と自責の念にさいなまれながら、俺はホームの隅で呆然と立ち尽くした。その結果、電車を乗り過ごす。俺はバカである。

 もうきっと、今度こそ確実に、彼女は俺のことを嫌ってしまっただろう。

 嗚呼、自分が情けない。




        /




 寺野武という男のことを、私はよく知っている。
 なにせ、私はもっとも彼の近くにいる存在だから。

 近くにいる、というか、背後にいる、と言ったほうがより正確だ。


 寺野武は実に情けない。

 曲がりなりにも体つきは良く、その背中は大きく頼もしい。割合に、男らしい見た目をしている。背後から見ていれば良くわかるのだ。

 そんな外見だから、内面も同じように頼もしいものかと思いきや、これがはっきり反比例してしまっている。


 しかし非難したところで、人の性分とはそうそう変わるものではあるまい。
 なにぶん、彼は以前からずっとそうだったのだから。

 昔から、
 幼い頃から、
 いやもっと、生まれた瞬間からずっと武のことを後ろから見てきた私としては、彼の軟弱さにはほとほと呆れ果てている。


 武はかねてより、に想いを寄せている。


 彼女とは組が同じで、苗字の順から言って接する機会も多い筈なのだ。それだけ相手が身近にいるというのに、積極性の欠片もなく、その恋を実らせようという気概が一切感じられない。


 同じ男として、見ていられないのだ。

 わが子孫ながら、実に情けなし。




 端的に言って私は、いわゆる背後霊というやつである。

 その実態について私自身が何を語ろうとも、生者にとっては所詮オカルトの域を出ないわけであるから、深く言及はしまい。とかく私はわが子孫の体たらくを見過ごせず、霊界より現世へと馳せ参じた次第である。

 武は恋をしている。

 彼の想い人の名は、東条なつき。わが子孫が惚れこむのも頷ける美少女である。


 武のどこが情けないのかというと、それはもう、かような美少女と共に想いあう仲だというのに、それに気づかず、延々機を逸し続けていることである。



 この男は、自分の恋は望みのない片想いだと確信している。
 しかしそれは間違いである。

 今さっきなど、極めて重要な場面であったのに。



 武が誤って彼女のことを下の名前で呼んでしまった。
 彼が心の内で彼女のことを下の名で呼んでいることは私も知っている。しかし、直接そう呼んだことはない。ずっと、苗字に「さん」を付けた、他人行儀な呼び方だった。
 それが意図せず、心中での呼び方がそのまま口に出てしまったのだ。

 武はそれを失態として悔いたが、実態、そうではない。


 あまり唐突なことで彼女の方も驚いていたものだが、すぐにその顔を赤らめ、嬉しそうにしたのだ。――好意を寄せている男から突然下の名で呼ばれるなど、年頃の少女ならば当然の反応だろう。

 しかしこともあろうに武は、彼女のその様子に気付かず、さっさと走り去ってしまったのだ。彼は馬鹿者である。



 先日のこともそうだ。

 彼女が武に、なにか良い小説本を薦めてほしいと尋ねてきた。
 武はそれに対し、つい舞い上がって何冊もの本を列挙していったのだ。武は、つい語りすぎていたと後悔していたし、まあ、あれは私から見ても少々熱くなりすぎていたと思うが、しかし彼女の方はそんなこと気に留めてはいない。

 その証拠に、数日のうちに彼女は武が薦めた小説本を読み始めたのだ。

 授業の合間を利用して読み進めているのを、この私ははっきり見ている。


 武は、本の一冊など一日二日あれば読み終えられると思っている。
 読み終えたならばすぐにでも感想を言ってくるはずなのに、それがないので、おそらく自分が語りすぎたせいで彼女の本に対する好奇心を冷まさせてしまったのではと考えたのだ。

 しかし、文字を追うのが遅々たる者もいる。
 彼女は今日もまだ、本を読んでいた。それもかなり熱中している様子だ。
 つい、授業中も教科書に隠しながら文庫本を広げているのさえ、私は見ているのだ。

 しかしそんなこと、武はつゆも知らない。

 彼は馬鹿者である。


 なんなら、彼女の方はこっそりと入部届まで用意している。武と同じ文芸部に入ろうとしているのだ。
 武にお薦めを尋ねたのも気まぐれなどでなく、その前振りだろう。

 そんなことは知る由もなく、武は依然、彼女に嫌われてしまったと思い込んでいる。
 彼は馬鹿者である。


 そもそもさかのぼれば一年前からだ。



 武が彼女と会ったのは、高校の入学式だった。隣に座っている少女を見て一目惚れをしたのだ。

 武はそれが一方的なものだと思い込んでいるが、それは間違いである。


 真面目な武は、式の最中は前を向いていなければ怒られるからと、少女に目を遣りたい欲求を抑え込んでいた。
 だが彼女の方は遠慮なく、式の最中ずっと、ちらちらと武の横顔を見ていたのだ。

 背後から見ていた私からすれば、そのときすでに彼女の方もまた武に一目惚れをしていたのだと、すぐに察せられたものである。



 あれから一年を越して、まだ彼女の気持ちに気づいていないのだから、まったく彼は馬鹿者である。

 ただ一歩を踏み出すだけで想いが実るというのに、武はずっとあの調子だ。
 これでは武だけでなく少女の方も報われない。二人には早々に結ばれてもらいたいものである。


 何より、私としてもその方が、都合が良いのだ。



 東条なつきの背後にも、私と同じようなものがいる。すなわち彼女の先祖だろうか。


 二人が結ばれれば、必然的に、私も『彼女』と近づける。

『彼女』はというと、それはもう、目鼻立ちの整った美しい女性なのだ。私はすっかりその女性に恋をしてしまっているのである。
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