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20話ー怒ってる?

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 戸賀井の帰りを夕飯作りをしながら待って、彼が帰宅したら先にシャワーを浴びて貰い、ダイニングテーブルに作ったシチューとサラダ、それだけでは足りないだろうからとおにぎりを握り、それでも若い戸賀井には物足りないかとパンまで用意した。
 テーブルに並ぶ炭水化物のオンパレードを眺めているとシャワーから戻って来た戸賀井が肩に掛けたタオルで髪を拭きながら「うまそ~」と可愛らしい声を上げる。
「パンとおにぎりはなかったなって思ってたとこ」
「え、全然良いじゃないですか。俺全部食いますよ」
 機嫌が良い。
 これはイケる。
 元教え子の兼田駿とその兄の翔と食事に行くことになりそうだと伝えるなら今しかないのでは。「さぁさぁ座って」と戸賀井を椅子に座らせ、缶ビールをコップに注いで差し出す。
 それから雄大も椅子に腰を下ろして「あのね」と切り出した。

「教え子と飯ですか」
「元教え子とそのお兄さんとね」
 雄大が説明をしている間、戸賀井は黙って話を聞いてくれる。夕飯を前にちっとも手を動かさず、雄大のことだけを真っ直ぐに見つめて来るからちょっとばかり動揺して、「食べながら聞いて」と途中で催促してしまった。
 駿が小学六年の頃にクラス担任をしていて、翔は父兄として参観日や行事に参加してくれていたこと。先日の婚活イベントで偶然翔と再会して三人で食事でもしようという話になったこと。
 順を追って話をしたあとで「ご飯に行って来ても良いですか」と戸賀井に尋ねた。尋ねながら自分でも変だなとは思っていた。
 きっと前中に相談すれば「番候補であるお友達との付き合いは大事ですよ。戸賀井くんの許可なんて要らないでしょ。門村先生は自由なんだから」と言うだろう。
 脳内再生までバッチリ出来て、そんな場面でもないのに笑ってしまうそうになる。
「それ絶対行かないとダメなやつなんですか」
「え、行ったら駄目?」
「駄目っていうか……」
「いや?」
「嫌ですよ。嫌ですけど……あんまり束縛して門村先生に嫌われたくない」
 それだけ言うと戸賀井は黙ってしまい、あとは雄大が作った夕飯を全て食べるという宣言通りに黙々と平らげていった。
 怒らせたかな。怒らせたよな。
 曖昧な関係のまま番になってないとはいえ、いずれはと思っている相手が他の男と食事に行くなんて。でも友人付き合いを規制するのもどうかと思うんだけど――
 雄大が洗剤を付けたスポンジで食器の汚れを落とし、隣に並んだ戸賀井が食器に付いた泡を水で洗い流す。シンと静まったキッチンでは水流音と皿同士がカチ合う音だけがする。
 このままだと、婚活イベントの前に言い合いになった時のようになってしまう。
 どちらが正しいとかどちらが悪いとかそういうものではない。どちらにも言い分があって、避けようのない感情にぶつかって自分でもどうして良いのか分からなくなってるだけだ。
「戸賀井くん……ご飯食べに行くだけだから。行く前と途中と帰る前と帰ったあとにちゃんとメールするし」
「……俺、めちゃくちゃ嫉妬深い束縛男みたいじゃないですか……まぁ実際そうなんですけど」
「ごめん、そういうことを言いたかったんじゃなくて、どうすれば君が快く送り出してくれるかなって考えてるだけ」
「どうしたって快く送り出すなんて出来ませんよ。俺の知らない人と会って欲しくないし、何処にも行って欲しくない……先生のこと閉じ込めてたい」
「……なにそれ、怖いよ」
「やらないですよ、やらないけど……先生のことになるとおかしくなっちゃって。自分でも分かってます」
「じゃあ行かない。戸賀井くんが嫌がるの、俺も嫌だし」
「なんかそれもやだ」
 子供のように拗ねた声を出すから、じゃあどうすれば良いの、と笑ってしまう。
 そうしたら戸賀井は、はぁーっ、と諦めたように息を吐く。
「こういうの聞くのどうかと思うんですけど……どんな人たちですか? 教え子のお兄さんがあの婚活イベントに来てたっていうのは、Ωとして? それともα?」
「……お兄さんの方はα。弟はどうだったかな。小学校時代の印象は凄く良いよ。兄弟揃って真面目で、優しい、って感じ」
「弟もαかもしれないですね……昔と違ってΩでもαの友人が居るっていうのは珍しくないし、フェロモンで魅かれ合う同士でも損得のない友情関係は築けると思います。実際に俺もΩの友達が居ますし。でも、先生、ちゃんと自覚はありますよね?」
「自覚? ……あるよ」
 何の自覚? と思ったけれど、これで答えないのは戸賀井の不信感を生むような気がして、ありますけど? という顔をして返事をした。
「こう見えても先生のこと焦らず待ってるつもりなので。俺のこと……ちょっとは好きですよね?」
 ポワ、ポワ、と花弁が舞うような香りがする。戸賀井から漏れるフェロモンの匂いだ。
 芳香は雄大の鼻腔を擽り、繋がった口内まで下りて来ると有り得ないはずなのに舌先に甘い味が拡がる。美味しそうだから食べたいという感情に良く似ていて、その内に焦燥感に変わり、激しい欲が湧いて来る――
「先生? 門村先生?」
「あっ、え、なんの話だっけ?」
「このタイミングで聞いてないとかあります?」
 他がどうかは分からないが、一瞬、自分のヒートがどのように来るのかそのメカニズムを理解した気がする。といってもヒートが起こる時には様々なパターンがあるというし、今感じた感覚もその一つに過ぎないのかもしれない。
「俺が先生のこと大好きって話をしてたんですけど」
「それは知ってるよ」
 簡単に返事をすると戸賀井の恨めしい視線が刺さる。
 敢えて目線を合わさずにいると横からキスをされた。戸賀井の唇が雄大の目元に当たって、そのあとで頬にも当たる。
 雄大の体は横に軽く揺れ、ここで漸く戸賀井の方を見るともう一度顔を近付けようとしていたので今度は雄大の方から戸賀井の頬にキスを返した。

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