銀河皇帝のいない八月

沙月Q

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第二章

1. レディ・ユリイラ

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 身長二メートル。女性である。

 漆黒のローブをなびかせ、謁見ホールに続く廊下を歩む細身の姿は、優雅さと同時にとてつもない危険も感じさせた。ローブの下から見え隠れする、レザースーツの赤いラインが、浮き出した血管のようにも、獲物の返り血の流れたあとにも見えるのだ。
 長い黒髪。透き通るような白磁の肌。鼻筋、口元、頬から顎にかけての線は、銀河系文明に属する多くの種族の者に「美しい」という印象を与えることだろう。
 だが、その顔の上半分は異様だった。
 メカニカルなティアラと一体化したマスクには、切れ長の目を模したレンズがはめ込まれており、そこに隠された眼差しを見た者は誰もいない。
 そのマスクの奥では、銀河帝国で最も強大な勢力を誇る、第一公家ラ一族を支配する、該博な知識と、高潔な人格。そして底知れぬ智謀とが渾然一体となり、海に注ぎ込む溶岩のように凄まじいエネルギーをはらんだ渦を巻いていた。

 ユリイラ=リイ・ラは廊下に居並ぶ帝国軍近衛兵たちの畏怖の礼を、散歩道に茂った梢のようにくぐり抜けながら、謁見ホールの入り口に立った。

 惑星〈鏡夢カガム〉。

 ラ家の支配する、最も大きな拠点の一つであり、銀河帝国の産業、政治、文化の中心地の一つでもある。
 その首都であるサロウ城市は、惑星表面の九割を覆い荒れ狂う大洋にそそり立った、巨大な多層構造都市だった。遠目から見れば、それはいくつもの尖塔を擁する一つの鉄の城に見える。しかし、その実体は何層にも積み重なった超高層建造物の複合体であり、海上から千メートルを遥かに超える頂点のすぐ下まで人間があふれていた。
 不思議なことに、この惑星の気候はその最上層部でもっとも安定しており、そこには緑豊かな広葉樹林が広がっていた。そのさらに中央にラ家の私邸が構えられていた。
 サロウ城と呼ばれるこの私邸の敷地にいる限り、眼下の都市の喧騒はまったく目に入らない。花々が咲き乱れる庭園では鳥がさえずり、穏やかな全くの別世界を作っている。
 その、サロウ城の謁見室には、いま銀河帝国の賓客が控えていた。

「皆様、すでにお揃いでございます」
 背の高い、主人以上に細身の執事が、言いながら扉を開けた。
 人間ではない。
 執事の正装に包まれた部分以外は、メタクロームに覆われた肌が露出している。帝国でもすでに珍しい、金属製の人造人間……に見えるが、そのあまりに人間らしい仕草から、サイボーグではないかとも言われている。
 執事ダキトーの出自は、ラ家の内部においても知られていなかったが、女主人の全幅の信頼という一点だけで、その存在は揺るぎないものだった。

「レディ・ユリイラがお見えです」
 ラ家当主の入室と同時に、客人たちは全員起立した。
 広大な黒閃石の円卓を囲む四人の人物。銀河帝国の最も高いレベルでの会合としては、あまりに少ない人数に見えるが、そのひとり一人の背後に、数兆の人々の運命を左右する組織、共同体、権力と利害の構造が存在しているのだ。
 上座に着いたユリイラの右手に、ややかたまって三人が座り、少し離れた左手に一人が座った。右手の三人は、いずれも帝国の元老である。

「先ほど、下の庭で……」
 仮面の貴婦人が涼やかな声を発した。
「……早咲きの百合がほころんでいましたのよ。手折って自室に飾らせましたけど、天の百合もこれくらい御しやすければ何の苦労もない事ですわね」
 天の百合、とは無論星百合スターリリィを指す言葉と知れた。〈鏡夢〉の衛星軌道には一際古く巨大な星百合が存在し、ラ家に広大な超空間路網の支配管理権を与えていた。
 そんなラ家の当主をして「御しやすければ」と言わしめるほどに、星百合のはらむ謎は深かった。
 四人の賓客は微動だにせず、微笑むユリイラの言葉を聞き流した。
 銀河系最高の権力者であった弟を殺されたばかりの姉……その立場にあまりにも不釣り合いな悠然とした態度は、これから交わされる議論の深刻さをいっそう際立たせた。
「それで、この異常事態の先例は見つかりましたの?」
 重い沈黙を、ユリイラの問いが払い除けた。
「否……です。過去三千年に渡るアーカイブの記録をスキャンさせましたが、どの院にも、皇帝敗没の史実を示す資料は発見出来ませんでした」
 三人の元老の中央に座した老人が答えた。
 長い白髪と白髭をたたえ、長身を白いローブに包んだ元老院議長、レ=イ・ツェガール大公は、かつては銀河皇帝を輩出したこともある高位公家の当主だった。まるで神官か魔法使いを思わせる威厳に満ちた風貌も、今は似合わぬ下座にあって心なしか小さく見える。
「つまり、私たちは帝国開闢以来の珍事に立ち会っているということですの……にわかには信じがたい話ですわね」
「戦死、暗殺、謀殺など、常ならぬ最期を遂げ皇位を譲った皇帝は何人かいます。しかし、明確に一人の人間と対決し、敗北を喫したという事例がないのです」
 ラ家の当主は、黒い手袋に包まれた細い指を宙に走らせた。そのジェスチュアに従い、プロジェクターが起動して会議卓の中央に立体映像を浮かび上がらせた。
「これが対決と言えるものですの?」
 映し出されたスター・コルベットの周辺では煙と砂塵が渦巻き、船首リフトの上の人影が、どこからともなく飛来した棒切れに顔を貫かれて倒れる様がはっきり見えた。視点が変わり、呆然と立ち尽くす少女とミン・ガンの姿が大映しとなる。
「帝国大審判院で法典運用の専門家である最高審判官数名に見解をただしました。皇帝敗没を宣したネープ三〇三の判断に問題はないとのことです」
「戦死ではあるでしょう。弓矢というのかしらね。この原始的な武器で、原住民に奇襲されての……それ以上のことには見えませんね」
「この時、スター・コルベットの白色光弾砲は、ミン・ガンと問題の者に向けられておりました。遥かに強力な武器をもって対峙していた以上、一方的な襲撃だったということにはならないのです」
 再びユリイラの指が動き、立体映像は消えた。
 かわりにどこからともなくその手元に飲み物が現れ、赤い唇が一口ふくんだ。
「なるほど……ではこの場に、皇帝を護るべき者の姿が見えなかった理由をお聞きしましょうか」
 水を向けられたのは、一人離れた席に着いた黒衣の男だった。その銀髪も、青紫色の瞳も、遥か彼方の惑星で皇位継承者を護っている少年と同じものだ。ただ、男の方は彼より二十以上年かさであった。
 ネープ一四一は答えた。
「三〇三は船内での待機を命じられたに違いありません。でなければ彼は先陣を切って皇帝の前に立っているはずです。これは推測ではなく、状況から必然的に導き出される結論です」
「完全人間が居眠りをするとは思っていません。かといって、弟がそういう命令を発したという記録もないのでしょう?」
「そう考えるべき根拠は、もう一つあります。ゼン=ゼン卿は……」
「皇帝陛下は、でしょう」
 ユリイラが静かに、しかし有無を言わさぬ語気で訂正を促した。
「閣下、いま我が帝国に皇帝はいないのです」
 とりなしたのは、ツェガール大公だった。完全人間ネープに助け舟など不要であるし出したくもなかったが、現状を正しく認識するための前提を彼自身もはっきりさせておきたかったのだ。
「だからこそ、問題は深刻なのです。法典の守護者である銀河皇帝の不在は、帝国の不安定化につながります。折りもおり、星百合の種子をめぐっての動乱は速やかに鎮める必要があります。そのためには、まず閣下にも現状を正しくご認識いただきたい。弟君については衷心の極みではありますが、すでに皇位は彼とともにありません」
「銀河皇帝はいない……」
 仮面の下からもれた呟きは次の瞬間怒りの言葉に転じるかと思われたが、意外にも鈴を転がすような笑い声が続いた。
「では、この時間は貴重なものですね。皇帝のいない帝国にいられるわずかな時間に、何を成し何を成さざるか……とても危険なゲームになりそうですこと……」
 円卓に再び重い沈黙が下りた。

「失礼……ネープ殿、何の話だったかしら?」
「弟君が、三〇三を遠ざけた理由です。ゼン=ゼン卿はゴンドロウワの軍勢をもって、ネープの庇護から逃れようとしていた。その先には、ゴンドロウワをネープにとってかわらせ、〈法典ガラクオド〉の縛りによらない自分の軍隊で皇帝の権威を守ろうという目的があったのです」
 ここでツェガール大公は、眉をひそめてにわかに緊張した。
 完全人間の指摘は当たってはいようが、あまりに明からさまだった。亡き皇帝の目論見とは、すなわちラ家の目論見である。それが頓挫し、さらには皇帝自身の身を滅ぼす原因の一つになったなどという事実は、ユリイラにとって面白かろうはずもないのだ。
 だが話は大公の憂いとは別の、さらに深刻な方向へと進んで行った。
「弟の計画は、少々思慮を欠くものでした。それは否めません。まさに今このような事態を招くことになるのを私は憂慮したのです」
「それは……ゴンドロウワが弟君の危険につながると予感されていたのですか?」
 大公の問いに、ユリイラは下手な冗談を聞いたような苦笑いをしながら首を振った。
「姫様が気にされてるのは、新しい皇帝がこのまま決まっちまった後のことでしょう?」
 ツェガール大公の右手に控えていた初老の男が口を開いた。
 元老院主席書記官ミ=クニ・クアンタ卿は、禿げ上がった頭をかきながら、酒場での世間話のように言葉を続ける。
「新しい皇帝は何も知らない未開の星の娘になるわけでしょう? 便利な完全人間を疎ましく思うでもないだろうし、指揮系統を皇帝にセットされた大軍もそのまま手駒に出来るわけで……おまけに、成り行きによっちゃ獰猛な猫族も味方につけかねない。こりゃあ銀河の隅っこに、いきなり帝国を半分吹っ飛ばせる爆弾が生まれるようなもんですわな」
「さて、どうだろうな……」
 言いながらも、ツェガール大公は全く見落としていた可能性の指摘にうろたえかけていた。このクアンタという男は普段昼行灯のような顔をしていながら、時折誰も気付かぬ視点から問題を露わにする……公家の当主を「姫」呼ばわりする下世話さにも肝を冷やされるのだが……

 その当主自身は意に介さず言った。
「少なくとも、主人を失ったゴンドロウワが宙ぶらりの状態で辺境宙域に放置されているのは問題です。新しい皇帝の前に、何者かがその指揮系統をリセットする可能性もあるでしょう。簡単なことではありますまいが」
「簡単ではないけど、挑戦する価値のある冒険ですなあ」
 クアンタ卿が言った。
「今、問題の星への超空間路を探している勢力は、一つや二つではないでしょうな。本来なら、第一公家の当主である姫様が統治権を継いでその動きを止められましょうが……法典は皇帝敗没を例外にしちまってる。公家も元老院も次の皇帝が決まるまで、何の権力も行使できないと来た。領外の辺境宙域は無法地帯になるでしょうなあ……」
「領内の行政はどうなるのです?」
「現状維持です」
 ユリイラの問いに、若い女性の声が答えた。
 声の主……三人目の帝国元老は触覚を震わせ、大きな複眼を上座に向け言葉を続けた。
「各星系政府の管理は、引き続き我々インピッドがおこないます。しかし現状維持以外の方針は取りません」
 昆虫型人類インピッドは、その共同体自体が一つの巨大な頭脳であり、他の人類には不可能な早さと精緻さで膨大な数にのぼる星系国家の行政管理を行うことができた。だが彼らは管理はするが支配はしない。支配し、それら星々の進む道を決めるのは、銀河皇帝と元老院の仕事なのだ。
 だから、その権威がない今、インピッドの管理方針は現状維持だけだった。それしか出来ないのだ。
 インピッドの元老、ポリュシュク女公は生物学的な特徴から女性とされ、リーリングで翻訳された声も女声に設定されていた。
「インピッドの管理は、この状況においても〈法典ガラクオド〉の定めを逸脱することはありません。ご安心ください」
 円卓の一同は、その通りであることを疑わなかった。インピッドという種族の望みは、帝国との古い契約で定められたペースでの繁殖とそのための安全の保証……ただそれだけだった。それ以外のいかなる富や権勢にも、彼らは無関心なのだ。
 
「では……やはり最大の問題は、新皇帝の即位ですわね。ネープはあの少女をそのまま即位させる方針ですの?」
「否定する理由はありません」
 黒衣の完全人間は答えた。
「三〇三が後継者を帝国に連れて来るか、皇冠クラウンと元老代表を送るよう連絡してくれば、我々は直ちに〈即位の儀〉をおこなう準備に入ります」
「そう……」
 仮面の貴婦人が低く呟く。
 その声に危険な響きを感じ取ったツェガール大公は、極力穏やかに提案した。
「閣下、いま一度我々で別の可能性を探ってみます。皇位後継者の資格について、あまりに不向きである場合の対応も考えられましょう。あの娘の種族自体が、法典の定める基準に達していない可能性もあり得ます」
「時間の無駄ですわ」
 ユリイラの長身が立ち上がった。
「いま我々には、帝国における何の権威も無い……しかし、その代わりに自らの意志で自らの存在を守る自由があるはずです。私はその自由を行使することにいたします」
「姫様は……その自由で〈法典ガラクオド〉の定めをも超えることも出来る、とお考えで?」
 クアンタ卿の問いかけには、諫言の匂いがあった。
 ユリイラは笑った。
「それは、挑戦しがいのある冒険ですわね」

 切長の瞳を模したレンズが妖しく光った。
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