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第23話 貴族街からの足音
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麦猫堂に朝日が差し込むころ、私は生地の温度を見ながら小さく息をついた。
(今日も……きれいに焼けますように)
陽だまりパンの注文は増え続けている。
そのぶん緊張も増したけれど、昨日までより気持ちは軽かった。
「エリ、昨日より手つきが良くなったねえ」
ハンナが背後から覗き込む。
「こりゃあ、そのうち私も追い越されるね」
「そ、そんなこと……! まだまだです」
「いや、冗談じゃなくてね。あんたは飲み込みが早いよ」
照れながら返事をしていると、店の扉が控えめに開いた。
「失礼します」
朝一番にしては珍しい、丁寧な声。
入ってきたのは、深い緑色の制服を着た若い青年だった。
(……あれ? あの服装)
胸元には、見覚えのある紋章が光っていた。
「貴族街の……制服?」
セシルがすっと前に出る。
すでに警戒を整えたような、張り詰めた空気が背中に伝わった。
「麦猫堂さんで間違いありませんか」
青年は柔らかく頭を下げる。
「私はクロフォード家の従者、リオンと申します」
クロフォード家。
それは、王都でも屈指の名門だ。
「昨日、お茶会でこちらのパンをいただきまして」
リオンは続けた。
「お嬢様が大変お気に召されました。つきましては、本日もいくつか分けていただければと」
「えっ、えっと……陽だまりパン、ですよね?」
「はい。あの柔らかい食感を大変お気に入られておりまして」
胸がどきんと跳ねた。
(クロフォード家のお嬢様が……?)
絶対に失敗できない相手だ。
自然と背筋が伸びた。
「エリ。いけそうかい?」
ハンナが、いつになく慎重な顔をする。
「……はい。焼きます。最高のものを」
震えそうになる手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
◇ ◇ ◇
リオンは店の片隅で静かに待っていた。
私は生地をそっと丸め、成形し、焼き加減を見極める。
ふくらみ具合。
表面の張り。
温度の変化。
すべてが、いつもより鮮明に感じられた。
(失敗できない。でも……やれる)
集中の波が自然と訪れる。
焼き上がったパンを取り出した瞬間、甘い香りがふわりと広がった。
「できました……!」
リオンが立ち上がり、丁寧に籠を差し出す。
「ありがたく頂戴します。……とても良い香りです」
その声には、本心からの感嘆が滲んでいた。
「お嬢様、きっと喜ばれます。
実は……他の奥方方にも広まりつつありまして」
「えっ……!」
「もしよろしければ、またお願いしたいとのことでございます」
胸の奥で、何かが柔らかく広がった。
(私のパンが……貴族街に……?)
信じられない気持ちと、こらえきれない嬉しさが同時に湧いてくる。
◇ ◇ ◇
リオンが帰ったあと、私はしばらくぼんやり扉を見つめてしまった。
「エリ」
セシルが隣に立つ。
「誇ってよい出来でした」
「……うん。でも、なんだか夢みたいで」
「夢ではありません。お嬢様が努力した結果です」
そう言われると、反論する理由がひとつもなかった。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額(リラ)
収入 通常営業の日給 +25
収入 クロフォード家特注分(エリ取り分) +22
合計 +47
借金残高 23,741 → 23,694リラ
セシルの一口メモ
評価とは、静かに広がる波紋のようなものです。
今日の波紋は、貴族街まで届きました。
(今日も……きれいに焼けますように)
陽だまりパンの注文は増え続けている。
そのぶん緊張も増したけれど、昨日までより気持ちは軽かった。
「エリ、昨日より手つきが良くなったねえ」
ハンナが背後から覗き込む。
「こりゃあ、そのうち私も追い越されるね」
「そ、そんなこと……! まだまだです」
「いや、冗談じゃなくてね。あんたは飲み込みが早いよ」
照れながら返事をしていると、店の扉が控えめに開いた。
「失礼します」
朝一番にしては珍しい、丁寧な声。
入ってきたのは、深い緑色の制服を着た若い青年だった。
(……あれ? あの服装)
胸元には、見覚えのある紋章が光っていた。
「貴族街の……制服?」
セシルがすっと前に出る。
すでに警戒を整えたような、張り詰めた空気が背中に伝わった。
「麦猫堂さんで間違いありませんか」
青年は柔らかく頭を下げる。
「私はクロフォード家の従者、リオンと申します」
クロフォード家。
それは、王都でも屈指の名門だ。
「昨日、お茶会でこちらのパンをいただきまして」
リオンは続けた。
「お嬢様が大変お気に召されました。つきましては、本日もいくつか分けていただければと」
「えっ、えっと……陽だまりパン、ですよね?」
「はい。あの柔らかい食感を大変お気に入られておりまして」
胸がどきんと跳ねた。
(クロフォード家のお嬢様が……?)
絶対に失敗できない相手だ。
自然と背筋が伸びた。
「エリ。いけそうかい?」
ハンナが、いつになく慎重な顔をする。
「……はい。焼きます。最高のものを」
震えそうになる手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
◇ ◇ ◇
リオンは店の片隅で静かに待っていた。
私は生地をそっと丸め、成形し、焼き加減を見極める。
ふくらみ具合。
表面の張り。
温度の変化。
すべてが、いつもより鮮明に感じられた。
(失敗できない。でも……やれる)
集中の波が自然と訪れる。
焼き上がったパンを取り出した瞬間、甘い香りがふわりと広がった。
「できました……!」
リオンが立ち上がり、丁寧に籠を差し出す。
「ありがたく頂戴します。……とても良い香りです」
その声には、本心からの感嘆が滲んでいた。
「お嬢様、きっと喜ばれます。
実は……他の奥方方にも広まりつつありまして」
「えっ……!」
「もしよろしければ、またお願いしたいとのことでございます」
胸の奥で、何かが柔らかく広がった。
(私のパンが……貴族街に……?)
信じられない気持ちと、こらえきれない嬉しさが同時に湧いてくる。
◇ ◇ ◇
リオンが帰ったあと、私はしばらくぼんやり扉を見つめてしまった。
「エリ」
セシルが隣に立つ。
「誇ってよい出来でした」
「……うん。でも、なんだか夢みたいで」
「夢ではありません。お嬢様が努力した結果です」
そう言われると、反論する理由がひとつもなかった。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額(リラ)
収入 通常営業の日給 +25
収入 クロフォード家特注分(エリ取り分) +22
合計 +47
借金残高 23,741 → 23,694リラ
セシルの一口メモ
評価とは、静かに広がる波紋のようなものです。
今日の波紋は、貴族街まで届きました。
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