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第71話 影を追う静かな朝
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朝の冷たい空気が麦猫堂の窓から流れ込み、厨房をわずかに震わせた。
昨夜の不穏な足音が、まだ胸の奥に残っている。
エリはいつも通り、生地をこねる手を動かし続けていたが――
その指先には、ほんの少しだけ力が入りすぎていた。
「エリ、手が固いよ。落ち着いておくれ」
ハンナの声に、エリははっとして手を止めた。
「ごめん……少し考えごとをしてて」
「昨日のあれかい?」
エリは小さく頷く。
あの音、あの気配。はっきり見えなかったそれが、胸を締め付け続けている。
「いいかい、エリ。どんな影でもね、朝日は必ず照らすんだよ。
それまでは……あたしたちが横にいるからさ」
ハンナは笑って見せる。
その明るさが、少しだけ心を軽くした。
「うん。ありがとう、ハンナさん」
その時、店の扉が静かに開いた。
「おはようございます、エリ、ハンナさん」
セシルだった。
昨日より少しだけ硬い表情をしているが、声は落ち着いている。
「セシル。昨日の足音のこと、何か分かった?」
「確証はありませんが……あれはただの通行人ではありません」
セシルはゆっくり歩み寄り、声を潜めた。
「動きが静かすぎました。あの場に用があった者の足音ではない」
心がずきりと痛む。
「やっぱり……私を探してる人、なのかな」
「可能性は高いですが、焦る必要はありません」
セシルは、エリの両手をそっと見下ろした。
「エリ。ここにいる限り、私が必ず守ります。
あなたが怯えて手を止める必要はありません」
その言葉が、まるで温かい布のように心を包む。
「……ありがとう。昨日より、少しだけ怖くなくなったよ」
「それなら良かった」
ハンナが腕を組み、二人を見てふっと笑う。
「よし、守られてる娘は仕事に戻るよ。
エリがいないと焼き上がらないからね」
「はーい!」
エリは再び生地に触れる。
今度は力を入れすぎないように、静かに丁寧に。
そんな姿を見ながら、セシルはわずかに目を細めた。
(影が本格的に動き出す前に、手を打たねばならない)
セシルはエリに聞こえないほど小さな声でつぶやく。
(あなたに近づく者が誰であれ、私が必ず排除する)
その瞳には、静かだが鋭い意思が宿っていた。
◇ ◇ ◇
昼頃、店の前を掃き掃除していたエリがふと顔を上げる。
通りの向こう側。
一瞬、人影がこちらを見てすぐに背を向けた。
(また……?)
しかし昨日よりもはっきり分かる。
その人物は、まるでエリの動きだけを確認するかのような視線を向けていた。
エリの心臓が跳ねた。
「セシル!」
呼ぶと同時に、セシルは店内から即座に飛び出してくる。
「どこです」
「あっち……向こうの角へ……」
セシルは迷わず走り出す。
エリは胸を押さえながら、その背を見送った。
(お願い、セシル……)
十数秒の沈黙のあと。
セシルは戻ってきたが、その瞳は鋭いままだった。
「逃げられました。やはり意図を持ってここを見ている者です」
「そんな……」
エリの手が震える。
しかしセシルはその手をそっと包んだ。
「エリ。怖いなら、怖いと言ってください」
「でも……私、逃げないって決めたのに……」
「逃げないことと、怖くないことは違います」
その言葉に、エリの胸がじんわり熱くなる。
「大丈夫です。
あなたがここに立っていられるように、動くのは私の役目です」
エリは小さく息を吸い、震えを抑えた。
(……大丈夫。セシルがいる)
麦猫堂の前で、二人は同じ方向を見つめた。
動き始めた影に対し、エリもセシルも引かない。
影が何者であろうと、
もう昨日のエリではない。
本日の収支記録
項目 内容 金額(リラ)
収入 店頭販売(通常) +18
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +38
借金残高 22,500 → 22,462リラ
セシルの一口メモ
恐怖は、弱さではありません。
それは、守るべきものを見つけた証です。
昨夜の不穏な足音が、まだ胸の奥に残っている。
エリはいつも通り、生地をこねる手を動かし続けていたが――
その指先には、ほんの少しだけ力が入りすぎていた。
「エリ、手が固いよ。落ち着いておくれ」
ハンナの声に、エリははっとして手を止めた。
「ごめん……少し考えごとをしてて」
「昨日のあれかい?」
エリは小さく頷く。
あの音、あの気配。はっきり見えなかったそれが、胸を締め付け続けている。
「いいかい、エリ。どんな影でもね、朝日は必ず照らすんだよ。
それまでは……あたしたちが横にいるからさ」
ハンナは笑って見せる。
その明るさが、少しだけ心を軽くした。
「うん。ありがとう、ハンナさん」
その時、店の扉が静かに開いた。
「おはようございます、エリ、ハンナさん」
セシルだった。
昨日より少しだけ硬い表情をしているが、声は落ち着いている。
「セシル。昨日の足音のこと、何か分かった?」
「確証はありませんが……あれはただの通行人ではありません」
セシルはゆっくり歩み寄り、声を潜めた。
「動きが静かすぎました。あの場に用があった者の足音ではない」
心がずきりと痛む。
「やっぱり……私を探してる人、なのかな」
「可能性は高いですが、焦る必要はありません」
セシルは、エリの両手をそっと見下ろした。
「エリ。ここにいる限り、私が必ず守ります。
あなたが怯えて手を止める必要はありません」
その言葉が、まるで温かい布のように心を包む。
「……ありがとう。昨日より、少しだけ怖くなくなったよ」
「それなら良かった」
ハンナが腕を組み、二人を見てふっと笑う。
「よし、守られてる娘は仕事に戻るよ。
エリがいないと焼き上がらないからね」
「はーい!」
エリは再び生地に触れる。
今度は力を入れすぎないように、静かに丁寧に。
そんな姿を見ながら、セシルはわずかに目を細めた。
(影が本格的に動き出す前に、手を打たねばならない)
セシルはエリに聞こえないほど小さな声でつぶやく。
(あなたに近づく者が誰であれ、私が必ず排除する)
その瞳には、静かだが鋭い意思が宿っていた。
◇ ◇ ◇
昼頃、店の前を掃き掃除していたエリがふと顔を上げる。
通りの向こう側。
一瞬、人影がこちらを見てすぐに背を向けた。
(また……?)
しかし昨日よりもはっきり分かる。
その人物は、まるでエリの動きだけを確認するかのような視線を向けていた。
エリの心臓が跳ねた。
「セシル!」
呼ぶと同時に、セシルは店内から即座に飛び出してくる。
「どこです」
「あっち……向こうの角へ……」
セシルは迷わず走り出す。
エリは胸を押さえながら、その背を見送った。
(お願い、セシル……)
十数秒の沈黙のあと。
セシルは戻ってきたが、その瞳は鋭いままだった。
「逃げられました。やはり意図を持ってここを見ている者です」
「そんな……」
エリの手が震える。
しかしセシルはその手をそっと包んだ。
「エリ。怖いなら、怖いと言ってください」
「でも……私、逃げないって決めたのに……」
「逃げないことと、怖くないことは違います」
その言葉に、エリの胸がじんわり熱くなる。
「大丈夫です。
あなたがここに立っていられるように、動くのは私の役目です」
エリは小さく息を吸い、震えを抑えた。
(……大丈夫。セシルがいる)
麦猫堂の前で、二人は同じ方向を見つめた。
動き始めた影に対し、エリもセシルも引かない。
影が何者であろうと、
もう昨日のエリではない。
本日の収支記録
項目 内容 金額(リラ)
収入 店頭販売(通常) +18
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +38
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セシルの一口メモ
恐怖は、弱さではありません。
それは、守るべきものを見つけた証です。
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