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それくらいで済んでよかったね@(まだ)健全 18
しおりを挟むクリア板の向こう側は飲食喫煙火気厳禁である。なので休憩の一声が入りしだい、一息つくために入口側へと移動するのが全員の日課だ。
収録の合間に手が空いたスタッフがセッティングしたようで、人が行き来するだけのなにもなかった空間に折りたたみ式のパイプ椅子と長テーブルが用意されていた。紅茶色をした長テーブルの上にはトレーが人数分。飲み物、菓子とともにネームプレートが置かれている。
飲み物は、蓋がされていて飲み口代わりにストローが刺さっているタイプの紙製の容器だ。プラスチックやグラスのように透ける素材ではないため、中身は見えない。菓子もトレーごとに種類が異なる。和菓子から洋菓子、中にはどちらかというとおかずに含まれる類のものもあった。
人によってアレルギー、または食べられないものがあることから、各個人の好みに沿って一人一人違うものを用意するという配慮によるものだ。個別準備は手間と金がかかるはずなのに、まったく惜しまない。そこも高く評価できるポイントである。
「おつかれっ! 今日も絶好調だね!」
先に出ていたルクバトが両手にトレーを乗せてやってきた。その半歩うしろに同じくトレーを手にしたズベンがいる。事前予約のない唐突な見学だったというのに彼の分も用意できたらしい。
「拝聴させていただきましたが、すばらしいという以外に尽くせる言葉が見つかりません。男性の欲をくすぐるかわいらしい声から次々とつむがれる、素直ではないセリフの数々……。キャラクター自身に付与されたお言葉であることは十分存じておりますが、ふふ。今度はぜひ、私と二人きりの時に再現してもらいたいものです」
「仕事外で演じるつもりはない」
本音で却下を下し、ルクバトからトレーを受け取る。備えつけの菓子はアップルタルト。八等分の一切れだが、長くはない休憩のおともにはちょうどいい量だ。
「ダメダメ! ハマルの声は商売道具なんだから、聞きたかったらちゃんとボクを通さないと!」
「商売道具以前に私の大切な幼なじみです。ぽっと出の貴方とは年季が違いますよ」
空いているパイプ椅子を掴み、壁際に移動させる。席が決まっている料理店内やくつろげる自室でない限り、ハマルは他者とテーブルを囲むよりも人と距離を置いて飲食することを好む。
ズベンとルクバトも応酬を繰り広げながらハマルに合わせて椅子を引っ張ってきた。三人による小さくて不完全な輪が出来上がる。
置き場に最適なテーブルがなくとも膝を代わりにすれば手は空けられるものだ。足を組まずにトレーを太ももの上に乗せ、まずは渇いた喉を潤そうと飲み物に手を伸ばす。──瞬間。
「ハマル様ッ!」
鋭い声が名を呼ぶのとほぼ同時に強い力が手首を捕らえた。想定外の反動によって指先がぶれ、掴むつもりだった容器を弾いてしまう。
あ、と声をこぼしたのはだれだったか。容器が傾き、トレーの縁を乗り越えて落下した。カシャンッ!
憩いの時間にあふれていた雑談によるざわめきが一瞬で凪ぐ。何事か。沈黙の中、すべての目がこちらを注視する。
「口をつけてはおりませんね!?」
突き刺さるほどの数多い視線、まったく動じないズベンによってハマルの顔が上向かされた。あごを掴み、強引に唇を割ってもぐりこんできた指が舌、下顎、上顎とまさぐってくる。
「ン、ンン……ッ!」
やめろ、と声に出したいが、異物があるせいでまともに人語を話せない。言葉のかわりの抗議としてズベンの腕を叩く。
ひとしきり口腔を撫でていったあとで、ようやく指が引き抜かれた。絹の手袋にたっぷりと吸われた唾液が細い糸を引く。
なんのつもりだ。詰問するはずだった怒りは、しかし目の端に映ったそれによってブレーキをかけられた。気になったものをしっかりと見ようとする行動が仇となり、よりはっきりと視界に入れてしまったことで急速にしぼんでいく。
ハマルの目が驚きと動揺に見開かれたことを、その場にいた何人が目にしただろう。おそらく一人もいない。全員が、ハマルと同じものを見ていた。
「危ないところでした……。手荒な真似、申し訳ございません。お召し物にかかってはいませんか?」
安堵した声音でハマルを気遣うズベンの行動だけが、今この瞬間では場違いに浮いている。その足元でじわじわと広がる、容器の中身だったもの。
毎度届けられていたアップルティーではなかった。赤味がかったさらさらの水質も、リンゴの甘ずっぱい香りも存在しない。
どろりとした粘度の中で分離した黄色が混ざった白濁。公共トイレで嗅ぐ機会が多いツンとしたアンモニア臭。それは断じて人が口にしていいものではない液体でできていた。
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