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七・王子様と瞳色のドレス

035. 枕の下に隠すもの

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「姉さま、どうしました? うん?」
「貴女が、自殺したってことが……とても悲しいの。どうして? イラリア」
「私が自殺したのは、あいつに復讐するためですよ。姉さまと一緒になりたかったっていうのも、もちろんありますけど」
「あいつって、バルトロメオ殿下のこと? 貴女、何か酷いことされたの?」
「私じゃなくて。……姉さま、が」

 イラリアは声を詰まらせて、ひどく悲しげな顔になる。

 彼女が言っているのは、私がバルトロメオに何かされたから、復讐したいと思った。ということで合っているだろうか。

「酷いことって、婚約破棄のこと?」
「ううん。あれもムカついたけど、一番はそれじゃないです」
「じゃあ、何?」

 バルトロメオからは、聖夜祭の日にひどく侮辱された。私の記憶にある、二度目の彼の一番酷い行いは、あの婚約破棄のことだった。

 彼女は首を振り、悔しそうに泣きはじめる。唇を噛んだせいで、じわりと血が滲んでしまっていた。

 私は彼女の唇に触れ、噛むのをやめさせる。可愛いイラリアが血を流すのは、見たくない。

「あのねっ。姉さまが、死んじゃったの……あの男と、お父様のせいなんです」
「は?」 

 イラリアの言葉に、私は素っ頓狂な声を出す。いったいどういうことだろう。

「あいつが勝手に婚約破棄宣言して、私と婚約するって言ったでしょう? 陛下のいらっしゃらない間にって計画してたみたいだけど。
 でも、さすがに向こうにも連絡がいったみたいで。陛下が認めてくださらなくて、それで……姉さまに、毒を飲ませて殺したんですって。お父様と協力してやったって。
 姉さまが調子悪くなったのも、ああやって痛い思いして、いっぱい血吐いたのも……あいつのせいだったんです。
 私、そんなことしてるの知らなくて、病気なんだと思って、馬鹿みたいに薬とか治療法とか探してました。最後の砦で、大聖女の癒やしの魔法を使えるようにしたつもりだったのに……それも、できなかった。
 あいつ、姉さまが死んでしばらくした後に、笑いながら教えてきたの。だから、復讐したかった! あいつが、私とすごく結婚したがってたから……あいつの前で、死んでやったっ」

 たくさんの大粒の涙を流して、イラリアは壊れそうな笑顔を見せる。私は、彼女をぎゅっと抱きしめた。

 私が知らなかった、彼女がひとりで背負ってきたことを知るたびに、胸が痛くてたまらなくなる。

 私を好きになったせいで、彼女はたくさん苦しんだだろう。彼女も大多数の人間と同じように、極悪令嬢である私の死を笑える人間だったら良かったのに。

 彼女の頭をそっと撫でる。過去の私のような冷たい声を、今だけは絶対に出したくない。できるだけ優しく、温かく、私は彼女の名前を呼んだ。

「イラリア」
「……なぁに、フィフィ姉さま」
「私のこと、そんなに好きでいてくれてありがとう。でもね、もう自殺しないでほしいわ。もしも、今度も私が先に死んだとしても……貴女は後を追わずに、幸せに生きていてちょうだい」
「姉さまと一緒になりたいって、思っちゃ駄目?」
「私は、貴女を殺した女よ」

 イラリアが、私を抱きしめる力を強くする。いつかの幼い日のときのように、ふいに首筋を噛まれた。

 痛いけれど、どこか心地良い。彼女がつけてくれる痣を、今なら嬉しく思えるような気がした。

「姉さまは、まだあの男が好き? 私を殺すほどの嫉妬をするくらい、あいつのことが好き?」
「……何を、言ってるの」
「姉さまが傷つくかと思って、さっきまで黙ってたんですよ。好きな男に殺されたなんて知ったら、つらいかと思って」
「たしかに、あの男への憎悪は増したけれど。……そもそも私、とっくに殿下のことなんて嫌いになってるわ。一度目の時だって、恋心がなかったとは言わないけどね。貴女があまりに綺麗で善良だったから、私は嫉妬したのよ」
「ほんと? あいつのこと、嫌い?」
「ええ、嫌いよ――ん?!」

 イラリアがいきなり深いキスをしてきた。突然こんなにも激しくされるのは初めてで、私は息を吸うことに必死になる。

 イラリアは私から唇を離すと、花が咲くように可愛らしく笑った。

「フィフィ姉さま。……愛してるっ」
「い、イラリアっ。こういうのは、やめて。びっくりする」
「フィフィ姉さま。私のこと、好き?」
「……言えない。わからないわ」
「うん、そっか」

 彼女と抱きしめ合って、そのままだらだらと過ごしているうちに、ふたりとも眠ってしまった。環境を変えて勉強するつもりで来たのに、まったく勉強しなかった。


 夕方頃にイラリアより先に目覚めた私は、彼女の枕の下に何かが隠されていることに気づいた。

 好奇心を抑えられず、私は枕の下へと手を伸ばす。そこにあったのは、一冊のノートだった。

「あら、これは」

 ベッドのそばの玻璃燈ランプを点け、字がびっしりと書かれたノートを夢中でめくっていく。半分ほど読み進めたところで、イラリアが身じろぎをした。

「ぅん……あれぇ、ふぃふぃねえさま。なにしてるんです?」
「貴女の枕の下にあったノートを読んでるわ」
「まくら……のーと……はぁあ!? え、ちょっ! 待ってくださいぃ!!」
「あっ、せっかく読んでたのに」

 イラリアが、真っ赤な顔で私の読んでいたノートを取り上げる。

 ノートを胸に抱えてうずくまる彼女を私が抱きしめると、彼女は驚いたように、びくりと肩を震わせた。赤く染まった彼女の耳に口づけて、私は囁く。

「イラリア。これはなぁに?」
「そっ、そのぅ……。かか、隠してたので、見ないでいただけると……」
「正直に答えなさい」
「ゆ、ゆゆゆ、夢小説です! フィフィ姉さまと、私が……その、恋人だったらいいなって、思って」
「あら、そう。官能小説かと思ってたわ」
「うっ……けっこう読んだんですね……?」
「しかもこれ、内容からして前にもエピソードがあるわよね。もしかして……カーテンをかけた棚の中にあるのは、私のことをみだらに妄想した小説なのかしら?」
「べつに妄想官能小説だけじゃないですけど!? 姉さまからもらった手紙もペンペン草も全部コレクションしてありますけど!!」
「だけじゃないってことは、小説もちゃんとあるのね。私の送ったものも持っていてくれているのね、ありがとう。わかった、また読みに来るわ。――私、自分の部屋でお風呂に入ってくるから。またね! イラリア」
「はいぃ……またね、です……ふぃふぃねえさま……。――わあぁぁーーっ! あーあぁーー! 本当やだー! もーー!!」

 私の可愛いイラリアは、文才もあるらしい。なかなか濃い内容の夢小説を見られたからか、彼女は瀕死のようだった。

 顔を覆って足をバタバタさせている彼女を横目に、私はいい気分で彼女の部屋を後にする。

 それから私はたびたび彼女の部屋を訪ねて、羞恥に身悶える彼女をあしらいながら、夢小説を読むようになった。





 月日はめぐって、十一月の四日。いつもより、ちょっとだけ特別な日。

 イラリアの部屋で、私は彼女の隣で目を覚ます。

「おはよう、フィフィ姉さま」
「おはよう、イラリア」
「お誕生日、おめでとうございます」
「ええ、ありがとう」

 私は、三度目の人生にして初めて、十八歳の誕生日を迎えた。


 グラジオラス家のみんなから誕生日プレゼントが送られてきて、マッダレーナさんもイラリアも贈り物をしてくれた。

 さらに予想外の人物から、予想外のプレゼントもいただいた。王家からの書簡を読んで、私は思わず声を上げる。

「あらあら、まあ」
「どうしたんです? 姉さま」
「国王陛下が、私に領地をくださるそうよ。もともと母さまが持っていた侯爵領地を、学院を卒業したら私にくださるって」
「へぇ、すごいですね!」
「これでベガリュタル国で暮らし続ける選択もしやすくなるわね。貴女、一緒に暮らす?」
「えっ、結婚ですか?!」
「そうは言ってないわ。でも貴女、お金に困っているんでしょう? 貴女が誰かと結婚するまでは、私と一緒に暮らさせてあげてもいいわ」
「それ、永遠に姉さまのところに居座るやつだと思いますよ。私、姉さま以外と一緒になろうとは思いませんもん」

 イラリアが、ひしりと私に抱きつく。彼女の髪を撫でながら、私は呟いた。

「貴女は……誰かと結婚したいという夢は、ないの?」
「姉さまとなら、したいです!」
「現行法では無理よ。――質問を変えるわね。貴女は、自分の子が欲しいとは思わないの?」

 私の問いに、彼女はしばらく言葉を返さない。私の体のことを知っているから、答え難いのだろう。

 彼女は望めば誰かと子をなすことのできる体だが、私はそうではない。私はどんなに望んでも、子どもを生むことができない。

「私はね、結婚して子どもを生んでっていう生活に……実は、とても憧れがあるの。できないからこその、強い憧れよ」
「……姉さま」
「貴女が望むかどうかは置いておいて、私は……私とずっと一緒にいることを貴女に望まれると、そういう可能性を奪ってしまった気になる。私が夢見た未来を、貴女から奪ったような気になるの」
「そんなこと、ないです。私にとっては、フィフィ姉さまと一緒にいることが、幸せなんです。……それに」

 彼女が私の頬を包み、唇にキスをする。強い意志を持って煌めく空色の瞳が、私を見つめる。

 眩しいけれど、目を逸らそうとは思えなかった。彼女の強さと美しさに、私は惹かれている。

「何のためのホムンクルス研究だと思ってるんですか。技術的にも倫理的にも、恐ろしく高い壁だってことがわかってて、それでも私が続けてるのは、私が夢を見ているからです。
 法律も、世の理も、ゲームのシナリオも、私にとっては何でもない。私はフィフィ姉さまとハッピーエンドを迎えるために、頑張ってるんです」
「……イラリア」
「単為生殖ができる動物だっているし、ドラコのことだって植物細胞から作れたんです。私は三年生からは翠玉エメラルドクラスで、医学と生物学を学ぶつもりです。ミレイだった時の知識も使って、いっぱい頑張るから。姉さまも、姉さまが望む幸せを諦めないで」
「私、こんなペンペン草だけれど」
「ペンペン草だって可愛いでしょ。もう!」

 イラリアが、私の髪へと手を伸ばす。

 何をされるのかと思ったら、どうやら編み込みにされているらしい。しばらく彼女のなすがままにされる。

「はい、できた。可愛い」
「私は可愛くないの」
「ううん。可愛い」

 彼女に鏡を見せられて、私はすぐに視線を逸らす。

 彼女からの贈り物であるリボンと花を編み込んだ髪型にされた私が、そこには映っていた。

 服は相変わらず男物を着ているというのに、髪をこんなふうにするのは、ちぐはぐだ。なんだかいたたまれない。

「姉さま、こういうの嫌?」
「嫌じゃないけど、似合わない」
「……今度、別の贈り物が届くはずなんですけど、どうするかは姉さまが選んでくださいね。私は、強制するつもりはないので」
「何の話よ」
「そのうちわかります。じゃ、ケーキ食べましょ!」
「ええ、そうね」

 彼女が奮発して買ってきてくれた、苺のショートケーキをふたりで食べる。

「あーん」なんてされたのは恥ずかしかったが、彼女がどうしてもと言うので受け入れてやった。

 嬉しくて、どこかくすぐったい。楽しい誕生日になった。
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