【完結】婚約破棄、その後の話を誰も知らない

あめとおと

文字の大きさ
14 / 37

(挿話 )ある商人の一日

しおりを挟む
 朝、市場の鐘が鳴るより少し早く、俺は店の裏口を開けた。
 冬の名残りの冷たい空気が流れ込んでくる。これだけは、昨日と変わらない。

 だが――それだけだ。

 いつもなら、裏の通りを荷車が行き交い、粉屋や布商が声を掛け合っている時間だ。
 今日は、静かすぎた。

「……来ねえな」

 独り言が口をつく。
 待っているのは、南門経由で来るはずの油と干し肉だ。三日前に届く予定だった。

 遅れること自体は珍しくない。
 だが、今回の「遅れ」は、理由が誰にも分からない。

 関所が止まっているらしい、という噂。
 王城の許可が下りないとか、担当官が不在だとか。

 ――担当官? 誰だ。

 去年までなら、名前も顔もすぐに浮かんだ。
 賄賂が必要かどうかも含めて、だ。

 それが今は、分からない。

「おやじ、今日はパン少ないな」

 昼前、常連の職人が顔を出した。
 いつもより棚が空いているのは、一目で分かる。

「粉が入らねえ」

「またか」

 職人は溜息をつくだけで、怒らなかった。
 怒る元気も、もう無いのだろう。

 最近、こういう会話ばかりだ。

 布は来ない。
 薬草は止まった。
 塩は値が跳ねた。

 王都だぞ、と誰かが言った。
 昔なら、その言葉には重みがあった。

 だが今は、ただの音だ。

 昼過ぎ、番頭が戻ってきた。
 役所回りに行かせていたのだが、手ぶらだ。

「どうだった」

「……話になりません」

 番頭は苦い顔をした。

「誰に申請すればいいか分からないって言われました。
 前任は更迭、後任は未定。仮の責任者は“判断できない”の一点張りです」

 俺は黙って椅子に腰を下ろした。

 判断できない。
 この言葉を、何度聞いただろう。

 王太子殿下が何をしているのか。
 聖女が奇跡を起こしているのか。

 そんな話は、市井の商人にはどうでもいい。

 必要なのは、
 通行許可と、支払いと、決裁印だ。

「城への納品分は?」

「止まったままです。支払いも……」

 番頭は言葉を濁した。
 濁す必要もない。分かっている。

 未払い。

 王城相手に、取り立てなどできるはずもない。

「……人、減らすしかねえな」

 口に出した瞬間、胃の奥が重くなった。

 解雇だ。
 昨日まで一緒に飯を食っていた連中を、切る。

 悪いのは俺じゃない。
 そう言い聞かせても、夜は眠れない。

 夕方、市場の端で人だかりができていた。
 薬師の店だ。

「今日はもう終わりだ! 薬は無い!」

 怒号と泣き声が混じる。
 子どもを抱いた女が縋りついていた。

 隣の男が呟いた。

「隣町じゃ、王太子殿下の援助で薬が回ったってさ」

 俺は、その言葉を聞かなかったふりをした。

 見えるものだけを救って、
 見えない場所は切り捨てる。

 それで国が回るなら、
 商売なんて、もっと楽だっただろう。

 日が落ち、店を閉める。
 売れ残りを数える。

 数字は正直だ。
 嘘をつかない。

 ――このままじゃ、もたない。

 王都は、今日も形だけ動いている。
 だが、内側はもう、静かに崩れている。

 それを知っているのは、
 奇跡を見る者ではなく、
 金と物と人の流れを見る者だけだ。

 俺は帳場の灯りを落とした。

 明日も、荷は来ないだろう。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹に婚約者を奪われたので差し上げました。ですが、檻に入ったのはあの子のほうでした

鍛高譚
恋愛
公爵家にも劣らぬ名門フォルディア伯爵家の長女セレナは、侯爵令息ルシアンの婚約者として、家の内外を支え続けてきた。 けれどある夜会で、妹ミレイユが涙ながらに“可哀想な妹”を演じ、セレナの婚約者を奪ってしまう。 婚約を失い、居場所まで奪われた――はずだった。 しかし、静かに伯爵家を離れたセレナは、これまで自分がどれほど多くのものを背負わされていたのかを知っていく。 一方で、すべてを手に入れたつもりの妹は、少しずつ思い通りにならない現実へ追い詰められていき……。 これは、奪われた令嬢が復讐に縛られることなく、自分の人生を取り戻していく物語。 そして、他人のものを奪い続けた妹が、自ら選んだ道の先で転落していく物語。 「妹に婚約者を奪われたので差し上げました。ですが、檻に入ったのはあの子のほうでした」 静かに手放したはずの婚約の先で、本当に自由を手に入れるのは――。

【完結】「私は善意に殺された」

まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。 誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。 私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。 だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。 どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿中。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!

私はもう、あなたの所有物ではありません

たくわん
恋愛
「お前は地味で退屈、王家にとって何の役にも立たぬ女だ」 華やかな舞踏会の夜、伯爵令嬢リーゼは第二王子クラウスから衆目の前で婚約破棄を宣告された。王子の傍らで勝ち誇る愛人の男爵令嬢。実家からも見放され、リーゼに残された道は、北方辺境への追放同然の転居だけだった。 だが、彼女を招いたのは「氷の公爵」と恐れられるアルヴィン。無愛想で人嫌いと噂される彼は、七年前からリーゼに秘められた力──歴代最高クラスの聖女の資質に気づいていた唯一の人間だった。 「よく来た。──ずっと、待っていた」 厳しくも美しい北の大地で、リーゼは自分の本当の力に目覚めていく。温かい領民たち、不器用だけどまっすぐな公爵の想い。知らなかった「居場所」が、ここにあった。 一方、リーゼが去った王都では──結界が崩壊し、魔物が溢れ、国中が大混乱。 「聖女の代わりなら私が!」と名乗り出た王子の愛人は何の力もなく赤っ恥をさらし、追い詰められた王子は「戻ってこい」と命じてくる。

あなたが愛人を作るのなら

あんど もあ
ファンタジー
結婚して八年の夫が、愛人を作った。それも私の推しの女優を! 「君と違って彼女には才能がある」と言う。ならば、私も才能のある愛人を持つ事にいたしましょう。愛人の才能を花開かせる事が出来るのはどちら?

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

私より幼馴染を選んだ婚約者に別れを告げたら謝罪に来ましたが、契約を守れない貴族とは取引しませんので

藤原遊
恋愛
祖父が創立した大商会で、跡継ぎとして働いている私。 けれど婚約者は、私より幼馴染を選びました。 それなら構いません。 婚約という契約を守れない相手と、これ以上関係を続けるつもりはありませんから。 祖父の商会は隣国と新たな取引を始めることになりました。 ――その途端、なぜか元婚約者が謝罪に来るようになりましたが、もう遅いです。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

処理中です...