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あなたを忘れたまま、また恋に落ちる
第9話:もう二度と会わない
それから、彼は来なくなった。
一日。
二日。
三日。
最初は、ただの偶然だと思った。
忙しいだけかもしれない。
気が向かなかっただけかもしれない。
それくらいのこと。
よくあること。
そう、思っていた。
――思おうとしていた。
「……」
気づけば、扉の方を見ている。
ベルが鳴るたびに、少しだけ期待して。
違うと分かるたびに、少しだけ落ちる。
「……変なの」
小さく、笑う。
ただの客だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
それなのに。
どうして、こんなにも――
“来ないこと”が、気になるのか。
「リナ、ぼーっとしてるよ」
「あ……すみません」
店主の声で、我に返る。
慌てて、手を動かす。
仕事は、ちゃんとできる。
いつも通り。
何も問題はない。
それなのに。
心だけが、少しだけ――
置いていかれている。
夕方。
店じまいの時間。
最後の客を見送って、扉を閉める。
カラン、と小さく音が鳴る。
その音が、やけに響いた。
「……」
鍵をかける手が、少しだけ止まる。
もし、今。
あの人が来たら。
どうするだろう。
何を言うだろう。
何を、伝えるだろう。
「……」
何も、出てこない。
言葉なんて、ひとつも浮かばない。
それでも。
ただ、ひとつだけ。
胸の奥に、残っているものがある。
――会いたい。
理由はない。
根拠もない。
それでも。
どうしても、消えない。
その夜。
彼は、机に向かっていた。
書類は開かれたまま。
ペンも握ったまま。
それなのに。
何も、進んでいない。
「……」
視線は、どこにも定まらない。
ただ、ぼんやりと空間を見ている。
考えているのは、ひとつだけ。
――行くか、行かないか。
答えは、分かっている。
もう、決めている。
だからこそ。
動けない。
「……馬鹿だな」
小さく、呟く。
分かっている。
あの場所に行けば。
また、同じことを繰り返す。
思い出せないまま。
届かないまま。
ただ、苦しくなるだけ。
「……それでも」
立ち上がる。
気づけば、そうしていた。
足が、勝手に動く。
止められない。
止める理由が、見つからない。
そのまま、屋敷を出る。
夜の空気は、冷たかった。
歩く。
迷わずに。
一直線に。
あの場所へ。
灯りが見える。
店の明かり。
もう、閉まっている時間のはずなのに。
「……」
足が止まる。
少し離れた場所で。
そのまま、動けなくなる。
行けばいい。
扉を開ければいい。
それだけのこと。
簡単なこと。
なのに。
「……だめだ」
小さく、呟く。
それ以上、進めない。
進んではいけないと、分かってしまったから。
あの場所に入れば。
また、あの顔を見る。
また、あの声を聞く。
また――
“思い出せないのに、愛してしまう”。
それを、繰り返す。
それは。
あまりにも、残酷すぎる。
「……これでいい」
自分に言い聞かせる。
これでいい。
これが、正しい。
思い出さないまま。
関わらないまま。
距離を置く。
それが、一番いい。
それが、一番――
彼女を守る。
「……」
しばらく、その場に立ち尽くす。
灯りを、見つめたまま。
何もできずに。
何も言えずに。
ただ、時間だけが過ぎていく。
やがて。
ゆっくりと、背を向ける。
歩き出す。
一歩ずつ。
確実に、遠ざかっていく。
振り返らない。
振り返ってはいけない。
もし、振り返ってしまえば。
もう、終わりだから。
その頃。
店の中で。
彼女は、一人で掃除をしていた。
窓の外に、気配があったことには気づかない。
ただ、静かに手を動かしている。
ふと。
胸が、少しだけ痛んだ。
「……?」
手を止める。
理由は分からない。
何も起きていない。
それなのに。
どうしてか、息が詰まる。
「……なんだろう」
小さく、呟く。
胸の奥が、ざわつく。
何かが、遠ざかっていく気がする。
大切なものが。
もう二度と、戻らない何かが。
「……やだ」
ぽつりと、こぼれる。
理由なんて、分からないのに。
それでも。
どうしても、そう思ってしまう。
窓の方を見る。
暗い夜。
誰もいない。
当然だ。
それでも。
どうしても。
どうしようもなく。
――今、そこに“いた気がした”。
「……」
静寂が、落ちる。
何もない。
何も残っていない。
それでも。
ひとつだけ、確かなことがある。
――もう、二度と会わない。
理由も知らないまま。
名前も知らないまま。
ただ。
どうしようもなく、惹かれ合ったまま。
それでも。
もう、交わることはない。
そうして。
二人の距離は。
静かに、決定的に――
離れた。
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