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自決
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寝てる。けど、寝れてない。そんな感じだ。ずっと、ゆらゆらとした靄の中にいて、現実と隣り合わせ。なんでこんなに寝心地が悪いのかな。身体が重い。でも、そろそろ、起きないと。
…起きたくないな…
「ヒュぁ…」
水から這い出た後のように息が荒い。視界がぐるりと回って、気持ち悪い。額に手を当てると、びっしょりと汗をかいていた。
「あ、目、覚めたんですね」
上から柔らかい声がした。少しか弱い、鳥のような声だった。
「なかなか起きないから、心配してました」
薄く目を開ける。焦点が定まると、そこには美しい女性がいた。一つに束ねた金髪に、白い肌、長いまつ毛に赤い唇。ふわりとした花柄のワンピースがよく似合っている。
「…ここは?」
「テントです。治療をするための」
見回すと、そこは確かにテントだった。中央に鉄の柱が立っており、その上にピッシリと肌色の布が張ってある。四角錐のテントだ。私はテントの壁に沿うような形で布団の上に寝ていた。少し身体を起こすと、足の先にテントの入り口が、横に目を向けると、積み上げられた荷物が見えた。
治療か…うん、身体、だるいからな。よく、寝れてないもんな。
「…あなたは?」
「あっ、申し遅れました。私はファンシーと言います。皆の手当をする者です」
みんな?
頭が少しだけはっきりする。思い出してはいけないと警報が鳴る、のに、脳は勝手に記憶をぐるぐると探している。
目をつぶる。落ち着いて、現社で習ったでしょう。防衛機制よ。例えば、逃避。違うことを考えれば、脳は探すのを止める。
「あ、皆は今、別のテントにいます。これからどうするか、作戦を立てているみたいです」
うん。ごめんなさい、説明はありがたいけど、少し黙って。今は違うこと考えないといけないから。ええっと…そうだ。昨日読んだ本の続きってどうなるんだろう。
「お腹減ってないですか?リンゴがあるんです。剥きますね」
人の慣れについての本だった。冒頭は結構知ってることだらけだったな。慣れの利便性と恐ろしさとか。
「あ、そうだ」
読まなくても想像すれば分かるもんな。あの新書、外れだったかな。でも、目次見た感じだと、次は脳科学の分野に入るっぽいから、そこは面白いかも。
「これ、渡してくれって頼まれたんですけど」
足音が枕元で止まり、膝をついたであろう音がした。…今、本について考えてるんだけど……なんで考えてたんだっけ…
「どうぞ」
まあ、いいか。目を開ける。
そこにあったのは、暗く鈍く光を放つ、あの剣だった。
一気に、今までのことがリプレイされる。
だけど、想像してたより衝撃は強くなかった。今までは終わりの見えない不安に侵食されていたが、今は深い絶望混じりの安堵を覚える。多分、リプレイの際に道を思い出せたからだろう。不安は、対処できるものと化した。
「ええっと…あ、まだ動くのが辛いですよね。ここに置いておきます」
コトン、と横から音がする。剣を置いてくれたんだろう。
考える。今やるべきか。少なくともあの五人組が周りにいるときに、やろうとすれば阻止されることは明白だ。今ならば、そこまで難しくないだろう。
シャリシャリと音がする。見ると、ファンシーさんが荷物のそばでリンゴの皮を剥いていた。彼女の細い指の隙間から、銀色のナイフが見える。
不思議と怖くない。実感が湧いてないから、とかでは、多分ない。心ちゃん、村の人、そして、大志を抱いていた彼らに、罪悪感は覚える。でも、人殺しは、私の夢とはほど遠い。私がいなくなることで、救われる命がある。そう思うだけで、満たされる。
「皆がやろうとしていることは、間違っていると思いますか?」
ファンシーさんが聞いてくる。
「……いえ」
正直に答えた。彼らの計画は詳しく知らないけど、あの村の人たちや同じ境遇の人たちが救われるのなら、それはいいことだと思う。あと、あの目。他の人は分かんないけど、ルペールさんは多分、本気で人のために戦ってるんだろう。でも
「でも、戦うのは嫌なんですね」
嫌だ。うん。そうだ。私の背中は、人の命を背負うには小さすぎる。そんな覚悟は、できない。
「ものは考えようって言葉があるでしょう。それと同じだと思うんです」
ファンシーさんの方を見る。真っ赤な皮はもう地面に落ち、みずみずしい黄色がその手の中にあった。
「貴方が正しいと思うなら、きっとその中のどこかに、貴方の在り方があるんじゃないかって」
ザクザクと、器用に掌の上で食べやすい等分に切っていく。リンゴの香りが届いて、安らかな気分になる。
「今は抵抗があっても、貴方ならきっと、その中に適応できると…」
言葉を切り、何やら考え込むファンシーさん。頬に手を当て、小難しそうな顔をする。
「…あの…?」
「[貴方]だと、呼ぶとき誰のことか分かりませんよね。[貴方様]だと、堅苦しいでしょうか?[姫]…なら見分けもつくし、堅苦しくないですかね?」
どうやら呼び方の問題らしい。いや、[姫]はちょっと…というか、かなり気恥ずかしい。まず私は姫でもないし。何なら敬語で話されるのですら、なんていうか…違和感がある。とにかく、[姫]だけは阻止しないと。
「…名前でいいですよ。私、星月夜 生歩と言います。生きるに歩くと書いて、きほです」
ファンシーさんが顔を上げる。
「名前…なるほど、[生歩様]ですね、分かりました」
そう言って、嬉しそうに笑う。うーん、様はいらない…。けど、呼び捨てはしてもらえなさそうだし、いいか。
ふと、気づいた。呼び方を考える、ということは、これからのことを考える、ということだ。今ここで死ぬとしたら、そんなに真剣に考えることはないのに。
ファンシーさんは不思議な人だ。話していると、心が安らぐ。自然体になれる。この人の前では、死にたくないな。迷惑がかかってしまう。
「生歩様、リンゴ、剥けましたよ」
ファンシーさんが、ナイフを布の上に置く。
「ありがとうございます」
少し、待とう。今は、この人といよう。そう思って、上半身を起こそうと手をついた。
「おお、あったあった」
野太い男の声がした。身体が固まる。入り口に目を向ける。一瞬熊かと思った。その男の顔が髭だらけで、泥やごみを絡めていたから。服も泥だらけで、その手には斧が握られている。
鳥肌が立つ。明らかに危険。危ない。だれだ、なぜこんなところに
「おじょうちゃんたち、サイナンだったな。そこのニモツはオレがもらう」
荷物、横を見た。そして、男を見た。その間に、ファンシーさんが、いる。
荷物だけなら、渡して、さっさと帰ってもらえば…
「ついでに、おまえらのイノチもだ」
なんでよ、荷物があれば十分でしょ!?
「ふくはシチヤに、かみはカツラに、からだはアイコウカのもとに。ってかんじよ」
駄目だ。想像してはいけない。そんなことより、助ける方法を考える。まず、逃げる。ファンシーさんはどうする?男より速く彼女のもとへ行ける?行ったとしてどうするの?じゃあ、彼女に自力で逃げてもらう?それしかない?っていうか、なんで誰も気づかないん……
そうだ。この周りには人がいる。武術に長けた人が。呼ぶしかない。
「おっと、こえをだすな。このオノでぶったぎるぜぇ」
…駄目だ。逆上して切られてしまう。でも、でもそれ以外どうすれば、
私が囮になる。そうだ。これしかない。
心臓がバクバクする。間違えれば、終わり。ゆっくり、興奮させないように、ゆっくり立って…
「まずはてめぇだ、はながらのねーちゃん」
心臓が縮む。だめ、だめ、だめ。こっち、こっちだって。叫ぶしか…
「まっ…」
斧を振りかざした。
うそうそ、だめだめだめ、ファンシーさん、ファンシーさんは私が
ガキィ……ン
目の前に、男の顔があった。驚いている。斧は、空中でピタリと動きを止めている。いや、剣が止めていた。
左手に、ひんやりとした冷たさが伝わる。私の右手は剣の柄、左手は剣の鞘をがっちりと掴んでいた。両手の間に、鞘に斧が当たって、ギリギリと音を立てる。
一気に理解した。自分が今戦いの場にいること、ここで力を緩めれば斧は私に食い込むこと、一歩間違えれば私はこの人をころすこと。息が詰まる。
「てめぇ」
男が目をひん剥いた。胃がひっくり返ったような錯覚に陥る。汗が滴る。脈拍が聞こえる。ジーンと耳鳴りがする。耳鳴りの中に、自分の呼吸を感じる。
怖い。
「うおらっ」
バランスが崩れて、横に投げ飛ばされる。強く背中を打った。脳みそが揺れる。上手くできてない呼吸がさらに不規則になる。
起き上がれない。でも、これでいい。これで、彼女は助かり、私は死ねる。
「てめぇ、なにしてんだ」
自分に言われているのかと思った。でも違う。男の視線の先にいたファンシーさんは、ナイフを持っていた。
なんで、なんで逃げなかった、くそ
男は彼女に詰め寄っている。やばい。やばい。
斧を振り上げる。
もう、迷ってはいけない。彼女をたすける。たすける。たすけるんだ、私が
剣を手繰り寄せる。柄をしっかりと掴んだ。瞬間、なにかが弾けた。
「うああ"あ"あっ」
ごヅ
力任せに殴った。鞘で、頭を。男の重心が前へ傾く。ファンシーさんが横に飛び退く。斧を振り上げた姿勢のまま、恐ろしく遅いスピードで倒れた。砂埃が舞う。
興奮しているのに、身体が硬直して動けなかった。ただじっと、倒れた男を見る。
「早く、早く逃げましょう」
ファンシーさんが駆け寄ってきて、腕を掴む。でも、動けない。男を見る。その背中が、少し膨らんだ。
息を吐く。良かった。私は殺していなかった。安心感に包まれる。
同時に、今まで感じたことのないほどの疲労に襲われる。身体が重い。脳がまだ揺れている。当たり前だと思った。知らない土地で人に襲われ、慣れない山登りをし、信じたくない現実を突きつけられ、不調なのに身体を動かして、投げ飛ばされた。身体的にも、精神的にも限界に近い。
ふらついた身体をファンシーさんが支えてくれた。
「だっ、大丈夫ですか?」
「……だいじょうぶ……いきま、しょう」
ファンシーさんの肩を借り、出口に向かう。ズルズルという音に、剣をまだ摑んで引きずっていることが分かった。
ああ、気分が悪い。はやく横になりたい。起きているのが億劫で仕方ない。はやく
「よくも…てめぇ…よくもぉ」
なんとなく、理解した。安心の世界から、一気に地獄へ落ちたことを。でももう、振り返る気力はなかった。
「この、おれにぃ」
胸に苛立ちを覚える。多分、ずっとどこかで感じていた苛立ち。今までは抑えていた壁が、今はすごく脆い。
「てめぇら、どっちもぉ」
うるさい。私は幸せなんだ。夢を追うだけで十分なんだ。それが全てなんだ なのになんでジャマをするんだ なんでいつもうまくいかないんだ
「しねえええぇ」
「…んでだあああ"」
熱を持った身体に冷水がかかる。金臭い匂いが鼻腔を突く。
右腕をダランと下げた。いつの間にか上げていたらしい。その手に握られた剣の鞘は、いつもに比べ凹凸がない。光もより鋭いわりに、鈍い箇所がある。そこについてるものを見咎めて、それが鞘でないと理解した。
いつもなら、身の毛もよだつ事実に、倒れていただろう。でも、今はもともと倒れそうだから、まあ、いい。いや、防衛機制の働き、なのかな。だから、恐ろしく冷静で。
ただ、これが道なんだな、と思った。
…起きたくないな…
「ヒュぁ…」
水から這い出た後のように息が荒い。視界がぐるりと回って、気持ち悪い。額に手を当てると、びっしょりと汗をかいていた。
「あ、目、覚めたんですね」
上から柔らかい声がした。少しか弱い、鳥のような声だった。
「なかなか起きないから、心配してました」
薄く目を開ける。焦点が定まると、そこには美しい女性がいた。一つに束ねた金髪に、白い肌、長いまつ毛に赤い唇。ふわりとした花柄のワンピースがよく似合っている。
「…ここは?」
「テントです。治療をするための」
見回すと、そこは確かにテントだった。中央に鉄の柱が立っており、その上にピッシリと肌色の布が張ってある。四角錐のテントだ。私はテントの壁に沿うような形で布団の上に寝ていた。少し身体を起こすと、足の先にテントの入り口が、横に目を向けると、積み上げられた荷物が見えた。
治療か…うん、身体、だるいからな。よく、寝れてないもんな。
「…あなたは?」
「あっ、申し遅れました。私はファンシーと言います。皆の手当をする者です」
みんな?
頭が少しだけはっきりする。思い出してはいけないと警報が鳴る、のに、脳は勝手に記憶をぐるぐると探している。
目をつぶる。落ち着いて、現社で習ったでしょう。防衛機制よ。例えば、逃避。違うことを考えれば、脳は探すのを止める。
「あ、皆は今、別のテントにいます。これからどうするか、作戦を立てているみたいです」
うん。ごめんなさい、説明はありがたいけど、少し黙って。今は違うこと考えないといけないから。ええっと…そうだ。昨日読んだ本の続きってどうなるんだろう。
「お腹減ってないですか?リンゴがあるんです。剥きますね」
人の慣れについての本だった。冒頭は結構知ってることだらけだったな。慣れの利便性と恐ろしさとか。
「あ、そうだ」
読まなくても想像すれば分かるもんな。あの新書、外れだったかな。でも、目次見た感じだと、次は脳科学の分野に入るっぽいから、そこは面白いかも。
「これ、渡してくれって頼まれたんですけど」
足音が枕元で止まり、膝をついたであろう音がした。…今、本について考えてるんだけど……なんで考えてたんだっけ…
「どうぞ」
まあ、いいか。目を開ける。
そこにあったのは、暗く鈍く光を放つ、あの剣だった。
一気に、今までのことがリプレイされる。
だけど、想像してたより衝撃は強くなかった。今までは終わりの見えない不安に侵食されていたが、今は深い絶望混じりの安堵を覚える。多分、リプレイの際に道を思い出せたからだろう。不安は、対処できるものと化した。
「ええっと…あ、まだ動くのが辛いですよね。ここに置いておきます」
コトン、と横から音がする。剣を置いてくれたんだろう。
考える。今やるべきか。少なくともあの五人組が周りにいるときに、やろうとすれば阻止されることは明白だ。今ならば、そこまで難しくないだろう。
シャリシャリと音がする。見ると、ファンシーさんが荷物のそばでリンゴの皮を剥いていた。彼女の細い指の隙間から、銀色のナイフが見える。
不思議と怖くない。実感が湧いてないから、とかでは、多分ない。心ちゃん、村の人、そして、大志を抱いていた彼らに、罪悪感は覚える。でも、人殺しは、私の夢とはほど遠い。私がいなくなることで、救われる命がある。そう思うだけで、満たされる。
「皆がやろうとしていることは、間違っていると思いますか?」
ファンシーさんが聞いてくる。
「……いえ」
正直に答えた。彼らの計画は詳しく知らないけど、あの村の人たちや同じ境遇の人たちが救われるのなら、それはいいことだと思う。あと、あの目。他の人は分かんないけど、ルペールさんは多分、本気で人のために戦ってるんだろう。でも
「でも、戦うのは嫌なんですね」
嫌だ。うん。そうだ。私の背中は、人の命を背負うには小さすぎる。そんな覚悟は、できない。
「ものは考えようって言葉があるでしょう。それと同じだと思うんです」
ファンシーさんの方を見る。真っ赤な皮はもう地面に落ち、みずみずしい黄色がその手の中にあった。
「貴方が正しいと思うなら、きっとその中のどこかに、貴方の在り方があるんじゃないかって」
ザクザクと、器用に掌の上で食べやすい等分に切っていく。リンゴの香りが届いて、安らかな気分になる。
「今は抵抗があっても、貴方ならきっと、その中に適応できると…」
言葉を切り、何やら考え込むファンシーさん。頬に手を当て、小難しそうな顔をする。
「…あの…?」
「[貴方]だと、呼ぶとき誰のことか分かりませんよね。[貴方様]だと、堅苦しいでしょうか?[姫]…なら見分けもつくし、堅苦しくないですかね?」
どうやら呼び方の問題らしい。いや、[姫]はちょっと…というか、かなり気恥ずかしい。まず私は姫でもないし。何なら敬語で話されるのですら、なんていうか…違和感がある。とにかく、[姫]だけは阻止しないと。
「…名前でいいですよ。私、星月夜 生歩と言います。生きるに歩くと書いて、きほです」
ファンシーさんが顔を上げる。
「名前…なるほど、[生歩様]ですね、分かりました」
そう言って、嬉しそうに笑う。うーん、様はいらない…。けど、呼び捨てはしてもらえなさそうだし、いいか。
ふと、気づいた。呼び方を考える、ということは、これからのことを考える、ということだ。今ここで死ぬとしたら、そんなに真剣に考えることはないのに。
ファンシーさんは不思議な人だ。話していると、心が安らぐ。自然体になれる。この人の前では、死にたくないな。迷惑がかかってしまう。
「生歩様、リンゴ、剥けましたよ」
ファンシーさんが、ナイフを布の上に置く。
「ありがとうございます」
少し、待とう。今は、この人といよう。そう思って、上半身を起こそうと手をついた。
「おお、あったあった」
野太い男の声がした。身体が固まる。入り口に目を向ける。一瞬熊かと思った。その男の顔が髭だらけで、泥やごみを絡めていたから。服も泥だらけで、その手には斧が握られている。
鳥肌が立つ。明らかに危険。危ない。だれだ、なぜこんなところに
「おじょうちゃんたち、サイナンだったな。そこのニモツはオレがもらう」
荷物、横を見た。そして、男を見た。その間に、ファンシーさんが、いる。
荷物だけなら、渡して、さっさと帰ってもらえば…
「ついでに、おまえらのイノチもだ」
なんでよ、荷物があれば十分でしょ!?
「ふくはシチヤに、かみはカツラに、からだはアイコウカのもとに。ってかんじよ」
駄目だ。想像してはいけない。そんなことより、助ける方法を考える。まず、逃げる。ファンシーさんはどうする?男より速く彼女のもとへ行ける?行ったとしてどうするの?じゃあ、彼女に自力で逃げてもらう?それしかない?っていうか、なんで誰も気づかないん……
そうだ。この周りには人がいる。武術に長けた人が。呼ぶしかない。
「おっと、こえをだすな。このオノでぶったぎるぜぇ」
…駄目だ。逆上して切られてしまう。でも、でもそれ以外どうすれば、
私が囮になる。そうだ。これしかない。
心臓がバクバクする。間違えれば、終わり。ゆっくり、興奮させないように、ゆっくり立って…
「まずはてめぇだ、はながらのねーちゃん」
心臓が縮む。だめ、だめ、だめ。こっち、こっちだって。叫ぶしか…
「まっ…」
斧を振りかざした。
うそうそ、だめだめだめ、ファンシーさん、ファンシーさんは私が
ガキィ……ン
目の前に、男の顔があった。驚いている。斧は、空中でピタリと動きを止めている。いや、剣が止めていた。
左手に、ひんやりとした冷たさが伝わる。私の右手は剣の柄、左手は剣の鞘をがっちりと掴んでいた。両手の間に、鞘に斧が当たって、ギリギリと音を立てる。
一気に理解した。自分が今戦いの場にいること、ここで力を緩めれば斧は私に食い込むこと、一歩間違えれば私はこの人をころすこと。息が詰まる。
「てめぇ」
男が目をひん剥いた。胃がひっくり返ったような錯覚に陥る。汗が滴る。脈拍が聞こえる。ジーンと耳鳴りがする。耳鳴りの中に、自分の呼吸を感じる。
怖い。
「うおらっ」
バランスが崩れて、横に投げ飛ばされる。強く背中を打った。脳みそが揺れる。上手くできてない呼吸がさらに不規則になる。
起き上がれない。でも、これでいい。これで、彼女は助かり、私は死ねる。
「てめぇ、なにしてんだ」
自分に言われているのかと思った。でも違う。男の視線の先にいたファンシーさんは、ナイフを持っていた。
なんで、なんで逃げなかった、くそ
男は彼女に詰め寄っている。やばい。やばい。
斧を振り上げる。
もう、迷ってはいけない。彼女をたすける。たすける。たすけるんだ、私が
剣を手繰り寄せる。柄をしっかりと掴んだ。瞬間、なにかが弾けた。
「うああ"あ"あっ」
ごヅ
力任せに殴った。鞘で、頭を。男の重心が前へ傾く。ファンシーさんが横に飛び退く。斧を振り上げた姿勢のまま、恐ろしく遅いスピードで倒れた。砂埃が舞う。
興奮しているのに、身体が硬直して動けなかった。ただじっと、倒れた男を見る。
「早く、早く逃げましょう」
ファンシーさんが駆け寄ってきて、腕を掴む。でも、動けない。男を見る。その背中が、少し膨らんだ。
息を吐く。良かった。私は殺していなかった。安心感に包まれる。
同時に、今まで感じたことのないほどの疲労に襲われる。身体が重い。脳がまだ揺れている。当たり前だと思った。知らない土地で人に襲われ、慣れない山登りをし、信じたくない現実を突きつけられ、不調なのに身体を動かして、投げ飛ばされた。身体的にも、精神的にも限界に近い。
ふらついた身体をファンシーさんが支えてくれた。
「だっ、大丈夫ですか?」
「……だいじょうぶ……いきま、しょう」
ファンシーさんの肩を借り、出口に向かう。ズルズルという音に、剣をまだ摑んで引きずっていることが分かった。
ああ、気分が悪い。はやく横になりたい。起きているのが億劫で仕方ない。はやく
「よくも…てめぇ…よくもぉ」
なんとなく、理解した。安心の世界から、一気に地獄へ落ちたことを。でももう、振り返る気力はなかった。
「この、おれにぃ」
胸に苛立ちを覚える。多分、ずっとどこかで感じていた苛立ち。今までは抑えていた壁が、今はすごく脆い。
「てめぇら、どっちもぉ」
うるさい。私は幸せなんだ。夢を追うだけで十分なんだ。それが全てなんだ なのになんでジャマをするんだ なんでいつもうまくいかないんだ
「しねえええぇ」
「…んでだあああ"」
熱を持った身体に冷水がかかる。金臭い匂いが鼻腔を突く。
右腕をダランと下げた。いつの間にか上げていたらしい。その手に握られた剣の鞘は、いつもに比べ凹凸がない。光もより鋭いわりに、鈍い箇所がある。そこについてるものを見咎めて、それが鞘でないと理解した。
いつもなら、身の毛もよだつ事実に、倒れていただろう。でも、今はもともと倒れそうだから、まあ、いい。いや、防衛機制の働き、なのかな。だから、恐ろしく冷静で。
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