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第三章

プロメテウスの神話

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 それは、神話の時代の物語だった。

 きっかけになったのは、プロメテウスという、男神だ。プロメテウスは、自然界の寒さに苦しむ人類を憐れみ、あるとき、こっそりと人類に「火」を渡した。

 ――ここでいう「火」とは、単純な炎のことではない。おそらく、人類が長年かけて研究し、使いこなしていくことになる「魔法力」を指す。それによって人類は、自然界を征服し、切り拓いていく力を手にいれた。

 ただ、それだけで終わらなかった。人類は、その「火」=魔法力を、自分の同族にも向け始めた。すなわち、人類間での抗争、ありとあらゆる魔法戦争が起こるようになった。

 これに怒った天上のゼウスは、罰としてまず、プロメテウスを山頂に張りつけにした。さらに、人間たちも罰するために、プロメテウスの弟のエピメテウスのところに、美女・パンドラを差し向ける。

 パンドラは、神々の禍々しい意図のこもった、一つの箱を持っていた。パンドラ自身は「開けてはいけない」と知っているだけで、中に何が入っているかは知らない。

 エピメテウスは神々の謀略に気づかず、「パンドラの箱」を持つ女と、結婚してしまう。そしてパンドラは、ある日、その箱を、好奇心に負けて、ついに開けてしまった――。

 「それで、どうなったんですか?」

 僕は、話にひきこまれて、ついローガンさんに尋ねた。

 「その箱には、多くの災厄が詰まっていた、とされておる。」

 ローガンさんが、ゆっくりと言った。

 パンドラが開けた箱に入っていたのは、人類に災いをなす多くのこと――すなわち、「怒り」「嫉妬」「不安」「裏切り」「後悔」などだった。それらは、箱を開けるや否や、ただちに飛び立ち、世界中に散らばっていった。

 事態に気が付いたパンドラは、慌てて箱を閉める。そのおかげで、どうにか最後に一つだけを、箱の中に閉じ込めることができた。

 「それが、『希望』じゃよ。」

 ローガンさんが、僕をちらりと見て、それから指輪に視線を移した。

 「希望だけは、箱から飛び去っていかなかった。おかげで人類は、多くの災厄があっても、希望を持つことができる……と言われておる。まとめると、人類は魔法の力とひきかえに、多くの災厄を得た。しかし、希望が残っているから、明日を生きることができる、というわけじゃな。」

 僕は、なんだか頭が混乱して、尋ねた。

 「神話は、よく分かりました。ただ、この指輪は、その物語とどんな関係があるんですか?」

 「レイノルズ王家に伝わるプロメテウス・リングは、古代の魔法技術を駆使した、最高傑作の一つとも言われておる。使いこなすことは難しいが……、使いこなす人間さえ現れれば、人間界に降りかかる、『多くの災厄』をはねのける『希望』になるという。」

 「多くの災厄……と……、希望?」

 僕は、ますますよく分からなくなって、聞き返した。僕が、希望になる? なぜ、そうなるのだろうか。

 ローガンさんは、その問いには答えず、誰に言うともなくポツリとつぶやいた。

 「まさかおぬしが、指輪に選ばれるとはの……」

 その時だった。

 周囲の空気が一変した。身の毛もよだつような、恐ろしい魔力が押し寄せるのを感じ、僕は息苦しさを覚えた。なんだこれは?

 ローガンさんの方を伺うと、やはり何かを感じ取ったようだ。ひどく警戒した表情で、あたりを伺っている。

 「おぬしも感じたか。なんじゃ、これは?」

 僕に、分かるわけがない。何だか分からないが、ひどく嫌な予感がする。そして、僕の予感はだいたい当たる。

 「……強力な魔力を持つ存在が、この王宮に接近したようじゃな。」

 ローガンさんが、周囲の気配を読み取るように、意識を集中しながら言った。

 僕はふと、城壁から見える景色に、異変があることに気が付いた。レイノルズ王家の人間が住む宮殿へと続く道に、見慣れない、黒い影がある。

 その影は、人のような形をしているが、背中に大きな黒い翼が生えていた。異様なその影は、さも当たり前のように、宮殿へと歩いて進んでいた。

 「ローガンさん、あれを……!」

 僕は慌てて、その影を指し示した。老宮廷魔道士も、異変を察知したようだ。城壁から身を乗り出すようにして影を確認すると、珍しく慌てた声で、誰に言うともなく叫んだ。

 「しまった、あれは……! 宮殿が危ない!」
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