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或る男の嫉妬 5
しおりを挟む朝の光が、窓に掛かるすだれ越しにやわらかく部屋を明るく染めていた。鳥のさえずりとともに、幸助は夢の世界から浮上して薄っすらと目を開ける。
いい夢だったのか悪い夢だったのか定かではないが、どんな夢でも覚めてしまえば現実に戻る。昨夜、胸の奥に渦巻いた熱と痛みを思い出し、少しだけとはいえ、その感情が胸の中に居座っていることに不快感を覚えた。幸助は朝一の嫌な感情に眉根を寄せながら、隣で静かに眠る一葉の顔をジッと見つめた。
白いシーツの上、肩口までずり落ちた浴衣。枕に散らばる柔らかな髪。長いまつ毛。穏やかな寝息。伸ばされた指先が頬の横でわずかに動く。
その仕草ひとつひとつに、幸助の胸は締め付けられた。
こんなにも愛しいのに、昨夜はあんなにも醜い感情に支配されていた。嫌われたくないと、ずっと一緒にい続けたいと願っているのに。自分の感情が、コントロールできず焦燥感にかられる。
高城という名前を聞いた瞬間に、心の奥底がざわめいた。
一葉の過去、同じ時代に並び立った男、互いを理解し合う存在――少なくとも幸助にはそう見えていた――。
その事実が、幸助の中の「恐れ」を浮き彫りにした。
もし、一葉の中にまだ“昔の光”が残っているのなら自分は、ただの一瞬に過ぎないのかもしれない。そう思うと嫉妬、焦り、怒り、悲しみ。そんな感情が自分の中に渦巻いていた。
そんな思いを、夜の抱擁でやっと溶かした。
それでも未だに残る暗い感情のせいなのか、朝の光の中で見る一葉は、どこか遠い。
こうして肌が触れ合っているのに、まるで夢のように儚い。
憧れから生まれた恋情は、過去の劣等感を呼び起こしてしまうのか。すでに、過去のものとなった感情だというのに。
幸助はそっと一葉の髪を撫でた。柔らかく、艷やかで。髪までもが幸助を魅了する。無意識だったが、優しく一房を手に取り、その手触りの良さに目を細めた。
しかしその瞬間、一葉が小さく身じろぎ、ゆっくりと瞼を開く。
「……んん……こう、すけ……? おはよう」
「おはよう。悪い。起こしたか?」
「んん? いや、ちょうど目が覚めたところ」
一葉はとろんとして寝ぼけた様子で幸助の指先に頬を寄せた。温かい幸助の指先に蕩けたように微笑む。
その反対に、一葉の頬は少しひんやりとしていて、幸助は少しだけ息を呑んだ。そして温めるように手の平で白い頬を覆った。
「……昨日は、悪かったな」
「ん~? 別に謝ることなんて、何もないよ」
幸助の手が気持ちよくてクスクスと笑いながら頬を摺り寄せる。
「嫉妬してた……高城のこと、考えただけで、胸の奥がざわついて……」
一葉はそっと身体を起こして掛け布団を整えながら、心なしか肩を落としている幸助の方を見た。
冬の朝の光が頬を照らし、一葉の瞳の奥にやさしい影を落とす。
「嫉妬は、別に悪いことではないと思うよ。 それくらい相手を本気で想っている証拠でしょ」
「でも、俺のは少し……いや、かなり……重いだろ。自覚はしている」
「重くてもいいよ。俺が全部受け止めるから。そんなに重いとも思っていないけどね」
笑いながら言った一葉のその言葉に、幸助の胸が震えた。
「重くてもいい」と言い切る一葉は、静かで、穏やかで、そして幸助を包み込む深さがあった。
一葉のその言葉に甘えてはいけないということは分かっている。分かってはいるが、それでも自分のこの感情が許された気がして、幸助は感動にも似た感情に目を閉じた。
「ねぇ幸助……高城のこと、もう少し話していい?」
「……ああ」
ここでダメだとは言えない。また、嫉妬するかもしれない。だが一葉の気持ちを、思っていることを、もっと知りたい。一葉の、すべてが知りたい。これ以上、弱い自分を見せたくはない。でも。
幸助は一葉の頬から手を離すと、人の心を豊かにする物語を書く、その細い手をギュッと握った。一葉への想いと、自分への慰めだったのかもしれない。こうして手を握っていないと、不安でたまらないのだ。
「アイツが昔の仲間ってことは知ってるね。暇さえあれば原稿を見せ合ったり、言い争ったりしてた。あの頃は、互いに傷つけ合いながら成長してたんだと思う」
一葉は少しだけ遠くを見るように、窓の外の白んだ空を眺めた。庭の木が風に揺れて音を立てている。
幸助は再び胸がざわざわと騒ぎ始めるのを感じて、心を落ち着けようと深く息を吸い込んで一葉の手を握り直した。
「でも、結局アイツは別の道を進んだんだ。アイツにも、才能はあったと思うけど」
幸助は、無言で一葉の言葉を聞いている。一葉が認めたというその事実が幸助の胸を締め付けた。一葉の手を握る手に、無意識に力がこもった。
「俺はどんなに才能があったとしても、志半ばで諦めるようなヤツとは肩を並べない」
一葉の強い言葉に、幸助はハッとしたように顔を上げて一葉を見つめた。一葉はずっと幸助を見ていたのか、二人の視線が絡まる。
「……かず、は……」
「頂点から落ちることを怖がって諦めるヤツより、才能を開花させて頂点に立ったのにもかかわらず進み続ける幸助の方が、ずっと素晴らしいよ」
一葉は一度言葉を止めて、幸助を真っ直ぐに見つめる。そしてフッと笑った。
「だいたいさ、俺はアイツを好きだったことなんて一度もないし、むしろあまり好きではないよ」
その言葉を聞いた瞬間、幸助の胸の奥の闇が、一気に晴れたような気がした。
夜の暗がりの中で抱いた不安も、過去の影も、劣等感も、光に溶けていくようだった。
幸助にとって、一葉は太陽だった。視界さえ奪う真っ暗な道を進む幸助を、明るく照らして道を示してくれる。
幸助は一葉の頬を両手で包み、額を寄せた。
「……一葉。おまえがそう言ってくれるだけで、俺は幸せだ」
「俺、アイツみたいな卑屈なヤツは嫌いなんだ。だから幸助もさ、ちゃんと信じてよ。俺の幸助への気持ちをさ」
「っ、信じてる。ちゃんと、信じてるんだ……でも……怖くなる。おまえの世界の中に、俺の知らない世界があって、俺の知らない誰かがいるような気がして」
一葉は嬉しそうに微笑んで幸助の首に両腕を回す。至近距離で視線が絡み、呼吸が混ざる。幸助の鼓動が僅かに早くなった。
「嬉しいな。俺も同じだから。幸助の中にも、俺の知らない言葉や、人や、過去がある。出会う前の過去は変えられないけど、今と未来は一緒に作っていける」
その柔らかな声に、幸助は無意識に微笑んだ。
やっぱり、一葉には敵わない。
静かで、穏やかで、どんな感情も包み込む。
俺の、俺だけの、愛しい一葉。
気がつけば、一葉の指が幸助の頬に触れていた。
幸助が一葉を見つめたまま、ゆっくりと指先で唇の輪郭をなぞると微かに一葉の体が反応する。
更に顔を寄せ、唇が重なる寸前、一葉が囁いた。
「……ねぇ、幸助。嫉妬も不安も、全部……俺のものにしていい?」
「……いいに、決まってる……俺は、俺の全ては……一葉、お前だけのものだ」
「最高だよ、幸助」
一葉が笑い、二人の唇が静かに重なった。
外では、風が窓を叩いている。
冷たい季節の朝、世界は動き出していた。
けれど二人の間には、微かな熱が確かにあった。
やがて唇が離れると、一葉は幸助の胸に顔をうずめた。
「幸助……今日、原稿は?」
「午後からでいい……もっと、こうしてたい」
「うん。俺も」
部屋の中には静かな時間が流れている。
朝の光、鳥のさえずり、動き出した人々の活動の音。そのすべてが別世界で、今この世界には二人だけしか存在していないかのような感覚。
互いしか補えない想い。
「一葉……愛してる」
「ん。幸助。俺も、愛してるよ」
嫉妬という暗い影を超え、またひとつ確かに刻まれた愛の絆。
二人の世界は、少しずつ――深く、静かに、ひとつになっていく。
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