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或る男の誘惑 2
しおりを挟む灯の火は、未だ揺れていて二人の影を幻想的に照らしていた。
幸助の腕の中で、一葉は身を預けたまま、わざと力を抜いている。逃げるでもなく、縋るでもなく、ただ“委ねる”という態度が、幸助の神経を逆撫でした。
――自分で誘ったくせに。
幸助は一葉の体を力強く抱き締めながら心の中で悪態を吐く。自分だけが求めているようで苦しい。
「……なあ、一葉」
低く抑えた声で呼ぶと、一葉は小さく笑った。
「なに。そんな声で呼ばれると、悪いことしてる気分になる」
「してるだろ」
「してるのは幸助じゃない?」
一葉はそう言って、幸助の胸元に指先を置いた。
布越しに感じる体温を確かめるように、ゆっくりと優しく円を描く。
その動きがあまりにも自然で、あまりにも慣れていて、あまりにも魅惑的で、幸助は息をのんだ。
「……触り方が、分かりすぎてる」
「ふふ。何年一緒にいると思ってるんだ」
そう言いながら、一葉は顔を上げ、至近距離で幸助を見つめた。
夜の灯に照らされた瞳は静かで、それでいて逃げ場を与えない。心も体も全て吸い込まれそうなほど深い。
「幸助ってさ、こういう時、全部顔に出るよな」
「出てねぇ」
「出てる。独占したくて、でも壊したくなくて、我慢してる顔」
クスクスと笑う一葉の言葉に、幸助は思わず舌打ちしそうになった。
図星だった。
閉じ込めて隠して自分だけ見てほしい独占欲と、愛おしくて大切で守りたい至愛。そのどちらも幸助の想いで、幸助自身もどうしていいのか分からない感情。
「……分かっててやってるだろ」
「分かってるから、やってる」
密着とまではいかないが、幸助の膝の上に座り腰を抱かれて触れている距離。一葉の手が幸助の胸に当てられている。
それだけで、幸助の呼吸が浅くなる。
「なあ、幸助」
「……なんだよ」
「今日は、奪わないで」
その一言が、逆に幸助の理性を揺さぶった。
「……は?」
――ここまで誘っておいて、今更。
幸助の苛立ちと一葉を手に入れたいという欲望が沸々と湧き上がってくる。
「奪う顔、してる。でも今夜はさ、俺を……欲しがって」
一葉は囁くように言い、幸助の耳元へ唇を寄せる。
触れない。触れないが、熱い息が伝わる。
幸助は固唾を飲み、喉がゴクリ、と鳴った。
「俺が欲しいって、言って」
幸助の指が、一葉の背に食い込む。
逃がさないためではない。すぐにでも貪りたい衝動を抑えるためだった。
「……卑怯、だ……っ」
「年上の余裕ってやつ?」
一葉は笑いながら、ゆっくりと幸助の口元に唇を近付けて呼吸を重ねる。
互いの息が混ざり、境界が曖昧になる。
「なあ、幸助。嫉妬してるお前、すごく色っぽい」
「バカ、なこと……言うな……っ」
「隠そうとしてるのに、全部滲んでる」
一葉の指が、幸助の顎を持ち上げた。
視線が絡む。もう、逃げ場はない。否、最初から囚われているのだ。逃げ場など、あるはずもなかった。
「……触れたら、止まらねぇぞ」
「止まらなくていい。ただ、貪欲に……欲しがって」
その瞬間、幸助は堪えきれず、一葉を引き寄せた。
唇が重なる。深くはない、けれど確かに“欲”を含んだ口づけ。
一葉は、拒まなかった。
ただ、幸助の唇を受け止めながら、わざとゆっくりと応える。
「……ほら」
唇が離れた瞬間、幸助の欲のこもった瞳を見つめながら一葉が囁く。
「もう、興奮してる」
幸助は一葉の額に自分の額を押し当て、強い眼差しで低く笑った。
「……全部、お前のせいだ」
「うん、知ってる」
一葉の声は、驚くほど甘く優しかった。
挑発の奥に、確かな愛情が滲んでいる。
幸助の体は、愛する一葉の想いを受けて歓喜に震えた。
「幸助が俺を欲しがる顔、好きだよ。執着して、独り占めしたいのに、それでもちゃんと大事にしてくれる」
その言葉に、幸助の胸が締め付けられた。想いが伝わっている。そう、感じられた。
「……だから、離れられねぇんだ」
「離れなくていいし、離さないよ。離れるなんて、許さない」
一葉は幸助の胸に顔を埋めた。
その仕草は、誘惑であり、甘えでもあった。
夜はまだ深い。
理性が溶けきるには、十分すぎるほどに。
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