或る男の渇望

ドラマチカ

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或る男の誘惑 3

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 部屋でうごめく影は濃く、静けささえも熱を帯びている。

 一葉は幸助の胸に頬を預けたまま、しばらく動かなかった。
 ただ、互いの呼吸が重なるのを確かめるように、ゆっくりと時を刻んでいく。

「……なあ、幸助」

 低く、柔らかい声。
 名前を呼ばれるだけで胸の奥を撫でられ、激しい衝動にかられそうになる。

「今さ、限界まで我慢してるだろ」
「……お前のせいでな」
「俺のために、我慢してる?」

 一葉はそう言って、顔を上げた。
 灯に照らされた幸助の横顔は言葉とは裏腹に落ち着いていて、余裕があって、それでいて、ひどく艶っぽい。しかし、それは表面上だと知っている。幸助が欲望を抑えていることを、一葉はちゃんと分かっていた。

「でもさ、我慢してる幸助、すごく綺麗だ」
「……キレイってなんだ……」

 キレイなのはお前だろ、と幸助は思った。
 
「目が、欲しいって言ってる」

 幸助の視線が一葉に向いた。
 分かっていて、こうして余裕を見せてくる一葉が憎たらしいと思う反面、愛おしいとも思う。
 
 一葉の指先が、再び幸助の胸元に触れる。
 撫でるわけでもなく、押すわけでもない。
 ただ、そこに置くだけ。

 しかし、それだけで幸助の背筋が強ばった。下腹の奥が重くなる。一葉の手のひらから熱が伝わり、一葉も幸助を、欲しているのだとわかった。
 
「ほら」
「……かずは……」 

 囁きながら、一葉はわずかに距離を詰める。
 唇が触れそうで、触れない。
 幸助の視線がわずかに一葉の唇に向いた。それは一瞬の事だったが、一葉は見逃さなかった。
 もう少し。
 そう、思った。

「触らない。今日は、幸助から触ってくれるまで」
「……ほんと、性格悪い」
「年上だからな」
「関係ねぇだろ」 

 また年齢差のことを言われて、子供のようだと分かっていてもムッとして声を低くしてしまう。
 好きで年下に生まれたわけじゃない、と言い返したいが、今はそうじゃない。
 一葉は軽く笑いながらも、目はそらさない。
 そして幸助も、逃がさない視線を絡ませる。

「幸助、独占欲、全部ここに出てる」

 そう言って、一葉は幸助の喉元に視線を落とす。
 視線だけで、触れていないのに。

「……誰にも見せたくない顔してる」

 幸助の手が、無意識に一葉の腕をつかんだ。
 強くはない。でも、離す気がない力。

「……見せる気なんかねぇからな」
「うん。だから、オレだけの顔」

 一葉はゆっくりと、その手に自分の指を絡めた。
 指と指が重なり、絡み、ほどけない。ほどかない。

「幸助」
「……」
「欲しいなら、ちゃんと欲しいって言って」

 その言葉は、命令じゃない。
 許可でもない。
 甘い、痺れるような、罠だった。

 幸助の喉が鳴る。
 呼吸が、整わない。
 一葉の事しか考えられない。

「……お前が、欲しい……ッ」

 掠れた声。
 抑えきれない本音。

 いつも余裕の笑みを浮かべている一葉の表情が、わずかに崩れた。
 余裕の奥にあった熱が、静かに溢れる。

「……やっと言った」

 一葉は嬉しそうに微笑んで幸助の首に腕を回し、ゆっくりと体を預ける。
 完全に密着する、その直前で止まる。

「でもな」

 耳元で囁く。

「欲しいって言える幸助が、一番煽ってるって、知ってた?」

「……お前……」

「好きだよ。執着して、壊れそうで、それでも我慢してるところ」

 一葉は、そっと幸助の額に唇を落とした。
 それだけ。
 なのに、全身に熱が走る。

「幸助が限界になる顔、全部オレが引き出した」

 囁きは、優しく、残酷だった。

「だから――」

 一葉は幸助の胸に顔を埋める。

「今日は、逃げないで」

 その一言で、幸助の理性は完全に途切れた。
 腕が一葉を強く抱き寄せる。
 もう、距離を保てない。

「……離す気、ねぇからな」

 低く、執着を滲ませた声。

 一葉は小さく笑った。
 満足そうに、安心したように。

「それでいい」

 灯が揺れ、影が重なる。
 言葉はもう必要なかった。

 これから深い闇夜の、長い時間が始まる。

 
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